2980話
触れた死体が消えたのを見たレイは、マジかと口にしたように驚いていた。
もしかしたら可能かもしれないと思ってはいた。思ってはいたのだが、それでもまさか本当にそんな真似が出来るというのは、予想外だったのだ。
「うわあああああっ、ちょ、ちょっと、凄いじゃないレイ!」
死体を拘束するように植物を魔法で動かしていたニールセンの口から、そんな驚愕の声が上がる。
ニールセンにしてみれば、出来ればいいと思ってはいたが、成功はしないと思っていたのだろう。
それだけに、レイの行動の結果に素直に驚いていた。
ニールセンの側で様子を見ていた長もまた、素直に驚きの表情を浮かべている。
レイの提案から成功して欲しいとは思っていたものの、それでもまさか本当に成功するとは思っていなかったのだ。
何しろ実際に駄目元でやったレイですら、驚いていたのだから。
「取りあえず、他の奴も収納していくか」
ミスティリングの様子を見て、取りあえず問題はないだろうと判断したレイは他の九人の死体も次々と収納していく。
(とはいえ、穢れをミスティリングに収納して、壊れるなんてことは……ないよな?)
ミスティリングがどれだけ凄い物であるとはいえ、マジックアイテムの一種に違いはない。
それに対して、穢れというのは長曰く悪い魔力。
魔力で動くマジックアイテムの中に悪い魔力の穢れがあるのだ。
場合によっては、ミスティリングに何らかの不具合が起きてもおかしくはない。
そうなると、レイにとってこれからの行動がかなり制限される。
レイには冒険者として活動する上で有利な点は多いが、その中でもミスティリングは特に大きな要因の一つだ。
大量の料理や武器、マジックアイテム、宝石を含めた財産の数々。
それらを含め、現在ミスティリングに入っている全てを馬車で運ぶとなれば、それこそ百台あっても足りないのは間違いないだろうだけの数が収納されている。
また、レイが戦闘の時に使うデスサイズや黄昏の槍も、戦闘中はともかく普通の時にも常に出しているとかなり邪魔だろう。
そういう意味では、レイの行動の大きな要因というよりも最大の要因という表現の方が正しいのかもしれない。
もっとも、セトに乗って移動する高い機動力もレイにとっては大きな意味を持つので、ミスティリングを最大の要因とするのは少し間違っているのかもしれないが。
「なぁ、長」
「え? はい? 何でしょう?」
穢れの力によってアンデッドに似た何かに変わろうとしていた死体の全てを収納したレイは長とニールセンのいる場所まで戻ってくるとそう長に声を掛ける。
レイのその言葉で我に返った長は、レイにどうしたのかといった視線を向ける。
「死体は全て収納したが、マジックアイテムも含めて死体を収納したことでミスティリングに何か悪い影響があったりしないか? 穢れってのは悪い魔力なんだろ?」
「その……恐らくは大丈夫だと思います。ミスティリングを使っているのはレイ殿なので、そのレイ殿の魔力に危害を加えられるかと言えば……」
その言葉の先はレイにも理解出来た。
「俺の魔力の大きさで穢れの影響は遮ることが出来ると?」
「私が知ってる限りではそうなります。レイ殿には何度か言ってますが、穢れというのは悪い魔力です。悪い魔力であっても魔力であるのは違いないので、レイ殿が持つ大きな魔力を前にしては意味がありません」
「それは……つまり、俺は穢れの天敵ということか?」
「そういう一面もあります。ただ、この人達の場合は穢れの量そのものが少ないので、レイ殿にとっては敵ではないといったところです」
長の言葉に少し考え……やがてレイは自分の手を見ながら口を開く。
「つまり俺が収納した連中じゃなくて、もっと他の……穢れの大元? そういうのに対しては、俺の魔力があっても危ないということか?」
「その可能性はあるかと。……正直なところ、私もそれなりに長く生きていますがレイ殿のような莫大な魔力を持つ存在というのは見たことがありません。そういう意味では、もしかしたら穢れの大元に関しても有効かもしれません」
「穢れの大元か。……普通に考えれば、それがあるのはボブが見たという洞窟が怪しいよな」
あるいは他の場所も怪しいのかもしれないが、生憎と今のところ思いつくのはそこしかない。
とはいえ、その洞窟に穢れの大元があったとして、そこが具体的にどこなのかというのは、ボブに聞かないと分からない。
だからといって、ボブを連れてその洞窟のある場所まで行くとなると、間違いなくボブが狙われてしまう。
(待て。狙われる? 本当にか?)
レイはボブが狙われている、本当の理由は分からない。
しかし、恐らくは穢れについて見てしまったから……という可能性が高い筈だ。
であれば、穢れについてもうレイや長、ダスカーといった面々に……そしてダスカーから王都に連絡がされている以上、もう穢れの関係者がボブを殺したところで意味はない。
もっとも、穢れについてレイ達が知ってしまった理由がボブにあるのは間違いないので、落とし前やケジメとしてボブを狙うといった可能性は否定出来なかったが。
「レイ殿? どうしました? もしかして、ミスティリングの方に問題でも?」
何かを考え込んだレイを心配したのだろう。長が本当に大丈夫か? といったように心配そうな視線を向ける。
普段は色々と面白がることの多いニールセンだったが、そのニールセンも今は長と同じように心配そうにレイを見ていた。
そんな二人に向け、レイは何でもないと首を横に振る。
「いや、ミスティリングの方には何も問題ない。ただ、穢れをどうにかするにはボブが狙われる原因となった洞窟に行く必要があるかもしれないけど、詳しい場所を知ってるのはボブだけなんだよなと思っていただけだ。けど、そういう場所にボブを連れていけば、間違いなく狙われるだろうし」
「なるほど。そのような場所に向かうとなると、ボブ以外に誰か案内をする者が必要になるということですね」
「ああ。けど、その場所を正確に知ってるのはボブだけだし、そう考えるとどうしたものかと思ったんだよ」
レイは微妙に方向音痴気味だ。
レイだけではなく、セトもまた方向音痴の傾向がある。
それが分かっているからこそ、レイも少し困った様子を見せていた。
「ボブの護衛として誰か連れていけばいいんじゃない?」
ニールセンのその言葉は、レイにも納得出来る点がある。
しかし、今の状況を思えば穢れの関係者のような相手がどこから姿を現すのかは分からない。
そのような場所に護衛をする者がいてもボブを連れていくのは不味い気がする。
(護衛用のゴーレムが完成すれば……いや、駄目か)
レイがエグジニスで注文したゴーレムは、護衛用のゴーレムなのは間違いない。
しかし、そのゴーレムの性能は、レイが話を聞いた限りだと戦闘中に護衛を必要とする相手を守るというもので、普通に移動している時も護衛をする……といったような能力があるものではない。
その辺りの利便性を考えると、やはりゴーレムではなく普通に護衛を雇った方がいいだろう。
(けど、俺と一緒に行動するとなると、その辺の奴だとちょっとな)
ボブをしっかりと守れる実力もそうだが、レイの場合は色々と普通の冒険者と違うところも多い。
そうである以上、レイの行動にいちいち驚かないような相手……具体的には、レイのことを知っている相手の方がいいのは間違いなかった。
(やっぱり最善なのはエレーナ、マリーナ、ヴィヘラ、アーラ、ビューネだけど、エレーナとアーラは貴族派の代表としてギルムにやって来ている以上、連れていくのは難しい)
エレーナと面会を希望する者が多数いるのは、レイも十分に知っている。
実際にその現場を何度も見ているのだから、当然だろう。
そのような状況でエレーナを連れて穢れのあった洞窟に向かうというのはかなり難しい。
(となるとマリーナ? ……いや、マリーナはある意味でエレーナよりも駄目だろ)
マリーナの使う精霊魔法による治療は、ギルムで現在行われている増築工事の中でも非常に大きな意味を持つ。
そうである以上、ここでマリーナを引き抜いた場合、治療院ではマリーナがいれば助かる怪我でも、マリーナがいない為に死んでしまう可能性は否定出来なかった。
(残るのはヴィヘラとビューネか。相手が強敵……かどうかは分からないが、多分強敵だよな? 最悪大陸が滅びると長が言ったんだし。だとすれば、ヴィヘラは喜んで一緒に来ると思う。ビューネは……まぁ、ヴィヘラが一緒ならこっちも一緒に来るだろ。そうなったら、ビューネにボブの護衛を任せてもいいかもしれないな)
幸いなことに、ヴィヘラはそこまで増築工事に必須という人物ではない。
ウィスプの件であったり、リザードマンや湖の件であったりと、トレントの森関連でそれなりに動いてはいるので、全く仕事がない訳でもないが……
「ボブの知ってる洞窟に行くのに、ヴィヘラとビューネという俺のパーティメンバーを連れていきたいと思ってるけど、どう思う?」
「レイ殿が大丈夫だと思うのであれば、問題はないと思います」
「レイがいいと思うなら、問題はないんじゃない?」
長とニールセンの言葉は、レイに取りあえず賛成といった様子だったが、それならばとレイは納得する。
「取りあえず、戻ってきたばかりだけどまたギルムに向かった方が……いや、エレーナに頼んで対のオーブを使って話をして貰った方がいいか?」
現在の自分の状況でギルムに行った時、一体何が起きるのか。
それを思えば、やはりここは直接自分が行くのではなく、対のオーブを使った方がいいだろうと判断する。
ギルムからトレントの森に戻ってきたばかりなのに、またギルムに戻るというのもレイにとっては手間だ。
……セトの移動速度を考えると、手間らしい手間はないのだが。
(とはいえ、死体が穢れによって姿を変えられていくというのは、実際に自分の目で直接見た方がいいと思うけど。ただ、その場合はミスティリングから死体を取り出す必要があるんだよな)
レイにしてみれば、封印的な意味でミスティリングに収納したのだから、出来れば新たにその死体を取り出すといったような真似はしたくない。
もし死体を取り出した場合、穢れによってどのような影響が出るのか分からない。
幸いにも穢れという存在はレイが触れても特に問題らしい問題はなかった。
しかし、それはあくまでもレイだからという可能性が高い。
長が言っていたように、レイの持つ莫大な魔力が穢れの影響を排除している……と、いう可能性も十分にあるのだから。
「どうしますか、レイ殿」
「……やっぱりギルムに戻った方がいいな。さっきの変化しそうになっていた死体は、直接触らせるといったようなことはしなくても、実際にダスカー様に見せておいた方がいいだろうし」
色々と考えた末に、レイが出した結論はそれだった。
対のオーブ越しに死体を見せても、直接見るよりも説得力が低いのは間違いない。
また、ダスカーと対のオーブ越しにやり取りをする場合、その場所は妖精郷となる。
それはつまり、妖精郷の中で死体を出すことになり……穢れが妖精郷の中に入るのを嫌う長が、それを許容するとは思えなかったというのも理由にあった。
(死体が変化している途中でミスティリングに収納したけど、それはつまりミスティリングから取り出すとまた変化を始めるということになる。そうなれば、穢れによって妖精郷に大きな被害が起きかねない。時間にある程度の余裕はあるみたいだったけど)
穢れの関係者達が死に、穢れによってその死体が変化を初めてからレイは長と話すだけの余裕があった。
そんな真似をしても死体の変化は完了していなかった。
つまり、穢れによって死体が変化するのは相応の時間が掛かるということになる。
自分達で命を絶った者達が、その辺についての事情を理解していたのかどうか、レイには分からない。
とにかく、そのようなことになる以上、妖精郷で死体を出す訳にはいかない。
ギルムに戻ってダスカーに死体を見せる際も、その辺には注意する必要がある。
じっくり死体を観察したいと言われ、そのまま死体を出したままにしておいた場合に、死体が穢れによってどのように変わるのかは分からないのだから。
(そう考えると、穢れで一体どういう風に変化をするのか一度しっかりと確認した方がいいのかもしれないが)
いざという時に最悪の事態にならないように試しておいた方がいい。
そんな風に思いながら、レイは右手のミスティリングを撫でるのだった。