2975話
「さて、戻ってきたな。……どうせなら生誕の塔の方の様子も見てきたいところだけど……」
トレントの森の上空で、セトの背に乗ったレイがそう呟く。
そんなレイの言葉に反対したのは、その肩に立っているニールセンだ。
「駄目よ。私がギルムで遊びたいと思っていた時はレイが却下したじゃない。なら、今回の件もそれは却下するわ」
ある意味で意趣返しといったところか。
ふふん、と得意げな表情を浮かべるニールセンだったが、レイも別にそこまで本気で生誕の塔に……正確にはそこを守っている冒険者達のところに顔を出したいと思って言った訳ではない。
もしニールセンがそれでも構わないと口にしていれば、レイも実際に行動を起こしていただろうが。
「そうか。なら、妖精郷に向かうか。生誕の塔に行けば、少しはニールセンの気晴らしにもなるんじゃないかと思ったんだけどな」
「……え?」
レイの言葉に、それは予想外だったといった表情を浮かべるニールセン。
ギルムで好き勝手に動けなかったことから、その仕返しにレイの言葉に反対したのだが、ふと考えるともしかしてそれもよかったのでは? と思ってしまったのだ。
とはいえ、もう言ってしまった以上はどうにもならない。
やっぱり今のなしといったようなことはニールセンも言えなかった。
また、ここはトレントの森なのだ。
ギルムですら、何らかの手段によって長に様子を見られていた可能性があるというのに、このトレントの森は妖精郷のある場所でもある。
だからこそ、今のこの状況を長に把握されているという可能性は否定出来なかった。
「じゃあ、いつまでも空にいれば敵が来るかも……あ」
噂をすれば何とやら。
レイの言葉の途中で、少し離れた場所を数匹のハーピーが飛んでいくのが見えた。
あるいはトレントの森に巣を作っているのかもしれないが、幸いにもハーピーはセトの姿を見ると格の差を理解したのか全速力で翼を羽ばたかせてセトから離れていく。
もしセトを襲えば……いや、自分達から襲わなくても、セトが気紛れで攻撃をしてきた場合、自分達はすぐに死ぬと、そう理解しているのだろう。
これがゴブリンなら、セトを見ても力の差は理解出来ずに食料や単純に攻撃する対象を求めて襲うだろう。
そしてセトに一蹴され、力の差を理解してすぐに逃げ出すといった形となる。
そんなゴブリンに比べれば、ハーピーは……いや、それ以外の大抵のモンスターは、セトを見た瞬間に自分との力の差、格の差というのを理解し、戦ったりせずに逃げ出す。
そういう意味では、面倒がないだけセトや……セトと一緒にいるレイにしてみれば、ありがたい。
「グルルルゥ?」
逃げ出したハーピーを見て、セトは追わなくてもいいの? と喉を鳴らす。
向こうから逃げたハーピーだが、それはあくまでもセトが見逃すつもりがあればの話だ。
もしレイがハーピーを倒して欲しいと言えば、ハーピーはすぐセトに追い付かれしまい、逃げ切ることは不可能だろう。
しかし、レイはセトの問いに対して首を横に振る。
「いや、別に追う必要はないから気にするな。ここでハーピーを一匹程度倒したところで意味はないし」
ハーピーの魔石を魔獣術で使ってなければ、ここでハーピーを逃がすという選択肢はレイにはないだろう。
あるいは、ハーピーがただのハーピーではなく希少種や上位種であった場合でも同様に。
だが、逃げ出したハーピーは普通の……一般的なハーピーでしかない以上、わざわざ攻撃する必要性は感じなかった。
「じゃあ、ハーピーもいなくなったし妖精郷に戻るか」
「グルルゥ……グルゥ?」
レイの言葉に、セトが分かったと喉を鳴らして妖精郷の近くに降りようとしたのだが、不意に何かに気が付いたように訝しげな様子を見せる。
「セト?」
そんなセトの様子が気になったのだろう。
レイは一体どうした? といった視線をセトに向ける。
「グルルゥ? グルゥ、グルルルルゥ」
レイの言葉に、セトは地上のとある場所を見ながら喉を鳴らす。
多くの木々が生えており、木の枝に隠されて完全に下を見ることは出来ない。
しかし、それでも枝の隙間から見ることが出来たのは……
「冒険者? あるいは学者とか錬金術師とかか?」
人の集団だった。
枝によって隠されているので、具体的に何人いるのかはレイには分からない。
しかし、多少は見えた程度から一人や二人でないのは間違いないだろう。
そのような状況であっても、しっかり地上にいる者達を見つけることが出来たのは、やはりセトの鋭い五感のおかげだろう。
事実、レイもニールセンも地上を進んでいる者の姿には気が付かなかったのだから。
「あれ? でも、この森って基本的に許可のある人しか入っちゃ駄目なんじゃなかった?」
レイの肩の上で、ニールセンがそんな疑問を口にする。
「ああ。そういう意味では、多分あの連中は密猟者……密猟者? いや、この場合この表現が正しいのかどうかは分からないが、とにかく無断でトレントの森に入ってきたのは間違いないと思う」
「その割にはあまり隠れてるようには見えないけど?」
上空からその姿を確認出来たことから、ニールセンはそんな疑問を口にする。
しかし、レイはそれに対して首を横に振る。
「恐らく前後左右といった場所には警戒していると思う。だが……上にはそこまで意識を向けてないんだろう」
人というのは、基本的に上……空に向かって視線を向けることはそう多くない。
ましてや、ここはトレントの森で上は木の枝で覆われているのだから。
元々空を飛ぶような存在はそう多くはないし、空を飛ぶ存在でもセトのように鋭い五感であったり、偶然木の枝の隙間から見つけるといったようなことでもない限り、トレントの森を移動している相手を見つけるのは難しいだろう。
「どうするの?」
「このままにしておく……いや、捕らえた方がいいか」
レイとしては、侵入者を放っておいてもいいと思う。
しかし、あのまま好きに移動させていると、妖精郷の方に来るかもしれない。
偶然ではあるが、侵入者と思しき相手が向かっているのは妖精郷のある方向なのだからその可能性は否定出来ない。
勿論、トレントの森は広い。
その中で移動している者達がいても、ここから妖精郷まで到着するのは非常に難しいだろう。
あるいは、モンスターと遭遇する可能性も否定は出来ない。
トレントの森は現在多くの動物やモンスターが縄張り争いをしている。
ゴブリン程度の弱いモンスターなら、トレントの森に入ってくる者達ならどうとでも対処出来るだろう。
だが、中にはランクAモンスター……とまではいかずとも、ランクBモンスター程度なら、辺境である以上はどこにいてもおかしくはない。
そうである以上、全滅はしてもおかしくはないのだ。
あの移動している者達の中に、実は高ランク冒険者がいれば話は別だが。
「じゃあ、私も協力してあげるわ!」
捕らえるとは言ったものの、レイがどうやって捕らえるべきかと考えていると、ニールセンがそう告げる。
ニールセンにしてみれば、ギルムで自由に行動出来なかった分、憂さ晴らしをしたいといったところか。
ここで真っ直ぐ妖精郷に戻れば、また長の手伝いをさせられることになる。
であれば、ここである程度憂さ晴らしをしておきたいのだろう。
「分かった。じゃあ、俺はセトから降りてあの連中に話して、恐らくは正面から戦うことになると思う。そうなったら、ニールセンは援護してくれ。セトは、敵の後ろに回り込んで俺との戦いが始まったら攻撃してくれ。ただ、殺さないようにな」
「レイとセトがいたら、戦う前に逃げるんじゃないの?」
ニールセンのその言葉は、反論するのが難しい一面があるのは間違いない。
レイを相手にして、戦って勝てるとはさすがに向こうも思わないだろう。
なら、全員がそれぞれ好き勝手に逃げる……といった真似をすれば、レイに対処は難しい。
幾らレイが圧倒的なまでの戦闘力をもっていようと、一人……セトがいるから一人と一匹であることに変わりはない。
それぞれが好き勝手な方に逃げれば、ある程度は捕まえられるだろうが、全員を捕まえるというのは難しいだろう。
「だからこそ、ニールセンに対処して貰うんだろう? スモッグパンサーのいる森での戦いでやったように、植物を使って相手の動きを止めてくれればいい。……というか、ニールセンがやる気になったのはそれが理由じゃなかったのか?」
「それもあるけど、光を使いたかったのよ。使えるようになったんだから、きちんと使いこなせるようにしておきたかったし」
「その気持ちは分かるが、まずは植物で相手の動きを止めるのを優先してくれ」
改めてレイが頼むと、ニールセンは渋々といった様子ながら頷く。
「しょうがないわね。レイは私がいないと何も出来ないんだから」
その言葉には色々と言い返したかったレイだったが、ニールセンに手伝って貰う以上、それは止めておく。
今の状況を思えば、まずはトレントの森の侵入者を捕らえる方が先なのだから。
「分かったよ。じゃあ……準備はいいな? 行くぞ」
そう言うと、レイはセトの背から降りる。
いつものように高度百m程の場所を飛んでいたので、当然ながらセトから降りたレイはそのまま真っ直ぐ地上に向かって落下していく。
そしてこちらもまた、いつものようにレイはスレイプニルの靴を使って空中を蹴りながら速度を殺し……やがて、木々の枝の隙間を通って地上に、侵入者達の前に着地する。
着地の衝撃は膝の動きによって完全に殺してるので、百mの高さから降りてきた……あるいは落ちてきたにしては、殆ど音を立てない着地。
『なっ!?』
そんなレイの姿が予想外だったのか、トレントの森に侵入してきた者達はそんな声を上げる。
本来なら、レイを前にそのような行動をするというのは自殺行為でしかない。
とはいえ、レイも今回は相手を殺すのではなく捕らえるというのを目的にしていたので、いきなりのレイの出現に驚いている相手を見ても特に何もしない。
セトが相手の背後に回り込むのを待つという狙いもそこにはあった。
その間に、レイは相手がどれだけの人数なのかをしっかりと確認する。
人数はちょうど十人。
冒険者のパーティとしては、一つのパーティとして考えると数が多すぎる。
一つのパーティが基本的には最大五人程となっているのは、別にギルドの方でそのようにルールとして決められている訳ではなく、パーティという一つの集団として動くとなると、五人くらいが一番動きやすいからだ。
勿論、パーティリーダーの技量によっては五人以上……それこそ十人であっても自由に動かすようなことも出来るが、そのような者はあまりいないし、何よりも冒険者である以上は依頼を成功させて金を稼ぐ必要がある。
一つの依頼を成功させても、当然だが冒険者の数が多くなったからといって報酬が増える訳でもない。
何らかの理由で歩合制のような形になっていればまだしも。
そんな訳で、十人程を纏めることが出来て、報酬が高い……つまりそれだけ危険な依頼を受けるようなことを常にやらないといけないのが、通常よりも人数の多いパーティだ。
レイが見たところ、目の前にいる十人にはそのような腕利きの気配はしない。
それどころか、技量的には決してそこまで高くないように思える。
「だ……誰だ!」
レイが地上に着地してから数秒。
その程度の時間で我に返った一人がレイに向かって叫ぶ。
これが早いのか遅いのかは、レイには分からない。
ただし、自分だったらもっと早く反応していただろうとは思うが。
「俺が誰でもいいと思うが? 取りあえずこのトレントの森に入る許可を貰っている。お前達もトレントの森にいるということは、当然ながら森に入る許可を貰ってるんだよな?」
そう尋ねつつ、もしこれで実は相手が普通にダスカーから許可を貰っている人物だったらどうするべきかと考える。
レイにしてみれば、この十人はトレントの森にいた見覚えのない人物だったので、勝手に入ってきた者達だと判断した。
しかし、別にダスカーがトレントの森に入る許可を出した相手をレイが全員知っている訳ではない。
だからこそ、もしかしたらと思ったのだが……幸か不幸か、相手はレイの言葉に動揺した様子を見せる。
「どうやら本当に許可もなく入ってきたらしいな。……一応、本当に一応言っておくが、このトレントの森は許可がないと入ってはいけない場所だ。それを知らなかったというのなら、大人しく捕まれ。警備兵に事情を話せばどうにかなるかもしれない」
そう言いつつ、今までの様子から考えてその辺りを知らなかったなどということはないと判断し……
「そうなるか」
それぞれ武器を抜いた十人を見て、レイはそう呟くのだった。