0297話
アリウス伯爵を始めとした国王派の貴族達が集まっている天幕から出たレイは、喉を鳴らしながら近付いてくるセトを出迎えながら小さく溜息を吐く。
(とにかくこれで戦争も終わった訳だ。後は面倒なことに巻き込まれないといいんだけどな)
内心で呟きつつも、それは難しいだろうという判断をする。
何と言っても、自分はこの戦争で目立ちすぎた。そう自覚できる程に活躍したのは事実なのだから。
(とは言っても、セトと一緒にいる以上目立つのは避けられないしな。それを考えれば、俺に迂闊に手を出せば相当の被害が出るというのを周知させられただけマシか)
特に火災旋風のような、魔法と呼ぶよりも既に災害と表現した方が正しいだろう存在を自分の領地内で使われる可能性を考えれば、そうそう迂闊な真似を出来ないだろう、というのがレイの目論見でもあった。
(まぁ、それでも中には自分だけは大丈夫とか考える奴がいそうだが……)
「グルゥ?」
そんな風に考えていると、レイの様子を心配したのだろう。セトがその円らな瞳を向けてどうしたの? とばかりに喉を鳴らしながら小首を傾げる。
「何でも無いよ。それよりもダスカー様のところにも報告に行かないとな。頼めるか?」
「グルゥ!」
「キュ!」
レイの言葉にセトが鳴き、同時に聞こえて来るもう1つの可愛らしい鳴き声。
聞き覚えのあるその声に振り向いたレイが見たのは、いつの間にか近くにあるテントの上に乗っていたイエロの姿だった。
「……そうか、そう言えば連絡役としてエレーナが先にこっちに戻したんだったな」
呟きながら手を伸ばすと、イエロが嬉しそうに鳴きながらレイの胸の中へと飛び込み、何かを訴えるかのように視線を向ける。
その様子を見てイエロが何を心配しているのか分かったのだろう。小さな頭を撫でながら安心させるように口を開く。
「エレーナも……お前のご主人様も無事だよ。特に怪我らしい怪我はしていない。だから安心しろ」
「キュ!」
レイの一言で安堵したのだろう。小さく鳴いてから羽ばたき、セトの背へと着地する。
「キュ!」
「グルルゥ?」
「キュキュキュ!」
「グル」
いつものように異種族間にも関わらず全く問題無く会話している様子を見ながら、レイはセトの背へと跨がる。
「イエロ、これから中立派と貴族派に奇襲が成功したという報告をしに行くけど、一緒に来るか?」
「キュ?」
レイの言葉に小首を傾げるイエロ。
体長15cm程の竜の子供にしか見えないイエロがそのような仕草をすると、どこかヌイグルミのような愛らしさがある。
実際、グリフォンという存在とレイのやり取りを怖々と見守っていた周囲の兵士や騎士、あるいは冒険者達は、男女関係無くその様子を穏やかな表情を浮かべて眺めていたのだった。
あるいは、これも戦争が終わったからこその光景と言えるのかもしれない。
「奇襲部隊に派遣されていた冒険者のレイだ。ダスカー様に報告をしたいから取り次ぎを頼む」
「おお、戻って来たか。ダスカー様もフィルマ様も報告を待ち侘びていたぞ。すぐに取り次ぎをするから、少し待っていてくれ」
警備兵の1人がそう言い天幕の中へと入っていくと、その間にレイは腰のミスリルナイフをもう1人の警備兵へと預ける。
「それにしても、お前がこうして無事に戻って来たってことは奇襲は成功したのか? 暫く前から前線で戦いの喧噪が止んでいるし」
ミスリルナイフを受け取りながら、一瞬だけレイの側に立っているグリフォンとその背に乗っているイエロへと視線を向け、尋ねてくる警備兵に頷く。
「ああ。敵の総大将も奇襲部隊の隊長が倒して、見ての通り敵も撤退した。結果だけ見れば俺達の圧勝と言ってもいいだろうな」
今回の戦争で受けた被害に関して言えば、圧倒的に国王派が大きい。本来であれば最も被害の出る先陣部隊同士の戦いでレイが火災旋風を使い、中立派、貴族派の被害を極端に減らした為だ。
もっとも、だからと言って中立派や貴族派が無傷という訳でも無い。火災旋風の混乱に乗じた形で全面攻撃を仕掛けた時に、少なからず戦力は損耗しているのだから。ただ、比率で言えばやはり圧倒的に国王派の損害が大きかった。テオレーム率いる魔獣兵が転移石を使って行った背後からの奇襲で受けた被害や、その後の国王派が仕掛けた奇襲の陽動として最前線に立って受けた被害を考えると、中立派や貴族派が受けた被害は微々たるものと言ってもよかっただろう。
「へぇ。今回の陽動で援護を任された魔法使いや弓術士達の話で敵が撤退したってのは聞いてたが……」
感心したように警備兵が頷いていると、やがて天幕の中から取り次ぎをしに行った警備兵が戻ってくる。
「ダスカー様、フィルマ様がお会いになるそうだ。失礼の無いようにな」
「その辺はあまり自信が無いが、精々気を付けることにするさ。……セト、暫く外でイエロと一緒に待っていてくれ」
「グルゥ」
「キュ!」
レイの声に同時に鳴いて答える2匹。その様子に、2人の警備兵も国王派にいた者達のように思わずほんわかとした笑みを浮かべる。
だが、すぐに警備兵としての役割を思い出したのだろう。無理矢理に表情を引き締めて口を開く。
「さ、入ってくれ。……あぁ、いやその前に武器を」
「それなら俺が預かってる」
ここに残っていた方の警備兵がそう言い、ミスリルナイフの入っている鞘を相方へと見せる。
「分かった。なら、入ってくれ。ダスカー様を始めとして、皆報告を聞きたがっているからな」
そう声を掛けられ、レイは天幕の中へと入っていく。
中に入りまず感じたことは、貴族達から向けられる視線の強さだ。勿論奇襲攻撃が行われる前に来た時も同様の視線を幾つも浴びたのだが、その時に比べると視線の圧力が比較にならない程に高くなっている。
その視線の強さは、当然レイからもたらされるだろう報告に対する貴族達の関心の強さを表していた。
故に、ダスカーは小難しい前置きは抜きにして尋ねる。
「レイ、敵が撤退したということは、奇襲は成功したと思ってもいいのだな?」
「はい。奇襲は成功しました」
一瞬、敵の総大将を討ったのが自分か、あるいはシミナールかのどちらかを迷ったレイだったが、それを言う前に貴族達は感情を爆発させる。
「よし! ベスティア帝国軍の撃退に成功したか」
「アリウス伯爵の、賭けに近い一手だったが……」
「何、賭けでもなんでも勝てば総取りよ。実際、今回の奇襲の成果でアリウス伯爵は間違い無く功績を挙げている。自分達が奇襲攻撃を受けたという失態を入れても、まず間違い無く評価されるだろう」
「うーむ、こうなれば無理にでも奇襲部隊にもっとこちらの手の者を入れておくべきだったな」
「いや、エレーナ様を入れているのだから貴族派としては問題無いでしょう。それよりも中立派は……」
ざわめいた者達の数名がレイへと視線を向ける。
そこに映し出されているのは、色々な感情が交じった複雑な視線だ。貴族派としては象徴ともいえるエレーナを奇襲部隊に参加させて送り込み、最終的には今回の戦争を決定づける戦いに貢献したのは事実だ。だが、レイはエレーナとは立場が違う。幾らこの戦争で名を挙げたと言っても、所詮は冒険者でしかない以上、中立派としての功績という意味では貴族派に圧倒的に劣ることになってしまう。
「いっそ、雷神の斧でも送るべきだったのでは?」
「いやいや、グリフォンという戦力が極めて重要なのも事実。確かに雷神の斧は強力な戦力だが、それでもグリフォンとレイの2人1組だと考えると、やはりこの選択で良かったんだろう。それに、そもそも奇襲部隊にレイを参加させるというのはアリウス伯爵から総司令官としての命令だったのですから、そこに他の冒険者を加えるというのは、幾らダスカー様でも難しいのでは?」
「違うな、冒険者だからこそ加えられる可能性があったのだ。これが騎士や、ましてや貴族ならまず不可能だが、冒険者ならば……」
中立派の貴族達がああすれば良かった、こうすれば良かったといったように話している横では、貴族派の貴族達が中立派の貴族へと様々な視線を向けている。
今回は国王派、引いてはアリウス伯爵の思惑で共同歩調を取っており、この場にいるそれぞれの最高責任者のダスカーとフィルマもそれを分かっているからこそ、それぞれの派閥の者達に対して揉め事を起こすなと言い聞かせてある。そして何よりもベスティア帝国軍という、お互いに協力をしなければ確実に負ける……即ち殺される可能性のある敵と戦う以上、それどころでは無かったというのもある。
その中には、レイと敵対したくないという思いを抱いているエレーナと、そのエレーナの想いを汲み取ったフィルマの行動というのもあったのだが、その戦争も終わった以上はこれまで通りの敵対派閥に戻ることになる。特に貴族派は国王派との勢力差を縮めようと、以前から中立派にちょっかいを出していたという事実がある。今は止んでいるそのちょっかいに関しても、これからは隙があればまた始まるのだろう。
そして何よりも貴族派の者達が一番注目しているのはレイだった。その実力に対して、未だにランクCと低ランク……とまではいかないが、それでも実力に相応しいランクとは言えない。それだけの実力があるレイなのだから、引き込めれば戦力になること間違い無い。フィルマとしても、エレーナの恋心を思えば貴族派に……それも、ケレベル公爵家の直臣として取り立てていいとすら思っていた。
(あるいは、俺の後継者として迎えるのも面白いかもしれんな)
ふと内心でそう思うフィルマだが、その時ふとダスカーが口を開く。
「それで、レイ。敵の総大将であるカストム将軍を倒したのはお前でいいのか? もしそうなら奇襲部隊に参加する前に言っていた、一番手柄ってのは間違い無いが」
「……いえ」
不意を突かれたその問いに、一瞬言葉に詰まるがすぐに否定する。
「残念ながら、カストム将軍を討ったのは俺ではなく奇襲部隊を率いているシミナール様となっています」
「なっています、ねぇ」
言外の意味を理解したのだろう。ダスカーが小さく笑みを浮かべ、その横にいるフィルマもまた同様に薄らと笑みを浮かべる。
「となると総大将を討ったという、この戦争の最大の功労者はレイじゃなくてシミナール殿になる訳だが?」
「……そうなるかと」
「つまり、お前が欲していた家宝のマジックアイテムはやれないってことになるんじゃないか?」
「そうなりますね」
微かに眉を顰めるレイ。
勿論こうなることは承知の上でエレーナやシミナールと話を合わせたのだが、それでもやはり辺境という特異な地にあるラルクス辺境伯家に伝わる家宝のマジックアイテムというのは、非常に魅力的だった。
そんなレイの様子を面白そうに眺めるダスカーと、どこか困った人だとばかりに溜息を吐くフィルマ。
周囲に微妙な雰囲気の沈黙が広がったが、やがてダスカーがそれを破るようにして口を開く。
「確かにレイは敵総大将を討つという一番手柄は逃した。それは事実だ。……ということにしておこう。だが、それ以外で挙げた手柄を考えれば一番手柄とは言えなくても、その次くらいには値するだろう。故に、さすがに我が家に伝わる家宝とまではいかないが、それに準じるマジックアイテムを報酬として支払う」
ダスカーの言葉は予想外だったのだろう。思わずその厳つい顔を見返すレイ。
周囲の貴族達も同様だったのか、中立派が軽く目を見開き、そして貴族派が忌々しげにダスカーへと視線を向ける。
家宝とは言わずとも、それに準じるマジックアイテムを与える。これは当然レイの働きをそれだけ評価したというのもあるが、レイが他の貴族に勧誘されないようにという周囲への牽制も兼ねている。同時に、レイに対して自分はこれだけ重用していると見せることで、ギルムの街から出て行かないようにとの遠回しの意思表示でもあった。
無論、ダスカーとしてもレイを自分の領地でもあるギルムの街に置く、あるいは今回のように一時的に雇って部下とするというのはともかく、配下として取り立てることが出来るとは思っていない。レイ自身が規格外の存在である為に自分の配下に収まる器ではないと理解しているし、無理に配下にしてもレイが原因でいらぬ騒動が起きるだけだというのも容易に想像出来るからだ。
その牽制に貴族派の貴族達はダスカーへと忌々しげな視線を向けるのだが、当の本人はそんな視線を気にした様子も無くレイとの会話を楽しむのだった。