2968話
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時は少し戻る。
レイが監視している者達の目を誤魔化す為に、ギルドから出て来た頃……マリーナはいつものように治療院で仕事をしていた。
高い場所から落ちたり、手が滑って落とした建築資材で足の骨を折ったり……そういう者達を水の精霊魔法によって治療をしていたのだ。
「ふぅ、これで大丈夫だと思うわ。とはいえ、今日は安静にしていなさい」
「え? あ、その……分かりました。ありがとうございます」
今日のマリーナの格好は、胸元が大きく開いたパーティドレス。
とてもではないが治療院という場所に相応しい服装ではなく、実際に治療をして貰っていた男はその大きく開いた胸元から見える柔らかそうな双丘に目を奪われており、マリーナに声を掛けられ、それでようやく我に返っていた。
他の怪我人達も、場違いと呼ぶしかないような服装をしているマリーナに……より正確には背中や胸元が露出しているその光景に目を奪われている者が多数いたものの、治療院で働いている者達は特に気にした様子はない。
マリーナが治療院で働き始めた最初こそ、その服装に驚いた者もいた。
しかし、人というのは何にでも慣れるものだ。
ましてや、そのマリーナの使う精霊魔法を間近で何度も見れば、その圧倒的な実力差に寧ろそういう服装をしていても納得してしまう。
今となっては、重傷の者がやって来た時にすぐマリーナを呼べるという意味で、判断が付けやすいと……半ば無理矢理にではあるが、自分をそう納得させていた。
ともあれ、そうして多くの者が軽傷の者達の治療をしていたのだが……不意に叩き付けるように扉が開く音がした。
それは扉を開けるのではなく、叩き壊すつもりで殴ったといった表現が相応しいだろう。
「一体何ですか! ここには怪我人がいるんですから、乱暴な真似をしないで下さい!」
治療院で働いている者の一人が、乱暴に扉を開けて入ってきた相手に向かってそう叫ぶ。
だが、叫ばれた方は不愉快そうな表情を浮かべ、叫んできた相手を睨み付ける。
「黙れ、この俺に向かって偉そうな口を利くんじゃねえ!」
そう言い、人を容易に殴り殺せそうな腕を振り下ろそうとし……
「何をしてるのかしら?」
その直前、そんな声が周囲に響く。
声そのものは、そこまで大きな声という訳ではなかった。
しかし、その声を聞いた者の動きを止めるには十分な力を持った一言。
自分に注意した女を殴ろうとしていた男は、その声のした方に視線を向け……ニヤリと笑みを浮かべた。
その目で、露出度の高いパーティドレスを着ているマリーナの胸元や顔を舐めるような視線で見つつ、口を開く。
「お前がマリーナか。確かに極上の女だ。しかも精霊魔法使いとして有能。……いいだろう、お前はこれから俺の物になれ」
自分が口に出した言葉は絶対に真実になると、そう思っているかのような男。
そんな男を見て、マリーナは呆れの息を吐く。
「全く、人が多くなるとこういうのが出て来るから面倒なのよね。それにしても、ここまでの男は初めてだけど」
増築工事で人が増えるということは、当然ながら問題のある者が増えるということでもある。
マリーナの視線の先にいる男は、明確にその手の男なのだろう。
その視線を気持ち悪く思いつつも、マリーナは男の誘いをきっぱりと断る。
「悪いけど、貴方と一緒に行くつもりはないわ。用件は終わったのでしょう? なら、出ていってちょうだい」
きっぱりとそう告げるマリーナに、男は一瞬何を言われたのか分からなかった。
男は元々地元では腕利きの冒険者として知られており、実際にその実力があれば地元では誰も自分に逆らうような真似は出来なかったのだ。
それこそ気に入らない男の妻や恋人を力で自分の物にするといったようなことは何度も行ってきたほどに。
そのような状況が続いた為、男は自分は何でも出来ると思ってしまった。
それこそ自分の言葉に従わない相手はいないと思ってもいいくらいに。
そんな男がギルムに来ることになったのは、男の地元にいた者達からの勧めからだ。
男のような腕利きなら、辺境であっても十分に活躍出来ると言って。
……実際にそのように勧めたのは、男を地元から追い出したい者達が多かったからなのだが、生憎と男はそこに気が付かず、商人の護衛をしながらギルムにやって来た。
だが……ギルムで男が出来る仕事は、増築工事の手伝い程度。
モンスターの討伐を一人でするには腕が足りず、このような性格の男を自分のパーティに加えるような者もいない。
あるいは力で強引に……と思ったものの、ギルムに以前からいた冒険者は男よりも強いし、警備兵もまた男よりも強く、そのような真似は出来ない。
それでも地元では敵なしだった強さであるが故に、数人の部下はいた。
そんな部下から聞いたのが、治療院には腕の立つ回復魔法使いがいるということ。
それもただの回復魔法使いではなく、もの凄い美人で露出度の高いパーティドレスを着ているダークエルフだと。
この男達の不運は、情報収集をろくに出来ていないことがあった。
目的のダークエルフが元ギルドマスターであったり、ギルムの領主であるダスカーと繋がりが深かったり、それどころか異名持ちのランクA冒険者のレイの女――実際には違うが、事情を知ってる者の認識ではそうなっている――であるという情報を何も知らなかったというのが、この場合は大きい。
多少の腕自慢程度が手を出しても、最悪の結末になるような相手なのだが……それを知らない男は、自分の誘い……いや、命令をあっさりと断ってきたマリーナに苛立ちの視線を向ける。
それでも即座に力を振るわなかったのは、ギルムに来たことで自分よりも上の存在がいると理解したからか。
「何だと? 俺の聞き間違えか? 今、俺の言葉を断ったように聞こえたんだがな」
「ええ、そうよ。私はもう他のパーティに入っているの。そのパーティを抜ける気はないわ」
レイが率いる、紅蓮の翼。そのパーティを抜けてまで、マリーナは目の前の男と行動を一緒にしようとは思わなかった。
ましてや、レイはただのパーティメンバーではない。
男女としての好意を抱く、非常に大切な相手なのだ。
そうである以上、男の言葉に従うつもりはない。
「出直してきなさいな。ぼ・う・や」
そう告げるマリーナは、相手を軽蔑するかのような視線を向けてはいたが、それと同時に強烈なまでの女の艶を感じさせる。
坊やと呼ばれた男もそうだが、男の仲間……というより手下もそんなマリーナの女の艶に意識を奪われる。
……周囲で様子を見ていた者の中にも、マリーナの女の艶に意識を奪われた者もいたのだが。
そんな中で真っ先に我に返ったのは、マリーナに仲間になれと言ってきた男だった。
そして我に返ると、自分を坊や呼ばわりしたマリーナのことを苛立たしく思い、同時にマリーナの女の艶を見て、絶対に自分の物にしたいと思い込む。
「てめえ……俺にそんな口を利いて、ただですむと思ってるのか? 今ならまだ許してやる。素直に俺の女になれ」
パーティメンバーから女と、マリーナを誘う理由は完全に変わっている。
本人はそれに気が付いている様子はない。
マリーナの女の艶を目の前で見て、感じて、既にパーティメンバー云々というのは関係なく、純粋に自分の男としての欲求を満足させたくなってしまっている。
「嫌だと断ったでしょう? 生憎と私は貴方のようなつまらない男に興味はないの。怪我をしたのなら治療をしてあげるけど、そうでもないのならさっさと出ていってちょうだい」
「うるせえっ! いいから、来いって言ってるんだよ!」
このままではマリーナが自分の女になる様子はない。
そのことに苛立ちを覚えた男は、マリーナの身体に強引に手を伸ばす。
捕まえてしまえば、マリーナではどうすることも出来ないだろう。
そう思っての行動。
……実際には、もし捕まえても警備兵がやってきて捕まるだけなのだが。
そして最大の誤算は、マリーナを捕まえようと伸ばした手があっさりと回避されたことだろう。
「は?」
男が知ってるマリーナの情報は、回復魔法使い。
まさかそんな相手に自分の手が回避されるとは思っていなかったのか、意表を突かれたような声を上げる。
実際にはマリーナは精霊魔法使いだし、何より弓の使い手としても一流の技量を持つ。
無造作に伸ばされた手を回避する程度のことは、そう難しい話ではない。
「出直してきなさいと言ったのよ、坊や」
そう言うと、次の瞬間には風の精霊によって男達は治療院の外に吹き飛ばされる。
器用なことに、風の精霊をきちんと制御しており、男達は壁にぶつかったりすることがなく、纏めて開いていた扉から吹き飛ばされた。
……ただし、この状況で壁にぶつかったりしなかったのは、男達の身の安全を心配したからではなく、男達が叩き付けられたことによって壁に被害が出ては大変だと思ったからなのだが。
「ぐぼぁっ!」
「ぎゃんっ!」
「びょわぁっ!」
それぞれがそんな悲鳴を上げながら、治療院の外に投げ出される。
当然だがマリーナはその程度ですませるような真似はしない。
……あるいはギルドマスターとして行動していたマリーナなら、この程度で許していたかもしれない。
しかし、ここにいるのはギルドマスターのマリーナではなく、レイの仲間の冒険者としてのマリーナなのだ。
そうである以上、このような相手にその身体を狙われて許容出来る筈もない。
治療院の外に吹き飛ばされた男達を追う。
外に出ると、そこでは一体何があったのかといった視線を吹き飛ばされていた男達に向ける者もいる。
マリーナが働く治療院は、その回復魔法の効果から多くの者がやってくる。
また、マリーナがどのような人物なのかを知っている者も多く、だからこそ今回のように治療院の中から吹き飛ばされるといった者がいるとは思えなかった。
「てめえ……もう許さねえ! 俺の力を思い知らせてやる! お前ら、いつまで寝てやがる! とっとと起きろ!」
風の精霊によって吹き飛ばされたとはいえ、結局のところそれだけだ。
風の刃によって手足を切断された訳ではなく、あるいは風の塊を身体中に叩き付けられた訳でもない。
だからこそ男はすぐに起き上がり、自分を吹き飛ばしたマリーナに向かって殴り掛かろうとするが……
「頭を冷やしなさい」
その言葉と共にマリーナは素早く精霊に指示を出す。
すると次の瞬間、空中に水球が姿を現した。
……それも、叫んでいる男達の真上に。
離れて見物していた者達は、男達の真上に水球が姿を現したのが見えている。
しかし、頭に血が上っている男達はまさか自分の頭上に水球が姿を現したとは思いもせず……水球が頭部にぶつかって、そこで再び混乱する。
いきなり自分の頭部が水球に包まれたというのは、全く思いもしなかったのだろう。
一体何が起きたのか理解出来ず、運の悪い者はその状況で叫ぼうとして、口の中に水が入ってくる。
必死になって今の状況から抜け出そうと暴れる者もいるのだが、幾ら頭部を動かしても、あるいは身体を動かしても頭部の水球が消える様子はない。
レイがこの場に姿を現したのは、ちょうどそのタイミングだった。
「あら」
マリーナは当然ながら、レイがレイであるというのを理解して驚きの声を漏らす。
外にいたのなら、あるいはセトが戻ってきたという話を聞くことが出来たかもしれなかったが、生憎と治療に専念をしていたので、セトのことは知らなかったのだ。
パチン、と。
マリーナが軽く指を鳴らすと、男達の顔を覆っていた水球はただの水となって地面に零れ落ちた。
「げほっ、げほっ、がはっ……」
男は無理矢理飲まされた水が妙なところに入ったのか、四つん這いになって激しく咳き込む。
男の部下達も全員が同じように四つん這いになって咳き込んでいるその様子は、まるでマリーナに向けて頭を下げているように見える。
「どこの田舎から来たのかしらないけど、こういう中途半端に腕の立つのが一番困るわね。……いい? これからもギルムにいたいのなら、もう少し自分の力を客観的に見直すことね。性格の方はもっと見直す必要がありそうだけど」
そう言うと、次の瞬間には周囲で見ていた者達の多くが拍手をし、歓声を上げる。
多くの者は、一体何故このようなことになったのか全く理解していないだろう。
それでもこうして拍手をして歓声を上げるのは、マリーナのことを少しでも知っていればマリーナに非はないだろうと思えるというのもあるし、咳き込んでいる男達のようにマリーナのことを知らない者にしてみれば、マリーナ程の美人とむさ苦しい男達ではどっちの味方をするのか決まっているからだろう。
そんな野次馬達にマリーナは笑みを向け、それからレイを意味ありげに一瞥すると診療所に戻るのだった。