2966話
レイは取りあえずクリスタルドラゴンの頭部のうち、持って帰ってもいいと親方が言った部位だけをミスティリングに収納する。
残りの解体も数日程度で終わるということだったので、また数日したら取りに来ればいいだろうと考え、ギルドから出たのだが……
「だから、通す訳にはいかないと言ってるだろう!」
「ふざけるな! 私を誰だと思っている……いたな、レイ!」
しまった。
目の前の光景を見て、素直にそう思う。
レイの目の前に広がっていたのは、倉庫を守っている冒険者達と数人の従者を連れた貴族と思しき男。
一体ここで何をしていたのかというのは、考えるまでもなく明らかだ。
セトの件からレイがギルムに戻ってきているという話を聞き、レイと接触したいと思った者がギルドの倉庫までやって来たのだろう。
それ自体はそこまでおかしな話ではない。
レイがクリスタルドラゴンを倒したことも、そのクリスタルドラゴンの解体がギルドの倉庫で行われていることも、そのような状況でギルドに戻ってきたレイがギルドの倉庫にやってくることも普通に考えれば分かる。
だが、分かるからといってギルドの倉庫に押しかけるといった真似をするかと言われれば……クリスタルドラゴンの解体が始まった当初、そのようなことをした者がギルドやダスカー、あるいは大きな商会の商会長といった者達に揃って抗議されたことにより、そのようなことをする者はいなくなった。
無理に倉庫に押し寄せても、何の利益もないと理解したのだろう。
だからこそ、倉庫に押し寄せてくるような者はいなくなっていたのだが……
(やっぱり、こういう貴族もいるんだな)
自分の命令は聞いて当然。
そんな風に思っている男を見て、領主の館で遭遇したサーガイル子爵とは同じ貴族であっても随分と違うなと思う。
向こうもある意味で貴族らしい貴族ではあったし、レイも最初は視線の先にいる貴族と同じような貴族ではないかと思いもした。
しかし、実際に話してみると好印象を抱くような人物だった。
勿論、領主の館にいるからそのような態度だったという可能性も否定は出来ない。
しかし、それでも現在レイの視線の先にいて騒いでいる男よりは好印象なのは間違いない。
「悪い。いきなりやってきてレイを出せって騒いでいてな。……どうする?」
倉庫の護衛として雇われていた冒険者の一人が、レイの近くまで来るとそう尋ねてくる。
相手が仮にも貴族を名乗っている以上、強引に力でどうこうする訳にはいかないと思ったのだろう。
何を手緩い。
一瞬そう思ったレイだったが、貴族を相手に容赦なく力を振るうのは、レイだからこそだ。
そのような真似を他の冒険者に任せる方がありえないことだった。
ここの護衛はギルドに雇われた信用出来る実力のある冒険者ではあるが、それとこれは話が別ということだろう。
「どうするって言われてもな。このまま騒がれるのは不味い……いや、それはもう遅いか」
この場所はギルドの中でも人のいる場所からはそれなりに離れた位置となる。
そうである以上、多少騒いでも今この場所にレイがいるという話はそう簡単に知られるようなことはないだろう。
だが……ここでクリスタルドラゴンの解体が行われている以上、当然だがここの情報を集めようとしている者はいるだろう。
そう、例えばマリーナの家のように誰かに何か騒動がないか、様子を見させておくといったように。
「遅い? 何の話だ?」
「いや、何でもない。取りあえず……」
「私の話を無視するなぁっ! 私が誰だか、理解しているのか!」
レイが完全に自分を無視して護衛をしていた冒険者と話しているのが気にくわなかったのだろう。
貴族の男は、苛立たしげに叫ぶ。
今までそのようなことをされたことはなかったのか、貴族の顔は怒りに染まっている。
(いや、今までそういうことがなかったってことはないか。ただ、その場合は自分よりも相手の方が爵位が上だったとか、そういう感じなんだろうけど)
血筋自慢、家柄自慢の貴族にしてみれば、自分よりも爵位が上の相手にはそのように扱われても文句を言えないのだろう。
「聞いているのか!」
「聞いてない。悪いが、俺はお前みたいな奴は好きじゃないんだ。そうである以上、クリスタルドラゴンの取引には応じられない。話は終わりだ」
「な……」
それは、男にとって完全に予想外の言葉だった。
自分の言葉なら素直に聞くと、そう思っていたのだろう。
あるいはそこまでいかなくても、交渉をすることが出来るとは思っていたらしい。
一体何故そのように思ったのか。
レイの評判を知っていれば、レイがそのような相手と交渉するとは思えないのだろうが。
貴族であっても力を振るうのに躊躇しない、あるいは忖度しないというのは、それなりに知られた話だ。
それを知らないのか、それともデマだと思っているのか、あるいは自分には何も出来ないだろうと思っているのか。
その辺りの理由はレイにも分からなかったが、だからといってレイがそれを気にする必要もない。
「じゃあ、これからも護衛を頑張ってくれ。こういう奴がいると大変だろうけどな」
絶句した貴族をそのままに、レイは護衛をしている冒険者達に声を掛けてその場から立ち去ろうとするが……
「そいつを捕らえろ!」
突然貴族がそのような事を言い出す。
当然ながら、レイを捕らえろと言っても倉庫の護衛をしている冒険者達がそれに従う訳がない。
レイの力を知っているし、何より冒険者達にとってもこんな貴族の命令に従うのは絶対に嫌だったのだろう。
しかし……倉庫の護衛をしていた冒険者はそれでいいかもしれないが、その貴族の部下の兵士達は違う。
ギルドに雇われている訳ではなく、貴族に雇われている以上はその言葉に従わない訳にはいかない。
それでも貴族とは違い、レイの実力については十分に理解しているのだろう。
怖々、あるいは渋々といった様子でレイに近付いてくる。
「悪いけど、こっちも命令なんだ。大人しくこっちの指示に従って欲しい」
兵士の一人がそう言うものの、レイはその兵士に呆れの視線を向けて口を開く。
「お前がその貴族をどう思っているのかは、生憎と俺には分からない。だが、だからといって俺がお前の頼みを聞かなければならない理由もないと思うが? 来るなら来い。ただし、俺と敵対する以上は相応の覚悟でな」
「ぐ……」
兵士達の一人が、そんなレイの言葉を聞いて何も言えなくなる。
レイの実力をきちんと理解している訳ではない。
しかし、それでもレイの噂を……深紅の噂を聞けば、それがどのような力を持ってるのか、予想するのは難しい話でない。
そして自分達の実力ではどうやってもレイを捕らえることは出来ないだろうというのも。
だが……それでも、ここで雇い主の貴族の命令に従わないという選択肢はない。
「く……くそっ、行くぞ!」
レイと話していた一人がそう叫び、その言葉に従うように他の兵士達も一斉にレイに襲い掛かる。
「いけっ! 貴族に逆らうというのがどういうことか、しっかりと教えてやれ!」
叫ぶ貴族だったが、倉庫の護衛をしている冒険者はそんな貴族に対して哀れみの視線を向けるだけだ。
レイがどれだけの力を持っているのか、冒険者はよく知っている。
そんなレイを相手に、あの程度の兵士の質でどうにか出来るとは到底思えない。
それはつまり、この先にどんなことになるのかすぐに予想出来るということだった。
そして……そんな冒険者の予想通り、レイを捕らえようとする兵士の動きはあっさりと見切られ、触ることも出来ない。
それでもレイがデスサイズや黄昏の槍のような武器を出さず、素手で相手をしているというのは……あのような貴族の命令に従わないといけない兵士達を哀れに思ってのことなのだろう。
掴みかかってくる手を回避し、横をすれ違いざまに足を引っ掛けて転ばせるといったことを繰り返す。
当然だが、何度も同じようなことを繰り返せば、兵士達もレイが何を狙っているのかというのは理解出来る。
しかし、理解出来るからといってそれに対処出来るかと言えば……その答えは否だ。
実力差がそこまでなければ、どうにか対処出来たかもしれない。
しかし、レイと兵士達の間にある実力差は圧倒的なものだ。
それこそ兵士達が何をどうしても対処出来ないくらいに。
兵士達もそれは分かっている。分かっているのだが、それでもレイを相手に対処する方法はないので、何とかしようとする。
「そっちに回り込め! 一人ずつじゃなくて、全員で一気に攻撃するんだ! そうすればレイであっても対処は出来ない筈だ!」
「本当にそう思うか? ……まぁ、そう思うのならやってみればいいさ」
兵士の一人が仲間に指示する声に、そう返す。
作戦を自分に聞かせるのはどうかと思わないでもない。
その作戦を聞いた自分が、相手の思い通りに動く筈がないのだから。
しかし、兵士達にしてみれば作戦を伝える方法は叫ぶしかない以上、これは仕方のないことだった。
既に全員が十回以上転ばされ続け、その身体にはダメージが蓄積している。
そうである以上、今はとにかく何でもいいから出来ることをして、どうにかレイを捕らえるしかなかった。
(幾らレイでも、大人数人で押さえつければどうにも出来ない筈だ)
そんな希望を抱きながら。
とはいえ、希望はあくまでも希望でしかない。
それが実現出来るかどうかというのは、また別の話となる。
少なくても、レイを捕らえるといったような真似はこの場にいる兵士達には出来なかった。
……あるいは、何らかの偶然によってレイの手足を押さえることが出来たとしても、間違いなくすぐに吹き飛ばされてしまうだろう。
レイは見た目だけなら非常に小柄で……それを理由に侮られることもあるが、その外見とは裏腹に強力無比な力を持っている。
もし兵士達が手足を押さえつけても、それこそすぐにでも吹き飛ばされて終わるだろう。
そのまま数分……一向に兵士達がレイを押さえることが出来ないのが面白くなかったのか、貴族が苛立ちと共に叫ぶ。
「何をしている! そんな冒険者一人押さえることが出来ないのか!」
雇い主の怒声に、兵士達は何とかレイを押さえようとするも……
「ほらほら、鬼さんこちら……ってな」
攻撃を回避しつつ、レイにはそんな言葉を口にする余裕があった。
(とはいえ、このままだといつまでも終わらないな。向こうの体力切れを待つのは面倒だし)
レイを捕まえられない兵士達だが、それでも兵士だけあって相応の訓練は積んでいるらしく、体力にはまだ結構な余裕があるように見えた。
その体力がなくなるまで粘ってもレイとしては構わなかったのだが……
「痛っ!」
レイの口からそんな声が漏れる。
兵士に殴られた訳ではなく、ドラゴンローブの中にいるニールセンがレイの身体を蹴ったのだ。
ニールセンをドラゴンローブの中に入れたまま派手に動くなと言いたいのか、それともこの程度の相手に時間を掛けるなと言いたいのか、あるいはそれ以外の理由か。
その辺りはレイにも分からなかったが、それでもニールセンの様子を考えればさっさと片付けた方がいいのは間違いない。
ここで下手にニールセンの機嫌を損ねて、それによって苛立ったニールセンがストレス発散の為に大規模な悪戯をする……などといったようなことになったら、レイにとっては間違いなく面倒なことになる。
そうならない為には、さっさとこの茶番を終わらせた方がいい。
(とはいえ、この兵士達は十分に傷ついているんだよな)
レイによって何度も足を引っ掛けられ、地面に転ばされた兵士達。
中には足首や手首を挫いたりしている者もいる。
骨折のような重傷はいなかったが、それでもこれ以上命令されただけの兵士達を攻撃するのは気が進まず……そうなれば、攻撃する相手は決まっている。
腰に装備しているネブラの瞳を起動し、魔力によって鏃を作る。
その鏃を、兵士達に向かって怒鳴っている貴族に向けて投擲する。
大きな動きではなく、手首を動かしただけの投擲。
その一撃は、真っ直ぐに飛んでいき……
「ぎゃっ!」
叫んでいた貴族の右肩に当たり、貴族の口からは悲鳴が漏れる。
突然の悲鳴に兵士達は一体何があったのかと動きを止めるものの、レイはそれを無視して再度鏃を生み出し、投擲する。
「ぎゃあっ!」
数秒前と同じ……いや、それよりも大きな悲鳴が貴族の口から上がる。
しかし、レイはそれに構わず兵士達が動きを止めたのをこれ幸いと、何度となく鏃を投擲していく。
「やっ、止め……止めろ、止めて……止めてくれぇっ!」
貴族のそんな泣き声が周囲に響き渡るのだった。