2963話
取りあえずダスカーは穢れについて王都に連絡をするということと、自分の方でも色々と調べてみるということで話は決まった。
「悪いな、本当ならもう少しゆっくりしていって欲しかったんだが……」
そう言うダスカーに、レイは首を横に振る。
「ダスカー様の忙しさは知ってますし、気にしないで下さい。俺やニールセンと会う時間も、かなり無理をして作って貰ったんでしょうから」
ダスカーとの面会を求めている者は多いし、それを抜きにしても書類仕事も結構な量がある。
そんな中で、穢れの件という至急知らせる必要があることでやって来たとはいえ、それでダスカーがこうして自分達と会う時間を作ってくれたのだ。
これには感謝こそすれ、不満を持つ訳がない。
レイのすぐ横を飛んでいるニールセンは、屋台で買った料理を食べることが出来たので特に不満はなかったらしい。
……あるいは領主の館で何らかの料理が出されるかもしれないと期待していた可能性もあるが。
「そうか。じゃあ、また何かあったら来てくれ」
そう言うダスカーと別れ、レイは部屋を出る。
その際、当然のようにニールセンはレイのドラゴンローブの中に潜り込んだ。
長から指示された役目を果たしたということで、安堵した一面もあるのだろう。
そうして部屋から出たレイは再びメイドによって屋敷の外に出るように案内されていたのだが……
「待ちたまえ」
不意にそんな声が聞こえてくる。
その言葉が自分に向けられているとは、最初レイには分からなかった。
しかし、メイドが足を止めた以上、そのメイドに案内されているレイもまた足を止める必要がある。
そうして声のした方に視線を向けると、そこにいたのは貴族と思しき相手。
(珍しいな。この手の貴族がいるのは。……いや、別に珍しい訳でもないのか?)
ダスカーが治めるギルムだが、その性格であったり辺境であるという理由から、貴族……特に現在レイの目の前にいるような貴族にとっては、あまり人気がない。
辺境であるからこそ、その者の動き次第ではかなりの利益を得ることが出来るのだが、プライドの高い貴族にしてみれば、自分が辺境のような場所に出向くのは愉快なことではないと考えているのだ。
……とはいえ、それでもその手の貴族がギルムに一人もいないという訳ではない。
実際、レイはギルムでも今までそれなりの数の貴族に遭遇しているのだから。
それを思えば、今のこの状況もそこまで不自然なものではないと思える。
「何か御用でしょうか、サーガイル子爵」
レイが口を開くよりも前に、メイドがそう貴族に……サーガイル子爵と呼ばれた相手に尋ねる。
(へぇ、子爵本人なのか。……まぁ、子爵というのは貴族の中でも爵位は低いし、それなら子爵本人がこうしてギルムにいてもおかしくはないのか?)
メイドに尋ねられたサーガイル子爵は、レイに視線を向けてくる。
「そこの者から妙な魔力が感じられる。何か問題を抱えているのではないか?」
サーガイル子爵の口から出たのはレイを心配するような言葉で、何か絡まれるだろうと思っていたレイにしてみれば完全に予想外だった。
(意外だな。この手の貴族は大抵俺に絡んできたりするんだが。……いやまぁ、それはそれでこっちとしても面倒なことにならないのは助かるけど。にしても、妙な魔力?)
そう言われて思い当たるのは、それこそドラゴンローブの中で眠っているニールセンだけだ。
サーガイル子爵の言葉から、恐らく魔力を感じる何らかの能力を持っているのはレイにも理解出来た。
とはいえ、それが具体的にどのような手段なのかというのは分からなかったが。
一般的なのは魔力を目で見ることが出来るという能力だが、他にも魔力の音を耳で聞くことが出来たり、臭いで感じることが出来たり、触覚で魔力を感じたり……珍しい例としては、相手のどこか一部を舐めて、その味で魔力を感じるといった者もいる。
……サーガイル子爵の様子から、取りあえず味覚でということはないだろうとレイは考える。
なお、魔力を感じる者への対策として、レイ自身は新月の指輪というマジックアイテムを装備している。
これは装備している者の魔力を誤魔化し、普通の魔法使い程度の魔力に誤認させるというものだ。
そういう意味では、サーガイル子爵がレイの魔力を感じるということは有り得ない。
もっとも、レイの魔力は莫大だ。
不用意にその魔力を感じる能力のある者がそれを感じた場合、一体どうなるのかというのはレイも今までの経験から理解している。
失禁したり、半狂乱になって騒いだり。
酷い者になると、それこそレイの魔力を感じた瞬間に気絶するといったような真似をした者もいる。
そういうのを避ける為に……そして何より、魔力量だけで自分がレイだと見抜かれないようにする為に、新月の指輪を入手したのだ。
「その……問題はありません。この方のことはダスカー様も承知の上ですので」
メイドとしては、レイの名前を口にせずにそう誤魔化すのが精一杯だ。
もしここでレイの名前を出せば、どうなるか。
少し前なら異名持ちの高ランク冒険者ということで興味を惹かれる程度ですんだだろう。
だが、今はクリスタルドラゴンの件がある。
メイドも領主の館で働いている以上、当然ながらその件については知っているので、迂闊にここでレイの名前を出す訳にはいかなかった。
とはいえ、メイドはレイの事情は知っていてもドラゴンローブの中にいるニールセンについては何も知らない。
そうである以上、妙な魔力ということに少し疑問を抱くが……レイが魔法使いだというのも当然のように知っている為に、恐らくそれが影響してるのだろうと考える。
「ダスカー殿が? ふむ、ならば構わない。私も少し気になっただけだからな。では、これで失礼するよ」
そう言い、笑みを浮かべるとレイとメイドの前から立ち去るサーガイル子爵。
そんなサーガイル子爵の姿に、メイドは安堵する。
もしレイのことが知られれば、色々と面倒なことになっていたのは間違いないのだから。
「どうやら、悪い貴族ではなかったみたいだな」
「ええ、サーガイル子爵は悪い方ではないですよ。私達が苦労をしている時は、助けて下さる時も多いですし」
てっきりこの場で貴族に絡まれて面倒なことになるだろうと、そうレイは予想していたのだが……すぐにそれを否定する。
(ダスカー様に会いに来た貴族だ。であれば、当然ダスカー様がそういう貴族を嫌っているのは分かる筈。なら、領主の館の中でわざわざそういう行動はしないか)
中にはその辺りを考えることが出来ず、自分なら何をしても許されると思い込んでいる貴族もいるだろうが、幸いにして先程のサーガイル子爵という人物はそういう人物ではなかったのだろう。
もっとも、そのような態度はあくまでも領主の館の中だけで、それ以外の場所では横暴な態度……という可能性も否定は出来なかったのだが。
「取りあえず、このままここにいるとまた他の奴に遭遇するかもしれないから、早いところ出た方がいいな」
「その方がよろしいかと」
メイドとしても、レイの存在を他の者に知られるのは不味いと分かっているのだろう。
素直にレイの言葉に頷く。
そうしてレイはメイドと共に領主の館を出る。
頭を下げて見送るメイドに軽く感謝の言葉を口にすると、レイは門から外に出る。
「用件は終わったのか?」
「ああ。色々と忙しくなるかもしれないけど、頑張ってくれ」
門番の問いにそう答えると、門番達は二人揃って嫌そうな表情を浮かべる。
今もただでさえ忙しいのに、ここで更に忙しくなるようなことになるのは遠慮して欲しいと思ったのだろう。
とはいえ、穢れの件が王都に知らされれば王都から貴族が派遣されてくるのは間違いない。
そして穢れの件の情報をどこから入手したのかの件についても当然ながら知られ、妖精郷に興味を持った者が押し寄せてくる可能性も高かった。
何しろ妖精は既に伝承の中にしか存在しないと思われていたのだ。
そんな妖精達の住む妖精郷があるとしれば、研究者や魔法使い、錬金術師……それ以外にも多くの者がやってくるのは間違いない。
とはいえ、そのような者達が妖精郷に辿り着けるかどうかと言われれば、レイはそう簡単には無理だろうと言うが。
そのような諸々がギルムにやって来れば、当然ながら他の者達にもその一件は知られ、王都以外からも多数の者がやって来る。
そしてギルムで活動するのであれば。ダスカーに話を通しておく必要がある。
領主の館の門番が忙しくなるのは、確定した未来と言ってもよかった
今は商人や貴族と言ってもそこまで爵位の高くない者達だけが門の側にいるが、高名な学者や魔法使い、錬金術師、爵位の高い貴族といった者達が来れば、門番達の精神的な疲労も間違いなく増えるだろう。
そこまでの事情は門番達も知らないが、レイが約束もないままに領主の館に来て、そして領主のダスカーと何か話す必要があった。
それを知っている門番達にしてみれば、レイの言葉は決して大袈裟なものではないと理解出来ただろう。
今からもう疲れたような表情を浮かべている門番と軽く言葉を交わして別れると、レイは街中に向かう。
……その最中、門の前で待っていた多くの者達から様々な視線を向けられる事になるが、レイは気にした様子はない。
「なぁ、どう思う? あの男……さっきの奴だよな?」
「ああ、間違いない。領主の館に入っていくような奴の中で、あんな普通のローブを着ているような奴なんて……それも一人だけで行動しているのを思えば、間違いない」
レイが領主の館に入る前に門の側にいた者達がそれぞれ会話を交わす。
ドラゴンローブのフードを被っているので、レイの顔を確認することは出来ない。
しかし、ドラゴンローブの持つ隠蔽の効果によってどこにでもあるような普通のローブを着ているように見えているので、今のレイを見て先程領主の館に入っていたのと同一人物であると判断するのは難しい話ではなかった。
最初は門番に追い返されるだろうと思っていたのだが、それが何故か普通に領主の館の中に入っていき、そして二時間程が経過してこうして出て来たのだ。
レイが一体何者なのかが気になるのは、当然だった。
ましてや、ここにいるのは大抵が商人や貴族の使いといった者達だ。
他にも色々な者達がいるが、大半がそのどちらかとなる。
そのような者達だけに、情報が重要だというのは当然のように知っている。
そうした者のうち、レイに何かあると考えた者の一人が動く。
領主の館を出て街中に向かっているレイに近付くと、声を掛ける。
「すみません、少しいいですか?」
「悪いな、急いでいる」
いつもであれば、レイも話し掛けてきた相手と少し会話をするくらいは問題がないだろう。
だが、今のレイは自分がレイであると知られる訳にはいかないのだ。
もしレイの素性が知られると、それこそクリスタルドラゴンの素材を欲した者達が殺到してしまう。
レイとしては、当然ながらそのような状況は避けたかった。
だからこそ、会話をしないという選択肢を選んだのだが……
「そう言わず。少し話を聞かせてくれるだけでいいので。お願いします」
レイの様子から何かを感じたのだろう。
話し掛けてきた男は、そう言って食い下がってくる。
しかし、レイとしてはそんな相手の言葉に頷く訳にはいかない。
ここで話すようなことになったら、他にも話を聞きたいと言ってくるような者達が多いから、というのもあるが、やはり自分の正体を知られたくないというのが一番の理由だろう。
レイはこれ以上断っても向こうが諦めることはないと判断し、そのまま男に背を向けて立ち去ろうとする。
当然ながら、領主の館の門の前にいた者達はこのやり取りがどうなるのかを興味深く……そして自分の利益になるかどうかと考えて見ていた。
「待って下さい!」
自分に背を向けたレイに、男は再度声を掛け……そして、手を伸ばす。
このままではレイが行ってしまうと判断して、肩を掴もうとしたのが……
「待つのはお前だ」
レイが何かをするよりも前に、別の声が男の耳に入ってくる。
そしてレイの肩を掴もうとしていた男の肩に誰かの手が置かれて、その動きを止めていた。
「何をっ!」
レイに声を掛ける自分の邪魔をするな。
そう言おうとした男だったが、自分の動きを止めたのが領主の館の門番であると知ると、何も言えなくなる。
あるいは男が貴族であれば、無礼な真似はするなと言えただろう。……もっとも、それで門番がダスカーに叱られるということはないのだが。
ともあれ、男は門番の言葉にこれ以上は不味いと判断したのか大人しく退くのだった。