2941話
妖精郷で長とのやり取りを終えたレイは、本格的にやるべきことがなくなってしまった。
暇になったレイは、妖精のいない場所に移動するとミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出す。
いつもは早朝に訓練をしているのだが、ここ最近はあまり集中して訓練が出来ていない。
その遅れを少しは取り戻しておこうと、そう思っての行動だった。
右手にデスサイズを、左手に黄昏の槍を持ち、いつものように二槍流の構えをとる。
目を瞑り、イメージするのはエレーナ。
何故ここでエレーナが出て来たのかと言われれば、昨夜対のオーブで話したからというのが最大の理由だろう。
勿論、エレーナが強さという点ではレイが知ってる中でも最高峰だからというのもあるが。
そんな想像上のエレーナとレイは向き合い……するとエレーナは連接剣のミラージュを振るう。
鞭状になった刃がレイに向かって飛んでくる。
横薙ぎに振るわれたその一撃は、長剣状態よりも圧倒的なまでの攻撃範囲を持っている。
その一撃をレイはデスサイズで弾く。
本来なら、デスサイズで弾かれるといったような真似をすれば、相手の武器の方が壊れてもおかしくはない。
それだけデスサイズという武器は強力なのだから。
だが……ミラージュは、この世界でもかなり高性能なマジックアイテムだ。
何しろケレベル公爵が娘の為にと金に糸目を付けずに作られた強力なマジックアイテムなのだから。
そうしてミラージュの一撃を弾くと、レイは一気に間合いを詰める。
デスサイズと黄昏の槍という長物を使っているレイは、当然ながら攻撃範囲も広い。
相手が長剣や……ましてや短剣の類を使うようなら、敵の間合いの外から一方的に攻撃することが出来るだろう。
だが、そんなレイの武器よりも連接剣のミラージュは攻撃の間合いが広いのだ。
勿論長剣状態であれば普通の長剣と同じ程度の間合いしかないのだが、それが鞭状の一撃となれば……それに対処するのは難しい。
だが同時に、鞭状のミラージュは間合いが広いが故に、その内側に入られると対処が難しい。
これが槍やデスサイズであれば、武器そのものが長いということもあって石突きで相手の足を払うといった真似も出来るが、ミラージュの場合はそれも出来ない。
鞭状にしたミラージュの先端でレイの背中を狙うといったような真似もできるのだが、それは相手にとっても見極められやすい。
ましてや、レイはエレーナの前にいるのだ。
もし背中に向けてミラージュの切っ先を放った場合、レイがそれを回避した場合はミラージュを操っているエレーナにその一撃が襲い掛かることになる。
とはいえ、レイが戦っているのはあくまでもエレーナのイメージだ。
そういう意味では、本来エレーナがやらないようなことをやって来てもおかしくはないのだが……幸か不幸か、レイがイメージしているエレーナはかなり強いイメージだけに、エレーナがやらないような行動はしない。
この状況でエレーナが……より正確にはレイのイメージしたエレーナが選んだのは、後方へと跳ぶということ。
それによって縮められた間合いを再び広げ、ミラージュによる一撃を放とうと考えたのだろう。
継承の祭壇によってエンシェントドラゴンの魔石を不完全ながら継承したエレーナは、非常に高い身体能力を持つ。
だが……今回はそんなエレーナの動きをレイが上回り、後方に跳躍したエレーナに対して更に一歩踏み出すと、黄昏の槍の一撃により、その身体を両断するのだった。
「……ふぅ。いい訓練にはなるけど、エレーナの姿をしたイメージを斬るというのはあまりいい気分じゃないな」
閉じていた目を開けながらそんな風に言うと……
「凄いじゃない、まるで相手がしっかりと私の目にも見えたようだったわ!」
不意にそんな聞き覚えのある声が聞こえてくる。
声のした方に視線を向ければ、そこには当然といった様子でニールセンの姿があった。
「ニールセン? どうしたんだ? お前の活躍を他の妖精に話してるんじゃなかったのか?」
長に会いに行く前に見た時は、レイが口にしたように自分の活躍を多少の――正確には多大に――盛って話していた。
そんなニールセンが何故ここにいるのかと、そんな疑問からレイは驚いたのだろう。
「ちょっと休憩よ、休憩。幾ら何でも話し続けていると私も疲れるもの。ある程度話したら、少し休むくらいのことはしないとね」
「そういうものか?」
ニールセンの言葉にしては、それはかなり意外なものだった。
それこそレイが知っているニールセンの性格では、自分の活躍を延々と喋り続けていてもおかしくはなかったのだから。
だが、実際にこうして自分の前にいるのを見れば、恐らくは何らかの理由があってのことなのだろう。
(とはいえ、ニールセンの性格を考えると、ここで俺が何かを聞いてもきっと素直に話すといった真似はしない筈だ。なら、ここは適当に話を合わせておいて、向こうから何かを言わせた方がいいか。……うん、多分)
そんな風に思いつつ、レイは手にしていた武器をミスティリングに収納する。
「そんなものなのよ。それに、他の妖精が次から次に集まってくるから、そういうのを待っていると結構面倒なことになりそうだし」
「そういう連中に何度も話して聞かせるようにって長が言ってたんじゃないのか?」
「どうかしらね。ただ……その、長と言えば、私のことは何か言ってなかった?」
長という言葉が出ると、ニールセンはそのようにレイに尋ねてくる。
まるでレイが長から何か話を聞いてるだと、そう思っているのかのような質問。
しかしレイとしては、何故ニールセンがそんな疑問を抱いているのかが分からない。
「いや、特に何も言ってなかったと思うが?」
「……え? 本当に?」
レイの言葉に、完全に意表を突かれたといった様子のニールセン。
まさか本当に長が自分に向かって何も言っていなかったとは、思ってもいなかったのだろう。
だが、実際にレイは何か特別に長がニールセンについて話していたような覚えはない。
……あるいは、もしかしたら何かニールセンについての話題になっていたかもしれないが、ニールセンがそこまで気にするような話ではないように思える。
(ニールセンに目覚めた力に俺やセトが影響してるかもしれないって話はあったが、多分その件ではないよな? というか、ニールセンの性格を考えるとそんな風に言っても信じるとは思えないし)
そもそも、長の言ってる話が事実なのかどうかも、正直なところ分からない。
もしニールセンにそんなことを言っても、信じないような気がする。
「ふーん、そうなんだ。私を抜かしてレイと話していたから、何か私のことについて話していたとおもってたのに。けどまぁ、その様子だと怒られるようなことはなさそうだから、安心して置くわ」
ああ、そういうことか。
そうレイは納得する。
てっきりレイは長がニールセンについてもっと色々と話をしているのを聞きたいのかと思ったのだが、実際には長がニールセンを叱るか叱らないかといったような一件だったのかと。
ニールセンの性格を考えれば、ある意味で当然のことなのかもしれないが。
「怒られるかどうかは、ニールセンの行動次第じゃないか? 後で呼び出されたりしないように気を付けろよ」
「ちょっと、それ一体どういう意味? もしかして、長に何か妙なことを言ってないでしょうね?」
「妙なことは言ってないから安心しろ」
それは暗に妙ではないことについては言っているということを意味していたのだが、ニールセンはそこまで感じる様子はなかったらしい。
レイのその言葉に、怪しげな様子を見せつつも、取りあえず納得する。
「レイがそう言うのなら、一応信じておくわ。……ねぇ、それよりもさっきの戦い……戦い? その武器を振り回していた動き。出来たら皆の前でもやってみせてくれない?」
「そう言われてもな。あれは別に剣舞とかそういうのじゃないぞ? いやまぁ、俺は長剣を使ってる訳じゃないから剣舞ってのはちょっと違うか。大鎌舞? 槍舞? 二槍流舞? ……どれも違うな。敢えて表現するのなら、演舞か。とにかくそういう演舞とかじゃないから、見ていても面白いものじゃないと思うが」
「そんなことないわよ」
ニールセンは真剣な表情で断言した。
実際、先程のレイの動きはニールセンから見ても明らかに素晴らしく……目を奪われるには十分なものだったのだ。
そうである以上、それを自分だけではなく他の妖精にも見て貰いたいと思うのは、当然の話だった。
その演舞を行った本人は、そんなイメージはないのだが。
レイにしてみれば、あれはあくまでも演舞でも何でもなく、自分がイメージしたエレーナと訓練を行っていただけにすぎない。
そうである以上、それを人前でやれと言われても困ってしまう。
人に見せる目的ではなく、あくまでも自分が訓練をする為の行動なのだから。
あるいは、これが演舞のように最初から人に見せるのを前提としていたのなら、多少は話が違ったかもしれない。
しかし、そうではない以上、レイとしてはあまり気が進まないのは間違いなかった。
「だから、ね? お願い出来ない? レイの演舞を見れば他の妖精たちもきっと喜ぶと思うから」
改めてニールセンにそう頼まれるものの、レイとしてはやはりやる気が起きない。
あるいは最初から演舞であると、人に見せる為に舞っていたのなら、もう少し話も違ったのだろう。
だが、レイがやっていたのはあくまでもイメージしたとはいえ、エレーナとの模擬戦だ。
それを見世物にされることは、気が進まない。
これがただ見世物になるのではなく、例えばレイの動きを見て修行する……いわゆる見取り稽古の類でもするというのなら、引き受けた可能性もあったが。
「悪いな。やっぱりやめておく」
「……そう。残念ね」
ニールセンも、ここまで言ってもレイが引き受けないのだから、これ以上頼んでも聞いて貰えないというのは理解した。
それでも無理に頼むといったような真似をした場合は、レイの機嫌を損ねる結果になるだろう。
そうなった場合、レイに一体どんなお仕置きをされるのか……あるいはその一件を長に知られて、どんな目に遭うのか。
そう考えれば、ニールセンもこれ以上無理に頼むといったような真似が出来る筈もない。
「俺じゃなくて、もっとそういうのが得意な奴に頼んでみたらどうだ? ……まぁ、頼めても妖精郷に連れてくることが出来ないと意味はないけど」
そもそもトレントの森に妖精郷があるというのは、生誕の塔や異世界の湖よりも更に機密度の高い情報だ。
異世界から来た存在よりも機密度が高いのか? とはレイも思わないでもなかったのだが、生誕の塔や異世界の湖は隠しようがない程、立派にそこに存在している。
そうである以上、隠したくても完全に隠すのは無理だというのが正直なところだ。
しかし、妖精郷は違う。
トレントの森にいつの間にか妖精郷が作られており、その周囲も霧の音によって生み出された霧で守られ、更には狼までもが妖精郷を守っていた。
ここに妖精郷があると知らなければ、とてもではないが見つけることは難しいだろう。
そんな場所で演舞を見たいというのは、難しい。
しかもその辺の芸人が踊る演舞ではなく、レイのような強者が強敵をイメージして戦った時のような模擬戦であれば尚更だ。
「そう言えば、ボブに会いにいかなくてもいいのか?」
「これが終わったら様子を見てくるわ。ただ、私が言ってもいいのかどうか疑問だけど、本当にいいの? 二日程度でも、霧の中で野宿となると厳しいと思うわよ?」
「だろうな。俺もそう思う。だから一応街に行って二日経ったらまた呼んで来るかとも言ったんだけどな。ボブ本人が野宿でいいと言ったんだ。まさかその状態で無理に街まで連れていく訳にもいかないだろ?」
レイの力があれば、ボブを気絶させてアブエロまで連れていくといった真似も出来るだろう。
だが、ボブの性格を考えれば、もしアブエロまで連れていっても自力でこのトレントの森まで戻ってきそうな気がする。
そうである以上、大人しく妖精郷の側で野宿をさせた方がいいのは間違いなかった。
「そう言われると……もしかしたらそうかもしれないわね。狼達もいるから、危ないってことは多分ないでしょうし」
ニールセンはそう言い……こうして話していて少し不安に思ったのか、ボブに会いにいくと言い、そのままレイの前を飛び去る。
「いや、別に今すぐいかなくても……ああ、でもボブにとってはそっちの方が嬉しいのか? まぁ、その辺は俺が気にすることじゃないか」
そう言い、レイは再び訓練に戻る。
ただし、今度イメージするのはエレーナではなくヴィヘラだった。