2939話
「汚れ」を「穢れ」に変更しました。
ボブとの話が終わると、レイは再び妖精郷に戻る。
すると妖精郷の中では、ニールセンが他の妖精達にスモッグパンサーを見つけた際の自分の活躍を話しているのが見えた。
ニールセンも、自分に近付いてくるレイの姿に気が付いたのだろう。大きく手を振りながら口を開く。
「ねぇ、レイ。レイもここでちょっと話していかない? 暇なんでしょ?」
「俺を暇だと決めつけるなよ」
そう言うレイだったが、実際に今の状況では特に何かやるべきことがある訳でもない。
敢えてやるべきことを考えるとすれば、それは長に任せた解体の結果を見にいくくらいか。
あるいは狼の子供と遊んでいるセトの様子を見にいくといった真似をしてもいい。
(対のオーブでエレーナと……いや、今は忙しいか)
エレーナと話してもいいかと思ったレイだったが、生憎と今は日中だ。
間違いなくエレーナも、自分に会いに来た相手と会談をしているだろう。
エレーナは姫将軍の異名を持ち、貴族派を率いるケレベル公爵の娘だ。
そんなエレーナと縁を繋ぎたいと思う者は、幾らでも存在する。
……それでもエレーナがギルムに来てからそれなりに時間が経つのだから、そろそろ暇になってもいい頃だろうとレイも思わないでもなかったが。
しかし、ギルムは人の出入りが激しい。
増築工事をやっている現在は、更に人の出入りが多くなっており、それによってエレーナと知り合いになりたいと思う者はどうしても多くなってしまう。
これが冬になれば、増築工事も一段落して多くの者が故郷に帰ったりして、ギルムに新しく来る者が少なくなるので、ある程度余裕は出来るのだが。
もっとも、そうなればそうなったで、二度目の面会を望む者も多くなるのだが。
一度より二度、二度より三度……そのように何度も面会を繰り返せば、当然のように相手が自分に抱く印象も強くなるし、周囲には自分がエレーナと親しいのだと思わせることも出来る。
もっとも、エレーナがそれを許容するかどうかはまた別の話だが。
「じゃあ、何かすることがあるの?」
妖精にしてみれば、それは何となく尋ねたことなのだろう。
だが、それを聞かれたレイにしてみれば、何となく自分がやることがない暇人であるかのように思えた。
「ぐ……いや、ちょっと長と会う必要がある。長に頼んでおいた一件をどうにかする必要があるからな」
咄嗟に口にした内容だったが、それは決して間違いではない。
具体的には、長に頼んだモンスターの解体作業。
結構な量があったので、それを解体すれば当然のようにそこには多くの素材や魔石や討伐証明部位や肉……といった諸々がそこには出て来るだろう。
それをそのままにしておけば、どうなるか。
当然ながらそれに興味を持った妖精達がやってきては、ちょっかいを出すだろう。
レイとしては解体したモンスターの肉といった場所に、悪戯はしてほしくはない。
これが素材の類であれば、話は別なのだが。
(そう言えば、内臓の類もある程度は持っていく必要があるんだよな。どの部位が売れるか分からないから、それを全て捨てるなんて真似はちょっと出来ないし。もしかしたら、貴重な素材もあるかもしれないし)
基本的にレイはモンスターの内臓を捨てる。
しかし、その中に素材となる部位がそれなりに多いのも事実。
何しろ戦ったモンスターが未知のモンスターである以上、一体どの部位が素材になるのかが分からない。
モンスター辞典にそのモンスターについて載っていれば、どの素材がいいのかといったようなことを判断も出来たのだろうが……生憎と、レイが持っているモンスター図鑑には載っていなかった。
とはいえ、レイの買ったモンスター図鑑は何年も前の物だ。
その間に新しいモンスター図鑑が出ており、そちらには載っている可能性も否定出来ない。
もっとも、モンスターの図鑑の類は学者、研究者、魔法使い、錬金術師……それ以外にも多くの者が出している。
それも基本的には手書きである以上、写本の類が一般的となるのだ。
そういう意味で、本によっては書いてあることが全く違うのも珍しくはなかった。
「レイ? どうしたの?」
「ん? ああ、いや。何でもない。そろそろ長に会いに行こうかと思って。お前も行くか?」
そうニールセンに尋ねると、ニールセンは即座に……それこそ一瞬の躊躇もなく首を横に振った。
「い、いい。いいわ。私はスモッグパンサーとの戦いの活躍を皆に話すという仕事が残ってるんだもの。長に会いに行くなら、レイだけで行ってよね」
ニールセンは明らかに長と会うのを怖がっていた。
……それどころか、ニールセンの話を聞いていた妖精達の中にも何故か怖がっている者がいる。
(ニールセンだけじゃないんだな。まぁ、長は怖れられているだけじゃないのがせめてもの救いといったところだけど)
純粋に長が怖がられているだけなら、そもそも妖精郷から逃げ出してもおかしくはない。
それでもこうして妖精達は長に従っているのだから、長に対しては一方的に怖がっているだけではないのだろう。
もっとも、長が存在せずに妖精が纏められるかとなると、それはまた難しいのだが。
「じゃあ、取りあえず俺は長に会いに行ってくるよ。そうそう、ボブは最大で二日くらい妖精郷の側で野営をすることになったから、気が向いたら顔を出してやってくれ。……幸いにもと言うべきか、ボブは寧ろ嬉々として野営をするつもりになっていたから」
ボブは猟師だ。
それこそ獲物を追っている時に……あるいは獲物を見つけることが出来ない時に、林や森、山の中で野営をするのは珍しい話ではない。
そうである以上、こうして妖精郷のすぐ外で野営をするというのは、そこまで珍しい話でもないだろう。
事実、ボブもここで野営をするというのにそこまで緊張した様子を見せてはいなかったのだから。
……もっとも、ボブにしてみれば野営云々よりも妖精と接することが出来るというのが嬉しいのかもしれないが。
「ボブが? うん、そうね。なら後でちょっと顔を出してみるわ。ボブも私と会ったりするのは悪くない気分でしょうし」
随分と上から目線の言葉に聞こえたが、実際にボブとニールセンの間ではニールセンの方が立場が上なのは、何度か話している光景を見て、レイにも納得出来ている。
ボブにしてみれば、ニールセンから少しでも話を聞きたいと思ってや、あるいは元々の性格から下手に出ていたのだろう。
「そうか。ニールセンが顔を出せば、ボブも喜ぶと思うから、頑張れよ」
そう言い、レイは妖精郷の奥……長がモンスターの解体をしてくれている場所に向かう。
その途中でも何度か妖精と遭遇したが、長に会いに行くと言えば妙なちょっかいを掛けられるようなことはなかった。
そんな妖精達の様子を見れば、長がどれだけ怖れられているのかが分かる。
妖精郷の中を進むレイは、やがて目的の場所……長のいる場所に到着した。
そこでは既にレイがミスティリングから取り出したモンスターの解体が終わっており、部位ごとに綺麗に分けられている。
「これはまた……本当に凄いな」
「そうですか。そう言って貰えると、私も頑張った甲斐があります」
自分の魔法を褒められたことが嬉しかったのだろう。
長は嬉しそうに……本当に心の底から嬉しそうな様子で、そう言葉を返す。
「こっちの内臓とかは……まぁ、どういうのが使えるのか分からないから、一応貰っていくよ。ここまでやって貰ったんだし、そっちで何か欲しい素材とかあれば貰っても構わないぞ」
「いえ、スモッグパンサーの魔石を貰えるだけで十分ですから。本当に……まさかこれ程のスモッグパンサーを倒してくるとは、思ってもいませんでした」
感心したように、そして少しだけ誇らしげな様子で呟く長。
誇らしげなのは、このスモッグパンサーを倒すのにニールセンが協力したというのを理解しているからだろう。
(こういう光景を見ると、長がニールセンに……いや、他の妖精も含めて、怖がられているのは疑問なんだよな。あるいは長の方でそうなるようにしてるだけなのかもしれないけど)
そんな疑問を抱きつつ、スモッグパンサーの魔石以外はいらないと言う長の言葉に甘え、その場に置かれた諸々をミスティリングに収納していく。
(やっぱり羨ましいよな)
心の底から……本当に心の底から、レイは長の使った魔法を羨ましく思う。
魔法を使った解体であれば、使用者が汚れるといったことはない。
それだけでも非常に羨ましいのは事実だ。
何しろ普通に解体する時は、それこそ手や身体、顔といった場所に解体する獲物の体液や血が付着するのは珍しくないのだから。
勿論、それらは洗えばすぐに落ちる。
だからこそ、川や池といった水のある場所での解体が好まれるし、レイの場合は流水の短剣によって幾らでも水を作り出すことが出来る。
そうして洗えるのは間違いないのだが、それでもやはり血や体液で汚れるのを好まないというのは当然の話だった。
「なぁ、駄目元でいいから……そう、例えば以前言ったようにかなり時間が掛かってもいいから、解体の魔法が使えるマジックアイテムを作るのを試してみてくれないか?」
「構いませんが……本当にどれくらいの時間が掛かるのか分かりませんよ? それに、素材についても一体どれだけのものが必要になるのかは分かりませんが」
長にしてみれば解体の魔法というのはそう難しいものではない。
だが妖精の魔法……その中でも色々と特殊な魔法なのは間違いないのだ。
そうである以上、マジックアイテムとして完成するまでにどれくらいの時間が掛かるのかは、正直なところ全く分からない。
それこそ以前口にしたように、本当に百年単位の時間が掛かってもおかしくはないのだ。
「ああ、これを見るとな。どれだけ時間が掛かってもいいから、そのマジックアイテムが欲しい。ただ……そうだな。これが時間の短縮に繋がるかどうかは分からないが、そのマジックアイテムが発動するのに必要な魔力に制限は持たせなくてもいい。そうなれば、ある程度は楽だろう?」
「それは……決して間違いではありませんが」
マジックアイテムを作る際にも、魔力は必要となる。
とはいえ、大抵のマジックアイテムは使うのにそこまで魔力を必要としない。
その辺をレイの魔力で強引に発動出来るようにすれば、多少の……いや、レイの魔力量を考えればかなりの無理はどうにか対処出来る。
「その辺を考えれば、どのくらいで出来る?」
「正確なところは言えません。ただ、百年単位だったのが五十年くらいにはなるかもしれませんね」
「それでもまだ五十年か。いやまぁ、半分くらいになっただけでもかなり便利なんだが」
レイにしてみれば、ギガントタートルのように巨大な……それこそ街と同じくらいの大きさを持つモンスターの解体のような時に、かなり便利そうだと思う。
もっとも、ギガントタートルの解体は去年もそうだったが、スラム街の住人のように冬を越すことが難しいような者達に対しての仕事という一面もある。……実際には、別に最初からそのように考えていた訳ではなく、去年いつの間にか自然とそのような形になってしまったというのが正しいのだが。
もしレイがギガントタートルの解体をマジックアイテムでさっさと片付けたり、あるいはここで出して長にやって貰うといったような真似をした場合、確実に今年スラム街で冬越えが出来ずに凍死や餓死をする者の数は増える。
(そうなったら、いっそ普通のモンスターで解体をして貰う……いや、駄目か。ギガントタートルという巨大なモンスターだからこそ、特に解体の技術のないスラム街の住人であっても解体は出来るんだし)
小さいモンスターを解体する場合、骨に沿って肉を切ったり、内臓を傷付けないようにして取り出すといったような真似が必要となる。
あるいは血や体液で見えにくい体内を綺麗に解体したりといった真似をする必要もあった。
ギガントタートルの場合は巨大だからこそ肉を切り分けるといった作業に技術はいらない。
勿論、乱暴に切り分けるといったような真似をした場合は肉の線維がボロボロになって食べた時の食感が悪いといったようなことになったりもするが。
そんな風に考えているレイの心を読んだ訳ではないだろうが、長はレイに向かって口を開く。
「何でしたら、ここにモンスターを持ってきてくれれば私が魔法で解体しますが」
「そうだな。どうしようもないくらいにモンスターが多くなったら頼む。……それに、そろそろガメリオンの季節だし」
既に季節は秋だ。
まだもう少し余裕はあるものの、早ければそろそろガメリオンが出て来てもおかしくはない。
今年の自分はガメリオン狩りに参加出来るのかと不安に思いながらレイはそう言うのだった。