2936話
ボブが穢れによる何かによって、襲ってきた相手に位置を把握されているのだろうと予想したレイ。
だが、そうなればそうなったで、次に考えるべきこともある。
「で、結局その穢れってのは何だ……?」
穢れとは何か。
そう聞かれた長は、どう答えるべきか迷う。
長は、穢れというのが何なのか知っている。
だが、それは半ば感覚的なもので、具体的にその穢れがどのようなものなのかというのを言葉で説明すると難しい。
穢れとは何かと尋ねられた長は、たっぷりと数分考え込んだ末に、何とか口を開く。
「その……何か悪い魔力といった感じです」
説明になっていないと言おうとしたレイだったが、長の様子を見ると適当に言っていたり、あるいはふざけて言ってるのではなく、純粋に言葉に出来ずにそのように言うことしか出来ていないようだった。
「悪い魔力か。……けど、それなら俺はともかくセトが気が付いてもおかしくはないと思うけど」
レイには魔力を感じる能力はないが、セトには魔力を感じる能力がある。
それもちょっとやそっとの能力ではなく、非常に優れた感覚でだ。
そうである以上、レイがセトならその穢れというのを感じられるのでは? と疑問に思うのは当然だった。
だが、そんなレイの疑問に長は首を横に振る。
「ただ魔力を感じる能力を持っているだけでは、穢れを察知することは出来ません」
「そうなのか? なら、魔力を感じる以上の何かが必要だという訳か。それで、長はそれを持っていると」
「そうなります」
レイの問いにあっさりと頷く長。
その長の言葉が事実であった場合、穢れを感じることが出来る者は非常に少なくなる。
元々、魔力を感じる能力そのものがそう多くはない。それこそ貴重という言葉が相応しいくらいに人数が少ないのだ。
そんな中で、さらに穢れを感じる能力を持つ者となると一体どれくらいの数となるのか。
……それ以前にレイには魔力を感じる能力がないのだが。
(けど、セトにもその能力がないというのはちょっと意外だったな。いやまぁ、穢れを感じる能力があれば、ボブを見た時に普通に接したりはせず、その穢れを感じて警戒していただろうが)
そう思うレイだったが、実際にはセトがボブの穢れを察知しても、別にボブがその穢れを操っている訳ではない。
それだけに、ボブを警戒してもあまり意味がなかったのは間違いないだろう。
「穢れについては話は分かった。その理由も、何となくだけど理解出来る」
ボブが見た、怪しげな洞窟での一件。
恐らくはそれが理由なのだろうとレイは予想する。
とはいえ、それはあくまでもレイがそのように思っているだけで、実際には本当にそうなのかどうかは分からない。
もし事実であった場合は、それこそボブから詳しい説明を聞く必要があるだろう。
(ん? いや、別に俺が詳しい事情を聞く必要はないのか? 別にボブから今回の一件をどうにかして欲しいと依頼された訳じゃないし。だとすれば、別に俺がこの件についてどうにかする必要はない訳だ。……ただ、何だかんだとボブは結構気に入ってるんだよな)
何か特別な理由があって、ボブのことを気に入っている訳ではない。
それでもボブのことを気に入ってるのは……その性格からだろう。
また、冒険者ではなく猟師として村から村、街から街に渡り歩いているのを見れば、気にするなという方が無理だろう。
「で、その穢れを持ってる者……ボブっていう名前なんだけど、そいつの状況をどうにか出来ないか?」
「どうにかと、そう言われましても……そうですね。やってやれないことはないです。ただ、その為には相応の準備が必要になりますが。色々と必要な物もありますし。それらを準備して貰えば、こちらとしても対応しても構いません。どうします?」
それはつまり、用意する諸々はレイがどうにかしないということなのだろう。
「それ以外にも、大量に魔力を必要としますが、こちらはレイさんがいれば問題はないかと」
「俺の? ……まぁ、魔力程度なら全く問題ないが」
普通なら魔法使いにとって魔力というのは非常に大きな意味を持つ。
特に魔法を使うのに必要な魔力をどう節約するかというのが、魔力の少ない魔法使いにとっては必須の技能となる。
だがレイの場合は、元々持っている魔力が莫大な量なので、魔力の節約というのは全く考えなくてもいい。
魔力の節約という点については、レイはまだ未熟なのだろう。
しかし、今回の場合はある意味でそれが幸いした。
ボブの穢れをどうにかするのなら、それに必要なのは魔力。
魔力の運用について得意であっても、それはあまり意味がない。
(けがらわしい……それで穢れか。それをボブが聞けば、色々と思うところがありそうだけど)
ふとそんなことを思いながら、レイは長との会話を進める。
「取りあえず魔力については俺の魔力を使ってくれればいいから、そうなると必要な物だな。一体何が必要なんだ?」
「妖精郷にやって来た人物……ボブでしたか。そのボブが宿している穢れを考えると、それなりに強いモンスターの魔石が必要となります。他にも準備する物はありますが、レイさんの知り合いということですし、そちらは私が用意しましょう」
「いいのか? さっきは俺に全部用意して貰うって流れだったと思うけど」
「構いません。今の状況を思えば、そうした方がいいと思いましたので」
具体的にどういう理由で長がそのように思ったのかは、生憎とレイにも分からない。
しかし、今の状況を思えばそれはそれで問題がないだろうと判断する。
寧ろ自分が色々と必要な物を用意する必要はないのだから、と。
「分かった。なら俺が用意するのは魔石と魔力だけでいいんだな?」
そんなレイの言葉に長が頷いたのを確認すると、レイは改めて尋ねる。
「それで魔石というのは具体的にどのくらいのランクのモンスターの魔石が必要なんだ? 今回のスモッグパンサーの件で結構多くのモンスターを倒したから、それなら渡せるぞ」
「あ、トカゲ?」
レイのその言葉に真っ先に反応したのは、ニールセン。
今回の一件ではレイと一緒に行動していた為に、レイがどのようなモンスターを倒したのかというのは、十分に理解している。
そんな中でレイが多数倒したモンスターと考えると、真っ先に出て来たのはトカゲだった。
「そうだな。トカゲは結構な数がいたし。後は、双頭のサイだな。あれも多少は魔石に余裕がある」
通常種を一匹ずつデスサイズとセトで魔石を使い、ボスの上位種か希少種と思しき個体の魔石も使った。
結果として、通常種の魔石は数個だか余裕があるのは間違いない。
「なるほど。では、まずその魔石を出して貰えますか?」
「あー……ちょっと待った。穢れ云々の話よりも前に、まずはスモッグパンサーの魔石について話したいんだが、いいか?」
元々レイがボブと遭遇したのは、スモッグパンサーの魔石を入手して妖精郷に帰る途中だった。
そうである以上、まずはそちらの話を終えてからにしかった。
(それに……解体の問題もあるし)
何気にレイにとってはそっちの方が非常に大きな問題だった。
「スモッグパンサーのですか? それは構いません。その様子だと、無事スモッグパンサーの魔石を入手出来たのですね?」
「そうなんですよ。長、私にもしかして何かしました? 私が妙な感じで指さした方に何故かスモッグパンサーがいたんですよ。それも何回も」
ニールセンのその言葉に、長はしかし首を横に振る。
「いえ、私は特に何もしていません。ただ……ニールセンの中にあった、新たな力が目覚めたのでは?」
「え? 本当にそうなんですか!? いやー、やっぱり。そうかもしれないと思っていたんです」
長の仕業ではなく、自分の力が目覚めただけ。
そう聞いて喜ぶニールセンに、長は何故か怒るのではなく優しげな視線を向けている。
そんな自分の視線がレイに気が付かれたと知ったのだろう。長は少し戸惑った様子で目配せしてくる。
(あ、やっぱり)
それが長の目配せを見た、レイの思いだった。
今の状況を思えば、長が何かをしたというのは十分に理解出来た。
「ニールセン、私はレイさんとお話があります。貴方は皆のところに行って、スモッグパンサーのいた森について話をしてきなさい。皆、心配してましたよ?」
「そうですか? でもまぁ、長の命令には逆らえませんしね。分かりました。そうします」
そう言いつつ、ニールセンは上機嫌な様子でレイと長の前から飛び去る。
そんなニールセンの様子を見ていたレイは、その姿が見えなくなったところで長に尋ねる。
「やっぱりニールセンが目覚めた力は、長が何かしたのか?」
「はい、そうです。とはいえ正確には少し違いますが。私がやったのは、あくまでも切っ掛けを与えただけ。もしニールセンに秘めたる力がなければ、例え切っ掛けを与えたとしても力が目覚めることはなかったでしょう」
「なるほど。つまりニールセンにはその力があったから目覚めた訳か。……それで、あれはどういう力なのか聞いてもいいか?」
「え? それを私に聞くのですか? 寧ろ、レイさんの方が直接見て知ってるのでは?」
真剣な表情でそう尋ねられたレイだったが、それに対して困った様子で首を横に振る。
「適当に指さした方向にスモッグパンサーがいたり、光を放ってスモッグパンサーの統率個体を物質化させたりと、ちょっと正確な力は分からないな」
「それは……なるほど。ニールセンにはかなりの素質があったようですね」
レイの口から出たニールセンの覚醒した力の詳細に、長は納得した様子を見せる。
「元々ニールセンがかなりの素質を持ってるのは分かっていました。だからこそ、ギルムへの特使という役目を任せたり、レイさんと共にスモッグパンサーの魔石を取りに行かせたりしたのですから。しかし……それでも、これは少し予想外でしたね」
「予想外か。それでも良い意味での予想外だったんだろう? なら、そこまで問題はないんじゃないか?」
「そうですね。それは否定しません。ただ、ニールセンの性格を考えると調子に乗らないかが心配で」
「あ、うん。なるほど。それについては俺も納得出来る」
ニールセンの性格を少しでも知っていれば、長の言葉の意味を理解出来るだろう。
実際に今頃ニールセンは、他の妖精に自分がスモッグパンサーを見つける際にどれだけ活躍したのかを嬉々として説明している筈だった。
「もっと成長すれば、ニールセンもそのうち落ち着くと思うのですが」
「落ち着く……のか?」
しみじみといった様子で呟く長だったが、レイとしてはそんな長の言葉に素直に同意は出来ない。
とてもではないが、ニールセンが落ち着いた性格になるとは思えないのだ。
しかし、そんなレイの言葉を聞いた長は笑みを浮かべて頷く。
「はい、落ち着くと思いますよ。その証拠が私です。今でこそこのような性格をしていますが、私も長になる前……正確には力に目覚める前はニールセンと同じような性格をしていました。……いえ、自分で言うのもなんですが、ニールセンよりも酷かったと思います」
「長が?」
レイから見た長は、外見は他の妖精よりも一回りくらい大きいといった程度だが、性格は随分と違う。
具体的には、それこそお淑やかな大人の女といった表現が相応しいくらいに。
そんな長が以前はニールセンと同じような性格だったというのは、とても信じられない。
「信じられないようですが、事実ですよ? そうですね、多少の例外はあっても妖精というのはそのようなものだと覚えておいて貰えばいいかと。だから、ニールセンも時間が経てばいずれは落ち着きます」
この妖精郷を纏めている長がそう断言する以上、レイとしてはそういうものなのかと納得するしかない。
それにニールセンとはそれなりに付き合いがあるが、エレーナ達と違ってこの先もずっと一緒にいる……といった訳ではないのだから。
そうである以上、ニールセンの性格がどうこうといったようなことはそれ程気にする必要はないと判断する。
「妖精のことは妖精でやって貰うとして……とにかく、強力なモンスター……いわゆる高ランクモンスターの魔石だったな。スモッグパンサーの森で複数倒したモンスターの死体があるんだが、その死体の魔石でどうにか出来ないか?」
「実際にその魔石を見てみないと分かりません。スモッグパンサーの魔石は……いえ、まずはこちらからにしますか」
長のことだから、スモッグパンサーの森に出るモンスターについては詳しく知っているのでは?
そう思っていたレイだったが、長の様子を見る限りでは違うらしい。
それならばと、レイはミスティリングの中からトカゲと双頭のサイの死体を取り出すのだった。