2934話
「どうやら、セト篭の方は問題ないようだな」
セトの背の上に乗っているレイは、セトが持っている篭を見てそんな風に言う。
するとそんなレイの肩の上に立ったニールセンが、不満そうな様子で口を開く。
「私もセト篭の方に行けばよかったかしら」
「あのな、一応俺は聞いた筈だよな? ニールセンがどうするかって。それでお前が選んだのが、俺と一緒にセトに乗るってことだったろうに。何で今更そんなことを言うんだ?」
「だって、ちょっと気になるんだもん」
不満そうな様子を見せるニールセンだったが、そんな相手にレイは呆れの視線を向けるだけだ。
とはいえ、そんな視線を向けながらもニールセンの気持ちが分からないでもない。
やはりニールセンの中には、ボブが最初に言った妖精を食べるというのが気になっているのだろう。
何だかんだとボブと気が合ったニールセンだったが、セト篭の中という密室でボブと一緒になるのは危険かもしれないと思ってもおかしくはない。
何かあっても妖精の輪という転移方法があるので、そこまで気にする必要はないと思うのだが。
「ともあれ、スモッグパンサーの魔石も大量に入手したし、まずは妖精郷に向かうぞ。ボブを妖精郷に入れるかどうかは、長に判断して貰う必要があるけど」
途中の寄り道で思いも寄らない拾い物……いや、拾い者をしたのは事実だが、今回の一件においてレイ達がやるべきなのは当然ながら妖精郷の長にスモッグパンサーの魔石を渡すことだ。
それによって妖精の作るマジックアイテムである霧の音を貰うことになっているのだから。
「そうね。その辺は長に判断して貰えばいいか。私には判断するのは難しいんだし」
何故か自信満々といった様子で告げるニールセンだったが、それはそれでいいのか? と思わないでもない。
レイにしてみれば、長はニールセンを育てようとしているように思える。
……もっとも、ニールセンにはそんな自覚は全くないようだったが。
(本来なら、こういうことの判断もニールセンがしないといけないのかもしれないんだけどな。とはいえ、ニールセンはそれに全く気が付いている様子もないっぽいし。その辺は……まぁ、俺が特に突っ込むことじゃないか。駄目なら駄目で、後で長が何か言うだろうし)
当然ながらそのようなことになった場合、ニールセンは長から叱られて……あるいは怒られても、おかしくはない。
ニールセンがその辺に考えが及んでいるのかどうか、そこまではレイにも分からないのだが、本人がそれでいいのなら構わないのだろうと思っておく。
「それにしても、昨夜襲ってきた相手は大丈夫なの?」
不意に話題を変える――内容的にはそうでもないのだが――ニールセンに、レイはそれなりに自信を見せながら頷く。
「ボブから聞いた話によると、向こうがどうやって追ってきているのかという正確なところは分からなかった。けど、どういう手段を使っているにしろ、移動するのはどんなに急ぐにしても馬車や……あるいは馬に乗るしかない。だとすれば、例えボブを追うことが出来ていても空を飛ぶセトには追いつけない」
セトの空を飛ぶ速度は、地上を走る馬車や、そのまま馬に乗って移動するよりも圧倒的に速い。
一般的には馬に乗ってそのまま走るのが地上を移動する中でも速いのだが、セトの飛行速度はそんな馬を楽に上回る。
勿論、実際には馬ではなくテイムしたモンスターや召喚獣でより移動速度の速いモンスターに乗って移動するといった例外はあるかもしれないが……それでも、セトの飛行速度を上回る存在はそういないというのがレイの認識だった。
(あ、でも転移とかなら……とはいえ、転移のマジックアイテムとか、そう簡単に入手できるような代物じゃないしな)
レイが知っている転移のマジックアイテムは、ベスティア帝国で開発された物だけだ。
あるいはダンジョンでその手のマジックアイテムが見つかる可能性もあったが、それはともかくとして。
ベスティア帝国で製造された転移のマジックアイテムは、基本的に厳しく管理されている。
当然だろう。転移というのは、使い方によっては非常に危険な代物だ。
場合によっては、城の中に転移するといったような真似すら可能なのだから。
とはいえ、実際には内乱のゴタゴタで転移のマジックアイテムはそれなりに持ち出されているとも言われているのだが。
だからといって、昨夜襲ってきた敵がそう簡単にそのマジックアイテムを入手出来るとはレイには思えなかった。
また、転移のマジックアイテムは転移する先でしっかりと準備をする必要があるというのも大きい。
この場合、もし敵が妖精郷の中に転移するのなら、先に妖精郷の中で準備をしておく必要がある。
それはさすがに無理だろうというのがレイの予想だった。……いや、それは予想というよりも確信であると言った方がいい。
「ふーん。まぁ、レイが言うのなら大丈夫なんだとは思うけど」
ニールセンは取りあえず俺の言うことだからと納得した様子を見せる。
本当にその辺りについて納得してるのかどうかというのは、正直なところ分からない。
あるいは考えるのが面倒だからという理由で、レイに任せているのかもしれないが。
「とにかく妙な連中に狙われている以上、今までのようにどこかに寄り道をするって訳にはいかないな。ニールセンにとっては残念かもしれないが、真っ直ぐに妖精郷に向かうぞ」
「分かったわ。それでいいと思う」
「……ニールセンのことだから、てっきりもっと寄り道していきたいとか言うのかと思ったんだが。本当にいいのか?」
「あのねぇ、レイは一体私を何だと思ってるのよ? 私だって、しっかりとやるべきことは分かってるんだから。それに……こんな状況で寄り道をしたいと言ったのが長に知られたら、どうなるか分からないし」
恐らくやるべきこと云々というのは建前で、本音は長にこの件を知られた時にお仕置きをされない為だろうというのは、レイにも予想出来た。
レイの目から見れば、長というのはそんなに厳しい性格をしているようには思えない。
しかし、それはあくまでもレイの目から見てのことであって、身内であるニールセンにしてみれば違うのだろう。
「なら、そういうことで決まりだな。……じゃあ、セト。頼んだ」
「グルルルルルゥ!」
レイの言葉に、セトは分かったと鳴き声を上げるのだった。
ずしゃ、という音と共にセト篭がトレントの森の中に下ろされる。
妖精郷のある場所から、そう離れていない場所。
本来ならトレントの森の外でないとセト篭を下ろせる場所はないのかと思っていたレイだったが、モンスターが暴れたのか、あるいは何かもっと別の理由なのか、妖精郷からそう離れていない場所にはぽっかりと開いた空き地があった。
勿論空き地とはいえ、しっかりと整備されているような場所ではない。
あくまでも高い木が生えていないという意味での空き地だ。
それもかなり狭い空き地で、空を飛んでいたセトがセト篭を地面に下ろすのも難しかったという……そんな場所。
セトだったからこそ、セト篭を下ろすことが出来たのだろう。
そうしてセト篭を下ろせば、後は簡単だ。
余計な荷物がなくなった分、セトはすぐに地上に着地する。
「ぶはぁっ! す、凄かったです! このセト篭っていうの……初めて乗ったけど、とにかく凄かったです!」
セト篭から出て来たボブは、興奮してそう言う。
そんなボブの様子に、ニールセンは興味深そうにセト篭の方に近付いていく。
「まぁ、だろうな。セト篭に乗った人数は少ない。そんな中で、もしボブが実はセト篭に乗ったことがあるなんて風に言ったら、俺は間違いなく嘘を吐くなと言ったぞ」
「そうですよね。乗り心地もよかったですし。……けど、こんな大きな篭が空を飛んでれば、地上にいる人達に見られるんじゃないですか?」
ボブは興奮した様子ながらも、空を飛んでいる時に抱いた疑問をレイにぶつける。
セト篭の存在によって、空を飛ぶことが出来るのは素直に凄いと思う。
だが、セトが空を飛んでいるだけならまだしも、このような巨大な篭をぶら下げて飛んでいれば、地上にいる者にみつかりやすくなるのではないか。
そんな疑問を抱くのは当然だろう。
しかし、レイはそんなボブに首を横に振る。
「心配するな。セト篭は光学迷彩……って言ってもちょっと分かりにくいか。簡単に言えば、周囲の景色と同じような色になる機能を持っている。カメレオンとか知らないか?」
レイの例えたカメレオンという名前に、ボブはすぐに納得した。
「知ってます、カメレオン。結構前に入った森で、巨大なカメレオンを狩ったことがあります」
「巨大なって……それ、モンスターじゃないのか?」
レイが知ってる限り、カメレオンというのはそんなに大きくはない。
それこそ、掌の上に乗せるようなことが出来るくらいの大きさの筈だった。
だからこそ、ボブが口にした巨大なカメレオンというのはモンスターではないかと、そう疑問に思うのは当然だった。
「そうですね。その時には魔石もありましたし。ただ……魔石は安く買い叩かれましたけど」
猟師のボブにしてみれば、魔石の買い取り交渉というのはあまり経験がないのだろう。
肉の買い取り交渉をしているのを思えば、そう違いはないのでは? という思いがレイにあったのも事実だが。
ただ、ボブはそのことに特に思うようなところがなさそうだったので、レイとしてはそこまで気にしなかったが。
「そうか。魔石は高く売れるから注意した方がいいぞ。……とにかく、セト篭は周囲の景色と同化する能力があるから、地上にいる奴が空を見ても見つけることは出来ない。魔眼であったり、魔力を感じるような能力でもあれば少し話は違うかもしれないが」
「ほら、そこで話してないで、さっさと行くわよ。ボブも途中までは私達と一緒に行動するんだから、さっさと来る!」
ニールセンのその言葉に、レイとボブは素直に従う。
ここで話を続けても、特に何か意味があるとは思わなかったからだ。
「ここが妖精郷ですか? 見た感じ普通の森ですけど。ただ……そう、何か少し違和感があります」
「へぇ、分かるのか。ここはトレントの森。数年前に突然森になった場所だ。自然に出来た森じゃないから、違和感があるのはそこかもしれないな」
「……え?」
一瞬、レイの言葉の意味が分からなかったのだろう。
ボブの口からは間の抜けた声が上がる。
しかし、そんな声が出るのも当然だった。
周囲に生えている木々は、そのどれもが非常に立派だ。
それこそ数十年……中には百年近く経っているのではないかと思われる老木すらあるのだから。
そんな木々が、実は数年前に生まれたばかりだと言われても、とても信じられない。
ボブも猟師として多くの林や森、山で活動してきた経験を持つ。
そんなボブの目から見ても、レイの言葉が真実であるとは到底思えなかった。
……だからといって、レイがこの状況で嘘を吐くとも思えない。
だとすれば……と、ボブの視線がニールセンに向けられる。
しかし、ニールセンはそんなボブの視線に対して首を横に振る。
「言っておくけど、私達がここにやってきたのはついこの前よ。この森がいつ出来たかなんて話はちょっと分からないわね」
「そうなんですか。てっきり妖精だから同じ場所にずっと住んでいるんだとばかり思ってました」
「ボブ、もしかして妖精に変な夢を見てない?」
「いや、お前がそれを言うのか?」
妖精に夢を見ていないかと妖精が言うのはどうなんだ?
そう思ったレイだったが、ニールセンは堂々とした様子で口を開く。
「私だから言えるのよ」
「はいはい、そうかもしれないな」
「グルルルゥ」
レイがニールセンやボブと話していると、不意にセトが喉を鳴らす。
そんなセトの態度に、レイは周囲を確認し……何故セトが喉を鳴らしたのかを理解した。
周囲にはまだ薄らとだが、霧があった。
それは霧の音のいうマジックアイテムによって生み出された霧。
つまり、妖精郷に近付いて来た証であった。
「どうやら妖精郷が近付いてきたようだな。……ニールセン、ボブはどこで待たせる?」
「そうね。もっと妖精郷に近付いたところでいいんじゃない? ここだと、トレントの森の動物やモンスターがやって来るかもしれないし」
「だそうだけど、ボブの意見としてはどうだ? ちなみに妖精郷に近付くと霧がもっと濃くなって方向感覚が狂う上に、下手な真似をすると妖精郷を守っている狼に攻撃される」
「ちょっと、レイ。悪いことばかり言わないでよね。霧の中にいればトレントの森にいるモンスターや動物に襲われないし、狼もきちんと言い聞かせておくから妙な行動をしない限り問題ないわ。……で、どうする?」
そう尋ねるニールセンに、ボブは少し迷い……やがて口を開くのだった。