2933話
「美味しいですね。これ……僕も山鳥を獲ることは多いですけど、料理次第でこんなに美味しくなるのは驚きです」
ボブは朝食としてレイが用意した山鳥の香草焼きを一口食べると、驚いたように呟く。
猟師だけに、山鳥を獲ることは多い。
あるいはその山鳥を村や街の肉屋、もしくは食堂や屋台に売ったりもする。
そうした店で自分が売った山鳥の肉を食べさせて貰うこともあったが、こんなに美味くはなかった。
ましてや、自分で料理をした山鳥は取りあえず食べられるというだけだ。
……実際には、そのくらいの料理の腕でもレイより上だったりするのだが。
ただし、レイの場合はミスティリングがある。
その中には、この山鳥の香草焼きのような美味い料理が大量に入っている。
そういう意味では、レイは別にわざわざ自分で料理をする必要はないのだ。
本人も自分は日本にいた分だけTVや漫画で得た料理の知識はあるが、それを自分で発揮出来るとは思っていない。
そういうのは、それこそうどんを始めとした幾つかの料理のように、本職の料理人に頼んで再現し、普及して貰えばいいのだから。
「これは……どこだったか。ギルムじゃない場所の街の食堂で買った料理だな。山鳥の下処理もだけど、中に入れている香草がいいんだよな」
山鳥というのは、種類にもよるが中には臭いの強いものもいる。
そんな肉の臭みを消す……あるいは活かして料理を完成させる為に必要なのが、香草だった。
実際にはもっときちんとした香辛料を使えれば一番いいのだろうが、香辛料というのは基本的に高価だ。
ギルムでは緑人を保護したダスカーによって、現在試しということで手頃な値段で売られているが、それはあくまでも植物に強い力を持つ緑人を保護したからこそ出来ることだった。
他の村や街では、当然ながら香辛料は高い。
……ギルムの香辛料作りが本格的になれば、ギルム周辺での香辛料はもう少し安くなるかもしれないが。
とにかく香辛料は決して安いものではないので、出来るだけ香辛料を使わないで料理をする場合、香草は便利だった。
もっとも、香草も香草で基本的には新鮮なものしか使えないという欠点もあるのだが。
一応乾燥させて使うという方法もあるのだが、乾燥させるとどうしても風味が落ちてしまったり、場合によっては完全に違う味になるものも多かった。
そういう意味では、現在レイ達が食べている山鳥の料理は香草を上手く使っていたのは間違いない。
「美味しい……やっぱりレイはこういう美味しい料理を隠し持っていたのね!」
ニールセンのそんな叫びが周囲に響く。
そんな、どこか責めるようなニールセンの言葉に、レイは何故自分がそんな風に言われないといけないんだ? と若干不満を持つ。
レイにしてみれば、これらの料理は別に隠していた訳ではない。
それこそいつでも食べられるようにと準備がしてあったのは間違いないが。
「あのなぁ、別に俺はこの料理を隠していた訳じゃないぞ。今までニールセンに食べさせていたのだって、どれも美味かっただろ?」
「う……それは、まぁ……そうね」
ニールセンはレイの言葉に反論出来ない。
実際。レイが用意した料理はどれもが美味かったのは間違いないのだから。
「グルルルゥ」
レイの言葉に同意するように、セトも喉を鳴らす。
当然だが、セトもまたこの場にいる他の者達と同じ料理を食べていた。
セトの身体の大きさを考えると、食べる量は多かったが。
「さて、それはともかくだ。この様子を見ると、結局昨夜の敵が改めて襲撃してくるようなことはなかったみたいだな。そういう意味では、俺達にとっては運がよかった……いや、セトが頑張ってくれたお陰なのかもしれないな」
「グルゥ? グルルルルゥ……」
レイの言葉に、セトは首を横に振る。
セトにしてみれば、レイが自分に見張りを任せてくれたのにそれをしっかりとこなすことが出来なかったのが残念なのだろう。
だからこそ、セトはレイの言葉に申し訳なさそうにしたのだ。
そんなセトの気持ちを理解したレイは、気にするなとセトを撫でる。
実際、セトですら敵の存在に近付かれるまでは分からなかったのだ。もしセト以外の者が見張りをしていても……それこそレイが見張りをしていても、気が付かなかった可能性は高い。
寧ろここまで近付かれつつも敵を発見出来たのは、セトだからこそなのだ。
そうレイに慰められ、セトは少しだけ元気になる。
そうして食事が終わったところで、レイはマジックテントをミスティリングに収納し、セト篭を取り出す。
「うおっ! これは……何だかもの凄いですね!」
セト篭を見たボブの口からは、そんな驚きの声が漏れる。
セト篭というのがあるとは聞いていたものの、それでもまさかここまで大きな物だったとは思いもよらなかったのだろう。
今のこの状況において、本来ならボブはセト篭を見て喜ぶよりも前に自分が誰かに狙われているというのを心配しなければならなかったのだが……生憎と、ボブの好奇心の強さはそんな自分の状況よりもセト篭の方に集中しているのだった。
「うおっ!」
「どうした!?」
レイ達のいる場所からかなり離れた場所。そこに集まっていた男達のうち、ボブと視界がリンク……いや、男の方だけが一方的にボブの見ている光景を見ることが出来るという意味では、ボブの視界を盗み見ているとでも表現すべき男の口から驚きの声が上がる。
そんな男に、周囲にいた男の一人がどうしたと尋ねた。
なお、男たちの中には怪我人も多い。
昨夜の襲撃の際、セトに自分達の存在を見破られて戦闘になった際のものだ。
中には当たり所が悪くて死んだ者もいるが、その死体は既に処分されている。
今は傷の治療をして体力を癒やすべく休んでいたのだが、そんな中でもボブと視界が繋がっている男は向こうの動きを察知するべく自分は目を瞑ってボブの視界を盗み見ていた。
そんな男の口からいきなり悲鳴が上がったのだから、声を掛けた男だけではなく他の者達も何があったのかと気になるのは当然だろう。
男は目を瞑ったまま口を開く。
「いや、深紅……レイだったか? そいつが突然巨大な……何だ、これは? 何かの入れ物? それこそ人が数人は中に入ることが出来る……そう、ちょっと例えとして正しいのかどうかは分からないが、馬車の人の乗る部分だけのような奴を取り出したんだ。形は大分違うけど」
「それは……一体何だ?」
説明されても、一体それが何なのか、そして何を目的にしてそのような物を取り出したのかが、全く分からなかった。
とはいえ、今の状況を思えばそれが自分達にとって好ましい物でないのは事実。
「考えられるとすれば、その中に入って防御を固めるとかか?」
「いや、だが……そんな真似をしてどうなる? ここから移動しなければ、結局のところ食料や水がないから餓え死にが渇き死にするぞ?」
「一応川があったから水は大丈夫だろうし、深紅のレイはアイテムボックスを持っていると聞いている。食料とかはそっちにあるんじゃないか?」
その言葉に、話を聞いていた者達は嫌そうな……心の底から嫌そうな表情を浮かべる。
アイテムボックスの中に一体どれだけ食料が入っているのか分からない。
そうであれば、籠城――城ではないが――を決め込んでも、食料切れは期待出来ないと。
男達の予想は色々な意味で間違っているが、その中でも合っていることがあるとすれば、それはミスティリングの中に食料……いや、料理が入っているということだろう。
それこそレイがその気になれば、長期間は食料を買わなくてもいいだけの料理を。
それを知っているのは、レイがミスティリングから山鳥の香草焼きを複数取り出した光景を見ていた、ボブの視界を盗み見ている男だろう。
自分達がこのような場所で怪我を癒やすべく休憩しているのに、レイ達は街中の食堂……それも普通の食堂ではなく、美味い料理を出す評判の食堂で売ってるような料理を食べていたのだ。
ボブ達の状況を探る必要がある以上、男はボブ達がその料理を食べるのを黙って見ていることしか出来ない。
せめてもの救いなのは、あくまでもボブと繋がっているのは視覚だけで、嗅覚や味覚は繋がっていないということか。
もしそこまで繋がっていた場合、男は空腹のあまりまともに仕事が出来なくなっていた可能性もある。
いや、嗅覚はともかく、味覚が繋がっていた場合は自分も山鳥の香草焼きを食べることが出来ていたということで、ある程度満足出来たかもしれないが。
「とにかく、敵が籠城してくれるのならこちらとしては悪くない。恐らく深紅ならともかく、足手纏いを連れて移動するのは不可能だと判断したのだろう」
リーダーがそう言って笑みを浮かべる。
自分達のやっていたことは無駄ではなかったと思っているのだろう。
それは他の者達も同様で、自分達が怪我をしつつ昨夜攻撃をしたのは成功だったという思いを抱いている者も多かった。
しかし……そんなリーダーの言葉は、次の瞬間に否定されることになる。
「え? そんな……嘘だろ!? 何でそんな真似を!?」
再びボブと視界が繋がっている男の口から動揺した声が放たれたのだ。
そうなれば、当然のようにそれを見ていた者達は何があったのかといったように視線を向ける。
「籠城で何か進展があったのか?」
男の一人がそう尋ねるが、ボブと視界が繋がっている男は即座に首を横に振る。
「違う! そもそも敵の狙いは籠城じゃなかった!」
「はぁ? なら、一体何を……」
自分でその光景を見た訳ではないが、ボブと視界の繋がっている男の話を聞く限りでは、籠城を考えているようにしか思えなかった。
そんな中でいきなりその言葉を否定されたのだから、話に疑問を抱くなという方が無理だった。
しかし、ボブと視界の繋がっている男は自分の見ている光景を何と説明すればいいのか、即座に分からない。
それだけ自分の見ている光景は予想外のものだったのだから。
「落ち着け」
そうリーダーが言うと、それでようやくボブと視界の繋がっている男は多少なりとも混乱が収まる。
「す、すいません。実はさっき言った、レイが出した入れ物……その中にボブが入ったのはいいんですが、どうやらその入れ物はレイの従魔のグリフォンが運んでいるようなんです」
「な……に……?」
落ち着けと言ったリーダーが、今度は驚く。
籠城をするのだと思っていたのだが、そのボブがその入れ物……セト篭に入ったまま運ばれるというのは、完全に予想外だったのだろう。
「ちょっと待て! 何だってそんな真似を!? 空を飛んで移動するのなら、別にそんな真似をしなくても普通にグリフォンに乗せればいいじゃないか!」
理解出来ないといった様子で話を聞いていた男の一人が叫ぶが、それは他の者達にとっても同様だった。
実際には、セトは足で掴んで運ぶのならともかく、背中に乗せられるのはレイ以外だと子供くらいだ。
とてもではないが大人の男であるボブを背中に乗せたまま移動するといったような真似は出来ない。
そもそもセト篭はその対策の為に作られたマジックアイテムだったのだが、その辺りの事情はレイやセトに近い者か、余程情報収集能力が高くなければ分からない。
当然だがレイに対して一般的に流れている噂くらいしか知らない男達に、そこまで詳しい情報を理解出来る筈もない。
ただ分かるのは、自分達が完全に出し抜かれたということだろう。
「ちょ……これ、どうすればいいんだ? グリフォンの飛行速度を考えると、俺達でどうにかならないぞ!?」
「だから、昨夜撤退した後で、またすぐに攻撃すればよかったんだよ! そうなれば、一度俺達が退いたと思って油断している隙を突くことだって出来たのに!」
「ふざけるな! 今更そんなことを言って、何になるんだよ!」
男達の間で、そんな言い争いが起こる。
今の状況を思えば、自分達が一体どうすればいいのか分からないのだろう。
せっかくここまでボブを追い詰め……それだけではなく、欲していた妖精の心臓まで手に入れられるかもしれない。
その筈だったのに、こうして完全に出し抜かれてしまったのだ。
「落ち着け!」
そんな混乱している中、リーダーの声が響く。
威圧感が込められたその言葉は、動揺している者達を落ち着かせるには十分なものだった。
「落ち着け」
再度口に出る、落ち着けという言葉。
先程と違って威圧感のない言葉だったが、その二度目の言葉で今度こそその場にいた者達が本当に落ち着く。
「逃げられたのは痛い。だが、ボブとの視界は繋がっている以上、奴がどこにいるのかは分かる筈だ。ともあれ、ここを出るぞ。相手がどこにいるのか分かったら、すぐにでも行動出来るように」
リーダーのその言葉に、話を聞いていた者達は全員素直に頷くのだった。