2932話
「取りあえず……詳しい話は朝になってからだな。このままここで無駄に話をしていても、明日寝不足になってまともに判断が出来ないと意味はない」
レイの言葉に、ニールセンとボブもそれに納得する。
元々が真夜中に寝ているところを襲撃されたのだ。
それを思えば、やはりここは明日までしっかりと眠った方がいい。
……もっとも、それはあくまでもレイの認識だ。
レイはこのような修羅場に慣れているので、寝ようと思えば普通に眠ることが出来る。
しかし、ボブは違う。
腕利きの猟師だし、時には旅の途中で野営をしたり、獲物を追って夜に森の中で眠るといったこともある。
しかし、それはあくまでも何もない時だからこそ眠れるのだ。
誰かが自分を狙っている……それもその辺の盗賊ではなく、高ランクモンスターのセトにすら気が付かせずに近くまでやって来るような相手に。
そんな相手に狙われていると知り、それでも平気で眠れる程にボブは肝が太くない。
「レイさん、その……本当に大丈夫ですか?」
「セトがいるから、さっきの連中がやってきてもお前に危害が加えられることはないと思ってもいい」
「それは……」
ボブが心配そうにセトを見る。
相手はセトにすら気が付かせずに近付いてきた連中なのだ。
なのに、大丈夫なのかと思ってしまうのは当然だろう。
そんなボブを安心させるように、話を聞いていたニールセンが口を開く。
「向こうがどんな手段を使ったのかは分からないわ。セトに近付くことが出来たのも事実なんでしょう。けど、結局セトは違和感があって相手の存在に気が付いたんでしょう? なら、また同じようなことがあっても、すぐに気が付くんじゃないかしら?」
「だろうな。それに前回はセトも初めてだったからこそ気が付かなかった可能性が高い。けど一度そういうのがあると知った以上、今度は最初とは違ってここまで近付かれるよりも前に察知することが出来る筈だ」
その言葉には、特に何かの根拠がある訳ではない。
セトだから大丈夫だと、そう言ってるようにしか思えなかった。
しかし、それでも何故か聞いていたボブが深く納得出来たのは、レイがセトに対して強い信頼を寄せていると、その言葉だけで十分に理解出来たからだろう。
言葉だけではなく、本当に心の底からレイはそう思っていると、そう理解出来たのだ。
今の話を聞いた者は、それこそ問答無用でセトを信じてしまってもおかしくはないと思える程に。
そして事実、ボブはレイの今の言葉を聞いて素直に納得してしまう。
「分かりました。レイさんがそう言うのなら信じます。それに……結局のところ、僕はセトに頼るしかないですしね」
へぇ、と。
ボブの口から出たその言葉に、レイは少しだけ感心する。
ボブにしてみればセトに頼るのは理解出来るものの、それ以外の方法もある。
それが、レイの使っているマジックテントだ。
その中に入れば、それこそマジックテントの外はセトによって守られ、中ではレイによって守られる。
ボブの立場としては、それが最善の方法だった。
ボブもそれは分かっているのだろうが、それでもレイからマジックテントは使わせられないといったようなことを言われていたのを覚えていたのか、レイには特に何も言ってこなかった。
そんなボブの様子が気に入ったレイは、考えを変える。
「ちょっと気が変わった。ボブ、お前はマジックテントの中に入ってもいいぞ」
「え? その……いいんですか?」
猟師ではあっても冒険者ではないボブは、マジックテントというのがどれくらい貴重なマジックアイテムなのかは分からない。
だが、レイの態度からそれがかなり貴重な物だというのは予想出来る。
そんなマジックアイテムを自分が使ってもいいのかと、そう疑問に思うのは当然だった。
「ああ、構わない。正直なところ、お前の方からマジックテントを使わせて欲しいとか言ってきた場合は使わせるつもりはなかった。けどそういう態度を取らなかったからこそ、俺はお前を信じるに値する存在と判断した。ただし……」
そこで一旦言葉を止め、視線に力を込めてから言葉を続ける。
「ないとは思うが、もしお前がマジックテントを奪おうとしたり、何か妙な真似をした場合、俺はお前を殺す。それで問題がないのなら、マジックテントを使え」
「ありがとうございます。じゃあ、使わせて貰いますね」
一瞬の躊躇もなく、ボブはそう言う。
元々好奇心の強いボブだ。
レイの使っているマジックテントにも興味はあったのだろう。
だが、それを態度に出した場合はレイにどんな目に遭わされるのか分からない。
だからこそ、今まではこうして自分から使ってみたいといったように言ったりはしなかったのだろう。
「分かった。まさかそこまで素直に頷くとは思わなかったが……なら、いい」
レイとしては、それなりに脅しの意味を込めて話したつもりだった。
しかし、ボブはそんなレイの様子を見ても特に気にした様子もなく頷いた。
それは自分がマジックテントに何もしないと確信しているからか、それともレイの言葉を単なる脅しで、実際には何もしないと思っているのか。
その辺りはレイにも分からなかったが、出来れば前者であって欲しいと思う。
もし後者であるとボブが思っていた場合、先程の襲撃者達に殺されるよりも前に最悪レイが手を下すことになるのだから。
「じゃあ、話は決まったわね。私もそろそろ寝るから。マジックテントで寝ようと思ったけど、やっぱりこっちの方がいいわ」
レイとボブの話を見ていたニールセンは、そう言って近くにある木の幹の中に入っていく。
「え? あれ? えっと……え? ちょ……レイさん!?」
自分の目で見たものが現実だったのかどうか理解出来ないといった様子のボブ。
ボブにしてみれば、ニールセンが木の中に消えたとしか思えなかったのだろう。
レイやセトにとっては見慣れた光景だったものの、ボブは初めて見る。
だからこそ、こうして慌てた様子を見せていたのだが、レイはそれを気にした様子もない。
「ニールセンは妖精だからな。それよりもさっさと中に入るぞ。明日に備えて、早く眠っておきたい」
「え? あの光景をそんなにあっさりと流してもいいんですか!?」
「何度も言わせるな。ニールセンは妖精なんだ。そのくらいのことは出来てもおかしくはない」
そう言い、さっさとマジックテントの中に入るレイ。
そんなレイを追って、ボブもマジックテントの中に入る。
まだ完全にニールセンの件に納得した訳ではなかったが、そんなボブもマジックテントの中に入ると、ニールセンについてよりも今の現在の自分がいるマジックテントの中に注意を向ける。
「これは……え? これがマジックテントですか?」
自分の目の前に広がる光景が理解出来ない。
マジックテントという名前は聞いていた。
その名前からマジックアイテムであるのは理解していたし、レイもそれを特に隠すようなことはしなかった。
だが……具体的にマジックテントというのがどのような代物なのかというのは、こうして初めて中に入って知ることが出来たのだ。
テントの中が外見よりも広いかもしれないのは分かっていた。分かっていたが、それでもまさかテントの中が部屋になっているというのはボブにとっても完全に予想外だった。
そんなボブの驚きようは、レイを満足させるに十分。
ボブの様子を見て、少しだけ誇らしげな思いを抱いたレイは笑みを浮かべて口を開く。
「そうだ。これがマジックテントだ。野営でもゆっくりと疲れを取ることが出来る」
「それは……このような光景を思えば、当然でしょう」
野営で疲れが完全に取れないのは、敵襲を警戒してぐっすりと眠れないというのもあるが、やはり街中にある宿と比べると純粋に睡眠の環境が違うからだ。
しかし、このマジックテントを使えばそんなのは関係なく、野営であっても普通に宿と同程度……いや、その辺の安宿よりもよほど快適な睡眠環境となる。
「明日も早い。どうなるのかは分からないが、とにかくお前も忙しくなるのは間違いない。お前もゆっくりと休め。そっちのソファを使え」
マジックテントの中にあるベッドは一つだけだ。
そうである以上、ボブをマジックテントの中に入れはしたが、だからといってベッドを使わせるつもりはない。
ボブもソファで眠るというのは特に異論はなく、素直に頷く。
「分かりました。正直なところこのままここで眠れと言われても、色々と興味深い場所なので眠りにくいですが……それでも明日のことを思えば、出来るだけ早く眠った方がいいですよね」
複雑な表情でボブが言う。
ボブにとって今の自分のいる場所に興味を持つなという方が無理だったが。
とにかく今日一日で色々なことが起こりすぎた。
色々な意味で現在の自分の状況は理解出来ない。
いや、色々とありすぎて現在の自分の状況を完全には理解出来ていないというのが正確か。
その考えを何とかする為には、当然ながら頭の中を整理する必要があり……それには寝るのが一番手っ取り早いというのが結論だった。
「そうだな。明日からどうするにしろ、お前の考えが整理されていないと厳しいのは間違いない。そうである以上、やっぱり今日はもう早く寝た方がいい」
そう言うレイの言葉にボブも素直に頷く。
本当ならボブも自分の現在の状況……特にこのマジックテントについて、色々と調べてみたいという思いがあるのは事実だ。
しかし、元々寝ているところを襲撃の一件で起こされたことにより、寝不足なのも事実。
このマジックテントの中が安全だと知れば、当然ながらボブは襲ってくる睡魔に勝つような真似は出来ず……そのままソファの上で眠りに就くのだった。
「さて、ボブはこれでいいとして、俺もそろそろ寝るか。明日には色々と忙しくなるだろうし」
大きく欠伸をしながら、レイもまたベッドに向かうのだった。
「朝か」
目が覚めたレイは、すぐに身支度を調える。
いつもであれば目が覚めてから数十分はぼうっとしてるのだが、今はマジックテントの中に自分以外の相手がいるということや、昨夜のセトに気が付かれないですぐ近くまでやって来た相手のこともあってか、寝惚けるということはなかった。
寝室から出ると、ソファの上ではボブがぐっすりと眠っている。
昨日は疲れからすぐに眠ってしまったので、その疲れもまだ完全に癒やされている訳ではないのだろう。
レイにしてみれば、下手にマジックテントの中を歩き回られるよりはいいのだが。
「起きろ、ボブ」
軽くソファを蹴ってボブを起こすレイ。
疲れからか、もしくは夜中に一度起きたのが理由なのか、一度や二度ソファを蹴った程度ではボブが起きる様子はない。
それでも何度か起こしていると、やがてボブも深い眠りから目覚める。
「んん……あれ? ここは……貴方は……」
レイに起こされたボブは、最初自分がどこにいるのか全く分からない様子で周囲を見ていたが、レイの顔を見て不思議そうな表情を浮かべ、やがて自分が現在どこにいるのか、そして目の前にいるのが誰なのかを思い出す。
「あ、レイさん。おはようございます」
「目が覚めたようだな。随分とぐっすり眠っていたみたいだけど、疲れは取れたか?」
「そうですね。まだ色々と整理が出来ていないところはありますけど、それでもある程度は何とか出来たと思います」
「そうか。まぁ、とにかく朝食を食べたら妖精郷に行くぞ。もっとも、お前が中に入れるかどうかは、長次第だけど」
「分かりました、僕も妖精郷には興味があるんですよね。お伽噺とかで妖精は出て来ますし」
「……言っておくが、食うなよ?」
「いや、だから……あれは、そういうお伽噺があったから、あんな風に言っただけで、僕は妖精を食べるなんて真似をするつもりは全くありません!」
必死に叫ぶボブ。
ボブにしてみれば、迂闊に口に出したその一言によって自分が妖精を食べるかもしれないと疑われているのは、正直なところ思うところがあった。
自分は絶対にそんなことをするつもりはないのだから。
「そう言ってもな。実際に自分で口にしてしまったんだから、しょうがないだろ。……そもそも、何でいきなりあんなことを言ったんだ? 普通に妖精に会えて嬉しいとか言ってれば、妖精郷に連れていくのもそこまで問題はなかったと思うのに。いやまぁ、長がどう判断するかは別だけど」
結局のところ、妖精郷に入れるかどうかを判断するのは長だ。
もしニールセンがボブを気に入っても、長が駄目と言えば駄目だろう。
あるいはレイが言えば、借りのある長は聞いてくれるかもしれないが……生憎と、レイは長に対する貸しをこんな場所で使うつもりはなかった。