2931話
取りあえずボブが旅の途中で見た怪しい連中が今回の襲撃の犯人だと思うことにする。
実際にそれが正しいのかどうかは、生憎とレイに分からない。
だが敵が不明なままでは、未知の存在であるが故に敵に対して意味のない恐怖を抱いてしまう。
そんなことはレイとしては当然ながら避けたかった。
「さて、そうなると……問題なのは、これからどうするかだな。そもそも、あの連中はどうやってボブを見つけたんだ? ずっと尾行してきたとか?」
「うーん、それはないと思います。長時間尾行していれば、さすがに気が付くと思いますし。それに、結構な人数がいましたよね? だとすれば、そんな人数が僕の後ろにいれば気が付かないなんてことはないですよ」
「いや、別に全員で尾行をしてるとは限らないだろ。敵の中から一人や二人が尾行をして、気が付かれそうになったら交代すればいい」
「ああ、なるほど。うーん、でも街道を歩いている時に、後ろにこれといって誰もいなかったとか、そういうこともありましたよ? そう考えると……」
やっぱり尾行されたとは思えない。
そう告げるボブの言葉だったが、専門的な訓練を積んでいる者なら相手に気が付かれないように尾行をするといったような真似も出来るだろうというのがレイの予想だった。
あるいは、セトに気が付かれずにここまで近づけた何らかの手段を使って尾行をしていたという可能性も否定は出来ない。
「とにかく、向こうがどんな手段でここに俺達が……ボブがいると見つけたのかは分からないが、それでも注意するに越したことはない。まぁ、この場合はボブが問題なんだけど」
「ねぇ、ねぇ。レイ。いっそのこと、ボブを妖精郷に連れていかない?」
「……はぁ? 何でそんな風になる?」
不意にニールセンの口から出た言葉は、レイにとっても完全に予想外のものだった。
当然だろう。妖精郷の存在は、そう簡単に人に教えていいものではないのだ。
また、本人は冗談だと言っていたが、妖精を食べるといったようなことも言っていた。
そして何よりも、先程襲ってきた者達は離れていても正確にボブのいる場所を探知出来るように見えた。
それはつまり、もしボブが妖精郷にいた場合、先程の敵も妖精郷に来ることが出来るかもしれないということを意味している。
(妖精郷の周囲を守っている霧があれば、敵に対処出来るか? 敵が霧で迷っている間に妖精郷を守っている狼達が攻撃をすれば、すぐに排除出来る可能性が……いや、セトに気が付かれずにここまでやって来たことを考えると、狼があの連中に気が付くのは無理があるかもしれないな)
妖精郷を守っている狼は、モンスターでも何でもない普通の狼だ。
それだけに、純粋な能力としては一般的なモンスターには劣る。
しかし、それでも霧の中で行動することが出来るようになっているだけに、妖精郷に侵入してきた相手と戦うという点ではかなり有利なのも事実。
だが……そんな狼であっても、セトすら欺くマジックアイテムかスキルに対抗出来るかと言われれば、レイは無理だろうと断言出来た。
「ボブだけならともかく、妖精郷にあの連中が来るかもしれないと思えば、長に怒られるんじゃないか?」
「っ!?」
ビクリ、と。
レイの言葉を聞いたニールセンは、その動きを止める。
もし長に怒られるような事になったら、どうなるのか。
それはニールセンにとっても、とてもではないが体験したいとは思わなかった。
妖精として新たな力に目覚めたニールセンだったが、それでも心の中には長に逆らってはいけないという思いがあった。
あるいは、それは新たに力に目覚めた程度では長に勝つことは出来ないと判断しているのかもしれないが。
「その……ボブを連れていくかどうかは、ちょっと考えさせて。長がいいって言えば、連れていってもいいと思うけど。妖精郷の中なら、あの連中が入ってくることも難しいと思うし」
「いや、あの連中がどうやってボブを見つけたのかは分からない以上、妖精郷に入ってくる可能性も否定はできないんじゃないか?」
「それは……どうかしら。その辺は長に聞けば分かると思うわ!」
ニールセンは自分では判断出来ないと考え、長に丸投げすることにする。
もっとも、自分の勝手な意見でボブを妖精郷に連れていき、それが理由で何らかの問題が起きた場合は長にどんな目に遭わされるかといったことを考えれば、当然なのかもしれないが。
「けど、何だって急にニールセンはボブを妖精郷に連れていこうなんて思ったんだ?」
それは、レイにとって純粋な疑問。
ニールセンとボブは会ったばかりで特に面識がある訳でもない。
それを抜きにしても、ボブは妖精を食べるといったようなことを口にしたように、色々と危険そうなところがあるのも事実なのだ。
レイの目からは、実際にはボブはそこまで怪しいようには思えない。
殺意や敵意、あるいは悪意といったものがボブの言動からは感じられないというのが大きい。
だが、それはあくまでもレイの感想だ。
妖精から見て、ボブが問題ないと判断されるかどうかは……正直なところ、分からない。
そうなったらそうなったで、また何か別の方法を考えればいいだろうと、そんな風にレイは思っていたが。
「そもそも、ボブの意見はどうなんだ? ニールセンが妖精郷に連れていきたいと言っても、ボブがそれに反対なら、無理に連れていく訳にはいかないだろ?」
「え? 僕ですか? 勿論、妖精郷なんて場所に行けるなら行ってみたいですよ」
レイの言葉を聞いたボブは、即座にそう言う。
ボブにしてみれば、妖精郷というのはお伽噺で聞いたことはあっても、自分が直接行けるような場所だとは思っていなかったのだ。
そのような場所に行けるかもしれないと言われれば、当然のように自分もそこに行ってみたいと思う。
元々ボブは旅をして猟師をするといった暮らしをしていたように、色々な場所に行ってみたいという性格をしている。
そうである以上、このような絶好のチャンスを逃す筈もない。
……ボブの中では、既に先程襲撃してきた相手を恨むような気持ちはない。
それどころか、自分が妖精郷にいけるかもしれないと思えば、感謝をしてもいいくらいだ。
ボブを殺そうと思ってやって来た襲撃者がそれを聞けば、一体どう思うのかといったことは別にして。
「そもそもだ。ボブを妖精郷に連れていくとなると……どうするつもりだ?」
「え?」
レイが何を言ってるのか理解出来ないといった様子を見せるニールセン。
ニールセンは普通にレイと共にセトの背に乗って移動しているので、レイの言っているのかの意味が理解出来なかったのだろう。
「言っておくが、ボブはセトには乗れないぞ」
「そうなの?」
「そうなんだよ。基本的にセトの背に乗ることが出来るのは、俺以外は子供くらいだ。セトの前足にぶら下がって移動するといった手段はあるけど。……ああ、他にセト篭というのもあるな」
「セト篭ですか? それは一体なんです?」
レイとニールセンの会話を聞いていたボブが、セト篭という単語に興味を持ったのかそう尋ねてくる。
好奇心に輝いている目を見れば、そこに興味を持つなという方が無理なのだろう。
失敗したか?
少しだけそんな風に思ったレイだったが、別にセト篭についてどういう物なのかを話しても問題はないだろうと考え、口を開く。
「セト篭というのは、その名の通りセトが持つ篭だ。その篭の中に入っていれば、セトの足に掴まって飛ぶといったような真似をしなくても普通に移動出来る」
「……なるほど。それは便利そうですね」
好奇心の強いボブにとっても、セトの足に掴まって移動するといったような真似はやってみたくないのだろう。
しかし、それに対応するようにセト篭というのがあると言われれば、それを嬉しく思うなという方が無理だった。
(あ、もしかしてニールセンがボブを気に入ったのは、自分と同じように好奇心が強いというのを感じたからか?)
妖精というのは、その多くが好奇心が強い。
勿論好奇心の強さには個体差もあるのだが、ニールセンはレイが知ってる限りでもかなり好奇心が強い個体だった。
そんなニールセンだけに、同じく好奇心の強いボブを自分の仲間と認識して気に入ったのではないかと思ったのだ。
……とはいえ、そのボブはニールセンを相手に食べるといったようなことを口にしていたのだが。
ボブはそういう言い伝えを聞いたことがあるといったように言っていたものの、それが真実なのかは、生憎とレイには分からない。
しかし、それでもニールセンがボブを気に入ったのは間違いのない事実。
今の状況を思えば、その言葉には取りあえず聞いておいた方がいいだろうと思っておく。
「取りあえず、セト篭を使えばボブを妖精郷に……いや、その前にトレントの森の方にするべきか? そこまで連れていけるのは間違いないな」
「グルルルゥ?」
そんなレイの呟きに、不意にセトが喉を鳴らす。
最初はセトが一体何を言いたいのか分からなかったレイだったが、少し考えて納得する。
「ああ、なるほど。守るというだけなら、生誕の塔にいるところにボブを置いていけばいいのか」
生誕の塔と湖のある場所は、現在領主のダスカーからの許可がある者しか近づけなくなっている。
そしてそこにいる冒険者達も、増築工事の為に増えた冒険者ではなく、その前……実力のある冒険者が集まっていた時からギルムで活動していた冒険者、それも素行に問題がないとギルドに保証されている者達だけが、護衛として生誕の塔の側にいる。
実力があり、信頼出来る者達が揃っているのだが。
また、それ以外にも異世界からリザードマン達が戦力として数えられる。
そのような場所だけに、ボブを匿うには最善だろう。
……そう考えたレイだったが、すぐに首を横に振って否定する。
何しろボブを襲ってきた者達は、セトに気が付かれずにすぐ近くまでやって来たのだ。
生誕の塔の周辺には腕利きの冒険者が集まってはいるが、だからといってセトの五感や第六感、魔力を感じる能力を上回っている者がいるとは、レイには思えない。
「ちょっと、レイさん!? 僕は妖精郷に行けるんじゃないんですか!?」
レイの呟きから、もしかしたら自分は妖精郷ではなく別の場所に連れていかれるのでは? と疑問を抱いた様子のボブが、必死になって言う。
好奇心の強いボブだけに、出来れば妖精郷に行きたいと思ったのだろう。
レイにとってもそれは十分に理解出来る。
実際妖精郷は、恐らくボブの好奇心を満たすという意味ではかなりいい場所なのだから。
「安心しろ。最初は別の場所に連れて行こうかと思ったけど、向こうがセトですら察知が難しい方法で気配とか姿を消してるのを思えば、そっちに連れていっても意味はないと思う。それに……ダスカー様の許可がないまま連れていくのもなんだしな」
レイはダスカーに頼られているので、そのくらいのことはしても問題ないと思う。
だが同時に、どうしようもないのであればまだしも、今の状況でわざわざそんな真似をする必要がないと思うのも、また事実だった。
……もっとも、それを言うのなら妖精郷は生誕の塔や湖よりも機密度の高い存在なのだが。
ただ、こちらに関してはニールセンがボブのことを気に入って連れていってもいいと思っているのであって、レイが連れていこうとしている訳ではない。
そうである以上、この件については幾らでも誤魔化せる自信がレイにはあった。
「そうですか、よかったです。……けど、そのダスカー様というのはどなたです? レイさん程の人が様付けで呼ぶなんて」
「ギルム……は旅をしてるんだし、知ってるよな?」
「ええ、はい。ミレアーナ王国に唯一存在する辺境ですよね? 一度行ってみたいとは思ってましたが、僕の腕だと難しそうですし。ただ、今は増築工事をしていてかなり楽に移動出来るという話を聞いています。機会があったら、行ってみたいと思っていました」
「そうか。ダスカー様というのは、ギルムの領主だよ。一応かなり有名人なんだが……本当に知らないのか?」
ミレアーナ王国唯一の辺境を治める領主にして、三大派閥の一つ中立派を率いている人物。
それ以外にも猛将としての顔を持ち、戦場では真っ先に敵に突っ込んでいく。
そんな存在だけに非常に有名である。
そう思ったレイだったが、それはあくまでもレイだからこそそのように思うのであって、実際そこまで接触する機会のない一般人にしてみれば、近くに住む者でもなければ……あるいは吟遊詩人で歌われるような者でもなければ、分からないのは当然の話だった。