2928話
レイはボブから猟師としての話を聞いたので、次に約束通りレイが冒険者としての話をする。
ボブは意外に聞き上手で、レイの話を聞いては驚き、笑い、悲しみ、怒る。
そうして気が付けば、このエルジィンにおいては既に真夜中と呼ぶべき時間になっていた。
「さて、時間も時間だ。そろそろお開きだな。俺はマジックテントで寝るよ。ボブは……そうだな、一応これを使っておけ」
そう言いながら、レイがミスティリングから取り出したのは厚めの布。
今はもう秋だ。
日中はそれなりに暖かい……場合によっては暑い日もあるが、それでも夜と朝は寒い。
焚き火のある場所で寝るとはいえ、当然ながら寒いと思うこともあるかもしれなかった。
ボブはマントを着ているので、その辺の心配はあまりいらなさそうだったが、それでも念の為ということでその布を渡す。
「ありがとうございます。レイさん」
布があれば、寒い時は便利だと思ったのだろう。ボブが嬉しそうに感謝の言葉を口にする。
レイはそんなボブに軽く手を振り、マジックテントに戻っていく。
「じゃーねー。また明日会いましょう」
ニールセンもボブに言葉を掛けるとレイを追ってマジックテントの中に入る。
そんな二人を見ていたボブだったが、自分一人になると……いや、正確にはセトもいるので一人と一匹になると、セトの方に近付いていく。
「セト、じゃあ僕は一晩ここで世話になるので、よろしくお願いしますね」
「グルゥ」
ボブのその言葉にセトが小さく喉を鳴らすと、ボブは少しだけ驚いた様子を見せたものの、それでもすぐに笑みを浮かべる。
最初……焚き火の明かりに導かれてここにやってきた時は、セトの存在に驚いて悲鳴を上げた。
しかしレイやニールセンと話をして、セトとも多少ながら触れ合った結果、ボブにとってセトは完全に心を許した訳ではないものの、それでも多少なりとも安心出来るようになったのは間違いない。
だからこそ、寝る前にボブは一応何かがあった時の為にこうしてセトに挨拶をしていた。
そして挨拶は十分だと思ったのか、ボブはセトから離れて焚き火の側まで移動する。
いつもであれば、焚き火の世話――木を追加したり、燃えすぎないように調整したり――はセトが行っているのだが、今夜はボブがやるらしい。
ボブにしてみればまさかセトが焚き火の世話をしているとは思っていないので、自分がその世話をしなければならないと思っているのだが。
この辺はレイが焚き火の世話についてボブに話していなかったのが原因だった。
もっとも、セトが焚き火の世話をすれば、ボブもそんな状況については理解出来ただろうが。
ともあれ、ボブは疲れを癒やすべく眠りに就くのだった。
レイ達が野営をしている川から、かなり離れた場所。
そこには現在数人の男達の姿があった。
「どうだ?」
夜の暗闇の中に男の声が響く。
その声を聞いた他の男は、目を瞑った状態で頷く。
「どうやら眠ったらしい。少なくても目を開けてはいない」
「そうか。だが……一人だと思っていたんだがな。一体何がどうなった? もしかして最初からここで合流するつもりだったのか?」
「それを俺に言われても分かる訳がないだろ。ただ……そうだな。奴と一緒にいるのはグリフォンだ。そして冒険者が一人。……後は妖精」
「妖精か。正直なところ、こんな場所で見つけられるとは思わなかった。妖精の心臓が一番見つけるのが難しいと思っていたんだが。これはやっぱり俺達には運が向いてきたってことじゃないか?」
最初に話していたのとは別の人物が、そう告げる。
だが、その言葉を聞いた他の男達……最初に話していた二人だけではなく、それ以外の男達もそんな男の言葉に呆れの視線を向ける。
「お前、本気か? いや、正気で言ってるのか? グリフォンを従魔にしてる奴だぞ? それが誰なのかなんて、考えなくても明らかだろうに。深紅の異名を持つ連中に戦いを挑む気か?」
「俺だって別に深紅と正面から戦おうなんてつもりはないさ。けど、深紅と戦うのと妖精の心臓を奪うのは話が別だろ? 俺達だったら何とか出来るって。それに……何とか出来るというか、何とかしないといけないのはお前も分かってる筈だ」
「ぐ……それは……」
そう、妖精の心臓を奪うと言った男の言葉は、決して間違ってはいないのだ。
それこそ自分達の役目を考えれば、ボブを殺すよりも妖精の心臓を奪う方を優先してもおかしくはないくらいには。
「お前の言いたいことも分かるけど、あの妖精は深紅と一緒に行動してるんだぞ? そんな中で妖精をどうにか出来ると思ってるのか?」
「そうだよな。深紅ってのは、以前ベスティア帝国と戦争をした時、一人で敵を倒したんだろ? その後のベスティア帝国の内乱でも、深紅一人で敵を倒したって話だ。幾ら何でも、俺達が戦ってどうにか出来る相手じゃない」
その言葉に、他の男達も同意するように頷く。
実際にはベスティア帝国との戦争や内乱においても、別にレイ一人の力でどうにかした訳ではない。
しかし、噂というのは広がるにつれて大袈裟になっていくのが常だ。
ゴブリン一匹を倒したという噂が、ゴブリン五匹を、十匹を、群れを、ゴブリンの上位種を、ゴブリンの軍勢を倒したというように。
そういう意味では、レイの噂の場合は最初からとんでもないものだったこともあって、そこまで極端に大きくはならなかった。ならなかったが、それでも今のように一人でベスティア帝国軍を倒したり、内乱を終わらせたといったような噂になってしまっている。
ましてや、今のレイやセトならその噂のような行為を出来てしまうだけの力を持っているのが、尚更質が悪かった。
「とにかく、妖精よりも今はボブだ。いつまでも深紅と一緒に行動するとは思えない。だとすれば、明日の朝……もしくは数日くらいで別れる筈だ」
それは予想というよりも、希望的観測に等しい。
とはいえ、男達の知る限りではボブとレイの間に面識はない。
男達が知ることが出来るのは、あくまでもボブの目が見た景色だけで、言葉を聞き取れる訳ではない。
それでも何の手掛かりがないよりは、比べものにならないくらいにマシなのは事実。
そんな男達にとって、ボブとレイが一緒に行動するというのは出来る限り避けて欲しい流れだった。
ボブだけなら、それこそどうとでも出来るという自信がある。
ボブは猟師だけあって弓の腕はそれなりに高い。
どこか一ヶ所に留まって猟をするのではなく、旅をしながら猟をしているのだから、相応の技量がなければとてもではないがやっていけない。
そういう意味では、ボブが旅をしながら猟をするといったことをしているだけで、その技量が保証されている形だった。
……もっとも、旅をしながら猟をするという真似をしていたおかげで、このような者達に狙われることになってしまったのだが。
「で、どうする? 幾ら深紅の異名を持つ奴だって、寝ている時は無防備だろ。俺達ならあのテントの中に忍び込むことが出来るだろうし、そうなれば異名持ちの冒険者を殺したってことで、上から褒めて貰えるんじゃないか?」
先程から妖精の……ニールセンの心臓を奪おうと言ってる男のその言葉は、周辺にいた者達に大きな影響を与える。
上から褒められるということは、男達にとってそれだけ大きな意味があるということなのだろう。
「分かった、やろう。だが、それでも最優先はボブの命だ。あいつに見られた以上は何としても殺す必要がある」
「妖精の心臓を優先した方がいいと思うけどな。そもそもの話、あのボブってのは自分が見たのが何なのか全く理解してないんだろ? なら、俺達がこうして追ってきているのを知れば、自分が見た何かがこんな風になってる原因だと気が付くかもしれないぜ?」
「それは……だが、上からの指示は間違いなくボブを殺せというものだ。今はいいが、後で何かの拍子に自分の見た光景の意味を知ったら、どうなると思う? その時になってから慌てても、遅いんだぞ?」
「それは……まぁ……」
ボブを殺すよりも妖精の心臓を重要視している男も、そう言われればすぐに反論は出来なかった。
実際にそのようなことになったら面倒なことになると理解は出来ているのだろう。
「なら、ボブが最優先の対象ということでいいな?」
集団の中の一人……この集団を率いているのだろう男の言葉に、それを聞いていた者達は全員が頷く。
妖精の心臓を狙おうと言っていた男も、リーダーの言葉には逆らう気がないのか、不満を口にはしない。
リーダーはそれを見て頷くと、すぐに自分達がどうやってボブを殺し……そしてあわよくば妖精の心臓を手に入れ、深紅も殺すのかという方法を考える。
とはいえ、その考えはすぐに決まった。
こういう時に自分達がやるべき事は決まっているのだから。
「いつものように、俺達はこれから盗賊だ。盗賊である以上は、野営をしている獲物を見つけたら襲撃するのはおかしくないな。特に見張りとして一人でテントの外にいるような奴は真っ先に狙われてもおかしくはない」
その言葉に、話を聞いていた者たちは揃って頷く。
特に戸惑ったりしている者がいないのは、これまでにも同じようなことを何度も繰り返してきたからか。
この男達のような者にしてみれば、盗賊というのは非常に都合がいい。
何しろこの世界には盗賊という存在がありふれているのだ。
そうである以上、敵や邪魔者を襲うといったような真似をした場合、それは当然ながら盗賊の仕業となる。
……勿論、そのような真似をして襲った相手に逆襲され、やられるという可能性もある。
そして負けた場合には生け捕りにされるという可能性も否定は出来なかった。
だが、それでも男達の正体が今まで知られたことはない。
あるいはもしかしたら何らかの理由で正体が知られるようなこともあったのかもしれないが、少なくてもここにいる男達はそのようなことになったということを知らない。
「各自、武器はいいな?」
リーダーの言葉に、その場にいる皆が頷く。
そうして頷いた全員の手には、短剣が握られていた。
それを確認したリーダーは、一応ということで仲間の一人に視線を向ける。
「最後の確認だ。ボブの視界を見てくれ。実はまだ起きているということはないか?」
リーダーに視線を向けられた男は頷き、再び目を瞑る。
そして数秒が経過して目を開くと、問題はないと頷く。
「ボブは間違いなく眠っている。当然だが、俺との間にある視界の繋がりに気が付いた様子はない。……普通に考えて、まさか自分の視界が俺と繋がっているといったようなことを理解出来る筈もないからな」
その言葉には、皆が納得の様子を浮かべる。
視界が繋がるというのは、普通に考えて有り得ないようなことだ。
そうである以上、それに気が付くといったようなことはまずない。
あるいはボブが魔法的な感覚が鋭いのなら、それに気が付く……といったようなこともあるかもしれないが、ボブはあくまでも猟師でしかなく、魔法的な才能はない。
ましてや、これは人が仕掛けた魔法やスキルではないのだから、そう簡単に相手に気が付かれる心配はしなくてもよかった。
「よし、では行くぞ。ボブの殺害を最優先に。次いで余裕があるのなら妖精の心臓、そして深紅の殺害だ。ただし、深紅の従魔のグリフォンには気を付けろ。ランクAモンスターだという話だから、俺達には理解出来ない力を持っている可能性も否定出来ない」
実際にはセトはグリフォンの希少種という扱いで、ランクS相当のモンスターとギルドでは認識されている。
しかし別にそれは公表している訳ではないので、男達にとってはランクAモンスターであると認識されているのだろう。
もっとも、ランクAモンスターというだけで普通なら自分から敵対するような真似をしようとは思わない。
それでも男達が自分達を盗賊だと偽りながら行動したのには、当然だが理由があった。
リーダーが懐から蝋燭を一本取り出す。
これは、マジックアイテム……それも見た目はただの蝋燭でしかないが、実際にはこの蝋燭に火を点けている間は、自分達の存在を認識されにくくなるという効果を持つ、使う者が使えば非常に危険なマジックアイテムだった。
このマジックアイテムがあるからこそ、男達はセトやレイを敵に回しても自分達ならどうにかなると、そう思ったのだ。
とはいえ、認識阻害の効果を持つ蝋燭があるだけでどうとでも出来る訳ではなく……当然ながら、真剣な表情で、少しでも相手に気が付かれないようにしながら、一行はレイ達のいる場所に向かうのだった。