2922話
「えっと、あれ? ねぇ、レイ。本当にもうその……大きなスモッグパンサーを倒したの?」
レイのデスサイズがあっさりとスモッグパンサーの統率個体の首を切断したのを見たニールセンは、理解出来ないといった様子でそう尋ねる。
とはいえ、今の一連の流れを疑問に思っているのはニールセンだけではない。
寧ろ実際に統率個体を殺したレイの方が、予想外の展開に驚いていた。
「ああ、どうやら倒したみたいだ。……元々個としての能力は弱かったのか、それともさっきニールセンが放った光でモンスターの力を弱めたのか。正直なところ、どっちが正解なのかは俺にも分からない。ニールセンはどうだ? さっきの光で何か分かることはないか?」
「え? うーん、そうね……」
レイの言葉に少し考えたニールセンは、不意に光を放つ。
先程同様に、ニールセンの指さした方向に飛んでいく光。
「……随分と簡単に出せるようになったんだな」
「あ、うん。何だか一回使ったら出来るようになったみたい」
「一回使ったらって……それはまた……」
ニールセンの説明を聞いたレイが思い浮かべたのは、自転車だ。
小学生の時に自転車を乗る訓練をした時のこと。
最初は自転車に乗れず、親に後を押さえて貰っていた。
しかし一度自転車に乗れるようになると、今までの経験は一体何だったのかといったように思える程、自由に自転車を乗りこなせるようになる。
冬になって長期間自転車に乗らないでいて、春になってから自転車に乗るようになっても普通に乗れていた。
それこそ数年自転車に乗ってなくても、一度自転車に乗るというのを理解していれば普通に乗れるだろう。
それはニールセンが口にした、先程の光についてもまた同様だったらしい。
一度使えるようになり、実際に二回目に光を放ったのを見れば、そんなニールセンの言葉には納得出来るものがある。
「ふふん、凄いでしょ」
「いやまぁ、凄いか凄くないかと言われれば、素直に凄いと言うが。……ニールセンがその力を使えるようになるまで頑張って守ったのは俺だっていうのも出来れば忘れないで欲しいな」
「分かってるわよ。レイのおかげでこの力が使えるようになったのは間違いないんだし。感謝してるわ」
そう言ってくるニールセンだったが、レイから見ればその軽い様子で感謝の言葉を口にする様子は、本当に自分に心の底から感謝しているようには思えない。
とはいえ、今の自分たちの状況を思えば、ニールセンと言い合いをしているような余裕はないが。
「グルルルゥ!」
セトの鳴き声に、レイはそちらに視線を向ける。
するとそこでは、通常種のスモッグパンサーが全てセトによって倒されていた。
レイにとって幸いだったのは、ニールセンの力によって統率個体が物質化したことだろう。
それによって、通常種のスモッグパンサーもまた霧の状態から物質化してしまった。
結果として、それによって殺されたスモッグパンサーは魔石に傷がついていない。
レイとしてはスモッグパンサーの魔石は傷によって長に引き取って貰えなかったらギルドや商人に売るか、あるいはミスティリングに死蔵でもしておけばいいかと思っていた。
しかし、普通に引き取って貰えるのならそちらの方がいいのも事実。
霧となっている状態で攻撃をすれば、スモッグパンサーの全体に満遍なくダメージがあるものの、こうして物質化した状態で攻撃をすれば、魔石にダメージを与えないままに倒すことが可能だった。
「さて、スモッグパンサーは……取りあえずこっちの統率個体だけは解体しておきたいな」
レイにとっては、寧ろその辺に大量に転がっている通常種のスモッグパンサーの死体よりも、統率個体の死体の方が重要だった。
(問題なのは、この統率個体の死体をデスサイズとセトのどっちが使うかだよな。……セトだな)
考えたのは一瞬だけ。
レイはすぐに魔石を使うのはセトだと決める。
デスサイズのスキル以外にも黄昏の槍や魔法といったように多彩な攻撃手段があるものの、セトにはスキル以外は物理攻撃くらいだからだ。
セトの場合は、そのスキルがデスサイズよりも多彩なのだが。
また、セトはまだ蜘蛛の魔石を使っていない。
二匹目の蜘蛛を見つけていない以上、当然の話だろう。
それに対して、デスサイズは蜘蛛と鹿の両方の魔石を使っている。
であれば、やはり目の前に存在する統率個体……結局それが上位種か希少種のどちらかは分からなかったが、そのモンスターの魔石はセトに使った方がいいと判断する。
(それに、習得するスキルは多分霧系だ。既に霧のスキルを習得しているセトなら、それが強化される可能性が高い)
セトがどんなスキルを習得するのか、あるいは強化されるのかを考えつつ、レイは地面に転がっていたスモッグパンサーの死体を次々にミスティリングに収納していく。
「ニールセン、スモッグパンサーのボスと思しき統率個体も倒したし、通常のスモッグパンサーもかなりの数を倒した。妖精郷に持って帰る魔石の量は、もう十分じゃないか?」
「そうね。これだけあれば長も不満はないと思うわ。寧ろかなり喜ぶかも」
ニールセンもこれだけのスモッグパンサーの魔石があれば、長からは何も言われないだろうと安堵した様子を見せる。
それだけではなく、ニールセンは今回の一件で新たな力を手にした。
「結局あの光を出す力は何だったんだ? 妖精の力なんだよな? てっきり長がお前に何かしたんだと思ってたけど」
「そうね。それも間違いじゃないわ。長が私の中にある力を刺激して、目覚めやすくしたのは間違いないもの。そういう意味では長のおかげなんでしょうけど……とはいえ、あの力で具体的にどういうことが出来るのかどうかはまだ分からないわ。その辺はもう少し確認してみないと」
「そうか」
自分の持っている能力が具体的にどのような効果を発揮するのかを確認する。
それはレイにとっても十分に理解出来ることだった。
魔獣術で新たなスキルを習得したり、スキルが強化された時はいつも自分やセトも確認してるのだから。
とはいえ、毒の爪のように迂闊に試すことが出来ないようなスキルもあるが。
何しろ毒の爪はその名の通り相手に毒を与えるスキルだ。
その上、現在のセトの毒の爪のレベルは七と最高レベルとなる。
魔獣術のスキルはレベル五以上になると、別物ではないかと思えるくらいに強化される。
毒の爪もその例外ではないだろう。
だからこそ、迂闊に使うような真似は出来なかった。
(あ、でもゴブリンとかなら幾ら死んでも魔石とかが必要ないし……いや、でもゴブリンだと弱すぎて、毒の爪が具体的にどれだけの威力を持ってるのかの確認が出来ないか)
毒の爪の効果を確認する為には、素材や魔石を必要としないような敵、それでいてある程度の強さを持った敵が必要となる。
「レイ、どうしたの?」
「ん? ああ。もうこの森にいなくてもいいけど、結局蜘蛛をもう一匹見つけることが出来なかったと思って」
「ああ、そういうことね。魔石を集めてるって言ってたっけ。……でも、蜘蛛の魔石を一個入手出来ただけでもよかったんじゃない?」
一個も魔石を入手できなかったよりはよかったのではないか。
そう聞いてくるニールセンに、レイはまだ若干不満そうな様子ではあったが、頷く。
「そうだな。一個も魔石を入手できなかったよりは、取りあえず一個は入手出来たのは嬉しいと思う。思うんだが……それでも、やっぱり魔石を集めている者としては蜘蛛の魔石が欲しかったんだよな。あるいは、蜘蛛、鹿、トカゲ、スモッグパンサー以外の他のモンスターの魔石も」
これだけ広い森だ。
当然だが、森の中に棲息しているモンスターの種類がこれだけということはないだろう。
恐らくレイやセトは見つけることが出来なかったものの、他にも多数のモンスターが棲息している筈だった。
レイとしては出来ればそれらのモンスターを多数見つけて魔石を入手したいと思うものの、今の状況ではそんなことを考えても意味がないのは間違いない。
勿論、探すといったような真似をすれば、無駄に時間が掛かってしまうだろう。
それどころか、一度未知のモンスターを探すといったような真似をすれば、いつまでもこの森から離れることが出来なくなる。
(あ、でも時間を潰すという意味ではそんなに悪い話じゃないのか?)
レイがここにいるのは、クリスタルドラゴンの一件でギルムに戻れないから、そしてエグジニスも騒動の後始末で色々と忙しいから……だからこそ、妖精郷に避難してきたという一面がある。
そういう意味では、この森で時間を潰すというのは悪い話ではない。
「なぁ、ニールセン。せっかくこういう森に来たんだし、どうせならもう少しゆっくりとしていかないか? もしかしたら、もっと面白いのを見ることが出来るかもしれないし」
「は? いきなり何を言ってるのよ? 目的のスモッグパンサーの魔石はたっぷりと入手したんだから、わざわざこの森に残る必要はないでしょ? それに、長に私が新たな力を入手したと教えてあげないと」
あるいは、これが普段であればニールセンもレイの言葉にあっさりと乗ったかもしれない。
しかし、新たな力を手に入れたニールセンは、それを早く長に教えたかった。
……それだけではなく、他の妖精達に見せびらかしたいという思いもあったのだが。
とにかく、ニールセンとしてはこのまま森にいる必要はないと判断していた。
(うーん、この様子だとニールセンを森に残すのは無理か? なら、ニールセンだけを先に帰らせるとか? それはそれで、色々と問題が起きそうなだよな。それこそどこか途中の村とかに寄って悪戯をしたりとか)
新たに目覚めた力を長に知らせたいと言っているものの、実際に村の近くを通った時に悪戯の衝動に耐えられるか。
そう考えれば、普段のニールセンの様子を知っているだけに、とてもではないが信じるような真似は出来なかった。
「仕方ない、帰るか」
結局レイが選んだのは、妖精郷に帰るという選択肢。
もしここでニールセンだけを帰した場合、それこそニールセンが妖精郷に無事に到着できるかどうか分からない。
あるいは寄り道に寄り道を重ねて、最終的に妖精郷に到着するのが数年後……といったようなことになっても、レイは特に驚きはしなかった。
だからこそ、レイはニールセンをこのまま放っておく訳にもいかずに帰ることにしたのだ。
長にはレイも色々と世話になっている。
霧の音というマジックアイテムを作って貰うのだから、ここで下手に機嫌を損ねる訳にいかないのも事実。
もしここでレイが長の機嫌を損ねるような真似をした場合、長の性格から考えてマジックアイテムを作らないといったようなことはないだろう。
だが、レイの為にと考えて作るのと、取りあえず作っておけばいいと考えながら作るのでは、当然だが完成度に差が出て来る。
だからこそレイは、長の機嫌を損ねるような真似はしたくなかった。
「帰る気になったのね。じゃあ、早速行きましょう。セトの速度なら、ここから妖精郷までそんなに時間は掛からないわよね?」
ニールセンはレイの帰るという言葉を聞き、そんな風に言ってくる。
実際にこの森まで来るのにあまり時間は掛かっていない。
それを知ってるからこその言葉だった。
……勿論、それはレイやセトが道に迷ったりしなければの話だが。
「そうだな。それと盗賊とかが出て来ないなら」
今は少し急いでいるのは間違いないものの、盗賊を見つけた場合、レイとしてはそれは放っておくような真似は出来ない。
とはいえ、それは別に正義感からではなく盗賊狩りを趣味としている身としての話だが。
「盗賊? そんな連中が出て来たら、私が一発で倒してあげるわ!」
ニールセンはやる気満々といった様子で、そう叫ぶ。
レイにとってはそんなニールセンの反応が少し不思議だった。
盗賊狩りの自分はともかく、ニールセンにしてみれば盗賊というのは縁遠い存在だ。
なのに、何故ニールセンまでもが盗賊狩りをここまでやる気になっているのか。
それを疑問に思うなという方が無理だろう。
「ニールセン、お前そんなに盗賊が嫌いだったのか? いやまぁ、盗賊が好きって奴はあまり見たことがないけど」
「ギルムにいる時に、色々と話を聞く機会があったのよ」
そう言われると、レイも納得は出来た。
だが、ニールセンは基本的に自分と一緒に行動していた筈であり、どこに盗賊の話を聞くような余裕があったのだ? と、若干疑問に思う。
とはいえ、今の状況を思えばそこは特に突っ込む必要もなく……取りあえずこのまま森を去るということに決まるのだった。