2919話
「ちぃっ、魔力を込めたデスサイズならいけるかと思ったんだけどな」
白い濃霧の中、デスサイズを振るったレイは自分が予想していたようにいかなかったことに不満を漏らす。
敵がスモッグパンサーの上位種か希少種である以上、そう簡単に倒せる訳がないというのは理解していた。
それでも多少のダメージは与えることが出来ると予想していたのだが、その予想が完全に外された形だ。
「グルルルルゥ!」
セトの鳴き声が聞こえ、何かが地面や木に刺さる音がレイの耳に聞こえてくる。
セトが何らかのスキルを使ったのは間違いないのだが、それが具体的にどのようなスキルなのかというのも、生憎とレイには分からない。
ただ、今の状況を思えばそんなセトのスキルがそれなりに危険だというのは理解出来た。
レイであれば、例えセトがどんなスキルを使ってきても、それに反応して回避出来るだろう。
だが、ニールセンの隠れている木にセトのスキルが命中したらどうなるか。
それどころか、ニールセンが木の外にいたらどうするのか。
レイはニールセンに対して木の中にいろと指示を出したし、ニールセンもそれを了承している。
しかしニールセンの性格を考えた場合、好奇心から木の外に出てもおかしくはない。……寧ろレイとしてはそんなニールセンの行動に納得すら出来るだろう。
だが、そうして木の外に出て飛んでいるニールセンに霧の中でセトがスキルを使い、それが飛んでいけばどうなるか。
レイにはニールセンがそんなセトのスキルを回避出来るとは思えない。
……あるいは妖精の輪を使った転移でどうにか出来る可能性もない訳ではなかったが、霧の中から突然現れる氷や水球、風……それ以外にも様々な攻撃を即座に妖精の輪の転移で回避出来るかどうかは微妙だろう。
だからこそ、遠距離攻撃のスキルをこの状況で使うのは難しかった。
とはいえ、それはセトだけではなくレイも同様なのだが。
「セト、遠距離攻撃用のスキルは出来るだけ使わないようにしろ。同士討ちする可能性が高い!」
白い霧の中にいるセトにそう声を掛け……するとそんなレイの言葉に反応したように、再び霧が巨大な……それこそレイを一口で飲み込めるような大きさの口となり、噛みついてくる。
「はぁっ!」
レイも当然だがそんな相手の好きにはさせまいと、デスサイズを使って霧の口に一撃を放ち……その霧の口はデスサイズの一撃によってあっさりと霧散する。
「は?」
先程は巨大な岩を噛み砕くような威力の噛みつきを行ってきた相手だ。
そうである以上、ここで自分が攻撃をしても相応の衝撃があるのだとばかり思っていた。
だというのに、全く何の手応えもなく霧の口が霧散したことに、レイの口からは理解出来ないといった疑問に満ちた声が漏れる。
(何で今の状況でこっちに衝撃が来ない? いや、もしかしたらデスサイズの重量の問題で衝撃がなかったとか?)
レイが軽々と持っているデスサイズだが、実際にはその重量は百kg程もある。
もし普通の者がデスサイズを持とうとした場合、それこそ持てなくて地面に落とす……だけならまだしも、骨の一本や二本が折れてもおかしくはない、
レイがそんなデスサイズを容易に持てるのは、ゼパイル一門によって作られた身体の身体能力……という訳ではなく、デスサイズが魔獣術によって生み出された物だから。
だからこそ、レイだけではなくデスサイズと同様に魔獣術で生み出されたセトくらいしかデスサイズを自由に持ったりといった真似は出来ない。
(けど、重量がそこまでないってのはちょっと考えられない。それなら岩を噛み砕くといった真似だって出来なかった筈だ)
そんな疑問を抱くレイだったが、それでも周囲の気配を窺っており……再び霧が動いたと思った瞬間、デスサイズの一撃を振るう。
しかし、デスサイズを振るって鋭い……それこそ人は容易に引き裂けるだけの長さを持った爪を持つ前足を霧にして散らしたと思いきや、同時に背後で霧が動く気配を感じ、デスサイズではなく、もう片方の手で持っていた黄昏の槍で突く。
レイの隙を突こうとしていたそちらもまた、黄昏の槍によって貫かれ、霧散する。
(デスサイズだけじゃなくて、黄昏の槍でも同じか。それに、何となく分かってきた)
レイは自分が白い濃霧の中……それこそ、スモッグパンサーの上位種か希少種かは分からないが、とにかくそのような相手の内側にいるのだと理解する。
同時に、その霧が物質化する際の霧の動きを何となく理解出来るようになっていた。
これはレイの身体の能力というよりは、レイの戦闘勘とでも呼ぶべきものだ。
この世界に来てから、レイは多くの敵と戦ってきた。
それこそトラブルの女神に愛されているかのようなレイは、この世界にやって来た数年で普通の冒険者なら一生に一度経験するかどうかといったような戦いを、数え切れないくらいに経験してきたのだ。
それを思えば、このような白い濃霧の中での戦いで相手の行動の予兆を感じるといった程度は出来てもおかしくはないだろう。
(とはいえ、予兆を感じてもそれを潰すような真似しか出来ないのは痛いんだよな。物質化してないから、攻撃してもダメージは与えられずに霧が散るだけだし)
現在の状況を打破すべく考えていたレイは、ふと自分がニールセンの隠れている木の側までやってきているのを感じとり……その木を背に、セトに呼び掛ける。
「セト! ちょっと俺のいるところまで来てくれ!」
普通なら、数m先すら見えなくなっている白い濃霧の中で叫んでも、そう簡単にセトはその言葉通りの指示は出来ないだろう。
しかし、そこはセトだ。
グリフォンとしての高い能力や、レイとの魔力的な繋がりによってすぐにセトはレイのいる場所までやってくる。
「グルルルゥ?」
どうしたの? と喉を鳴らすセト。
すぐ隣にいるというのに、霧が邪魔でしっかりとセトの姿を見ることは出来ないが、それでもセトがそこにいると分かればやりやすい。
「これから多連斬を使う」
その言葉に、セトは納得した様子を見せる。
……また、木の中でレイの言葉を聞いていたニールセンも、そんなレイの言葉を聞いていた。
「ちょっと、いいの? あれってゴブリンの群れを肉片にした奴でしょ?」
レイの後ろからそうニールセンが顔だけだして言うと……
「グルゥ!」
まるでそんなニールセンの言葉に反対するように、セトが鋭い声を上げた。
しかし、実際にはセトがやったのはニールセンの言葉に不満を持って行動したといった訳ではなく、近くの霧が口となって自分に襲い掛かろうとしたのを察知して攻撃したのだ。
前足を振るう一撃は、あっさりと霧の口を霧散される。
「きゃっ!」
ニールセンはそんなセトの鳴き声に悲鳴を上げつつ木の中に顔を戻す。
普段ならここはそこまで気にするようなセトの鳴き声ではないのだが、今は状況が違う。
白い濃霧に覆われており、周囲の様子すらしっかり見ることが出来ない。
それだけにどこからともなく聞こえてきたセトの雄叫びに怖がるなというのが無理なのだろう。
「ニールセン、お前は木の中に引っ込んでろ。下手に顔を出していると攻撃に巻き込まれるぞ」
「グルルゥ」
レイとセトの様子に、ニールセンは大人しく木の中に引っ込む。
レイはそれを確認し、次にセトも自分のとなりにいるのを確認してからデスサイズを思い切り振るう。
「多連斬!」
最初の一撃で、白い濃霧そのものが斬り裂かれ、視界が晴れる。
同時にスキルが発動し……周囲に今レイが放ったのと同じ、二十を超える斬撃が連続して放たれた。
一撃でもかなりの範囲の霧が斬り裂かれたのに、それと同威力の斬撃が二十。
「ギャン!」
その結果、放たれた斬撃によって霧の中から数匹のスモッグパンサーが姿を現す。
どこからともなく姿を現したスモッグパンサーを見たレイは、少しだけ驚く。
驚くも、そのまま黄昏の槍を投擲しつつ間合いを詰め、デスサイズを振るう。
セトもまたそんなレイの行動に続いて姿を現したスモッグパンサーを倒していく。
(何でだ?)
スモッグパンサーを殺しつつ、レイはそんな疑問を抱く。
そのような疑問を抱いたのは、出て来たのが通常のスモッグパンサーだったからだ。
最初の狙いでは、通常のスモッグパンサーではなく上位種か希少種が姿を現すと思っていたのだが。
なのに、何故か出て来たのはスモッグパンサーの通常種。
そもそもスモッグパンサーは単独で生活するのでは?
そんな疑問を抱いたレイだったが、とにかく今は考えるよりも前に行動することが先決だ。
多連斬によって姿を現したスモッグパンサーは、その全てが身体中に傷を負っていた。
中には既に死んでいるスモッグパンサーの姿もあるが、まだ生きているスモッグパンサーを確実に殺していき……
「って、またか!」
三匹のスモッグパンサーを殺し、四匹目のスモッグパンサーにデスサイズを振り下ろそうとした瞬間、再び近くにあった霧が牙の生えた口となり、レイに向かってその牙を突き立てんとする。
何となくでそれが分かるようになったレイは、その一撃を回避しながら、その動きを使ってデスサイズを振るって口を破壊する。
「ん?」
その一撃を放ったところで、レイの口からそんな声が漏れる。
そのような声を発した理由は、周囲に漂っている霧が明らかに以前よりも薄くなっていた為だ。
先程までは数m先も見ることが出来ないような濃霧だったが、今は数m先は何とか見えるくらいには霧が薄まっている。
勿論、それでも十分に濃霧と呼ぶには相応しい霧の濃さではあるのだが。
しかし、そんな周囲の霧に意識を集中することが出来ているのは、一秒にも満たない一瞬だけだ。
すぐにまだ生き残っていたスモッグパンサーを殺し……そうして多連斬によって霧の中から引きずり出されたスモッグパンサーは全てが息絶える。
「セト、一度ニールセンの木に……」
戻るぞ。
そう言おうとしたレイだったが、先程三m近い高さの岩を霧の口が噛み砕いたのを思い出す。
その時と同じように、また霧の口によってニールセンの木が破壊された場合、ニールセンがどうなるか分からない。
そうである以上、やはりここは別の場所に移動した方がいいと判断する。
「いや、訂正だ。俺の近くに来てくれ、ここで敵を迎撃する!」
「グルゥ!」
レイの言葉にセトは喉を鳴らすと、すぐにレイの前に姿を現す。
そうしてレイとセトが揃ったところで……
「ちょっとぉっ! 私を見捨てる気!?」
木の方からニールセンの声が響き渡る。
別に見捨てるようなつもりは全くなかったのだが、それでもニールセンにしてみれば、レイとセトが自分から離れた場所にいるのが気に入らなかったのだろう。
「お前が俺の近くにいると、敵の攻撃に巻き込まれるかもしれない! そこで大人しくしていろ!」
そう叫ぶと、レイはセトと共に白い濃霧の中で背中合わせ――レイとセトなので、正確には背中合わせではないのだが――になって立つ。
だが……先程までは頻繁に攻撃をしてきたのに、何故か今度は攻撃をしてこない。
霧の中にいるが、何らかの相手に見られているのは感じる。
それはつまり、まだ自分達は敵に狙われているということを意味していた。
(けど……何でこの状況で攻撃してこない? やっぱりさっきの多連斬で結構な数のスモッグパンサーが死んだのが原因か? そもそも、スモッグパンサーは単独で行動してるのに、何だってここにはこんなに……上位種か希少種が、他のスモッグパンサーを集めて統率してるのか?)
普通のスモッグパンサーなら、わざわざこの状況で集まるといったようなことはしないだろう。
しかし、それは上位種や希少種であれば、どうか。
上位種や希少種だからこそ、そのような真似をしてもおかしくはない。
そう考えると、その思いつきはそう間違っているとは思えない。
(それに、さっきの多連斬でスモッグパンサーを殺したら、霧が薄くなった。それはつまり、霧の濃さは率いているスモッグパンサーの数によって変わるんじゃないか?)
確信がある訳ではなく、あくまでも予想だ。
それも仮定の上に仮定を積み重ねたような、そんな予想。
だが、状況を見る限りでは自分の予想はそう間違っているようには思えない。
だとすれば、この霧の中にいるスモッグパンサーを倒せば倒す程に、それは自分にとって有利になるということを意味していた。
「セト、大技を使って霧の中からスモッグパンサーを……通常種を弾いて、その数を減らすぞ。そうすれば、霧は薄くなってくるかもしれない!」
レイのその言葉に、セトは分かったと喉を鳴らすのだった。