2915話
「レイ、向こうよ! 多分、向こうにいるわ! 私の勘がそう言ってるのよ!」
レイの頭のすぐ側を飛んでいるニールセンが、森の一部を示して叫ぶ。
本来なら、こうやってニールセンが適当に決めた場所に向かっても、それに意味があるとは思えない。
思えないのだが、実際にニールセンの示す方向に進んだことで何匹ものスモッグパンサーを倒してきたレイとしては、その指示に従わないという選択肢はなかった。
「本当に、どうやって見つけてるんだろうな? やっぱりさっきも予想したように、長がニールセンに何らかの能力を付与したとか?」
「何を言ってるのよ! これは私の能力なのよ! 私の妖精としての勘がそう言ってるの!」
木の中で休んで体力や気力が回復し、そして自分の示す方向で何度もスモッグパンサーを見つけることが出来たからだろう。ニールセンは明らかに調子に乗っていた。
とはいえ、レイやセトは今のところそれを咎めるような真似はしない。
実際に今のところ、ニールセンの示す方向で間違いはなかったのだから。
あるいはもっと調子にのって、レイやセトに何らかの危害を加えてくるといった真似をした場合は、何らかのお仕置きくらいはしてもいいかもしれないと思っているのだが。
幸か不幸か、今のところそこまではしなくてもよかった。
「そうなのか。だったら……」
「グルゥ!」
レイの言葉を遮るように、不意にセトが喉を鳴らす。
もう霧が出て来たのか?
そう思ったレイが周囲の様子を見るが、そこに霧はない。
いたって普通の森が広がっているだけだ。
今の状況でセトがわざわざ喉を鳴らすということは、当然ながらそこに何かがあるからこそだろう。
「セト? どうした?」
「グルルゥ」
レイの言葉に、セトはとある方向に視線を向け……一気に駆け出す。
「あ、ちょっ、一体何なのよ!?」
突然走り出したセトに、ニールセンは一体何が起きたのかと混乱した様子で叫ぶ。
森の中には多くの木々が生えているし、地面も普段人が歩いたりする訳ではないので、決して歩きやすい訳ではない。
しかし、セトはそんな森の中を街道かどこかと同じだとでも言いたげな速度で走る。
体長三mオーバーとかなりの巨体を持つセトなのだが、木々の隙間を縫うようにして移動していくその姿は、しなやかな野生の獣を思わせた。
……実際、セトの下半身は獅子のものである以上、野生の獣という表現は間違っていないのかもしれないが。
街中で愛らしい生き物として皆に構われているのとは、全く違う姿がそこにはあった。
「うわ、ちょっと……セト、凄いわね」
突然見せた、セトらしくないその姿を見たニールセンの口からは驚きの声が漏れる。
とはいえ、レイにしてみればそんなセトも知ってる姿だ。そこまで気にするようなことはない。
「そうか? あれもセトだよ。とにかく、セトがああいった行動を取っている以上、何か意味があるのは間違いない。追ってみるぞ」
「え? ちょ……待ってよ!」
セトを追って走り出したレイを、ニールセンも追う。
ニールセンにしてみれば、ここでセトとレイの両方に置いていかれるというのは非常に危険だった。
妖精のニールセンは魔法はそれなりに得意だが、決して攻撃魔法が得意な訳ではない。
一応使えない訳でもないのだが、それでもやはり自分だけでモンスターを倒せと言われれば、それは難しい。
だからこそ、置いていかれては堪らないと、すぐにレイとセトを追う。
「速いわね!」
妖精のニールセンは空を飛ぶので、当然ながらその移動速度はかなりのものだ。
身体は小さいが、それでも空を飛ぶことが出来るというのは非常に大きな意味を持つ。
そんなニールセンではあったが、最初に走り出したセトはともかく、後から追い掛けたレイにも全く追い付かない。
レイやセトがかなりの実力を持っているのは、今までの戦いで十分に理解していた。
理解していたものの、それでも今の状況はニールセンにとってもかなり予想外だったのは間違いない。
必死になってレイを追う。
ニールセンも妖精で、森の中で暮らしてきたのだ。
セト程ではないにしろ、木々の合間を縫うようにして飛ぶといったことは難しくない。
いや、寧ろ身体の大きなセトと比べると、かなり身体が小さいので、そういう意味で森の中を飛ぶという点ではニールセンの方が有利だった。
妖精としての意地でレイを追い……そして視線の先にレイが止まっているのを見たニールセンは、ようやく安堵する。
「ねぇ、結局どうしたの……って、うわ……これは凄いわね」
その場に到着したニールセンが見たのは、真っ二つにされた鹿。
それも首から尻尾のある場所までを長剣で一気に斬り裂いたかのような、そんな鹿の死体。
鹿の身体からは何本もの刃が伸びていたのだが、鹿の身体を切断した攻撃はその刃に命中しないように、隙間を縫うようにして切断されていた。
「だろ? セトの翼刃……翼の外側を刃にして斬り裂くスキルだ」
ニールセンの呟きを聞いたレイは、少し自慢げにそう言う。
ニールセンは知らなかったが、セトが習得した……より正確にはレベルアップした翼刃による一撃。
セトにしてみれば、習得したスキルを使ってみたかったのだろう。
また、鹿の魔石は自分しか使ってないので、その魔石をレイに渡したかったというのもある。
「グルルルゥ」
しかし、そんなセトは少し残念そうな……落ち込んだ様子でレイに近付いてくる。
「え? セトどうしたの?」
何故セトが落ち込んでいる様子なのかが分からず、戸惑うニールセン。
そんなニールセンに対し、レイは真っ二つになった鹿の死体から魔石を抜き取ると、その死体と魔石をミスティリングに収納し、次に流水の短剣を取り出しつつ、口を開く。
「セトがこの鹿を倒したのは、さっきも言ったように翼刃という翼の外側を刃にするスキルだ。つまり、その刃で敵を斬り裂くということは……長剣とかの武器で敵を真っ二つにすれば刀身が汚れるように、セトの翼も汚れるんだよ」
流水の短剣から生み出した水が、セトの翼についた汚れ……具体的には鹿の血や肉片、内臓の欠片、体液……そういったものを洗い流していく。
もしレイが流水の短剣で生み出した水が、天上の甘露と呼ばれる程に美味い水だと知っていれば、その水でセトの翼を洗っている光景に目を見開くだろう。
今のこの状況において、一体何がどうなってそうなったのか……それが理解出来なくてもおかしくはない。
とはいえ、レイにしてみれば流水の短剣は自分の魔力を使えば幾らでも水が出て来るのだから、無限に存在する水を勿体ないからといってセトを洗うのに使わないという選択肢はないのだが。
「ああ、なるほど。セトのスキルは便利ではあっても、使いにくいのとかがあるんでしょうね」
「そんな感じだ。ほら、これでもういいぞ」
「グルルルルゥ!」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らしながら身体を震わせる。
周囲に水滴が弾け飛ぶその様子は、見ていたレイにどこか犬を思わせた。
「ありがとな、セト」
「グルゥ!」
「あれ? 何でレイがセトに感謝するの? 洗って貰ったセトが感謝するんじゃなくて? あ、それともレイの代わりにそのモンスターを倒したから、そういう風に言ってるの?」
「そうだな。そんな感じだ」
実際には、レイの代わりにセトが鹿を倒したというのに感謝したのは間違いない。
しかし、それ以上に魔石を……先程セトだけが使った鹿の魔石をレイの為に入手したからというのが大きい。
(こうなると、俺も出来れば蜘蛛を倒したいところなんだけどな)
セトが自分の倒していない鹿を倒してくれたのだから、自分もまた当然ながらセトの代わりに蜘蛛を倒したい。
そう思うレイだったが、生憎とレイはセトが鹿を見つけたように蜘蛛を見つけることは出来ない。
元々蜘蛛と鹿では、活発に動かずに獲物が罠に掛かるのを待つ蜘蛛の方が、普通に動き回っている鹿よりも見つけるのは難しい。
勿論、蜘蛛の中にも色々といて、積極的に自分から獲物を狩りにいく蜘蛛というのも存在するのだが。
とはいえ、レイが倒した蜘蛛を見た限りでは、巣を作っていたこともあってか自分から積極的に動く蜘蛛には思えない。
だとすれば、やはり蜘蛛を見つけるのは難しい。
(巣に引っ掛かって、それで見つかるようにした方がいい……のか? とはいえ、そうやって囮をするにもまずは巣を見つける必要があるんだよな。それがかなり難しいし)
結局のところ、蜘蛛を見つけるのに一番手っ取り早いのはやはりセトに見つけて貰うことだろう。
そうして蜘蛛を見つけたら、セトの代わりに自分が倒す。
……もっとも、セトの性格を考えればレイが倒すと主張しても自分が倒すような真似をしないとも限らなかったが。
「とにかく、鹿を倒したし……ニールセン、スモッグパンサーはどこにいるんだ?」
「えー……だって私がスモッグパンサーのいる場所を教えても、レイやセトは話を聞かないじゃない。なら、ここで私が色々と教えても、意味がないでしょ?」
何故かいじけた様子でそう言ってくるニールセン。
そんなニールセンに対してレイはどう反応すべきか迷う。
しかし、今の状況を思えばニールセンに助けて貰う必要があるのは事実なのだ。
「なら、そろそろ帰るか? スモッグパンサーも最低限の数は獲ったし。長に帰ってきた理由を聞かれたら、正直に言うしかないけど」
「ちょっと待ったぁっ!」
レイの言葉を聞いたニールセンは、それこそ一瞬の躊躇もなくそう叫ぶ。
その叫びは周囲に響き渡り、それこそモンスターがその叫びを聞いて襲ってこないかと思える程。
「どうした? ニールセンがスモッグパンサーのいる場所を教えてくれないんだから、この状況でこれ以上探すのは難しいし、そうなるとやっぱりここはもう探索を終えて戻った方がいいだろ」
「あっち! あっちだってば! ほら、行くわよ! ここで悠長にしている暇があったら、少しでも多くのスモッグパンサーを倒す必要があるんだからね!」
先程までの態度は一体何だったのかと言いたくなるような様子で、ニールセンがとある方向を示す。
レイにしてみれば、そこまで長を怖がる必要があるのか? と思うのだが、それはあくまでもレイだからこその反応だろう。
トレントの森に存在する妖精郷の妖精達は、かなり騒がしいものの、長の命令は聞く。
……実際、妖精にとって長というのはそれだけ大きな存在なのだろう。
レイが初めて妖精と会ったセレムース平原においても、骨を使って騒動を起こしていた妖精達は最終的に出て来た長にしっかりと従っていた。
まだ妖精の長は二人しか見たことがないレイだったが、それでもその二度共が同じような状況であったと考えると、その考えそのものはそう間違っていないのだろう。
(あれ? じゃあ……ニールセンが長に目を掛けられているってのは、どうなるんだ? ニールセンがあの長と同じようなことが出来るとは、到底思えない。だとすれば、ニールセンの様子は……いや、それについてはわざわざ俺が考える必要はないか)
ここで自分が妖精について考えても、それはあまり意味がないだろうと判断して、それ以上は止めておく。
理由はどうあれ、ニールセンがスモッグパンサーのいる場所を示したのは間違いないのだ。
であれば、ここで下手に突っ込んでニールセンのやる気を失わせるよりも、今はその言葉に素直に従ってスモッグパンサーを見つけ、倒した方がいい。
(鹿の魔石は……また今度だな)
先程休んだばかりである以上、ここでまた休むといった真似をしてもニールセンに疑われそうだった。
であれば、今夜ニールセンが眠った後にでも魔石を使おうと判断する。
勿論、その前に使う機会があれば、それを逃すようなことはないが。
何しろ魔獣術で魔石を使うというのは、セトの場合は魔石を飲み込むだけ、デスサイズの場合は魔石を切断するだけだ。
数十秒……いや、そこまでいかなくても十数秒時間に余裕があれば、魔石を使うことは可能だった。
「あっちだな。じゃあ、行くか。セト、途中でモンスターを見つけたら頼むな」
「グルゥ!」
レイの言葉に、任せて! と喉を慣らすセト。
そうしてレイ達は再びニールセンの示す方向に向かって進む。
「ねぇ、レイ。レイって森の中なのに走るの速いね。セトよりも遅かったけど」
「空を飛んでるニールセンには分からないかもしれないかもな。ニールセンも飛ぶんじゃなくて地面を直接走ってみれば分かるんじゃないか?」
「えー……そんなことをしたら、私なんかすぐに捕まったりするじゃない」
そんな風に言葉を交わしながら、緊張感もないままに進むのだった。