2909話
「結構あったわね。見つけるのが楽だったから、そこまで苦労はしなかったけど」
ニールセンが自慢げにそんな風に言う。
地面に落ちた種。
甘いチョコレートの香りがしているその種を、レイはセトやニールセンと共に拾い集めた。
種が入っていた殻……木の実はニールセンよりも大きかった。
しかし、当然ながらその木の実が破裂して周囲に種を吹き飛ばすといった真似をする以上、その木の実に入っていた種は結構な大きさではあるが、それでもニールセンよりも大きいといったことはない。
そんな種ではあったが、見つけるのはそう難しい話ではなかった。
何しろニールセンは何故かその香りを嗅ぎ取ることが出来なかったが、レイとセトはその木の実から甘いチョコレートの匂いを嗅ぎ取ることが出来たのだから。
本来なら、チョコレートというのはカカオ豆に砂糖を始めとした各種調味料の類を入れて、レイが知っている……レイの記憶にあるようなチョコレートになる。
カカオ豆の時点では特に甘い香りはしないし、何よりもレイの知っているチョコレートの匂いもしない。カカオ豆の時点では、香ばしくビターな香りがするという。
だというのに、木の実が破裂した種からはチョコレートの匂いが漂っているのだ。
レイや……そんなレイよりも嗅覚の鋭いセトが、それを見つけるのは難しい話ではなかった。
(とはいえ、問題なのはこの種をどうやって料理するかだよな)
種からチョコレートの香りがするのは間違いない。
だが、だからといってその種をそのまま食べればいいのか、それとも別の方法で調理する必要があるのか。
生憎と、レイにはその辺について少し分からなかった。
するとそんなレイの考えを読んだかのように、ニールセンが声を掛ける。
「それで、レイ。集めた種はどうするの?」
「どうするかは今のところ正確には決めてない。ニールセンには分からないみたいだけど、あの種からはかなり甘い匂いがしてるんだよな。それを考えれば、多分種をどうにかすれば美味くなると思うんだけど」
「甘い匂い……うーん、やっぱり私には分からなかったわね」
種を見つけた時のことを思い出した様子でそう呟くニールセン。
それは嘘でも誤魔化しでもなく、本気で種から発せられているチョコレートの匂いが分からないといった様子だった。
「種の状態で分からなくても、料理すれば分かるかもしれないな。……とはいえ、実際にこの種をどうやって料理すればいいのか分からないんだが」
「ちょっと、それじゃ意味ないじゃない。その種は私も集めたんだから、食べる時は一緒に食べさせてよね。いい?」
自分ではチョコレートの匂いを嗅ぐことは出来ないニールセンだったが、レイの説明を聞いてかなり期待しているのだろう。
本当に心の底から羨ましそうに……それこそ、出来れば今すぐにでも食いたいと思ってしまう。
だが、レイはそう言われてもどうすればいいのかが分からない。
「俺に料理を期待するのが、そもそもの間違いだろ。誰かこういう料理が得意な奴に頼むのが一番いいと思うぞ」
そう言いながらレイが思い浮かべたのは、当然のようにマリーナだった。
現在レイも住んでいる、マリーナの家。
そこでの料理は基本的にマリーナが作っていた。
というか、現在マリーナの家に住んでいる中でまともに料理出来るのがマリーナだけというのが正しい。
エレーナは紅茶はそれなりに淹れられるが、料理となれば話は別だ。
アーラはエレーナに紅茶の淹れ方を教えたが、料理はそこまで得意ではない。
ヴィヘラやビューネは冒険者風の大雑把な料理なら何とか。
レイもまた、大雑把な料理くらいしか作れない。
セトは……そもそも料理が出来ない。
いや、一応ファイアブレスがあるので、焼くといったようなことは出来るのだろうが。
結果として、きちんと美味い料理を作れるのはマリーナだけだった。
(それに、マリーナはダークエルフで俺達よりも大分長く生きている。そう考えると、この種について知ってるかもしれない)
ダークエルフだから植物の種について詳しいのかというのはまた別の話のようにも思えたが、現在頼れるのはマリーナしかいないのも事実。
「いっそ、粉にしてみるか?」
「え? 粉にすれば食べられるの?」
何となくというつもりで呟いたレイの言葉に、ニールセンが反応する。
ニールセンにしてみれば、食べられるのなら食べてみたいと思っているのだろう。
だが、レイはそんなニールセンに対して首を横に振る。
「食べられるかどうかは分からない。これはただの思いつきだしな。それに、例えば粉にして……それからどうする? その粉にしたのを舐めるのか? それともお湯に溶かして飲むとか? ……ああ、そう言えばホットチョコとかいうのもあったか。俺は飲んだことがないけど」
「ちょっと、それ詳しく」
「いや、俺は飲んだことがないんだって。取りあえず、この話はここまで。ただ、そうだな。スモッグパンサーの一件が終わったら、出来るかどうか試してやるよ。カカオ豆とかも、粉にして使うとか何とか、聞いたような覚えがない訳でもなかったし」
「ちょっと、別にスモッグパンサーの件が終わったらじゃなくて、今夜でもいいでしょ? どうせ森の中で野営をするんだから」
レイから情報を小出しにされているせいか、ニールセンは余計にチョコレートに興味を持ったらしい。
そこまでチョコレートに興味を持たなくてもとレイは思うのだが、それがある意味で自業自得であることには気が付いていなかった。
「あのな、チョコレートの匂いはかなり甘いんだ。そんなのを夜の森に漂わせるようなことになったら、どうなると思う? モンスターがやって来るだけならいいけど、下手をしたら虫が大量に集まってくるぞ」
「うげ」
妖精らしからぬ悲鳴を上げるニールセン。
しかし、妖精のニールセンにとって虫というのは厄介な存在なのだろう。
(虫と微妙に似てるような気がしないでもないけど)
虫と聞いて嫌そうな表情を浮かべるニールセンを見てそんな風に思うレイだったが、ニールセンはそんなレイの考えを読んだかのように、鋭い視線を向けてくる。
「レイ、今何か妙なことを……私が思いきり不機嫌になるようなことを考えなかった?」
「え? いや、そんなことはないぞ」
何でもないかのように、そう告げるレイ。
しかし、ニールセンはそんなレイの態度を見ても怪しそうな視線を向けたままだ。
それでもレイの様子を見ていたニールセンは、やがて何も言わなくなる。
「ふーん。まぁ、いいわ。今はそういう風にしておいてあげる。それよりもスモッグパンサーの件が終わったら、その種を食べさせてね」
「森から出たらな。まぁ、森の外でも場合によっては虫がやって来るかもしれないけど」
そんな風に言うレイに対し、ニールセンは嫌そうな表情を浮かべる。
好奇心の強い妖精ではあっても、虫はここまで嫌っているのは妖精の性質なのだろう。
あるいは、ニールセンが特に嫌っているのかもしれないが。
「じゃあ、話は決まりね。行きましょう。スモッグパンサーは一体どこにいるのかしら。……ねぇ、もしかしてただけど、その種の匂いに釣られてスモッグパンサーが出て来るという風には考えられない?」
「いや、それは……どうだろうな。可能性はないとは言えないけど」
この森に存在するスモッグパンサー。
そしてこの森に自生していたチョコレートの香りがする種。
この二つに因果関係があるのかと言われれば、レイも多少なりとも納得することは出来た。
とはいえ、すぐにそれはないかと思う。
もしそんなに分かりやすい特徴があるのなら、それこそ長と話した時にその辺りについて教えて貰っていてもおかしくはない。
だが、長はそのようなことを言っていなかった。
(もしかしたら、単純に長が知らなかっただけって可能性もあるけど……正直、その辺はどうなんだろうな。多分そういうことはないと思うんだが)
とはいえ、長も全てを知っている訳ではない。
長であっても知らないようなことは、普通に存在するだろう。
であれば、後で長にこの種を見せても面白いかもしれないと、そう思いながらもレイは意識を切り替える。
今のこの状況において、チョコレートの匂いのする種のことより、もっと別のことを考えた方がいいだろうと判断して。
「とにかく、今はまずスモッグパンサーを倒すのが最優先だな。場合によっては、他のモンスターを見つけることが出来るかもしれないし」
「そう? まぁ、そうかもしれないわね。でも、スモッグパンサーが最優先なんだからね。それは忘れないようにしてよ」
ニールセンの指示に、レイは分かったと頷く。
セトもまた、レイの様子を見て分かったといったように喉を鳴らす。
そうして気を取り直した一向は、再び森の中を進み始める。
森の中を進み始めてから三十分くらいしたところで、レイは視線の先、木々の隙間に一頭の猪の姿を見つける。
決して頭部が二つあったり、鼻の上に角が生えていたりするようなモンスターではなく、普通の猪。
「猪……ああいうのが猪だよな」
双頭のサイとは全く違うその姿を見て呟くレイの右肩に、ニールセンが着地した。
「ああ、本当に猪がいるわね。どうするの、獲る? 獲るならここで待っていてもいいけど」
普通、猪というのはそう簡単に獲れるものではない。
このエルジィンで活動している狩人であっても、場合によっては命懸けとなるのも珍しくはないのだから。
レイも日本にいる時、TVのニュースで猪によって指を喰い千切られた者がいるというのを何度か見たことがある。
日本に棲息する猪ですらそこまで獰猛なのだから、このエルジィンにおける猪もまた、当然のように獰猛な性格をしていた。
牙によって胴体を突き刺され、内臓が傷付けられて死ぬというのは、未熟な狩人にとっては珍しい話ではない。
そんな猪だったが、一定以上の強さを持つ冒険者であれば、容易に倒せる。
何しろ猪は幾ら獰猛であっても結局のところは野生動物だ。
モンスターと違ってスキルや魔法を使ったりといったような真似はしてこない。
だからこそ、そのようなモンスターと戦う者……特に以前からギルムで活動していた冒険者にしてみれば、容易な獲物だ。
事実、冒険者の中には金に困った時に狩人の真似をして猪を狩り、それを売って糊口を凌ぐといったような真似をする者も多い。
ましてや、レイは異名持ちのランクA冒険者であり、セトもいる。
その気になれば、視線の先にいる猪を仕留めるのは難しい話ではないのだが……
「いや、止めておくよ」
ニールセンの言葉に、レイは首を横に振る。
冒険者ではない者にしてみれば、猪は危険を冒しても挑むだけの存在だ。
その肉、毛皮、角、場合によっては骨も使い道はある。
しかしレイのミスティリングにはモンスターの肉が大量に入っている。
それを思えば、わざわざ猪を狩る必要はない。
猪の肉が美味いのは間違いないのだが、モンスターの肉はそんな猪の肉を上回る味のものが多い。
ゴブリンの肉のような例外も存在するが。
とにかく、猪の肉よりも美味い肉を大量に持っている以上、わざわざここで猪を殺す必要はない。
猪がレイを襲ってきたりすれば、また話は別だったかもしれない。
そうして運のいい猪はレイ達の存在に全く気が付いた様子もなく、その場から立ち去った。
「ふーん。レイのことだから、てっきりすぐにでも猪を殺すと思っていたのに」
「お前は俺を一体何だと思ってるんだ? ……ああ、別に言わなくてもいい。何となく分かったから」
レイの言葉に満面の笑みを浮かべて何かを言おうとしたニールセンだったが、その口が開くよりも前にそう告げる。
自分の言葉が途中で止められたことに面白くなさそうな様子を見せるニールセンだったが、そんなニールセンが口を開くよりも前に、レイは少し離れた場所にある果実を指さす。
「あの果実については何か知ってるか? 何だか明らかに毒がありそうなんだ」
「え?」
ニールセンを黙らせるには、その好奇心を別の方向に向けさせればいい。
それが分かったレイの示した先にある果実は、毒がありそうという言葉通り赤と紫と黄色の斑点模様が存在している果実だった。
少なくても、レイとしてはそのような果実を食べたいとは思わない。
「えーっと、ちょっと分からないわね。私も初めて見るわ。けど……うん、毒がありそうなのは間違いないと思う。どうする? 採っていく? もしかしたら何かに使えるかもしれないわよ?」
「あのな、毒の有無。そして毒があった場合でも一体それはどういう毒なのかも分からないんだから、それをわざわざ使おうと思うわけがないだろ」
呆れたように言うレイに、ニールセンは残念そうな表情を浮かべるのだった。