2903話
「ありがとうございました、レイさん。こうして私達の前でモンスターを倒すといったようなことをしてくれたおかげで、村の者達も安堵しています」
村長がそう言ってくるものの、レイとしては素直にその言葉を受け入れる訳にはいかない。
こうしてレイと話している村長はともかく、他の村人の大半はレイの存在に恐怖や畏怖を抱いている様子を見せていたのだから。
そのような今の状況を思えば、村長の言葉はお世辞に近いものだろう。
もっとも、レイもまた自分の力がかなり桁外れなのだということは知っている。
ましてや、この村にはギルドが存在しないので村人達は冒険者……それもただの冒険者ではなく、高ランク冒険者の力を見るといったことは殆どなかった。
だからこそ今の状況を思えば、村人達の態度も分からない訳ではない。
とても愉快な気分ではないのは間違いないが、この後も村に残る必要がある訳ではない以上、気にしないことにする。
「じゃあ、五匹のモンスターの討伐を終えたし、これで依頼は達成したってことでいいな?」
「はい、それで構いません。ありがとうございました。そして村の者達が申し訳ありません」
そう言い、深々と頭を下げる村長。
村長もレイの強さに驚いているのかもしれないが、それを表に出すような真似はしない。
そんな村長の様子に、レイは首を横に振る。
「こういう田舎の、村の者以外との付き合いが殆どない場所だと考えれば、こういう風になるのは当然だろうから気にするな」
村の者以外との付き合いが殆どないということは、当然ながら多少はあるということを意味している。
具体的には行商人といった者達だろう。
村で生活する上ではどうしても自給自足出来ない物もあり、それを行商人に頼むというのは自然なことだろう。
そんな行商人に対しても素っ気ない態度を取るのか? と若干疑問に思ったレイだったが、行商人の場合は村の外の相手であっても何度もこの村に来ている顔見知りの相手なので問題はないのだろう。
その行商人の護衛として冒険者がいるのでは? といった思いもない訳ではなかったが……この村に来るような行商人が護衛として雇う冒険者は、当然ながらレイのような高ランク冒険者ではなく、新人かベテランといったくらいの冒険者なのだろう。
そんな冒険者であれば、当然ながらレイやセトが見せたような圧倒的な力を振るうといったことはない。
レイはこれ以上ここにいても何かトラブルがあるだけだと判断し、村長と軽い別れの言葉を交わすと、そのまま森に向かうことにする。
幸いなことに、レイの荷物は全てミスティリングに入っているし、セトもいて、ニールセンもドラゴンローブの中にいるので、わざわざ村長の家に戻る必要はない。
(そう考えると、あの時ニールセンが村長の家に残らないで俺と一緒に外に行くと言ったのは最善の選択だったんだな。……そう言えば、戦いの最中からニールセンの声がしなくなったけど、その辺はどうなったんだ?)
森に向かうセトの背の上で若干それが気になったレイだったが、村の方にはまだ村長の姿がある。
自分に視線を向けているのが分かるので、取りあえず森の中に入って村長達の視線から隠れるようになるまで、ニールセンには呼び掛けないようにする。
(ニールセンもそうだけど、双頭のサイの解体もあるんだよな。リーダー格が一匹と通常種が二匹の合計三匹は解体する必要があるし、そう考えれば森の奥……とまではいかないけど、入ってからすぐって訳にはいかないよな。血を洗ったりするのに水も欲しいから、出来れば川とかがあればいんだけど)
森に入ってすぐの場所で双頭の猪を解体した場合、その血の臭いによって森の奥から新たなモンスターを呼び寄せないとも限らない。
そうなった場合、村に被害が出てしまうだろう。
……場合によっては、村人の態度を面白くないと思ったレイの意趣返しといったように思われてもおかしくはない。
そのようなことにしない為には、村の側で解体をするといったような真似は避けた方がよかった。
単純に村への思いやりといった訳ではなく、その血の臭いに惹かれて未知のモンスターがやって来ないかという思いもあったが。
特に村長から聞いた、蜘蛛、鹿、トカゲのモンスターといった三種類のモンスターには、出来れば早いところ遭遇したいと思う。
「グルルルゥ?」
森の中に入ったところで、セトはどっちに進むの? と喉を鳴らして尋ねる。
レイはそんなセトの首の後ろを撫でながら、奥の方に進むように言う。
そして森の中に入ったということで、ドラゴンローブの中で沈黙をしているニールセンに声を掛ける。
「ニールセン、おい、ニールセン。俺の声が聞こえてないのか?
そんな感じで何度か呼び掛けるものの、ニールセンは一向に返事をする様子はない。
無言のニールセンに、もしかしたら……と嫌な予感を覚え、そっとドラゴンローブの中に手を入れて自分の身体に触れる。
特に汚れたり濡れたりといった様子がないので、取りあえずニールセンがドラゴンローブの中で吐いたり漏らしたりしなかったのだと安堵しながら、ドラゴンローブの中からニールセンを出す。
「きゅう」
レイの掌の上で、そんな声を漏らしながら気絶しているニールセン。
「やっぱりあの戦闘の時にドラゴンローブから出しておいた方がよかったか。……とはいえ、そんな余裕もなかったし、何より村人の視線があったからな」
レイとセトが双頭のサイと戦っている光景は、多くの村人達が見ていた。
だからこそ、自分達ではどうあっても勝てないだろう強さを持つ双頭のサイを一方的に蹂躙するだけの力を持つレイを村人達は畏怖したのだから。
そんな中で、もしレイがドラゴンローブからニールセンを出すような真似をしていれば、一体どうなったか。
レイの強さを見ただけに、レイから妖精のニールセンを奪おうといったようなことを考える者はいなかっただろう。
しかし、それはそれでまた面倒なことになったのは恐らく間違いなかった。
さり気なく妖精を譲るように言ってきたり、もしくは宴会だと言ってレイを酔わせ、その隙にニールセンを奪おうと考えたり。
村人の全員がそんな風に思う訳ではないだろうが、それでも確実に何人かはそんな風に思うだろう。
あるいは考えるだけならまだ何の問題もないが、実際に行動に移されるといったような真似をされれば、レイもまた相応の対処をする必要がある。
そう考えれば、やはりニールセンをドラゴンローブの中に入れたまま戦うというのは、あの時の最善だったのは間違いないのだろう。
「あ、セト。川があったらそっちに向かってくれ。さっき倒したモンスターを解体する必要があるだろ?」
「グルゥ!」
レイの頼みに、セトは任せてと喉を鳴らす。
セトもまたレイと同じく微妙に方向音痴気味なのだが、その五感は非常に鋭い。
森の中を移動している時、川で水の流れる音、木々の間に微かに見える水、あるいは水の匂いといったものを嗅ぎ取れれば、それを頼りにして川のある場所に真っ直ぐ向かうのは難しい話ではない。
「後はニールセンだけど……解体をしている時に好き勝手に動かれても困るし、取りあえず起こしたりしなくてもいいか」
ニールセンに限らず、妖精というのは非常に好奇心が強い。
双頭のサイの解体をしているところを見れば、当然ながらその好奇心を満足させる為にレイに色々と聞いてきたり、飛び回って解体の邪魔をしたりといったような真似をするだろう。
そのようなことになったら面倒なので、レイはニールセンを無理に起こすような真似はせず、そのままにしておく。
そうしてレイはセトに川か湖か、あるいは沼か。とにかく水のある場所に向かうように頼み、そのまま森の中を進む。
(鳥は……結構いるな)
セトに乗って森の中を移動するレイだったが、そんな中でも耳にはそれなりに多くの鳥の鳴き声が聞こえてくる。
また、野生の獣が活発に動いている気配も、十分に感じられた。
それはつまり、この森が豊かな森であるということを示している。
村の狩人が森の奥には入っていかないといったことを村長が言っていたが、これだけ豊かな森なら鳥や獣を獲ることも、あるいは果実や木の実、山菜を採ることも、そう難しくはないのは明らかだった。
(豊かな森だからこそ、野生の獣とか鳥が多数いるんだろうな。今がもう初秋だというのも関係あるのかもしれないけど。……獣や鳥も食欲の秋というのは関係したりするのか?)
秋になったらそう時間が経たずに冬になり、ギルムではガメリオン狩りの季節となる。
今までならガメリオン狩りは腕利きの冒険者が挑んでいたので、怪我人や死人はそう多くはなかった。
だが、今のギルムは違う。
増築工事でやって来ている者が多く、そのような中でも一攫千金を狙った者がガメリオンに挑むのだ。
ギルムで活動している腕利きの冒険者であっても、ガメリオンとの戦いでは怪我をしたり、場合によっては死んだりする者もいる。
ウサギのモンスターではあるが、ウサギという愛らしい動物からはとてもではないが想像出来ないような凶悪な攻撃力を持つのがガメリオンだ。
そんな相手に、増築工事のおかげで何とかギルムに来ることが出来るようになった冒険者が挑めば、どうなるか。
当然のように、怪我人や死者を大量に生み出すことになる。
不幸中の幸いなのは、増築工事の為に多くの冒険者がやってくるので、死人が増えても総合的な人数は減らないということか。
……もっとも、増築工事の仕事を最初から覚えることになるので、当然ながら仕事の効率は落ちるのだが。
「グルゥ!」
レイがガメリオンについて考えていると、不意にセトが喉を鳴らす。
その声で我に返ったレイがセトの見ている方に視線を向けると、その先……木々の隙間から川を見ることが出来た。
「お、川を見つけたか。じゃあ、早速あそこで解体するか。……ニールセンはまだ気絶したまま……っていうか、完全に眠ってるな」
寝息が聞こえてくるのを耳にしたレイは自分の前にあるセトの背で寝ているニールセンに呆れの視線を向ける。
とはいえ、解体の時にニールセンが起きているよりは気絶した……いや、眠ったままの方がいいので、特に突っ込むような真似はしなかったが。
何よりも双頭のサイの解体で入手した魔石の吸収がある。
魔獣術に関してだけは、ニールセンに知られる訳にはいかなかった
もしニールセンに知られたら、好奇心の強いニールセンのことだ。
間違いなく詳しい話を聞かせて欲しいと迫ってくるだろうし、もしそれで話をしたりしようものなら、その話がどこまで広がるか分かったものではない。
だからこそ、魔獣術については秘密にしておきたかった。
「グルルルゥ」
森の中を進み、木々の間を通り……するとやがてセトが見つけた場所に到着する。
そこは川幅が四mくらいで、深さもレイが見たところ膝くらいまでしかないくらいの川だった。
川である以上、深さは膝までだけではなく場所によってはもっと浅くなったり深くなったりしているだろう。
水の中には何らかの魚が泳いでる光景も見える。
「よし、ここなら特に問題なく解体が出来るな。セト、解体の準備をするから周囲を見張っていてくれ。敵が来たら対処は任せる」
「グルゥ!」
レイの頼みに、任せてと喉を鳴らすセト。
セトに任せておけば問題ないだろうと判断し、レイはニールセンを木陰に移動させると、早速解体の準備を始める。
まず出したのはリーダー格の巨大な双頭のサイではなく、通常の大きさの個体。
通常の個体とはいえ、それでもセトと同じくらいの大きさがあるので結構な重量となる。
「俺のモンスター辞典にも載ってなかったし……載ってなかったよな?」
一応、ということで改めてミスティリングの中からモンスター辞典を取り出して確認するが、やはり載っていない。
とはいえ、レイの持っているモンスター辞典に載ってないからとはいえ、他のモンスター辞典にも載っていない……という訳ではない。
モンスター辞典は決まった形がある訳ではないので、一冊ずつ微妙に内容が違っていたりするのだ。
そういう意味では、レイの持つモンスター図鑑には載っていないものの、他のモンスター辞典には双頭のサイについて載っている可能性は否定出来なかった。
「まぁ、それでも今の状況を考えれば考えるだけ無駄だろうし、取りあえず勘で解体するか」
まずは血抜きをする為に、首を大きく斬り裂いて川の中に放り込む。
川の中で血を流すといった真似をした場合、もし川に魚のモンスターがいたら肉を食われる可能性があるし、どうしても肉が水を吸って味が若干落ちるのだが……全部で五匹の双頭のサイの血抜きをするには、これが一番便利だった。
そうして、レイは次々と双頭のサイを出しては血抜きをする為に川の中に沈めるのだった。