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レジェンド  作者: 神無月 紅
ベスティア帝国との戦争
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0289話

「はぁ、はぁ、はぁ……」


 息を荒げつつ、どこか信じられないような目で周囲を見回す兵士の男。

 その隣には、つい先程まで共に魔獣兵と戦っていた同僚の姿がある。


「な、なぁ。……あいつ等、何で急に消えたんだと、思う?」


 余程の激戦だったのだろう。息を整えつつ尋ねる兵士だったが、隣で地面に座り込みながら息を整えている男は喋るのも面倒だとばかりに、黙って首を横に振る。

 そんな同僚の姿を見ながら、兵士の男は魔獣兵が退いた理由を大体悟っていた。

 空に上がった炎の魔法。それを見た魔獣兵達は、瞬時に戦闘を中止して退いていったのだ。それも、1人や2人ではない。周囲にいた全ての魔獣兵達が、だ。


(まあ、そうでなきゃ俺も死んでたんだろうけど)


 息を整えつつ、改めて周囲の様子を見回す。

 当初は自分を含めて100人近くも存在していた兵士達だったのだが、今生き残っているのは10人にも満たない。数人。たった数人の魔獣兵を相手に、これだけの被害を受けたのだ。実際、先程男が対峙していた魔獣兵にしても、後数分程戦闘を続けていれば自分が死んでいただろうという確信がある。逆にその状態で助かったのだから、先程の撤退を知らせる合図のようなものを放った相手には感謝こそすれ、恨みを抱くという気持ちはなかった。


「ふぅ……とにかく、何とか生き残った。それでいいだろ?」


 ようやく落ち着いたのか、地面に腰を下ろしていた男が誰に言うでもなく呟き、男やその周辺にいる生き残り達は同感だと頷く。


「けど、被害も大きかったな」


 その視線の先には、胴体で切断されている兵士達の死体が転がっている。

 男達が戦っていたのは、蟹と人間を混ぜ合わせたような魔獣兵だった。上半身が蟹の甲殻に覆われており、剣や槍は全く効果が無く、その両腕の鋏は兵士達を容易に切断していく。口から吐き出される泡を食らった者は毒によって身体の動きが鈍くなり、攻撃を回避することも出来ずに頑丈な鋏で殴り殺されもした。

 男が戦っていたのはそんな魔獣兵だったが、他にも犬の顔を持ちながら身体中に鱗が生えている魔獣兵や、あるいは甲虫と人間の合いの子のような魔獣兵の姿もあった。そんな相手と戦って生き残れたのだから、自分達は幸運だったのだろうと男はしみじみと思う。

 そんな風に兵士の男が考えていると、軍馬に乗った騎士達が数人程姿を現す。


「……ここの生き残りはこれだけか。指揮官は?」


 口を開いた騎士の言葉に、シンと静まり返る。


「どうした? この部隊の指揮官はいないのか?」


 再度の問いかけに、周囲が誰も口を開かないのを見た兵士の男は、しょうがないとばかりに口を開く。

 このままずっと黙っている訳にもいかないのだし、なによりも騎士を怒らせていいことはないのだから。


「その、指揮官は戦闘中に敵の化け物にやられて……」

「……そうか。不躾なことを聞いたな。だが、それでは誰が戦いの指揮を執っていたのだ?」


 指揮官も無しに魔獣兵と戦うというのはまず不可能に近い。そう判断した騎士の問いに、その場にいた兵士達の視線は指揮官が戦死したと告げた兵士へと向けられる。

 この場が一段落した時に最初に口を開いた男だった。


「えっと、はい。その、俺です」


 生き残った兵士のうち自分以外の者達の視線を向けられ、更には騎士にも見つめられ、観念したように口を開く兵士。


「なら、お前がこいつらを纏めろ。集合場所はこの先だ。そこにこの戦場に散らばっている者達が集まって部隊を再編することになっている。……安心しろ、部隊を纏めるのは集合場所までだ。部隊の再編が終われば、きちんとした指揮官が部隊を率いることになるだろう」


 騎士の言葉に、兵士は思わず安堵の息を吐く。

 実際、部隊を指揮してこの戦いを潜り抜けたと言われても、殆ど行き当たりばったりに近い指揮だったのだから、それも無理は無い。

 そもそも兵士達は指揮官としての教育を受けた訳でも無いのだから、それはある意味で当然だった。


「分かりました。すぐに向かいます」

「そうだな。あの化け物共が撤退したのは事実だが、この先どうなるかは全くの不明だ。アリウス伯爵の判断次第だろうが……」


 言葉を濁しつつも、騎士の言葉には攻勢に出るのは間違い無いという含みがあった。

 その含みを理解したのだろう。兵士達は思わず溜息を吐きながら立ち上がる。

 自分達の立場はあくまでも兵士でしかない。貴族であればその命令に異を唱えることも可能なのだろうが、そんな真似は天地がひっくり返っても無理だった。つまり兵士である自分達に出来るのは、せめて配属先に有能な指揮官がいるのを祈るだけであり、その指揮官に従って何とかこの戦争を無事に生き残るということだけだった。


「とにかく、急いで集合してくれ。俺は他にも戦場に散っている者達に声を掛けなければならないからな」


 そう告げ、軍馬に乗って他の騎士達と共に去って行く。

 その後ろ姿を見送り、兵士達もまた多少の休憩で取り戻した体力を使い、立ち上がる。

 周囲の者達を率いろと言われた兵士の男は、とにかくまともな指揮官に当たりますようにと祈っていたのだが……集合場所で自分がこの部隊の指揮官として正式に任命され、更には同様の兵士達が部下として配属されるということになり、結局兵士の男の願いは叶えられないのだった。

 だが、この男が率いる部隊はこの戦争を1人の死者すらも出さずに乗り切ることになる。その結果により、指揮官を押しつけられただけの筈の兵士の男は評価され、軍上層部によって取り立てられ、最終的には男爵の位を授与されることになる。尚、男爵となった際の家臣達はこの戦争で部下となった者達が多く務めていたという。






「アリウス伯爵、ご無事でしたか」


 いかにも心配していたという風に声を掛けて来た相手に、アリウスは言葉を返さずに鼻で笑う。

 その態度に声を掛けた貴族が一瞬だけ不愉快そうに頬を歪めるが、すぐに消し去って再び口を開く。


「先程の襲撃は非常に驚きましたな。私は咄嗟に、周囲からこれ以上敵の援軍が来ないよう独自の判断で行動せざるを得ませんでしたが……ですが、私が周囲を警戒していたので、ベスティア帝国軍もあれ以上の援軍を送り込めなかったようですね」


 あまりにも図々しいとしか言えないその言葉だったが、アリウスは何を言うでもなく貴族の言葉を黙殺する。

 勿論アリウスは、目の前にいる貴族が魔獣兵が姿を現した時に真っ先に逃げだした者であるというのを忘れてはいない。だが、目の前にいる男の家が自分と同じ伯爵家であり、更に言えば自分の家よりも権勢的には上である為にこの場で処断するような真似は出来なかったのだ。

 アリウスに出来るのは、精々目の前にいる貴族にこの戦争で手柄を立てる場を与えない程度でしかない。


(くそっ、儂に力があれば……せめて、侯爵の地位にあればこの場で処罰出来るものを)


 内心の歯噛みを押し殺し、表情には出さずに貴族の言い訳を黙殺する。

 そんなアリウスの様子を、シミナールは苦笑を浮かべつつ眺めていた。

 だが、シミナールがいる場所はレイが呼び出された時に比べると随分と中央に……アリウスの近くになっている。これには勿論戦場を共にしたというアリウスの考えも含まれているし、あの状況で逃げ出さなかったのだから他の貴族達と違うという思いもあった。

 もっとも、シミナールにすれば総大将が討たれれば自分達の負けになるのだから、その総大将を守る為に戦うのは当然という認識だったのだが。

 その当然のことが出来ず散っていった貴族達が多かった為に、シミナールの評価は相対的に上がっていたのだった。

 シミナールが自分の立場に思わず苦笑を浮かべていると、ふと自分達の周囲を囲んでいる兵士や貴族達がざわめいているのに気が付く。

 それはアリウスも同様だったのだろう。訝しげな顔で周囲を見回していると……自分達を囲んでいた兵士達がまるで割れるように左右に分かれ、1本の道を作る。


「皆、無事でなにより」


 そう告げながら姿を現したのは、いつものように凛とした雰囲気を醸しだしているエレーナに、護衛騎士団の団長でもあるアーラ。そしてレイだった。エレーナの肩には当然のようにイエロの姿があるが、セトの姿は無い。グリフォンを見ては貴族達が脅えるという理由もあって、この場に連れてくることは出来なかったのだ。

 その姿を……特に、エレーナの姿を見たシミナールの胸が強く高鳴り、薄らと顔が赤く染まる。そんな自分に気が付いたシミナールは思わず苦笑を浮かべながら、内心で呟く。


(いかんな、これは。まさか姫将軍に恋をすることになるとは)


 シミナールにしても、貴族としての付き合いや部下達と共に娼館へと通ったことはある。もちろん通ったのは貴族を始めとする裕福な者御用達の、いわゆる高級娼館と呼ばれる場所だ。そこで恋の真似事も経験しているだけに、今の自分がどんな状況にあるのかは理解していた。


(国王派の俺が姫将軍に想いを寄せても、叶うことはまずない。まぁ、どうせ一過性のものだ。すぐに消えるだろ。……消えるといいんだがな)


 エレーナを見ていると次第に高鳴る自分の胸に、そしてエレーナと話したいと思ってしまう自分に戸惑いつつも、小さく首を振って固まっている者達の中で最初に口を開く。

 もちろん他の者達もエレーナに声を掛けようとはしていた。だが、真っ先に逃げ出した者達は口を開こうとした時にエレーナから直接冷たい視線を向けられて黙り込むしか無く、アリウスと共に戦っていた貴族達は感謝の言葉を告げようとしてエレーナの格に押され言葉を出せなかった。

 そんな者達にしてみれば、真っ先にシミナールが口を開いてくれたのは羨ましくも、ありがたかっただろう。



「エレーナ殿、先程は助けて貰って感謝している」

「シミナール殿か。そちらも無事なようで何より。魔獣兵を相手に、1人で互角に戦えていたのはさすがと言うべきか」

「いや、そうでもないさ。実際、あの植物の女にはいいようにやられていたしな。……さて、もう少し話していたいが、これからの行動を決めないといけない。アリウス伯爵、これからどうするおつもりで?」


 シミナールの言葉に、周囲にいた者達も我に返りアリウス伯爵へと視線を向ける。

 この場にいた貴族の中で唯一エレーナに気圧されていなかったアリウスだったが、シミナールの問いに当然とばかりに口を開く。


「確かに本陣に奇襲を受けたのは事実だ。だが、それを撃退したのも事実であり、同時に現在は前線でベスティア帝国軍を押しているのもまた事実。故に、ここで一気に攻勢に出る」

「そうだ! 私達は奇襲部隊を撃退した! ならベスティア帝国軍の殲滅も可能な筈!」

「アリウス伯爵に同意します。すぐに部隊を整えましょう」

「部隊の再編成に時間が掛かると、勝機を逃すのでは? ならまずは動ける者達だけで……」

「馬鹿を言うな! 幾ら何でも、それは無理だ! 敵の奇襲攻撃で、こちらの部隊は相当に消耗している。最低限指揮官のいない部隊を再編成して戦力を立て直さなければ……」


 アリウス伯爵の言葉に、その場にいた貴族達皆が同意して全面攻勢に出るという意見で纏まり掛ける。そんな時。


「やめた方がよろしいのでは?」


 エレーナの口から出た言葉が、不思議と騒いでいる国王派の者達の耳へと入っていく。


「……エレーナ殿、今何と言った?」


 そんな国王派の中でも、本陣への奇襲という失態を上回る戦功を挙げたいアリウス伯爵が、強い視線をエレーナへと向ける。

 その視線には自分の危機を救って貰った感謝の色は既に無い。それよりも、自分が手柄を挙げるのを邪魔する相手を排除する為の視線へと変わっていた。

 だが、当然エレーナがそんな視線に怯む筈も無い。


「これ以上の戦闘は無用、と言いました。我々ミレアーナ王国軍の目的は、あくまでも敵の侵攻を阻止することのはず。であれば目的は果たしたかと」

「いや、儂はそう思わんな。このまま無事にベスティア帝国軍を帰してみろ。またぞろ、近い内に侵攻してくるぞ? それを防ぐ為にも、ここで出来るだけ被害を与えておく必要があるのだ」

「……魔獣兵の強さを見ても、尚そう言えると? かの閃光を退けることには成功しましたが、魔獣兵はまだ半数以上が無事です。その姿を衆目に晒した以上、前線に出して来るのを阻む要因はないでしょう」


 エレーナの言葉に、周囲の貴族達がざわめく。

 元々魔獣兵の強さとその異様さを見て国王派の貴族達はそれぞれに逃げ散ったのだ。その相手と再び戦う可能性があると言われては、動揺しない方がおかしいと言えた。いや、寧ろこの状況で欠片程も取り乱していないアリウスや、エレーナの姿に見惚れているシミナールの方が特別だと言える。


「残念ながら、儂はそう思わん。エレーナ殿も魔獣兵の異形さを見ただろう? ベスティア帝国軍にしても、前線に出てきている兵士達が魔獣兵を同胞として見られるとは思えん。恐らく魔獣兵を使うのは限定的なものになるだろう」


(閃光が魔獣兵を率いて遊撃部隊として行動するといったところか)


 内心で予想しつつも、自分の言葉に周囲の貴族達の動揺が収まるのを確認しながら再び口を開く。


「そして、残念だがミレアーナ王国軍の総指揮は儂が執っておるのだ。故に、方針は変えん。こちらに入っている情報では、既に敵の先陣部隊は総崩れで本陣と合流していると聞く。この好機を見逃す訳にはいかん。よって、全面攻勢を行うこととする」

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