2887話
エグジニスから出たレイは、早速セトに乗って空を飛ぶ。
とはいえ、今のところは特にどこかに行くといったことは決めていないので、適当に空を飛んでいるといったところだが。
「エグジニスの近くにある山に集まっていた盗賊とかは……どうなるんだろうな。今までエグジニスの周辺に盗賊を集めていたのは、ドーラン工房……いや、ダイラスの手の者だった訳だし。そうなると、ドーラン工房もダイラスも捕まったり死んだりした以上、もうエグジニスの周辺に盗賊が集まってくるってことはないのか?」
「グルルルゥ?」
レイの呟きを聞いたセトが、そうなの? と少し残念そうな様子を見せる。
セトは別に盗賊が好きな訳ではないが、セトの大好きなレイが盗賊狩りを好むことは知っている。
そうである以上、レイの大好きな盗賊狩りの獲物がいなくなるというのは、セトにとって残念なことなのだろう。
「まぁ、盗賊ってのはどこにでもいるから、盗賊狩りをしようと思えばすぐに出来るけどな」
レイの言葉は大袈裟なものではない。
レイに限らず、結構な頻度でギルドに盗賊の討伐依頼は出されており、それによって盗賊は毎日のように死んでいる。
それでも盗賊の討伐の依頼がなくならないのは、レイにとっていっそ不思議だった。
もっとも、そのおかげでレイにしてみれば盗賊狩りの獲物がいなくならないのだから、不満に思うようなことでもないのかもしれないが。
「とにかく、今は……そうだな。適当に周囲を回ってみるか。一旦ギルムに戻ってみるのもいいかもしれないと思ったんだけど、次はかなり後に来てくれって言われていたしな」
「グルルゥ? グルゥ、グルルルルゥ!」
レイの言葉を聞いたセトは、ふと何かを思い出したかのように喉を鳴らす。
最初一体何を言っているのかは分からなかったが、レイとセトは魔力で繋がっているだけに、少し時間が経過すると、その理由が納得出来た。
魔の森……ではなくトレントの森に行かないかと、そう言ってるのだろう。
正確にはトレントの森の中でも、妖精のいる場所に。
そんなセトの様子を見て、そう言えば妖精の長からマジックアイテムを譲って貰う約束になっていたなと、思い出す。
以前妖精の長と会ってから暫く経っているので、そっちに顔を出してみても面白いかも?
そんな風に思い……すぐにレイは決断する。
「そうだな。ならトレントの森に行くとするか。妖精のいる場所なら、誰かに見つかったりもしないから、クリスタルドラゴンについての交渉をしに来る奴もいないだろうし」
「グルルゥ!」
レイの決断に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
レイは何故そんなにセトが妖精に会いたいのかが分からなかったが、セトが乗り気なようなら別に構わないかと思う。
エグジニスの中では、レイは風雪のアジトで寝泊まりしていることが多かったので、セトとはかなり離れてしまっていた。
それだけに、セトのやりたいようにやらせてみるのもいいだろうと判断する。
そうしてセトはトレントの森を目指して飛び始める。
セトが嬉しそうに空を飛ぶ光景は、地上にいる者達にとってもかなり目を奪われるものなのだろう。
何人か地上の街道を進んでいた者達が足を止め、空を見上げているのがレイからも見てとれる。
……もっとも、レイとセトがエグジニスにいた期間そのものは決して長い訳ではない。
まだレイやセトの存在を知らない者は相応の数がいるのは間違いなく、そんな者の中には空を飛ぶセトが未知のモンスターであると感じた者がいてもおかしくはなかった。
その一件によって微妙に騒動となる可能性はあるのだが、街道を進む者達がエグジニスに向かったのなら、そこで事情を説明されて誤解は解けるのだろうと、そうレイは思うのだった。
「んー……この川の水は綺麗だし、魚も大きいのが泳いでるな。休憩場所としては当たりだ」
トレントの森に向かっている途中、レイとセトはとある山の中にある川の側で一休みしていた。
山の中にある川で、普段から人が来るようなこともあまりないのだろう。
結構深い川だが、そこで泳いでいる魚はレイやセトを見てもそこまで警戒する様子はない。
人が来ることはなくても、獣や鳥が魚を獲りにやってくるというのはそこまで珍しい話でもないようにレイには思えるのだが。
「グルルルゥ」
セトが喉を鳴らしながら川を見る。
そこで泳いでいる魚を獲りたいと、そう言っているのだろう。
そんなセトの様子に、レイは少し考えてから頷く。
「そうだな。少し早いけど昼食にするか。獲ったばかりの魚を焼き魚にして食べるのは美味いだろうし。じゃあ、セト。魚を獲るのは任せてもいいか?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、任せて! と嬉しそうに喉を鳴らすと、セトはそのまま川に入っていく。
セトくらいの大きさであっても、頭まで沈むといったような深さがあるのだから、そういう意味ではやはりここはかなり深いのだろうとレイは予想する。
(俺が魚を獲ろうと思えば、簡単に獲れるだろうけど……セトがやる気だし、セトに任せた方がいいか)
そう考え、レイは川の中で泳ぐセトを眺める。
もしレイが本気で魚を獲るつもりになったら、それこそ川に向かって魔法を放てばいい。
そうすれば、爆発の衝撃によって魚は気絶して浮かんでくるだろう。
あるいは煮魚……いや、特に味付けもされていないので茹で魚と表現すべきかもしれないが、とにかくそんな状況になるか。
セトもスキルを多数持っている以上、本当に魚を獲るというだけなら手段は幾らでもある。
そんな中でもこうしてセトがスキルを使わずに自分で直接川の中に入って泳ぎながら魚を狙っているのは、これが川遊びの一種であると認識してるからだろう。
あるいは、不自由を楽しむといったような一面もあるのかもしれない。
(とはいえ、そういう行動だからこそこの川にいる魚が全滅するくらいに獲るといったような真似はしなくてもいいんだろうけど)
そうなったらそうなったで、ミスティリングを持っているレイになら獲った魚を保存しておくのは難しい話ではないのだが。
とはいえ、セトは魚を獲るのが目的ではなく川の中で泳いで遊ぶという方が優先されていた。
既に初秋とも言うべき季節になっており、日中の気温もそこまで高くはないのだが……それでも今日のように天気がよければ、それなりに暖かい。
グリフォンのセトは真冬であっても普通に外で夜を明かすといった真似が出来るので、そんなセトにしてみればこのくらいの気温で川を泳ぐというのは決して難しい話ではない。
「それにしても……本当にいい場所を見つけたな」
雲も殆どなく、太陽の光が地上に降り注ぐ。
真夏の攻撃的なという表現が相応しいような強烈な日光ではなく、どこか柔らかさを感じるような、そんな日光。
その上で、周囲に生えている木々の葉がその光を弱めてくれる。
(この辺に生えている木は、紅葉とかないのか? あるいはもう少し時間が経てば色が変わるのかもしれないけど)
柔らかな光が降り注ぎ、川と森の香りを運ぶ風。
まさに、今こうしてレイのいる場所はもの凄く贅沢な場所なのではないかとすら思ってしまう。
豊かな自然と、川で泳ぐセト。
そんな光景を見ながら、レイはミスティリングから取り出したドワの実を囓る。
口の中に広がる濃厚な甘みを楽しみながら、こういう生活も悪くないとしみじみと思う。
もっとも、いつまでもそういう生活だけをしていれば、惰性で生活するようになったり、やがて飽きたりしそうな気がしないでもなかったが。
「グルルルゥ!」
と、レイが川で遊んでいるセトの鳴き声に視線を向けると、そこではセトが大きく前足を振るって魚を掬い上げるような一撃で空中に吹き飛ばしていたところだった。
空中を飛んだ魚は、そのままレイの近くに落下する。
セトが最初からそれを狙って一撃を放ったのか、それとも単純にセトの一撃が偶然そのような形になったのか。
(多分前者だな)
ピチピチと跳ねている魚を眺めつつ、レイはそんな風に考える。
その証拠に、魚はレイの近くまで吹き飛んできたものの、川の水はレイに降り注ぐようなことはなかった。
それはつまり、セトがきちんと加減をして今のような状況になったのだろうと、そう予想するのは難しい話ではない。
「グルルルルルゥ!」
自分を見ているレイに、セトは自慢げに喉を鳴らす。
そんなセトに手を振ると、ドワの実の最後の一口を口の中に入れ、魚に手を伸ばす。
手加減されたセトの一撃で吹き飛ばされた為だろう。
魚には傷らしい傷もないまま、元気に暴れていた。
そんな魚を手にすると、逃がさないようにしながら川に近づき、暴れたせいで身体についていた土や草を洗い流す。
次に近くにあった木の枝を折って尖らせると、魚に突き刺す。
なお、この時のコツとして魚に一直線に串を刺すのではなく、魚の身体を曲げて交互に魚を貫くようにすると、普通に串を刺すよりも美味そうに見える。
後は焚き火の準備をすると、塩を振って焚き火の近くに串を刺せばいいだけだ。
ただし、この時に早く焼けるようにと焚き火の近くに串を刺したりした場合、外側は焼けても中が生であったり、あるいは外側が焦げても中が生であったりといったようなことになる。
だからこそ、火との距離というのは重要なのだ。
……かといって、焦げるのを怖れて火から離れすぎると、今度はいつまで経っても焼けないということになる。
火との距離が重要なのだ。
そうしてレイが準備を整えている間にも、セトによって追加の魚が他に何匹も獲られてはレイのいる場所から少し離れた場所に吹き飛ばされていた。
魚の吹き飛ばす場所をレイから少し離れた場所に限定しており、焚き火をしている場所に魚が突っ込んでくることはない。
そうして魚を十匹程獲ると、やがてセトは川の中から上がってくる。
普通の者なら十匹の魚……それも三十cmくらいの結構大きな魚となれば、腹一杯になるには十分な量だった。
しかし、それがレイとセトにしてみれば、十匹の魚というのはおやつ程度の量でしかない。
その為、レイはミスティリングからスープやパン、煮込み料理を取りだして食事とする。
「グルルルルゥ」
嬉しそうにセトが喉を鳴らしながら食事をする。
レイもまた、焼き魚を食べながらパンやスープを味わう。
「セトが獲ってくれた魚は美味いな。こういう魚はもっと多く獲ってもいいかもしれないな」
「グルルゥ? グルルルルルゥ?」
じゃあ、食事が終わったらもっと獲ってくる? とセトが尋ねる。
セトにしてみれば、川を泳いで魚を獲るというのは非常に楽しい遊びなのだろう。
だからこそ、レイにまた獲ってくる? と尋ねたのだ。
そんな様子を見たレイは、どうするべきか少し考え……
「そうだな、セトが川でもう少し遊びたいのなら、そうしてもいいと思う、この魚は美味いし」
川魚らしい淡泊な味なのだが、それでも身は柔らかく、口の中で解けていく。
そんな身に、皮はパリッと焼かれており、その皮に振られた塩が淡泊な身の味を一層増す。
今はこうして焼き魚にしているが、どこかの食堂に持ち込んだりした場合は、恐らくもっと美味い料理にしてくれるのではないかと、そう予想することが出来る。
だからこそ、セトがもっと魚を獲ってきたいと言うのなら、レイがそれに反対するつもりはない。
そうしてレイの言葉を聞いてセトは嬉しそうに喉を鳴らし、いつも以上に早く食事を終えると、再び川に向かう。
そんなセトの子供のような様子を、レイはゆっくりと料理を味わいながら眺めていた。
(とはいえ、ああいうセトを見ていると少しだけ羨ましく思えるよな。……いっそ、俺も川に入るか? いや、けど乾かしたりするのが面倒だしな。なら、ここから見てるだけでいいか。それでも十分に楽しいし)
そうしてレイはセトを眺めていたのだが……食事を終え、腹も一杯になっていたこともあり、更には周囲の快適な環境もあってか、やがて睡魔に襲われる。
ゆっくり……本当にゆっくりと目が閉じていき……気が付けば、レイはそのまま眠りに落ちるのだった。
川で遊んでいたセトは、最初そんなレイの様子に全く気が付いた様子を見せず、泳ぎながら獲物を探す。
そうして泳いでいるセトに気が付き、魚は急いで逃げる。
これが空中や地上なら、セトから逃げられるような存在はそうはいない。
しかし、セトも泳ぐのは苦手という訳でもないが魚に追い付くほどではない。
それでも水の中で必死になって泳ぎ……最終的には、結構な数の魚を獲ることに成功するのだった。