2883話
「グルルルルルゥ!」
レイがお土産として買ってきた果実は、セトにとって十分満足出来るものだったらしい。
そんなセトの様子に笑みを浮かべたレイは、セトの面倒を見ていた……実際にはセトが退屈しないように遊んでいたというのが正しいのだが、とにかくそんな真似をしていた門番達を見る。
セトの相手をしていた門番達にも、感謝の意味を込めて買ってきた果実を渡したのだ。
暑さによって甘くなるが、一定以上の暑さになるすぐに悪くなる。
そんな変わった性質を持つ果実だが、今が最高に甘い状態であるというのなら、その果実をミスティリングの中に入れてしまえばいい。
そうすれば、ミスティリングの中では時間の流れが停まっているので、果実も最高に甘いが悪くなっていないという状態のままでいつでも食べられるようになる。
(残念なのは、冷やすといったことが出来ないことだろうな。冷やすと、それも果実の味に影響するって店員が言ってたし)
つまり、この果実は冷やして食べるということが出来ず、常温でしか食べられないのだ。
それがレイにとっては非常に残念だった。
「美味い……」
門番の一人が、果実を食べてしみじみといった様子で呟く。
他の門番も、声には出さないが美味いと口にした者と同様の表情を浮かべていた。
高級な果実だけあって、スラム街の住人……それが風雪に所属している者であっても、そう食べる機会はないのだろう。
これが交渉を担当するニナや、風雪を率いるオルバンであれば、また話は別かもしれないが。
ここにいる門番達は基本的にそのような機会はあまりない。
……それでもあまりないということで、それなりに機会があるのは風雪が恵まれている証なのかもしれないが。
「喜んで貰えて何よりだ。急に暑くなったから、お前達もしっかりと水分を取る必要があるだろうしな。この果実を喜んで食べてくれたようで何よりだよ」
気温を上げたのは自分の仕業であるという認識がある以上、レイとしてはそれなりに責任を感じてはいた。
とはいえ、だからといってこの街にいる全員に何かをする……といったようなことは考えていなかったが。
そもそも、レイがいなければネクロゴーレムは倒せなかった可能性が高く、そのような未来と比べれば、今の状況の方が明らかにマシだろう。
「さて、お土産の果実は喜んでくれたようだし、俺はそろそろ中に入るよ。門番、頑張ってくれ。セトもまたな」
「グルルルゥ」
レイの言葉に門番は感謝を込めて頭を下げ、セトは残念そうに喉を鳴らす。
セトとしては、出来ればもっとレイと一緒にいたかたったのだろう。
そうして風雪のアジトに向かおうとしたレイだったが、不意にそんなレイに門番の一人が声を掛ける。
「レイ、そう言えばちょっと前に出て行った、アンヌとリンディだったか? その二人が少し前に戻ってきたぞ」
「え? もうか?」
その言葉は、レイを驚かせるには十分だった。
何しろ、アンヌとリンディの二人はゴライアスが見つかったということで、ゴライアスの運び込まれた場所……それが具体的にどこなのかはレイにも分からなかったが、とにかくそこに向かっていたのだ。
特にリンディは、ゴライアスに恋心を抱いてる。
それだけに、ゴライアスに会ってすぐに戻ってくるというのは、かなり予想外の出来事だった
しかしレイにその件を教えた門番の男は、その辺りの事情については知らない。
そうである以上、ゴライアスの見舞いに行っていた二人が戻ってきても、そこまで驚くようなことはなかった
「ああ、そうだ。けど……今はエグジニスには怪我人が多いんだろう? そう考えると、そこまで不自然でもないと思うが」
「普通に考えればそうなんだろうが……色々と事情があるんだよ」
まさかここで、実はリンディがゴライアスを好きで……といったようなことを言うのは不味いと判断し、レイはそう誤魔化す。
そんなレイの言葉を聞いて、門番は少し不思議そうな様子を見せたものの、結局それ以上は何も聞かなかった。
レイの様子から、詳しく聞かない方がいいと判断したのだろう。
実際にその判断は正しい。
もしこれ以上詳しく聞いたとしても、レイがその辺の事情について実際に口にすることはまずなかったのだろうから。
こうしてレイは建物の中に入り、当然のように待っていた案内役の男に連れられていつもの部屋に到着する。
「レイ!?」
部屋の中に入ってきたレイを見て驚きの声を上げたのは、当然ながらリンディ。
少し前にレイが無事にこの部屋に戻ってきたというのは、仲間から話を聞いて知っていた。
それでもこうして直接レイの姿を見れば、それで安心するのは間違いなかった。
「無事だったのは聞いてたけど……」
「色々とあったからな。そっちもゴライアスが見つかったんだろ? ……まさか、ドーラン工房にいたというのは、ちょっと予想外だったが」
「……そうね」
レイの言葉にリンディはゴライアスの姿を思い出したのか、小さく呟く。
筋骨隆々といった様子だったゴライアスが今では痩せ細っており、以前の姿は想像出来ないくらいなのだ。
そんな状況だけに、リンディにとってはショックだったのだろう。
あるいは、以前レイと一緒にドーラン工房に行った時にもっと徹底的に調べておけば、もっと早くゴライアスを発見出来たかもしれないということを考えているのか。
以前ドーラン工房に侵入した時は、時間的にかなり切羽詰まっていた。
もしゴライアスを見つけることが出来ていれば、その時はアンヌを……それ以外にも違法奴隷になっていた者達を見つけることは出来ず、更にはネクロマンシーの儀式に使う祭壇についても見つけることは出来なかっただろう。
そういう意味では、ゴライアスを見つけられなかったのは残念だったが、それでもやはりアンヌを見つけることが出来たのはベストではなくてもベターだったのは間違いない。
「俺はゴライアスには会ったことがないが、聞いた話だとこれくらいで折れるような奴じゃないんだろう? なら、お前がしっかりと支えてやって、冒険者としてまた復活させればいい。それに……そうして協力した相手を憎からず思うというのは、ありふれた話だぞ?」
リハビリを手伝ってくれた相手を好きになるというのは、レイもよく知っている。
……もっともそれは実体験という訳ではなく、漫画やドラマ、映画、アニメ……そういうので知った知識だが。
とはいえ、フィクションであっても、それはそういうのが珍しくないからこそ、取り入れられるのだ。
そういう意味では、現在のリンディがゴライアスからそういう相手として見られていなくても、リハビリに協力すれば、そういう相手として見られてもおかしくはない。
「そう……かしら?」
あまり自信がないといった様子のリンディだったが、レイにしてみればそれに対して特にこれ以上突っ込むような真似はしない。
自分から出来るアドバイスは既にした。
これを聞いてリンディがどう動くのかということまでは、レイが気にする必要のないことだ。
そんなレイの言葉を聞いていた者達は、どこか微妙な雰囲気になってしまう。
それを感じたのか、レイは小さく咳払いしてから話題を変える。
「とりあえず、ドーラン工房の一件……それにドーラン工房の裏にいたダイラスの一件は今日で終わった。そうなると、いつまでもここにいる必要がないということになるんだが……どうする?」
そんなレイの言葉に、多くの者が戸惑う。
勿論、ドーラン工房の一件が片付いた以上、いつまでもこのまま風雪のアジトにいる訳にはいかない。
その辺については、今こうして言われるよりも前に、先程レイが戻ってきた時、言われていた。
それで改めてどうすると聞かれた訳だが……すぐに答えられる者は多くない。
自分達のこれからの人生についての話である以上、どうするかと言われてすぐに……もしくは多少時間があっても、その日のうちに決めるような真似は出来ないのだろう。
(さすがにこういう場面で即断即決って訳にはいかないか。別に即座に生死に関わってくる訳じゃないから、しっかりと考えた方がいいとは思うんだけど)
そんな状況ではあったが、それでもすぐにこれから自分がどうするのかを決めることが出来る者もいる。
具体的には、自分に帰る場所のある者達。
「私は孤児院に戻るわ。いつまでもカミラをこういう場所に置いておく訳にもいかないでしょうし」
「え? ……ちょっ、アンヌ姉ちゃん!? そんなに急いで帰る必要もないだろう!?」
アンヌの言葉を聞いて真っ先に不満を口にしたのは、当然ながらカミラだった。
他にもアンヌに恋している男が何かを言いたそうにしていたが、それに気が付いた者はすくない。
「急いで帰る必要があるわ。孤児院は色々と厳しいのよ。そんな中で私がいなくなった以上、かなり忙しくなっている筈よ」
「う……それは……」
そう言われると、カミラも反論出来なくなる。
実際、アンヌは孤児院の中でもかなり頼られる人物だった。
そしてアンヌが奴隷になってから、孤児院がかなり忙しくなったのはカミラも十分に理解している。
勿論、それはアンヌが奴隷にされたというショックから、色々と問題になったというのも間違いないのだが、それでもやはりアンヌがいなくなったというのは大きい。
「分かって貰えたわよね? なら、そういうことで。帰れるようになったら、すぐに戻るわよ」
「ちょ……待ってくれよ! ゴライアス兄ちゃんの看病はどうするんだ!? 俺は見てないけど、かなり酷いんだろ!?」
ゴライアスの見舞いには、カミラは行っていない。
ゴライアスの情報が知らされた時、当然のように現在のゴライアスがどのような状況にあるのかも知らされており、子供のカミラにはショックが大きいと判断されたのだ。
……レイにしてみれば、カミラの性格を考えるとそこまで気にしなくてもいいのでは? と思ったのだが。
その辺は男と女の違い、あるいはカミラとどれだけ親しいのかといった違いがあるのだろう。
「その辺については、そっちで話し合って決めてくれ。ドーラン工房の件に巻き込まれた者達については、ローベルやドワンダのようにエグジニスを動かしている者達から帰るのに必要な旅費は出るし、謝罪の意味も込めてある程度の金額が出るらしいから」
その言葉に、違法奴隷として捕まっていた者達のうちの何人かが嬉しそうな様子を見せる。
具体的にどれくらいの間、違法奴隷となっていたのかはレイにも分からない。
だが、例えばどこかに務めていたような者がいた場合は、違法奴隷にされた時点で恐らく首になっているだろうというくらいはレイにも予想出来る。
もっと酷い場合は、違法奴隷にされたのを知らずに無断欠勤をして連絡が取れなくなったから首といったような可能性も否定は出来ない。
その辺の状況を考えると、ここにいる違法奴隷の面々はこれから暫くの間、かなり大変なことになるのは間違いないだろう。
そんな時に、金があればある程度はどうにかなる。
もしくは、借金のように至急金が必要になる者達もいるのかもしれないが。
「そんな訳で、違法奴隷の面々はどうするのかは出来るだけ早く決めておいた方がいい。イルナラを始めとしたドーラン工房の錬金術師は……どうなるかは分からないが、取りあえず警備兵に話を聞かれることにはなると思う」
そう言うレイだったが、その件については誰も異論はないのだろう。不満を口にする者はいない。
自分達は非主流派の錬金術師としてネクロマンシーの儀式には関わっていなかったのは間違いないが、それでもドーラン工房に所属する錬金術師である以上、話を聞かれるというのは予想していたのだろう。
「そう言えば、ドーラン工房を制圧しに行った時にイルナラを知ってる奴が何人かいたな。心配してたから、無事だというのは言っておいたけど」
そう言われたイルナラだったが、自分を知っている者がいると言われても、そこまで驚いたりといったようなことはない。
非主流派の錬金術師として冷遇されてはいたが、それでもイルナラにしてみれば自分がドーラン工房でそれなりに有名な錬金術師であるというのは知っていた。
そんな自分を知っている者がいるというのは、そうおかしくはないのだろう。
そんなイルナラとは違い、イルナラの部下達はそれを聞いて嬉しそうな様子を見せる。
イルナラが他の人に好かれているというのは、やはり嬉しいことなのだろう。
そんな風に考えつつ、レイはこれからどうするのかといった話を続けるのだった。