2880話
女がレイの言葉に黙り込む。
女も、自分の作ったゴーレムが人を助ける為に破壊された……正確にはネクロゴーレムに吸収されたのは、十分に理解していたのだろう。
だが、それでもレイに対して不満を口にしてしまったのは、自分のゴーレムが消滅したことに対して完全に納得は出来なかったから。
(あ、でも最終的にネクロゴーレムが俺の魔法によって燃やされたと考えると、この女のゴーレムを俺が倒したというのは、決して間違いではないんだよな。そう考えれば、実はこの女の行動はそこまで間違っている訳でもない……のか?)
ふとそんな風に思うも、だからといってレイは自分が責められるのを許容出来るのかと言われれば、その答えは否だ。
「で、それはともかく……あんたが俺に恨みがあるのは分かった。けど、それで俺とこうして接触して、それでどうするんだ? 何かしたかったんじゃないのか?」
「それは……文句を言いたかっただけよ」
本当にそれでいいのか? と思わないでもなかったが、実際にレイを害するような真似をするつもりはないらしい。
そんな女の様子に、レイはどうするべきか迷う。
てっきり、もっと直接的な行動に出るのだとばかり思っていたのだ。
それこそ、殴られる……あるいは、短剣でレイを突き刺すといったような真似をするのかと。
しかし、こうして見る限りでは、女にそのようなことをする様子はない。
(殺意とかは感じてなかったし、そういう意味ではこれで間違ってなかったのかもしれないけど。……でも、だからってこの状況をどうしろと?)
これで直接レイに危害を加えようとする相手なら、レイも相応の手段で反撃するような真似をしただろう。
だが、こうして見たところでは女にはそこまでするつもりはない。
自分のゴーレムがネクロゴーレムに吸収された件で色々と思うところがあるのは間違いないようだったが、言ってみればそれだけだ。
レイに不満を言えば、それで十分満足してしまうのだろう。
「じゃあ、一通り不満も言ったんだし、これで満足しただろ。後はもうこれで俺に用件は……」
ないだろう。
そう言おうとしたレイだったが、不意に自分達に近付いて来る複数の人影に気が付く。
とはいえ、それは別に暗殺者であるとかそういうった者達ではなく、街によくいるようなチンピラ……あるいは冒険者崩れといったような者達。
「ヒュー……やっぱり。結構いい女だろ? 遠くから見た時もいい女だと思ったんだよ」
「お前の女を見る目はすげえな。……そんな訳で、そっちの僕はもうどこかに行ってもいいぞ。このお姉ちゃんは俺達と一緒に楽しい時間をすごすからな」
「ぎゃはははは、それはお前だけが楽しいんだろ?」
「いや、独り占めは許さねえぞ。俺達が楽しむというのが正解だ」
五人程の男達が、レイと話していた女を見て下品に笑う。
いきなりの展開に女は一瞬意表を突かれたような表情を浮かべていたものの、すぐに気の強そうな視線を男達に向ける。
自分が錬金術師ではなく、女として……それも性欲の対象として見られているのが分かったのだろう。
「ふざけないでちょうだい! 大体、貴方達は今エグジニスがどういう状況が分かってるの!? こんな下らないことをしてる暇があるのなら、大通りの片付けでも手伝ってきなさいよ!」
鋭く叫ぶ女の声が周囲に響く。
その言葉を聞いたレイは、微妙な表情を浮かべる。
女の言ってることは間違っていない。
実際に今の大通りでは、多くの人手が必要なのだ。
そうである以上、ここでこうして下らない真似をしている暇があったら、そっちに行けというのは分かる。分かるのだが……
(自分のゴーレムがネクロゴーレムに吸収されたからって、俺を責めてきたこの女がそういうことを言っても説得力がないような……)
勿論、女と男達のどちらの言葉を信じられるかと言われれば、レイは女と言うだろう。
少なくても、この女はゴーレムを製造し、そのゴーレムによってネクロゴーレムから人を助けるといった真似をしているのだから。
それに対して、男達の方はまだ会ったばかりでしっかりとその素性を知ってる訳ではないにしろ、会話の様子からそこまで信用出来る相手だとは到底思えない。
実は男達は必死になって大通りで瓦礫の撤去作業をしていたとか、そういう可能性もあったのだが……
(いや、ないな)
男達の様子を見たレイは即座に否定する。
服や顔に汚れの類が何もない。
瓦礫の撤去作業をしているのなら、少なからずそのような汚れは付着する。
それがないということは、瓦礫の撤去作業の類はしていないのだろう。
そんなレイの想像を裏付けるように、男達の一人が女の言葉を不満に思って目つきを鋭くする。
「あーあ、そういう風に言われたら、俺達も相応の態度をとらないといけないよな。……ほら、ガキ。お前は邪魔だからとっとと消えろ。この女には世間の常識ってのを教えてやるんだからよ」
そう言う男の視線に、女は自分でも気が付かないうちに後退る。
そんな女の姿を見たレイは、どうするべきかと考え……女と入れ違うように前に出る。
女にはゴーレムの件で難癖を付けられたのは間違いない。
だが、錬金術師としてそれなりに頑張った結果としてそうなったという点もある。
そんな女と目の前の男達のどちらに味方をするのかと言われれば、考えるまでもなく明らかだった。
「消えるのはお前達だよ。お前達みたいなチンピラ……いや、冒険者崩れか? そんな連中が何でこんな場所にいるんだ?」
「……ああ?」
レイの言葉を聞いた男達のうちの一人は、苛立ちを露わに睨み付ける。
まさか、今この状況でこのようなことを言われるとは思っていなかったのだ。
男達にしてみれば、レイは小柄な男にしか見えない。
ましてや、着ているローブは特に何かがある訳ではない、どこにでも売ってるようなローブだ。
そんなローブを着ているようなレイが自分達に喧嘩を売ってくるのだから、元々我慢強い訳ではない男達にしてみれば、レイの言動が許容出来る訳がない。
しかし、そんな男達に対してレイは怯えた様子もなく言葉を続ける。
「聞こえなかったのか? とっととこの場から立ち去れって言ってるんだよ」
「ふざけやがって」
こんな小柄で弱そうな相手に侮られた。
そう感じた男は、半ば反射的な動きでレイに近付き、拳を振り上げ……だが、次の瞬間男は地面に倒れ込む。
「ぐ……が……足が……」
足の痛みを訴える男。
殴ろうとした直前にレイの力で足を蹴られたのだから、痛みに呻くのは当然だろう。
他の者達は、最初は相手をからかう為にわざとらしく転んで見せたのでは? と思っていたものの、こうして実際に痛がっているのを見れば何があったのかは大体理解出来たのだろう。
唖然とした視線をレイに向ける。
この男達にとって幸運だったのか、あるいは不運だったのか。
レイに殴り掛かったのは、男達の中で一番強い男だった。
そんな男があっという間に……それこそ特に何もされているようには見えなかったのに、倒されたのだ。
ここでようやく、レイが自分達とは全く比べものにならない強さの相手だと気が付いたのだろう。
……チンピラや冒険者崩れではなく、しっかり冒険者としての強さを持つ者であれば、向かい合っただけでレイの強さを感じることも出来ただろう。
だが、生憎とこの男達にはそんな強さはなく、相手の実力を察するといった真似も出来なかった。
「行け。もう実力差は分かっただろう。お前達では俺に勝つことは無理だ。それとも……勝てるかどうか、それこそ死ぬまで試してみるか? 俺はそれでもいいが?」
「ひ……ひいいぃっ!」
「あっ、ちょ、待てよ!」
レイの言葉に本気を感じ取ったのか、とにかく自分ではどうしようもないと判断したのだろう。
男達は急いでその場から逃げ出す。
「って、仲間を置いていくのかよ。まぁ、ああいう連中だしな」
レイの一撃によって未だに痛みに呻いている男がその場に取り残されたことに、レイは呆れの表情で呟く。
置いていかれた男は、怯えの視線をレイに向けるだけだ。
子犬か何かだと思っていた相手にちょっかいを掛けたら、実はその相手はドラゴンだった。
少し大袈裟ではあるが、男が感じているのはそのような思いなのだろう。
幸いなことに、そのドラゴンはもう倒した男に興味は示していない。
これでもう少し男が金を持っていそうなら、戦利品として金を奪ったりといったようなことをしたかもしれないが、男はそこまで金を持っているようには思えない。
そうである以上、ここで迂闊にちょっかいを出すような真似をする必要はなかった。
「何で……」
と、不意にレイの背中にそんな声が掛けられる。
それが一体誰の声なのかは、考えるまでもない。
この男達の前にレイに絡んできた……そして男達に絡まれた錬金術師の女。
そんな女が、レイに向かって理知的な美貌に理解出来ないといった表情で視線を向けている。
「どうした?」
レイとしては、この女が一体何を言いたいのかが分からない。
そんな疑問の視線を向けると、女は再び口を開く。
「何で私を助けるような真似をしたのよ。私は貴方にとんでもない言い掛かりをつけて絡んでいたのよ? 貴方にしてみれば、鬱陶しい存在だったでしょう。なのに、何で……私を助けるよう真似をしたの?」
そう言われたレイは、一瞬何を言われているのか分からないといったような、きょとんとした表情を浮かべる。
だが、すぐに女が何を言いたいのかということを理解した。
「ああ、そう言えばこの男達が絡んでいたのは、最初あんたが狙いだったな」
痛みに呻きながらも、何とかレイと視線を合わせないようにしている男を眺めつつ、レイが呟く。
レイにしてみれば、自分の外見が理由で絡んでくる相手というのは、頻繁にあることだ。
そして女を目当てに絡んできた者達は、最終的にはレイにも絡むような真似をした。
そうである以上、レイにとってこの者達は自分に絡んで来た存在と認識され、結果として排除する存在となった。
その時は、もうレイにしてみれば女に絡む云々というのは関係がなくなっていたのだ。
「俺はこういうのは慣れてるしな。それに……そうだな。敢えてあんたを助けた理由を言うのなら、あんたのゴーレムは人を助けた。それで十分だと思うが?」
レイにしてみれば、自分に絡んできたという点では錬金術師の女と冒険者崩れの男達は同じだ。
だが、絡むという行為そのものは同じであっても、その理由は大きく違う。
また、女が自分のゴーレムに対して強い愛情を抱いていたのも、レイにとっては好印象となる。
「そんな……そんなことで私を助けたの?」
「勘違いしてるようだけど、別に俺はあんたを助けたつもりはない。見ていたのなら、この男達が俺に絡んできたのは知ってるだろ? なら、そんな相手を俺が対処するのは当然だと思わないか?」
「それは……いえ、でも……」
レイの言葉に納得するような、出来ないような。そんな微妙な表情を浮かべる女。
そんな女の様子を見ていたレイは、少し考えてから口を開く。
「そうだな。なら、今回の件は貸しにしておくよ。今度俺が何か困った時にあんたが助けられるのなら、助けてくれ。ただ……個人的にはそんなことより、もっと人の役に立つようなゴーレムを作って欲しいけどな。そっちに集中するのなら、貸しはそれで返したってことにしてもいい」
「い……言っておくけど、私にそんな真似をしても何も得にはならないと思うわよ?」
「そうか? ジャーリス工房に務めている錬金術師というだけで、有能な証拠だと思うけど。実際、お前のゴーレムは人を救っているんだ。それはかなり大きい出来事だと思うぞ?」
そう告げるレイの言葉を聞いた女は、不意に視線を逸らす。
何故かその頬が薄らと赤くなってるような気がしたレイだったが、さっきまで自分に向かって不満を口にしていた女がまさか……と、考えを否定する。
自意識過剰はみっともないと思いながら。
「じゃ、じゃあ私はこの辺で失礼するわ。貴方に不満をぶつけたのは悪かったと思うわ。何かあったら助けるから、ロジャーじゃなくて私を頼りなさい。いいわね!?」
そう言うと、女はレイの返事も聞かずに走り去る。
そんな女の後ろ姿を見ていたレイは、戸惑った様子で口を開く。
「私に頼りなさいって言っても……名前も知らない相手に、一体どうやって頼れと?」
「いや、そうじゃないだろ」
レイの間の抜けた台詞に、痛みに呻いていた筈の男は思わずといった様子で突っ込む。
だが、そんな男もレイが改めて視線を向けると、その視線から逃げるように顔を逸らすのだった。