2877話
レイは部屋の中にいる者達に事情を説明すると、すぐに部屋を出た。
本来ならもう少し部屋の中にいてもよかったのだが、レイの口から出た説明はそれを聞いていた者達にすれば決して喜ばしいものではなかっただろう。
だからこそ、ここにレイが残っていた場合、それを聞いた者はレイに苛立ちをぶつけるようなことになるかもしれないと思ったのだ。
特にイルナラは、子供の時からドーラン工房に憧れて錬金術師になり、そして夢が叶ってドーラン工房の錬金術師となった。
そんなイルナラがドーラン工房は恐らく潰れると聞かされたのだ。
その一件に対して思うところがあるのは当然だろう。
イルナラも、レイが悪い訳ではないというのは分かっている。
それどころか、レイのおかげでエグジニスが救われたのだと分かっていても……それでも、レイが目の前にいれば、当たり散らしてしまう可能性が高かった。
冷静なイルナラですらそうなのだから、他の者達も同じように苛立ちを露わにするようなことがあってもおかしくはない。
レイとしてはそんなことにならない方がいいと思うが、そのようなことがないとは言い切れない。
だからこそ、現在のレイはこうして風雪のアジトを適当に歩き回っていたのだ。
当然だが、レイ一人ではなく案内役も一緒に。
ただしレイが地下に来た時に案内した人物ではなく、全く別の相手だったが。
「レイさん、どこに行くんですか? 私が案内出来る場所は、そんなに多くありませんよ?」
案内役の女は、レイに向かってそう言ってくる。
女にしてみれば、レイが好き勝手に風雪のアジトを歩き回るよりは、自分が案内した方がいいと判断しての言葉だろう。
出来れば、レイには部屋で待機していて欲しい。
そんな風に考えてもおかしくはない。
「どこと言われてもな。特に目的がある訳じゃないから、それこそ適当に見て回ってるんだが。……ただ、こうしていても何もないのはちょっとどうかと思うし。図書館とかそういう場所はないのか?」
「ありますけど、そこを使うには上の許可が必要です。色々と希少な本とかもありますから」
「そうか」
少しだけ残念そうに呟くレイ。
今は何かをして時間を潰す必要があり、図書館で本を読んで暇潰しをしたいと、そう思ったのだろう。
他には単純に風雪にどんな本があるのかが気になったというのもあるのだろうが。
そんな訳で、今はとにかく暇であるのは間違いなく……
(なら、俺が持ってるモンスター図鑑でも読むか?)
そう思ったが、レイの持っているモンスター図鑑は既に何度も読んでおり、その内容はほぼ覚えてしまっている。
今この状況でまた読んでも、暇なのは間違いない。
(いっそ、街の復興を助けに行くか?)
一瞬、それはいい考えのように思えた。
レイの持つミスティリングを使えば、瓦礫をあっさりと片付けるような真似も出来る。
だが……自分がネクロゴーレムを倒したのを知られた時の騒動を考えると、それこそ自分が瓦礫の片付けを手伝おうとした場合、騒動の方が大きくなって瓦礫を片付けいている面々に迷惑を掛けるのではないかと、そう思ってしまう。
なら、どうするかと考えていると、不意に自分達のいる方に近付いてくる気配を察した。
誰だ?
そう思いながら、もしかしたら……本当にもしかしたら、以前襲ってきた者達の生き残りではないか。
そう考えたのだが、やってきた人物はレイと案内役の女を見ても特に動揺した様子もなく近付いて来る。
「レイさん、ようやく見つけました。実は、上にレイさんに会いたいという人が来てるんですが、どうしますか?」
これが普通なら……そう、例えばイルナラやアンヌに会いたいと言ってきた相手なら、風雪の方でそれを拒否するなり、あるいはイルナラやアンヌに面通しして、知り合いなのかといったことを確認するだろう。
だが、その相手がレイとなると、話は変わってくる。
レイも一応はこのアジトを使っているものの、それはあくまでもアンヌ達の付き添いという一面が強い。
実際、もしレイが本気になれば風雪はあっさりと壊滅するだろう。
だからこそ、そんなレイに会いに来たという相手がいるのなら、会うかどうかはレイに判断して貰う必要があった。
「俺に? 一体誰が?」
「何でもジャーリス工房からやって来たって言ってました」
「……ジャーリス工房の? なら、ロジャーか?」
ジャーリス工房の錬金術師で、レイが付き合いがあるのはロジャーしかいない。
であれば、レイを訪ねてきたのはロジャーで間違いないのだろうが、そうなると一体何の為に自分に会いに来たのかといった疑問があった。
(というか……ネクロゴーレムの一件で、実は何らかの被害を受けているとか、そういう事はないよな?)
レイにしてみれば、もしかして……とそんな風に疑問を抱いてもおかしくはない。
とはいえ、その場合であっても何故ここに来るのかといった疑問があったが。
どうするべきか考えたものの、やはりここはしっかりと会って判断する必要があった。
「そうだな。なら、ちょっと見てくる。一体何をしに来たのか気になるし」
ジャーリス工房からということは、恐らくロジャーだろう。
そう思うものの、今の状況で一体何をしにここへ? という疑問もある。
あるいはネクロゴーレムの一件でジャーリス工房が被害を受けて、その復旧の為に助けて欲しいと自分を頼ってきたのかとも思ったが。
とにかく事情についてはしっかりと話をしてみなければ分からない以上、まずは会ってみる必要があるだろうと判断する。
これがジャーリス工房でも何でもない、全く見知らぬ相手であれば、レイもわざわざ会おうとは思わなかっただろうが……
(いやまぁ、暇だったのは間違いないから、もしかしたら会ったかもしれないな)
今の状況では特に何かやることもなかったので、あるいは見知らぬ相手がレイに会いに来たとしても、その相手に会った可能性は否定出来ない。
レイにしてみれば、暇潰しという意味も大きかったが。
……ただし、レイにとっては暇潰しであっても、実際にレイに会いに来た者にしてみれば、それは何らかの必死の思いを抱いてきたのは間違いないだろう。
そういう意味で、恐らくロジャーと思われる者は運がよかった……という表現も相応しいのかもしれない。
ともあれ、レイは報告を持ってきた相手に連れられて地下を移動し……そして地上に出る。
するとそこで待っていたのは、予想通りロジャー……ではなく、別の人物。
ただし、ロジャーではなかったが、かといってレイにとって全く知らない相手という訳でもない。
ロジャーの護衛をしている人物の一人。
……つまり、レイが最初にロジャーに遭遇した時、セトにちょっかいを掛けて撃退された者の一人だった。
(そう言えば、こいつも分類上は冒険者なんだよな。なのに、今回の騒動には参加していなかったのか。まぁ、ジャーリス工房の……というか、ロジャーの専属といった形だから、当然かもしれないけど)
だとすれば、他の工房で専属として雇われていた冒険者も今回の騒動には参加していなかったのかもしれないと思いながら、レイは口を開く。
「お前、ロジャーの護衛だよな? こんな場所まで何をしに来たんだ?」
ロジャーの護衛の中には、裏社会に関して詳しい者もいる。
そういう意味では、レイが現在風雪のアジトにいるのも、そこからの情報の流れであったりした。
とはいえ、今こうしてレイの目の前にいる男は裏社会に詳しい相手ではなかったが。
「あ、レイさん。えっと、はい。実はロジャーさんの方でちょっと問題があって……」
「問題?」
問題と言われてレイが最初に思い浮かべたのは、当然のようにネクロゴーレムの一件でジャーリス工房が被害を受け、それによってロジャーも何らかの怪我をしたのではないかということだった。
だが、レイの前にいる冒険者は特に深刻そうな表情を浮かべている様子はない。
ロジャーの護衛として雇われている以上、もしロジャーに何かあってレイを呼びに来たのなら、そこには深刻そうな表情があってもおかしくはない。
「一応聞いておくが、ロジャーはネクロゴーレムの騒動で怪我をしたとか、そういうことじゃないんだよな?」
「え? ああ、はい。それについては問題ありません。そもそもジャーリス工房に被害らしい被害はありませんでしたから」
その言葉を聞き、レイは安堵する。
ネクロゴーレムが直接ジャーリス工房の側を通った訳ではない。
しかし、スラム街にもネクロゴーレムの放った紫のブレスによって被害を受けていたのを考えれば、もしかしてジャーリス工房も……といった風に考えてもおかしくはなかった。
しかし、そんなレイの心配は冒険者の男の言葉ではっきりと否定される。
「なら、何があった? 今のエグジニスの状況ではネクロゴーレムの件以外で何らかの騒動が起きるとは、ちょっと思えないんだが」
「その、実はロジャーさんが開発しているゴーレムの件で……」
ロジャーが開発しているゴーレムの件と言われ、レイは再び不安を抱く。
現在レイがロジャーに頼んでいるゴーレムの開発は、二つある。
とはいえ、そのうちの一つはエグジニスにおいては街中を歩けば普通に見ることが出来る、ゴミ拾いをする清掃用のゴーレムだ。
……もっとも、そんなゴーレムもネクロゴーレムの一件でかなりの被害を受けたのは間違いない。
恐らくネクロゴーレムが次第に大きくなっていった理由の一つには、そのような清掃用のゴーレムがネクロゴーレムに吸収されていたという点もあるのだろう。
とはいえ、基本的に清掃用のゴーレムは決して大きくないので、もしネクロゴーレムに吸収されたとしても、そこまで巨大化に関係はなかっただろう。
ともあれ、レイがロジャーに頼んだのはエグジニスにおいてはありふれた存在である清掃用のゴーレムと、そしてもう一つは防御用のゴーレムだ。
レイは冒険者として突出した実力を持っているのは間違いないが、だからといって何でも出来るという訳ではない。
そんな中で特に苦手としてるのが、護衛だ。
敵がレイを狙ってくるのなら、それに対処する手段は幾らでもある。
あるいはレイの相棒であるセトを狙ってくるといったようなことがあっても、セトならそれに対処するのは難しくないだろう。
だが、誰かを護衛するとなれば、話は違ってくる。
護衛対象を守っている間、レイは動くのが難しくなる。
また、護衛対象が攻撃されたということに混乱し、レイの側から逃げ出すといったような真似をしてもおかしくはない。
そのような時、護衛対象を守る為の盾役のゴーレムがいれば、レイにとってもやりやすいのは間違いなかった。
だからこそ、ロジャーには防御用のゴーレムを製作するように頼んだのだ。
そのどちらかに問題があって、目の前の男が来たのだろう。
(普通に考えれば、防御用のゴーレムの方だけど……清掃用のゴーレムも、一般的な物じゃなくて、特別な奴を作るって話だったし。そうなれば、どっちだ?)
若干の疑問を抱きつつ、レイは男に尋ねる。
「ロジャーには二種類のゴーレムを頼んでいたと思うが、どっちのゴーレムだ?」
「あ、清掃用の方です」
「……そうなのか」
男の口から出たのは、レイにとって予想外の言葉だった。
二種類頼んではいたが、それでもやはり何か問題があったとするのなら、それはやはり防御用のゴーレムだとばかり思っていたのだ。
しかし、こうして口にしたのは、清掃用のゴーレム。
一体何があったのかとレイが疑問に思うのも当然だろう。
「清掃用のゴーレムの何が問題なんだ?」
「はい。実はロジャーさんが、清掃用のゴーレムを瓦礫の片付けに使っても構わないか、と」
「……はぁ」
てっきり何かもっと切迫した理由なのかと思っていただけに、その言葉はレイにとってもかなり意外だった。
「一応聞くけど、それは俺に許可を得る必要があるのか?」
「当然ですよ。ロジャーさんが作っている清掃用のゴーレムは、あくまでもレイさんからの依頼で作っているんですから。それを勝手に使うような真似は出来ません」
その割には、ドーラン工房は普通にゴーレムを使っていたように思えるのだが。
そう突っ込みたくなったレイだったが、その件に関してはドーラン工房の方がおかしいのだろうと思えた。
「それに、清掃用のゴーレムは、オークナーガ? とかいうモンスターの素材を使っているらしく、それに関して色々と新技術が使われているらしいから、余計にです」
「それは……なるほど」
オークナーガというのは、レイがロジャーに渡した、魔の森に棲息する未知のモンスターだ。
その素材を使ったというのなら、ロジャーが慎重になる理由も分かったが……やがてレイは頷くのだった。