2874話
「レ、レイさん。お待たせしました。ちょ、ちょっと忙しかったもので」
役所の中にある部屋で、ローベルはそんな風に言いながら頭を下げてくる。
ローベルにしてみれば、出来るだけ早くレイと会いたかったのだろうが、それ以外に色々とやる仕事があったのだろう。
「まぁ、役人が忙しく働いているのを見れば、納得するしかないけどな。……それよりもローベルとオルバンだけか? ドワンダはどうした?」
部屋の中にいるのは、ローベルだけ。
だが、部屋の中にオルバンが隠れているのを、レイは察していた。
なお、レイをここまで案内してきたマルカとニッキーは部屋の外で待機している。
だからこそその名前を出したのだが、次の瞬間にはオルバンが棚の影から姿を現す。
「俺が隠れていたのもお見通しか。……ドワンダさんは、治療中なんだよ。それ以外にも色々と下の者に指示をする必要があるらしくてな。その辺が終われば来ると思う」
「……色々、ね」
この場合の色々というのが具体的にどのような意味を持つのかは、何となくレイにも理解出来た。
今のエグジニスはネクロゴーレムの一件でかなりの騒動となっている。
だが、エグジニスを治める立場としては、当然だが今回の騒動の後のことも考えておく必要があった。
ドワンダが現在ここにいないのは、恐らくその件だろうと予想するのは難しい話ではない。
同時に……レイの視線がローベルに向けられる。
「な、何ですか?」
そんなレイの視線に、戸惑った様子のローベル。
「いや、ドワンダは今この時も色々と動いてるってのに、ローベルはこうして騒ぎを収める方に回っていていいのか? 気が付けば、ダイラスとルシタニアの権益を全部ドワンダに持っていかれたりしても知らないぞ」
「そ、その心配はありません。ド、ドワンダさんもそこまで無謀ではないですから」
「ローベルの言う通りだと思うぞ。ここでドワンダさんが何かを企んでも、それが成功するとは思わない。……それ以前に、ドワンダさんがそんな真似をする可能性そのものがないだろうな」
ローベルの言葉に続けるようにオルバンがそう言ってくる。
それに対してレイは何かを言おうかと思ったが、ドワンダがどう動いてるのかを知っている上でこうして何も問題がないと言っているのなら、わざわざ自分が口出しをする必要はないかと思い直す。
「お前達がそれでいいのなら構わないが。それで、取りあえずの報告だが、ネクロゴーレムは倒した。エグジニスからそれなりに離れた場所で燃やしたが、まだそこは灼熱地獄と呼ぶに相応しい状況になっているから、死体……それとも残骸か? とにかくそれを確認するにはもう少し時間がかかると思う」
「……もう分かってるけど、一応聞いておく。少し前から急激にこの辺り一帯の気温が上がったのは、もしかしてレイの仕業だったりするのか?」
「オルバンの言う通りだな。答えが分かってる質問をわざわざするのは、どうかと思わないでもないが」
レイのその言葉に、オルバンは呆れの視線を、そしてローベルは驚愕の視線を向けてくる。
「深紅の異名の本領発揮ってところか」
「それは褒められてるのか?」
「正確には呆れているのと驚いているのが半々といったところだよ。……それは今のエグジニスを見れば分かるだろ? 急激に暑くなった中で残骸の撤去作業とかをやってるんだぞ? この暑さがなければ、もう少し快適に動けたものを」
「そんなことを言ってもな。相手はあのネクロゴーレムだぞ? 下手に攻撃をした場合、腐液を撒き散らかして周囲一帯に毒煙を充満させるような奴だ。そんな相手を倒すんだから、腐液とか毒煙そのものを燃やすようにして倒してしまうのが最善だ」
そんなレイの言葉にオルバンは何かを言おうかとしたものの、実際にネクロゴーレムの腐液や毒液を見た以上、その言葉に反論は出来ない。
実際、もしレイがいなければ街中でどのようなことになったのかを予想すれば、例え気温が急激に上がるといったようなことがあっても、それが最善の結果だとは理解出来た。
「そ、その辺で。じ、実際にレイさんがいなければエグジニスが受けた被害はもっと莫大なものになっていたのですから」
取りなすようにローベルが言うものの、それは間違いのない事実でもある。
もしレイがいなかった場合ネクロゴーレムは一体どうなっていたか。
もっともネクロゴーレムが暴れるようになったのも、ドーラン工房の一件が発端であり、それが起きたのはレイが関わっていたからだ。
もしレイがいなければ、ドーラン工房の一件が明らかになるようなことはなかったが、同時にエグジニスにこのような被害が出るようなこともなかっただろう。
そういう意味では、レイが今回の騒動の原因と考えてもいい。
オルバンやローベルにしてみれば、レイが来たおかげでここまでエグジニスに騒動が起きたのを恨めばいいのか、レイのおかげで隠されていた犯罪の諸々が表に出たのを喜べばいいのか、微妙なところだったが。
「そうだな。レイがいたからこそ何とかなったのは間違いないか。……ああ、そうそう。この件を伝えるのを忘れていた。レイが……というか、リンディだったかが捜していた、ゴライアスとかいう冒険者がいただろう?」
ピクリ、と。レイはオルバンのその言葉に反応する。
この状況でゴライアスの名前が出て来たのだから、それは当然だろう。
「見つかったのか?」
「ああ。ドーラン工房の中に監禁されているのを発見された」
「……ドーラン工房に? 違法奴隷がいた場所は……いや、そう言えばそこに行く途中に分かれ道があったな。俺が行かなかった方にゴライアスがいた訳か。その件、リンディには?」
「もう知らせた。今頃はゴライアスのいる場所に向かっていると思う」
「で、何でゴライアスはドーラン工房に監禁されていたんだ? アンヌ達……違法奴隷とされた者達と別の場所にいたということは、ネクロマンシーの儀式の生贄という訳でもないんだろう?」
「そうだろうな。詳しい事情はまだ聞いてないが、かなり衰弱していたらしい。水や食事も最低限しか与えられていなくて、見つけた時は痩せ細っていたとか」
「痩せ細っていた、か。俺が聞いた話だと、ゴライアスというのは筋骨隆々の大男って話だったんだが」
ドーラン工房が一体ゴライアスを監禁して何をしていたのかは、レイには分からない。
しかし筋骨隆々の大男が痩せ細るといったようなことになるのなら、一体何をしていたのかが気になる。
とはいえ、ドーラン工房の……それも非主流派の錬金術師だったイルナラが何も知らない状況を思えば、一体どのようなことをしているのかは考えるまでもない。
「ともあれ、無事だったのは間違いない。向こうのやっていたことを考えれば、無事だったことは運がよかったな」
しみじみと呟くオルバンに、レイは同意するように頷く。
実際、人の魂をネクロマンシーの素材として使っていたドーラン工房に囚われていたことを考えれば、ゴライアスが生きていたのは非常に大きな意味を持つ。
「ゴライアスが何をされていたのかというのは、本人から聞いてないのか?」
「難しいな。殆ど喋ることが出来ないような状態だったらしい。何とか自分の名前を喋ることは出来たらしいが」
「それはまた……イルナラ辺りがその話を聞けば、また色々と面倒なことになりそうな気がするな。とはいえ、今回のドーラン工房の一件は、イルナラ達のように何も知らなかった者もいるんだろ?」
「詳しい取り調べはしてないから何とも言えんが、それは間違いないと思う。……ただし、事情を知っていた者も相当な数になると思うがな」
「こ、これからが問題ですね。ド、ドーラン工房がこのようなことになった以上、色々と大きな問題になるのは間違いありません。エ、エグジニスも恐らくは自治権を奪われる可能性が高いでしょう」
そう言うローベルだったが、言葉程に深刻そうな様子はない。
いや、いつも落ち着かない様子を見せているので、それを思えばいつも通りに近いのかもしれないが。
「自治権か。ただ、これからもドワンダと……いや、その後継者と一緒にエグジニスを動かしていくとなると、かなり厳しいのは間違いないだろ? 国の方でも、いきなり無茶な人物を送ってきたりはしないだろうし」
「い、いっそレイさんがエグジニスの領主になってくれればいいんですけどね」
『は?』
ローベルの口から出た、レイにとっては完全に予想外だった言葉。
それを聞いたレイの口からは間の抜けた声が漏れ出る。
レイの言葉と一緒に、オルバンの口からも同じような間の抜けた声が漏れ出ていたが。
「俺が領主? 何をどうすればそんなことになるんだ? 俺が街を治めるとか、出来る訳がないだろ」
「せ、政治に関しては別にレイさんがやらなくても、下の者に任せればいいんです。ひ、必要なのは、ネクロゴーレムを倒したという実績です。も、もしまた同じようなことがあった場合、それに対処出来る実力の持ち主がいるというのは、大きいですから」
そう告げるローベルの口調は、冗談半分……ではなく真剣に言ってるように思える。
少なくてもレイの目からはそのように見えた。
当然の話だが、レイとしてはそのようなことをするつもりは全くない。
「本気か冗談かは分からないが、一応言っておく。俺は貴族になるつもりも、このエグジニスを拠点にするつもりもない。俺が拠点にするのは、あくまでもギルムだ」
レイにとってギルムというのは、第二の故郷のような存在だ。
いや、このエルジィンにやってきてもう日本に戻ることが出来ない以上、ギルムこそがレイにとって唯一の故郷であるのは間違いない。
故郷であるということ以外にも、辺境であるというのはレイにとって非常に大きな意味を持つ。
辺境であるが故に未知のモンスターがいて、その魔石によってセトやデスサイズを強化することが出来る。
魔の森からの距離が近いというのも、この場合は大きな理由だろう。
……もっとも、基本的に魔の森は領主やギルドからの特別な許可がなけれれば入ることは禁じられている。
別に誰かが魔の森に入らないように見張っている訳ではないので、レイとセトの場合は普通に空を飛んで魔の森に入るといった真似も出来るのだが。
魔の森は強力なモンスターが棲息しており、レイやセトでも苦戦するようなモンスターも多いので、気楽に魔の森に向かう訳にはいかない。
それ以外にも辺境であるが故に、色々と特殊な素材であったり、モンスターの肉も多く流通している。
ギルムにおいては、オークの肉は一般的な肉の一つだ。
だが、それも辺境であるからこその光景だった。
勿論、辺境以外の場所であってもオークはそれなりに出没することはあるものの、それでも数という点で考えれば圧倒的に辺境の方が多い。
「そ、そうですか。ざ、残念です」
レイの様子を見て、とてもではないがレイをエグジニスの領主にするといった真似は出来ないと判断したのか、言葉通り残念そうな様子を見せるローベル。
(本気で言っていたのか、冗談だったのか分からないが……もしこれで本気だったら、かなり困っていたな)
レイにしてみれば、自分が領主になるなどといったようなことは全く考えていない。
自分にそのような真似が出来るとも思わなかったし、何より今のこの役所の状態を思えば、とてもではないが好んで領主をやりたいとは思わない。
それこそ先程ローベルが言ったように、実際の政治は下の者に任せるといったようなことをしても、貴族同士の付き合いであったり、どうしても領主でなければ決済出来ない書類もあったりするのだろうことは容易に想像出来る。
そんな面倒な真似をするよりも、冒険者として活動するのがレイの性に合っていた。
金に困ったらギルドで依頼を受けるなり、モンスターを倒して素材を売るなり、もしくは盗賊狩りをすればいい。
領主のように面倒なことはせず、自分の行動だけに……いや、今はパーティを組んでいる以上、自分と仲間についての責任だけを考えればいいのだ。
そういう意味では、冒険者というのはレイの性に合っている。
これが普通の人間なら、冒険者として活動出来なくなった後のことを考える必要もあったりするのだが、幸いにもレイはかなり老化が遅い。
それはレイがこの世界に来てから既に数年が経過しているにも関わらず、全く成長していないことを見ても明らかだろう。
レイは自分の身体ではあるが、その辺りがどうなっているのか分からない。
既にゼパイル一門は誰も生き残りはいないし、ゼパイル一門について知っているとなると、アンデッドのグリムくらいしかいない。
そのグリムも、生きていた時はゼパイル一門に憧れていた者の一人でしかなかった。
ゼパイル一門の噂については知ってるだろうが、最高機密とも言うべきレイの身体について知っていることはないだろう。
(その辺については、後々考えていくしかないか)
そう、気楽にレイは考えるのだった。