0287話
胴体を上下に切断されて地面へと倒れたヴェル。その姿を見ていたアーラは、ふと気になり周囲を見回す。
その視界に映ったのは、地面に倒れたまま指先1つすら動かすことの出来ない4人の魔獣兵のみだ。そう、この場には最初5人の魔獣兵がいたにも関わらず、ヴェルに操られて息絶えているのは4人のみであった。
「残りもう1人は……」
呟いて周囲を見回すが、見えるのは遠くで他の魔獣兵達と戦っている者達のみだ。特にこの辺ではアーラが戦っていたこともあって、エレーナの護衛騎士団の姿も多く見える。どこを見ても残りの1人の姿は無い。
近くにいればヴェルに殺される可能性があったのだから、それも当然だった。唯一生き残っていた甲虫の魔獣兵は、既にこの場を離脱していたのだ。尚、その後シアンスにヴェルの件を報告に向かっている最中にレイと遭遇し、ヴェルと同様に胴体を上下に分断されるという最期を迎えていた。
「……護衛騎士団、か」
「アーラ様!」
ヴェルの最期を思ってアーラが呟いたその時、背後から唐突に呼びかけられる。
そちらへと振り向いたアーラが見たのは、自分より10歳程年上の青い髪をした中年の男だった。副団長を務めているこの男は、騎士団長である自分よりも余程的確に護衛騎士団を纏めており、アーラにとっても部下ではあるが頭の上がらない相手でもある。
「そっちも無事だったようだな、メーチェン」
騎士団長としての立場があるのだろう。いつもエレーナやレイへと話しているような言葉ではなく、どこか固い口調で声を掛ける。
「はい。現在確認されている限りでは、団員の中では死者2名、重傷者13名といったところです」
「そうか。2人か」
目に悲しみを浮かべつつ溜息を吐き、そのまま視線を地面に倒れているヴェルへと向ける。
その視線を追ったメーチェンは、胴体を切断されている人物が誰の面影を残している顔付きなのかに気が付く。
「ヴェル!? 団長、これは……」
「そう、かつては私達の同胞だったヴェル・セイルズ。その成れの果て」
「これがヴェル、ですか。その、随分と様変わりをしているようですね」
左肩から伸びている樹の根の触手に、焼け爛れた顔と4つの目という、かつての面影がなければ自分でも絶対に気が付かなかっただろう、その様子に、メーチェンもまた上司に習って溜息を吐く。
「正直、ヴェルが我々を裏切ったという話を聞いた時は、この手で殺してやりたいと思ってましたが……この姿を見ると、そんな気持ちも無くなりますね」
「そうだな。裏切った現場をその目で見た私でさえ、今のこの状況を見れば哀れみしか感じない。何しろ、目の仇にしていた者に相手にもされず、ゴミ屑同然に払いのけられた最期だったからな」
「え? これは団長がやったのでは? 胴体が真っ二つになってますし」
その言葉に、思わず据わった目付きで己の副官を見るアーラ。
もちろん自分の腕力が通常に比べて並外れて高いというのは自覚しているが、それでもやはり女としては納得出来ないものもある。
「メーチェンが普段私をどんな目で見ているのか良く分かるような言葉だな。けど残念ながらヴェルを仕留めたのは私じゃない。皮肉なことに、ヴェルが心底憎んでいた人物、レイ殿だ」
「レイ殿というと、確かエレーナ様の……」
エレーナがレイを想っているという情報は、護衛騎士団の副団長ということもあって、メーチェンにも知らされている。
もちろんエレーナが知らせたのではなく、アーラが人当たりの悪いレイとメーチェンの関係が悪くならないようにと配慮してのことだった。
「エレーナ様を捜していて、偶然ここに辿り着いたらしいけど……その時、私がヴェルの操っていた魔獣兵に襲われているのを見て、助けてくれた。とはいっても、ヴェルを背後からあの大鎌で斬り払っただけだけど」
「大鎌ですか。ラルクス領軍の方から聞いた情報によると、相当に巨大な鎌らしいですね。それを手足のように操るというのだから、腕力でも団長より……」
メーチェンがそう告げた時、アーラは視界の隅で確かに何かが動いたのを見た。そう、胴体を上下の2つにされたヴェルの切断面から木の根が伸び、お互いに結びつこうとしているのを。
その様子を見た時、アーラは殆ど反射的に自分と地面に倒れているヴェルを遮るように立っているメーチェンを払いのけるよう、強引に横へ押す。払いのけるといっても、剛力と呼ばれるアーラの腕力で行われたのだ。当然、メーチェンは数m程も横へと吹き飛び、地面へと倒れ込む。
「うわぁっ! た、隊長、幾ら何でも怒り過ぎ……じゃ、ないで……す、か……?」
つい先程自分が口にした冗談を聞いたアーラからのお仕置きにしてはやり過ぎではないか。そんな風な意味を込めて呟かれた言葉だったが、視線を上げたメーチェンが見たのは、木の根をパワー・アクスへと絡ませた状態のアーラの姿だった。
そして当然パワー・アクスに絡まっている木の根の出所は、地面へと倒れているヴェル。
「あの状態で、まだ生きて!?」
唖然としつつも、素早く地面から立ち上がって腰の鞘から剣を抜き放つ。
「隊長!」
「この根は私が押さえる! メーチェンは本体を、頭を潰せ!」
「了解!」
「ケッ、ケヒッ、レイ? レイだと? お、俺を斬ったのはレイなのかぁっ!」
身体を上下で切断されたというのに、全く堪えた様子も無く叫ぶヴェル。
切断された場所からは木の根が生え、上半身と下半身へとお互いの木の根を伸ばして結びつこうとしている。そんな様子を見て、アーラは嫌悪感に顔を歪める。
「ヴェル、人としての矜持さえ捨てたか!」
「ケヒッ、俺だってす、す、好きでこんな身体になった訳じゃない。エレーナの暗殺に失敗したから……邪魔だぁっ!」
自らの頭に剣を振り下ろそうとしているメーチェンに木の根を伸ばそうとするが、その前にブチブチと強引にパワー・アクスに絡みついていた木の根を引き千切ったアーラが近付くのを見て、そちらの迎撃に移らざるを得なくなる。
「元は仲間だった男だ。……安らかに、眠れ!」
その一言と共に、頭部へと鋭く剣先を突き出すメーチェン。木の根での迎撃は間に合わないと悟り、ヴェルは唯一人間の手のままである右手を使い、身体を跳ね上げる。
魔獣兵となったことで、身体能力そのものも人間だった時と比べて上がっているのだろう。右手だけの力で跳ね上がったというのに、ヴェルの身体は2m近くも跳び上がっていた。
だが……元々は頭脳で勝負するタイプだったのがヴェルだ。それが魔獣兵となったことで思考が鈍り、精神的にも不安定になり、持ち味である判断力の高さは低下している。そう、空中へと跳び上がるという行為が何を意味しているのかを、本来のヴェルであるのなら理解していた筈なのだ。
「はあああぁぁああぁぁあっ!」
轟っ!
パワー・アクスを握りしめ、最大限の力を発揮して放たれた一撃。純粋に一撃だけの威力なら、エレーナのものすらも上回っていただろうその一撃をヴェルがどうにかするには、空中に浮かんでおり、唯一頼りになる木の根もアーラの一撃を防ぐには頼りなく、回避するには時間がなかった。結果……振り下ろされた巨大なバトルアックスの刃はヴェルの頭部へと命中し、4つの目の中間地点へとめり込んでいき、頭部を爆散させる。
脳みそや骨、肉、血、魔獣兵になった影響だろう緑の液体。それらを周囲に四散させながら、地面に落ちたヴェルの上半身をメーチェンが見た時、既に首から上は何1つ残っていない状態になっていた。
「さすがに頭部を砕かれれば、これ以上の再生は無理だろう」
呟きつつも、首から下の上半身と、そこから切断された下半身へと目を向けて不愉快そうに眉を寄せるアーラ。
「念の為だ。メーチェン、残りの部分も砕いておくぞ。私が上半身を砕くから、お前は下半身を頼む」
「……どうやら、そうしておいた方がいいようですな。まさか胴体を切断されて、まだあれ程動けるとは思いませんでした」
地面へと突き刺さっていた剣を引き抜き、腹の辺りで切断されている下半身へと視線を向ける。
そこでは、頭部を失っても未だに死んではいないのか、腹の中から伸びている樹の根がウネウネと動いていた。
「ベスティア帝国も、何を考えてこんな物を作ったのか。……ヴェル、元同僚の情けです。せめて安らかに眠りなさい」
その言葉と共に、大きく振るわれた剣はヴェルの下半身へと振り下ろされる。
隣では、アーラもまた頭部を失った上半身へとパワー・アクスを振り下ろしていた。
ヴェル・セイルズ。セイルズ子爵家に次男として生まれ育つ。その成長過程で殺人に快楽を見出すようになるが、それを一切表に出すことはなく、家族ですらその顔を知ることは無かった。一家諸共にミレアーナ王国からベスティア帝国へと寝返り、その際の騒動でヴェル本人は重傷を負い、魔法省の錬金術師に生命力に特化した魔獣兵を作り出す為の実験体として活用される。500人に1人という生存率の低さの実験を受けるも、生き残ることに成功。ただし、その実験過程において精神が変容。その後は魔獣兵として行動し、セレムース平原の戦いにて転移石を用いた奇襲作戦に参加。かつての同僚であるアーラと戦っているところをレイに無造作に背後から斬り捨てられて胴体を真っ二つにされるのだった。しかし、その生命力に特化した魔獣兵という特性でその状態でも尚生き残っていたが、アーラの一撃により頭部を砕かれ、正真正銘その命を終える。
「お前が何を考えていたかは知らない。けど、これはお前自身が選んだ行動の結果だ。真摯に受け止めろ」
それだけを短く告げ、アーラの視線は副官へと向けられる。
元よりエレーナ命のアーラとしては、エレーナを裏切ったヴェルに対しては既に情の一片すらも存在していないのだから。
「メーチェン、味方の援護に向かう。今は少しでも騎士団の皆の戦力を温存させねば」
「エレーナ様はよろしいので?」
「レイ殿が向かった。それだけでもうエレーナ様の心配はいらない」
アーラの中では、レイの実力は絶対的な信頼を預けるに足るものとして受け止められている。それ故、自分がエレーナを助けに行けないのは悔しいが、それでもレイが助けに向かった時点でエレーナがテオレームに対して勝利するのは、アーラの中で確定的なものになっている。
「さあ、行くぞ。この奇襲を退けたとしても、まだ戦争が終わらない可能性がある。その時の為に、エレーナ様の戦力をなるべく多く確保しておかないといけないからな」
「……私は体力的にそろそろ厳しいんですが。隊長はその斧があっていいですね」
苦笑を浮かべつつ、仲間を助ける為に2人は戦場へと向かうのだった。
「ふぅ……姫将軍、以前に比べると随分と腕を上げたな」
右斜め後ろという、予想もしない方向から飛んできた連接剣の切っ先を剣で弾き、距離を取りつつ目の前にいるエレーナへと声を掛けるテオレーム。
幾度となく刃を交え、閃光と異名を持つテオレームですら多少息が上がってきているというのに、向かい合っているエレーナは涼しい顔をしているのだから、テオレームが弱音ともいえる言葉を吐くのは無理も無い。
「さて、どうだろうな。私の腕が上がっているのではなく、そちらの腕が鈍っているのではないか? 聞いた話によると、第3皇子の派閥に入ったらしいな。権力闘争に忙しくて、訓練が疎かになっていたのではないか?」
連接剣を鞭の状態から剣の状態へと戻し、そう告げるエレーナ。
だが、エレーナにしても言葉通りに余裕があるという訳では無い。いや、寧ろその内心ではテオレームの実力に改めて驚いていた。継承の儀式でエンシェントドラゴンの力を受け継いだ自分とここまで互角にやりあっているのだ。幾ら受け継いだ力を完全に使いこなしている訳では無いといっても、身体能力は以前と比べてかなり上がっている。そんな自分と互角にやり合っているのだから、エレーナが口にした腕が鈍っているというのは挑発する以外の意味を持たない言葉だった。
「確かに君の実力は以前より上がっている。だが、それでも私を一方的にどうこう出来る程では無い。なら私はアリウス伯爵を討ちに向かったシアンスを信じ、この状況を維持すればいいだけのことだ。その程度ならまだ暫く保つからな」
軍馬の上で改めて剣を構えつつ、そう告げるテオレーム。
エレーナにしても、自分とテオレームの戦いはともかく時間は自分の敵だというのは認識していた。それ故テオレームの言葉に内心で臍を噛む。それでも、この戦場でテオレームを押さえておけるのが自分しかいない以上は、どうしようも無かったのだ。……そう、この時までは。
「キュウウウウッ!」
「……?」
「っ!?」
戦闘で聞くべきではない鳴き声が周囲に響く。
その鳴き声にテオレームは訝しげな顔を、そしてエレーナは笑みを浮かべる。
連接剣を構えたまま、一瞬だけ視線を鳴き声の聞こえてきた方へと向けると、そこにはエレーナの予想通り小さな竜と大鎌を構えた愛する男の姿が存在していた。