2868話
「見えた!」
ネクロゴーレムを引き連れながら正門に向かって飛んでいたセトの背に乗っているレイは、正門が見えてくると鋭く叫ぶ。
地上では正門に向かう大通りには多くの者がいる。
だが幸いなことに、ネクロゴーレムが正門に向かっているのは見れば明らかだったので、最初は正門に向かっていた者達もこのまま自分達が正門の方に向かえばネクロゴーレムの行動に巻き込まれると判断したのか、通路の脇道に入っていたり、あるいは建物の中に入っていたりする。
……ただし、通路の脇道はともかく、建物の中に入った者はネクロゴーレムによって建物が破壊され、それによって崩れた建物に埋まってしまう……といったような者も何人かいたが。
そのような者達にしてみれば、運が悪かった。もしくは判断力の不足を嘆くようなことしかレイには出来なかったが。
それでも当初予想されていたより死傷者が少なくなったのは、ローベルやドワンダの言葉を聞いて素直に避難した者達が予想していたよりも多かったからだろう。
また、借りているゴーレムも必死になって人を避難させていたというのが大きい。
それでも、ある程度の死傷者は出てしまっていた。
レイの視線の先にある正門は、以前何度か見た時と比べても明らかに大きくなっている。
ドワンダから巨大なゴーレムが出られるようにする為に正門は大きくなるといったようなこと聞いていたが、それが真実だった証だ。
(とはいえ……あの門、横幅はともかく高さの方は大丈夫か?)
最初のネクロゴーレムは、十m程の高さだった。
しかし、ネクロゴーレムは時間が経過するに従って大きくなっていき、現在は十五mを越えている。
当初の予定の五割増しくらいの大きさにまでなっているのだ。
だとすれば、ドワンダが最初に指示をしたのだろう現在の正門の大きさで、ネクロゴーレムが無事に通れるかどうかは微妙なところだった。
とはいえ、後ろからネクロゴーレムが追ってきている状況で門の大きさをどうこうといったような風に考えているような余裕はない。
幸いにも、正門の上の部分はそこまで頑丈そうに見えない。
そうである以上、もしネクロゴーレムが正門を通ることが出来ない場合でも、正門……正確には門の枠だが、それを壊して外に出るようなことも出来る筈だった。
ただし、当然だがネクロゴーレムが正門にぶつかった場合、間違いなく傷つき、その身体から腐液を出すようなことになるだろうが。
そして腐液が出れば、その腐液に触れた場所から緑の毒煙が生み出されることになり、周囲には多くの被害が出ることだろう。
(というか、エグジニスに入ろうとしていた連中もきちんと避難してるんだよな? もし避難していなければ、戦いに思い切り巻き込むことになるんだが)
ギルム程ではないにしろ、エグジニスもゴーレム産業が盛んで、それを購入しに商人や貴族がやって来る。
そんな者達が正門の前にいた筈であり、そのような者達をきちんと移動させることが出来ていたのか。
生憎と今のセトが飛んでいる場所からは、正門の前がどうなってるのかは分からない。
だが、もしローベルやドワンダの指示を聞いても従わなかった場合、その者達は間違いなくネクロゴーレムの行動に巻き込まれてしまうだろう。
そうならないように、レイとしては出来るだけそんな者達がいないようにと願っていたのだが……
「嘘だろ……」
そんなレイの願いを吹き飛ばすように、正門から馬車がエグジニスの中に突っ込んできたのが見えた。
馬車の外側には悪趣味な飾りが多数あり、見るからに高価そうな馬車。
それこそあの馬車を購入しようとすれば、かなりの金額が必要となるだろう。
……ただし、その悪趣味な飾りはそれぞれ他の飾りに悪影響を与えており、見る者に不快感を与えるような、そんな馬車だ。
何故そのような馬車が正門から出て来たのか、正確なところはレイにも分からない。
分からないが、あの悪趣味な馬車を見た場合に何となく想像出来てしまうのも事実だった。
(多分、貴族だろうな)
それもレイが嫌っている、自分は貴族だからこそ何をしても構わないと思っているような、そんな貴族。
大抵がそのような貴族は自分が命令することは当然と思っているものの、自分が命令されるということには強い忌避感を抱くのだ。
ゴーレムを欲する者の中には、当然そのような貴族もいる。
……いや、見栄を張るという意味ではそういう貴族の方が客としては多いのも事実。
「この状況で突っ込んできたんだ。それは自業自得だという風に認識しておいた方がいいだろうな。セト、あの馬車は気にするな!」
「グルルゥ!」
レイの言葉を聞いたセトは喉を鳴らして、そのまま翼を羽ばたかせて後ろから追ってくるネクロゴーレムとの距離を開けないようにしながら移動する。
すると無理に正門から入ってきた悪趣味な馬車は、大通りの向こうから移動してくるネクロゴーレムの姿を見たのだろう。
明らかに動揺した様子で馬車は……正確には馬車を牽いている馬がネクロゴーレムに恐怖し、御者の存在を無視して近くにある建物の中に突っ込む。
建物の中に突っ込んだ以上、馬車に乗っていた者達は大なり小なり怪我をしたのは間違いないだろうが、それでも死なずにすんだのだから問題はないだろうとレイは考える。
……実際に馬車に乗っている者達がどう思うのかは別の話だったが。
(セーフ! 何とか、セーフ!)
セトを追ってきていたネクロゴーレムは、今まで散々レイとセトにちょっかいを出されたことにより、視界の隅に突然出て来たような馬車よりもレイとセトを叩き潰すのを優先させていた。
セトは何度でも近付いてきてはネクロゴーレムをおちょくるようにして動いているにも関わらず、一切攻撃をしてこない。
レイにはネクロゴーレムが一体どの程度の知識を持っているのかは分からなかったものの、とにかくレイとセトを狙っているのだけは間違いない。
「セト、今もまだネクロゴーレムの狙いは俺達だ。このまま外に出ることが出来れば、少し距離をとって……一気にネクロゴーレムを倒すぞ」
「グルルルゥ!」
レイの言葉を聞き、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
大好きなレイからの頼みは大抵聞くセトだったが、それでも今回は向こうからは延々と攻撃をしてくるのに、自分から反撃は出来ないという……かなりやりにくい戦いだった。
人懐っこい性格をしているセトだったが、それでもモンスターであるのは間違いないのだ。
また、相応にプライドも高い。
だからこそ一方的に攻撃をされ続けるといったような真似は面白くなかった。
レイはそんなセトの様子を理解しつつ、だからこそ街から出て十分に距離を取ったら攻撃をしてもいいと許可を出したのだ。
これでもう邪魔は入らないで正門から出ることが出来る。
そう思った瞬間、いきなり爆発音がレイの耳に入ってくる。
「って、何だ!? どこの馬鹿だ!」
空を飛んでいたセトの背の上で振り向き、背後を確認するレイ。
その視線の先では、ネクロゴーレムの背中から煙が上がっており……その傷口からは当然のように腐液が流れ出て、それによって溶かされた地面からは猛毒である緑の煙が生まれていた。
当然だが、街中……それも大通りで正門からそう離れていない場所でそのような毒煙を吹き出すようなことがあれば、周囲に与える被害も大きい。
特に正門に向かって逃げていた者のうち、結構な人数がそのまま正門に向かうのではなく、近くにある建物に逃げ込んでいる。
そんな状況だけに、今の攻撃によって生まれた毒煙にどれだけの者が死ぬのかは、レイにも想像出来なかった。
「余計な真似を!」
苛立ちながら攻撃をした者を探すと、その視線の先にいたのは……一人の男。
かなり痩せている四十代程の男が、手にした矢を再び引き絞っている。
そして、男の側には先程レイが見た悪趣味な飾りがされた馬車が倒れていた。
それを見ただけで、あの男が馬車に乗っていた者だろうと予想するのは難しくない。
あるいは、偶然その馬車がそこにあるだけで、攻撃している男と馬車は何も関係ないのかもしれないが……それでも、今の状況を思えばレイが男と馬車を結びつけるのは当然の話だろう。
何故弓で攻撃して爆発が起きるのかといったようなことは分からなかったが、恐らく何らかのマジックアイテムなのだろうというのは予想出来る。
悪趣味な馬車ではあったが、金が掛かっているのは間違いない。
それに乗っていた以上、貴族か裕福な商人か……ともあれ、マジックアイテムを購入することが出来るだけの財力を持っているのは予想出来る。
それはいい。……いや、周辺に毒煙が漂っているのだからよくはないが、それでも今の状況を考えるとまだ誤差の範囲内だろう。
しかし、ネクロゴーレムが攻撃されたことで今まで執拗に狙っていたセトから注意を逸らし、弓を持った中年の男に意識を向けたのは完全に誤算だった。
背中から腐液を垂れ流しながら、ネクロゴーレムは攻撃をしてきた相手の方を見る。
「ひぃっ!」
弓を持った男は、ネクロゴーレムが正面から自分に向き直ったことによって初めて自分のやったことに気が付いたのだろう。
その口からは引き攣るような声で悲鳴を上げる。
「逃げろ!」
急旋回してネクロゴーレムに向かっているセトの背からレイが叫ぶも、弓を持った男は腰が抜けており、とてもではないが立てる状況ではない。
あるいはもっと詳細に観察をしていれば、男の股間が濡れていることにも気が付いただろう。
セトの速度であっても、ネクロゴーレムが足を上げ、腰を抜かしている男を踏みつけるのは間に合わず……
「ちぃっ!」
この場合、最善なのはネクロゴーレムが男を踏み潰すよりも前に、その身柄を掻っ攫って攻撃を回避することだろう。
だが、ネクロゴーレムの放つ触手からも十分に回避出来るように十分な距離を取っていたことが、この場合はマイナスに働いた。
セトの速度でも間に合わないと判断したレイは、ミスティリングから壊れかけの槍を取り出す。
普段なら槍の投擲をする時は、黄昏の槍を使う。
しかし、今回は攻撃する相手がネクロゴーレムだ。
ダメージを与えれば即座に腐液を吹き出すといったような能力――それを能力と評してもいいのかは微妙だが――を持つ以上、そのような相手に黄昏の槍で投擲するような真似をすれば、それこそ黄昏の槍が溶けてしまいかねない。
あるいは溶けなくても、レイの心情としてそのような腐液に塗れた槍をそのまま使いたいとは到底思えない。
であれば、ここはやはり最初から壊れてもいい使い捨ての槍を使うのが最善なのは間違いなかった。
「はぁっ!」
気合いの声と共に放たれた壊れかけの槍は、真っ直ぐに飛び……ネクロゴーレムの左足、男を踏み潰す為に右足を上げている以上、唯一地面と接しているその左足を貫く。
屍肉で出来ているネクロゴーレムは、当然のようにその足を貫かれても痛みらしい痛みは存在しない。
何故なら、ゴーレムという時点で生き物ではなく、当然のように痛覚はない。
あるいはダイラスが核となっていることを考えると、ダイラスには痛覚があるのかもしれないが……それでも、レイが槍を投擲したのは核のある場所ではなく、左足だ。
可能性としては、左足に核があるかもしれないものの、それでも可能性としてはかなり低いだろう。
しかし……そのような一撃であっても、ネクロゴーレムのバランスを崩すには十分だった。
十五m程の大きさを持つネクロゴーレムにしてみれば、普通なら槍の投擲程度で大きなダメージを受けたりといったようなことはない。
しかし、それを行ったのがレイであれば話は変わってくる。
レイの放つ槍の投擲は、ネクロゴーレムに対しても十分すぎる程のダメージを与えるだけの威力を持っていた。
その結果として、バランスを崩したネクロゴーレムの足は弓を持った男を踏み潰さず、少し離れた場所にある地面を踏むことになる。
しかし、当然ながらそれで弓を持った男が無事ですんだ訳ではない。
踏みつけようとしていた足からは助かったものの、レイの放った槍の投擲にによってネクロゴーレムの左足の膝を貫いたということは、男のいる方にも傷口があるということを意味しており……
「逃げろ!」
ネクロゴーレムとの間合いを詰めながら叫ぶレイだったが、その言葉を聞いても男が動く様子はない。
ネクロゴーレムの傷口からは、当然のように腐液が出ていた。
幸いなことに腐液は男に直接掛かるようなことはなかったが、それでも腐液が地面に触れると緑の毒煙が出て……レイとセトはそのタイミングで、セトが前足で男を捕まえたままその場から退避するのだった。