2867話
ネクロゴーレムから逃げつつ進むこと、暫く。
レイとセトの姿は、ようやく大通りに入っていた。
しかし、大通りを見たレイの口から出たのはがっかりした言葉。
「やっぱり……まだ、結構人がいるな。それでも逃げ出そうとしている奴が多いけど」
ローベルとドワンダの指示によって、大通りからは既に逃げるようにと命令が出されている筈だった。
しかし、大通りの上を飛んでいるセトの背に跨がっているレイの目から見れば、そこにはまだ見て分かる程に多くの者の姿がある。
この状況でネクロゴーレムが姿を現せば、大通りにいる者達の多くが被害を受けるだろう。
それでも少数のゴーレムがいて、何人かを纏めて運んでいるのはせめてもの救いだったが。
ローベルやドワンダ達が協力を求めた工房や、あるいは貴族や商人でゴーレムを所持している者達。
そのような者達が派遣したゴーレムなのは間違いないだろう。
「けど……あのゴーレム達もネクロゴーレムに吸収されるかも……来る!」
空から地上の様子を見ていたレイだったが、背後から近付いてきた気配を察して叫ぶ。
当然ながら、レイよりも鋭い五感を持っているセトはレイの言葉よりも素早くネクロゴーレムが来るのを察知しており、レイが叫んだ瞬間には翼を羽ばたかせてより上空に向かって飛んでいた。
セトの動きとほぼ同時に、ある程度の広さはある道……それでも大通り程に広くはないその道から、近くにある建物を破壊してネクロゴーレムが飛び出してくる。
「きゃあああああああっ!」
外見は、皮膚を持っていない巨大な人型の存在。
それでいながら、顔は肉の塊か肉の瘤とでも呼ぶべき姿であるのが、余計に見ている者の嫌悪感を増す。
その巨体は、最初にレイが見た時は十m程であり、それが少し見ない間に十一m程になり……そして今は、十五m程にまで大きくなっていた。
そんな不気味なゴーレムだけに、見た者が悲鳴を上げるのも当然だろう。
だが、悲鳴を上げるだけならいい。
最悪だったのは、建物を破壊しながらネクロゴーレムが姿を現したことだ。
レイが最悪だと感じたのは、建物が破壊されたからではない。
建物が破壊されただけなら、それこそローベルやドワンダが補償すると言っていたのだから。
そういう意味では、レイにとってそこまで気にするようなことではない。
……もしかしたら建物の中に逃げていない人がいたかもしれないが、それに関しては逃げないのは本人の判断なのだから、後味が悪いとは思うが今は気にするところではない。
最悪なのは……建物を破壊したことにより、ネクロゴーレムの身体が傷ついたことだ。
そして傷からは腐液が零れ落ち、それが地面、もしくは破壊された建物に触れることによって緑の毒煙を生み出す。
「逃げろ! あの緑の煙を吸えば、死ぬぞ!」
高度を上げたセトの背の上から、レイは地上に向かって叫ぶ。
その声が届いたのか、あるいはネクロゴーレムの不気味さによってか……ともあれ、まだ大通りに残っていた者達の多くは走り出す。
(最初から逃げておけば、こんな面倒なことにはならなかったものを)
そう思うレイだったが、今はまず何とかしてゴーレムを連れて大通りを進み、正門から街の外に出す必要がある。
そうして街の外に出して……毒煙のことを考えると、ある程度街から離れた場所まで移動すれば、レイにとって倒すのは難しい話ではない。
「って、嘘だろ!? 馬鹿、止めろ!」
ネクロゴーレムを引き連れて移動をしようとしていたレイだったが、そのネクロゴーレムに向かって突っ込んでいく数人の姿を見つけ、思わず叫ぶ。
長剣や槍を手に、革鎧を着ているその様子から、恐らく冒険者なのだろう。
……エグジニスの冒険者であれば、現在の騒動については知っている者が多いのだが……中には偶然誰にも雇われておらず、今回の騒動に全く関わっていない。もしくはエグジニスの冒険者ではなく、エグジニスに用事があってやって来た商人や貴族の護衛として雇われた冒険者といった可能性もあるだろう。
特に後者の場合は、エグジニスについての事情を全く知らず……ただ偶然暴走していると思われるゴーレムを見つけ、自分の手柄にしようとしている可能性もある。
ネクロゴーレムの身体からは腐液が零れ落ち、それによって緑の毒煙が周辺に漂っている。
先程、レイが空からそれは毒であると叫んだにも関わらず、そんなレイの言葉は全く聞いてない状況でネクロゴーレムに向かって突っ込んでいったのだ。
それを見たレイは、もしかして何か毒の対抗手段を持っているのか? と思う。
あるいは光魔法を使って毒煙を消し去るといったような真似が出来るのかも? という思いがあったのだが……そんなレイの願いは、冒険者達がネクロゴーレムに近付いて毒煙の範囲内に入ったところで不意に動きが止まり、蹲って血を吐き出したのを見てあっさりと否定される。
「何の勝算もなく突っ込んだのかよ、馬鹿が!」
レイの叫びが聞こえていなかったのか、それとも聞いても大袈裟に言ってるだけだと判断したのか。
それはレイにも分からなかったが、そんな無謀な冒険者達の死に様が大通りにいた者達の危機感を煽ったのは間違いない。
(もしかしてこれが狙い? ……いや、まさかな。自分の命を懸けてそんな真似をするとは思えないし)
他の者達にネクロゴーレムの危険性を教えるという意味では、冒険者達のとった行動は決して間違っている訳ではない。
しかし自分が死んでも他の者にそれを教えるような真似をするのかと言われれば、レイは否定するだろう。
だとすれば、やはり功に逸った者達がレイの言葉を全く気にした様子もなくネクロゴーレムに攻撃をした……という可能性の方が高かった。
理由はともあれ、その冒険者達のおかげでネクロゴーレムの脅威をしっかりと理解した者達は、少しでもネクロゴーレムから離れようと移動を開始する。開始するのだが……
「正門の方に逃げるのは、出来れば止めてほしいんだけどな」
逃げている者の中でも結構な割合の者達が正門のある方に走っているのを見たレイは、そんな風に呟く。
これからレイは、ネクロゴーレムを正門の方に誘導するつもりなのだ。
そうである以上、ネクロゴーレムから逃げるのなら正門とは別の方向に逃げて欲しかった。
でなければ、折角逃げてもそれをネクロゴーレムが追ってくるということになるのだから。
それでも半ば反射的に正門の方に逃げる者が多いのは、正門から出ることが出来ればネクロゴーレムは追ってこないと思っているからだろう。
……実際には、レイはネクロゴーレムを正門から出すつもりなのだが。
とはいえ、ネクロゴーレムの存在に恐怖して逃げている者達に向かって正門の方に行くなと叫んでも、恐慌状態の者達にそのような言葉が届くとは思えない。
何よりも、ネクロゴーレムの中にはダイラスがまだいる筈なのだ。
これまでのネクロゴーレムの様子から考えると、ダイラスに知性が残っているとは思えない。
しかし、それでもレイがネクロゴーレムを正門の方に誘導しているといったようなことを叫んだ場合、それに反応する可能性は十分にあった。
だからこそ、レイとしては迂闊にそのようなことを口にする訳にもいかない。
「となると……後は運を天に任せて……いや、それよりも前に俺とセトでネクロゴーレムにちょっかいを出して、他の奴を攻撃しないようにするようにした方がいいか。セト、大変だろうけど頼めるか?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは任せて! と喉を鳴らす。
そしてすぐにセトは高度の高い場所から低い場所へ……具体的にはネクロゴーレムの近くに向かって飛んでいく。
目や鼻や耳がなく、口だけしか存在していないネクロゴーレムの頭部だが、それでもセトを狙って攻撃をしているのを見れば明らかなように、何らかの手段で周囲の様子を認識している。
そんなネクロゴーレムは、当然のように自分の方に向かって降下してきたセトの存在を感じ……手を上に伸ばし、そこから触手を放つ。
「グルルルルゥ!」
素早く伸びしてきた触手の攻撃を、セトは翼を羽ばたかせることによって回避し、そのまま真っ直ぐネクロゴーレムのいる場所に向かって降下していき……その頭部のすぐ前で、急降下してきた動きから半ば直角に飛行して進路を変える。
ネクロゴーレムは、自分の側までやって来たレイとセトに向かって今度は触手ではなく拳の一撃を放つ。
しかし、セトは翼を羽ばたかせることによって拳の一撃を回避する。
本来なら敵の攻撃を回避した状態でカウンターの一撃を放ってもおかしくはない。
しかし、そのような真似をすれば当然のように周囲に腐液が飛び散るので、セトがやるのはあくまでも挑発だ。
そして、ネクロゴーレムはそんなセトの挑発に熱くなり、再び触手の一撃を放ち……
「って、ブレスもかよ! セト、ブレスは俺に任せろ。マジックシールド!」
ネクロゴーレムもセトの動きを学んでいるのか、触手の一撃でセトを回避させ、その回避した方向に向かって口を開いていた。
セトならネクロゴーレムの放つブレスも回避出来るとは思ったが、それでも自分がこのままセトに乗っているだけというのは危険だと判断したのだろう。
レイはミスティリングから取り出したデスサイズを手に持ち、マジックシールドのスキルを発動する。
同時に光の盾が二枚生み出され……そしてネクロゴーレムの放った紫色のブレスを受け止め、数秒。
ブレスが途絶えるのと同時に、光の盾も一枚砕け散る。
「もう一枚か。……そうだな。ネクロゴーレムを挑発する為に、もう一回向こうに突っ込んでくれ。最初の攻撃は俺がマジックシールドで防ぐから、次からはセトが頼む。……思ったよりも周囲に被害が出ているみたいだし、少しでも向こうの注意をこっちに向けたい」
周囲の様子を見ると、ネクロゴーレムの動きによって多くの建物が被害を受けている。
ネクロゴーレムの攻撃によって被害を受けるだけではなく、ただ移動している時に偶然手足がぶつかっただけで建物が壊れたり……といったようなことも多発している。
それ以外だと、移動するネクロゴーレムによって蹴られて吹き飛ばされたり、あるいは踏み潰されて既に死んでいる者もいる。
十五m近い巨体を持つだけに、ネクロゴーレムはただ歩くだけで周囲に大きな被害を出すのだ。
レイとしてはそれに思うところもあるのだが、今この状況で自分が出来るのは少しでも早くネクロゴーレムを正門まで連れていくことだけだった。
「グルゥ!」
レイの言葉から、セトも何かを感じたのだろう。
鋭く鳴き声を上げると、そのまま翼を羽ばたかせながら反転し、ネクロゴーレムに向かって突っ込んでいく。
(さて、どんな攻撃で来る? 俺としてはどんな攻撃でもいいんだが……相手の注意をこちらに引き付けるとなると、やっぱり最強の攻撃……ブレスで来てくれるとありがたいんだが。とはいえ、ブレスはマジックシールドに防がれたばかりだし。だとすれば、どう出る?)
そんなレイの疑問は、ネクロゴーレムが右手を振りかぶったことですぐに解決した。
それはつまり、レイを殴ると決めたからこその行動。
レイにしてみれば、強力な一撃を放ってくるというのはそう悪い話ではない。
残っていたもう一枚のマジックシールドを前に出し……そして、次の瞬間ネクロゴーレムの右拳が放たれる。
轟っ、と。
十五m近い大きさを持つネクロゴーレムの拳だ。
普通に当たれば、当然のように肉は潰れ、骨は砕かれ、骨の切っ先が皮膚を突き破ってもおかしくはない。
しかし、そんな一般的な意味での確定的な未来はやってこなかった。
振るわれたネクロゴーレムの右拳は、レイやセトに命中するようなことはなく、あっさりマジックシールドによって受け止められたのだ。
まさか自分の一撃をこうも簡単に受け止められるとは思っていなかったのか、ネクロゴーレムの動きは一瞬止まる。
しかし、次の瞬間には胸の辺りから十本近い触手を一斉に放つ。
だが、触手が放たれた時、既にレイを乗せたセトの姿はそこにはない。
セトが翼を羽ばたかせ、横に向かって飛んでいたのだ。
光の盾が砕けるのに合わせて横に飛ぶ辺り、セトがレイの行動を読んだ上での行動だった。
「よし、セト。ネクロゴーレムの注意をこっちに引き付けることに成功した。次に行くぞ!」
「グルルルゥ!」
レイの言葉にセトは鋭く鳴くと、そのままネクロゴーレムとの間合いを取りながら、正門のある方に向かって飛ぶ。
まだ大通りに残っていた者のうち、何人かはそんなセトの様子を見て目を奪われ……それでも我に返ると、急いでその場から離れるのだった。