2860話
「さて、こうして俺から逃げようとしたんだ。当然ながら、そうしなければならない理由があってのことだよな? 具体的には、ドーラン工房の裏について何かを知ってるとか。……もしくは、お前本人がそれに関わっていたとか」
レイは背中を踏まれて動けない男に向かってそう尋ねる。
ヨーナを始めとして、周囲にいる者達はレイの言葉を信じられないといった様子で聞いていた。
レイからドーラン工房が現在のような状況になった理由については聞いている。
聞いてはいるものの、それでもやはりどこかでそれは何かの間違いではないかと……そのように思っていた点があるのは、間違いない。
勿論、それはあくまでも希望的観測でしかなく、実際には全く違うといったようなことは容易に想像出来る。
だが、それでも……もしかしたらと、そう心の中で思っていたのは間違いのない事実なのだ。
しかしそう思っていた者達の中にあった万が一の希望は、目の前の光景が完全に否定してしまっていた。
この状況を思えば、実はドーラン工房が後ろ暗いことをやっていたのは間違いないと、そう思えてしまう。
「そんな……本当に……?」
レイと踏みつけられた男を見ていた者の一人が、思わずといった様子で呟く。
「ち……違う! 俺は何もしていない! この男が勝手に言ってるだけだ!」
レイに背中を踏まれている男は、必死になって叫ぶ。
踏まれている今の状況ではどうしようもないと判断し、一緒に避難部屋にいた者達に助けを求めたのだろう。
だが、レイはそんな男の言葉を黙らせるように背中を踏んでいる足に力を入れる。
「黙れ。なら、何で逃げようとした? あの行動は一体どう説明するんだ?」
「そ、それは……あんたが、ドーラン工房を襲撃した奴だから、危険だと思っただけだよ! それくらいは分かるだろ!」
「前もってここにいる連中がドーラン工房の犯罪について知らないのなら、何も問題ないと言っておいた筈だが?」
「実際にドーラン工房を襲った奴の言葉を信じられると思うか!?」
「ローベルやドワンダの指示だというのも言ったと思うが?」
「それだって、お前が勝手に言ってるだけで、それを信じろという方が無理だろ!」
「俺が嘘を言ってるのかどうかは、いずれ分かるだろ。……とにかく、お前が怪しいのは間違いない。何を考えて脱出せずに避難部屋に入っていたのかは分からないが、馬鹿な真似をしたな」
男にそんな風に言いつつ、レイはミスティリングの中から縄を取り出して暴れている男の腕を掴み、縛っていく。
これが盗賊の類であれば、縄抜けを警戒して厳重に縛る必要があるのだが、錬金術師というのは基本的に自分で身体を動かすといったような真似はしない。
以前レイは山で錬金術師達がゴーレムの試験運用として盗賊と戦っていたのを見たので、ある程度山登り程度はするのかもしれないが。
それでも縄抜けが出来たりといったような事はないだろう。
男は腕を縛られていくのに抗議の声を上げていたが、レイはそれを聞かない。
また、一緒に避難部屋に入っていた者達も、レイはともかくヨーナの説明を聞いている為か、不安そうな様子を見せてはいるが、実際に口を出すことはない。
これはレイが異名持ちのランクA冒険者であるというのも影響しているのだろう。
やがて手首を身体の後ろで縛られた男は、レイの手によって強引に立たされる。
立たされるのにも男は抵抗したのだが、立たなければそのまま引きずっていくと言われ、実際に少し引きずられてしまえば、立つしかなかった。
本来ならレイのような小柄な人物が大人の男を引きずるといったような真似はそう簡単には出来ない。
しかし、レイを外見だけで判断するのは間違いだと、それを実際に証明してしまった形となる。
もしレイによって引きずられていった場合、間違いなく怪我をする。
何しろ建物の中は多数のゴーレムが移動した影響で床には壁や天井の破片が大量に落ちているのだから。
そんな場所をレイの力で引きずられていけばどうなるのかは、考えるまでもない。
「さて、こいつはこれでいいとして……一応聞くが、この男以外に避難部屋を出たくない奴はいるか?」
そう尋ねるレイに、自分もと言うような者はいない。
もしここで自分も避難部屋を出たくないといったようなことを口にした場合、一体どうなるのかは明らかだったからだ。
レイに縛られた男と同じ目に遭いたいと思う者はいない。
……それ以前に、この避難部屋にいた他の者達はドーラン工房が裏で何をしていたのか知らない者達ばかりだ。
勿論、エグジニスで最高のゴーレムを作るといったような技術力を持っている以上、何らかの後ろ暗いところがあるのかも? と思った者もいたが……それはあくまでも予想であって、自分がそれに直接関わっていた訳ではない。
そうである以上、ここで無理にレイの言葉に逆らって手を縛られたような相手と同じ目に遭うといったことは、絶対にごめんだった。
「そうか。なら、移動するから大人しくついてきてくれ。くれぐれも逃げるといったような真似はしないでくれよ。そうした場合、こっちも相応の対処をする必要があるからな」
レイの言葉に、話を聞いていた者達は当然といった様子で頷く。
実際に何も後ろ暗いところのない者にしてみれば、ここでわざわざ騒動を起こす必要はない。
腕を縛られた男が言うように、レイの言ってることが全て嘘で……という可能性もない訳ではなかったが、それでも今の状況を思えばレイの言葉に逆らうといった選択肢は存在しない。
異名持ちのランクA冒険者というだけで、非常に厄介な相手なのは間違いないのだから。
あるいはレイが異名持ちのランクA冒険者であるというのすら嘘なのでは? と思った者も、実はいた。
何しろレイは非常に小柄な外見をしている。
そうである以上、本当にレイが強いのか? と、そんな風に疑問を抱く者もいた。
しかし、逃げようとした男を捕らえた手並みを見れば、荒事にも慣れているのは容易に予想出来る。
そういう意味では、取りあえずレイのことを信じてもいいだろうと思えたのだ。
不満を口にし続ける男がうるさかったので、レイは新たに布を取り出して猿轡をする。
そうしてヨーナの案内で一旦研究所から出る為に、最初にヨーナと会った会議室に向かう。
幸いにも、途中では建物に残っていたゴーレムに遭遇したりといったようなことはなかった。
もっとも、もしゴーレムがいればレイ達と戦った時に援軍として出て来ていたのだろうから、それを思えばゴーレムが出て来ないのは当然のことだったが。
「これは……」
避難部屋にいた者達の一人が、現在のドーラン工房の様子を見て思わずといった様子でそんな呟きを漏らす。
当然だろう。自分達が避難部屋にいた間に建物の中が大きな被害を受けていたのだから。
「ドーラン工房が用意したゴーレムが、一斉に俺達に襲い掛かって来た時の名残だな。これを見れば、今のドーラン工房が普通じゃないというのは分かって貰えると思うが?」
そんなレイの言葉に、話を聞いていた者達はただ沈黙することしか出来なかった。
「レイ、無事だったか。で、えっと……そっちで縛られているのはともかく、他の面々はどうしたんだ?」
ドーラン工房から外に出ると、すぐにミルスはレイ達の姿を確認して近付き、そう声を掛けてくる。
手が縛られて猿轡をされている男がドーラン工房の関係者であるというのは、見れば理解出来るだろう。
しかし、特に縛られたりもしていない様子を見れば、それが一体何故そのような事になっているのかと疑問を抱くのは当然だった。
「この縛られている男は、俺から逃げようとした奴だ。恐らくドーラン工房の裏について知ってると思ってもいい。他の面々はドーラン工房で働いていたものの、裏には関わっていないと思われる連中だ。ドーラン工房で働いているのは錬金術師だけじゃないしな。いや、錬金術師もいるけど」
そう言ってレイの視線が向けられたのは、ヨーナ。
だが同時に、レイと一緒にやって来た者達の中には錬金術師ではない者も多数いる。
何しろドーラン工房は、かなり大きな敷地を持つ。
錬金術師以外にも事務仕事をやる者もいれば、雑用を任される者、あるいは素材を管理する者や、中には食堂で料理を作るといったような者もいた。
それだけに、ドーラン工房の裏に関わっていない者も相応にいるのだ。
まさか、そのような者達全てが裏に関わっているとは、話を聞いたミルスも思えなかった。
「それで……へぇ、そっちもそれなりに収穫があったようだな」
レイの視線が向けられたのは、離れた場所で縛られている者達だ。
建物の中で見つかったのか、あるいは逃げようとしたところを見つかったのか、もしくはそれ以外の何らかの理由で捕まったのか。
その辺りはレイにも分からなかったが、それでも結構な人数が捕まえられていた。
そんなレイの視線を追ったミルスは、自慢げに笑みを浮かべる。
ゴーレムを倒すのも含めてここまではレイに頼ることが多かったが、ドーラン工房の錬金術師を捕らえたのはあくまでもミルス達の成果だ。
そういう意味ではこのような笑みを浮かべるのは当然だった。
「ドーラン工房から逃げ出した連中が使った隠し通路を見つけてな。それを追っていったところ、そこから出た場所にこの連中がいたらしい」
ミルスの視線はヨーナを含めてレイの連れて来た者達に向けられる。
そんなヨーナ達は、視線の先にいる者達の顔を見たことがあったのだろう。
それぞれ驚きや、あるいは信じられない……信じたくないといった表情を浮かべていた。
「捕らえられたようで何よりだ。……ん? 俺のすぐ後に建物に入った連中はまだ戻ってないのか?」
「ああ、戻ってない。レイは何か知らないか?」
「ドーラン工房の中にはいざという時の避難部屋が幾つかあるらしいんだが、そっちに向かった筈だ。俺はヨーナ……あの女に案内して貰ったから、特に迷うようなことはなかったけど。もしかしたら迷ってるのかもしれないな。もしくは、単純に避難部屋を開けて貰えてないか」
レイの場合は避難部屋にいた者達と顔見知りのヨーナがいたから、比較的簡単に避難部屋を開けて貰えた。
しかし、他の避難部屋では当然のように冒険者達と初顔合わせの者達だ。
そう考えると、警戒されて避難部屋の扉を開けて貰えてない可能性もあった。
(ヨーナの言葉によると、一応開けようと思えば冒険者なら開けられるって話だったけど……最悪、そうやって強引に開けて中にいる奴を連れ出すしかないだろうな)
そのような真似をすれば、避難部屋に入っていた者達は当然のように冒険者達を警戒するだろう。
そうなればすぐに逃げ出したり、反抗的な態度をしたりといったようなことにもなりかねない。
もっとも、そのような真似をされても建物から出てここまでやって来れば、ヨーナ達から事情を説明されて自分達の状況を理解するだろうが。
「そうか。そうなると……応援を派遣した方がいいかもしれないな。顔見知りが行って説得すれば、大人しく話を聞いてくれるかもしれないし」
ミルスもレイと同じことを考えていたのか、そんな風に言ってくる。
「そうした方がいいかもしれないが、建物の中はかなり損傷していたぞ。場所によっては、崩落してもおかしくないくらいに」
レイの言葉に、ヨーナや避難部屋にいた者達もそれぞれ頷く。
実際に自分の目で直接ドーラン工房の中を見てきたからこそ、レイの言葉が決して間違っている訳ではないと理解出来たのだ。
今のこの状況において、一度建物の中に戻れと言われた場合、出来れば遠慮したいというのが正直なところだった
「そんなにか? ……それはちょっと問題だな。ドーラン工房の中にある資料とか、そういうのを入手する時にも危険を伴うか。ましてや、重要な証拠の類は逃げ出した奴が持ち出してるから、それを考えると余計に資料とか証拠とかの捜索に時間がかかって、そういう場所での捜索だと難しい」
ミルスのその言葉に、レイはなるほどと納得し……レイが捕らえた男以外の、現在捕まっている者達を見る。
「証拠を持ち出したって話だったが、あの連中は証拠を持ち出してたのか?」
「ああ。ただ、そこまで多くはない。……あの連中はドーラン工房の裏に関わっていた者達ではあるが、そこまで重要な人物って訳じゃないらしい」
そんなミルスの言葉に、レイは改めて視線をドーラン工房に向ける。
出来れば他の避難部屋にいる者達の中に、重要な情報を持ってる奴がいればいいと、そう思いながら。