0286話
地上へと降り立ったレイの視界に入ってきたのは、まさに混戦といった様相だった。
いや、戦場のそこら中で魔獣兵とミレアーナ王国軍が戦っており、騎士や冒険者、兵士達が入り交じって必死に抗っているその姿は、混戦というよりは激戦、それも敗退寸前のと付け加えるべきだろう。
「レイッ!」
魔獣兵達の視線を集めながら、睥睨するかのように辺りを見回していたレイの姿に喜色の声を上げたのは、アーラから少し離れた場所にいたシミナールだ。
周囲の者達が防御に徹して何とか生き延びることが出来ていた中、毒消しで魔獣兵に与えられた毒を抜いたシミナールのみがどうにか攻撃を行い、数人とはいっても魔獣兵の命を奪っていた。ただ、当然そんな真似が出来る相手を魔獣兵の指揮を執っているシアンスが見逃す筈も無く、この戦場における危険因子として多くの魔獣兵に集中して狙うように指示。結果的にシミナールも防御に徹さざるを得なくなり、このまま戦闘が続けば負けは確定というところまで追い詰められていた。
そんな中で、突然上空から飛び込んできた存在がシミナールへと襲い掛かっていた魔獣兵達を弾き飛ばしてくれたのだから、喜色の声を上げるのも無理は無いだろう。
「そっちは無事なようだな」
デスサイズを構えつつ近付くレイに、荒い息を上げながら頷くシミナール。
「あ、ああ。こっちは何とかな。だが、このままだと押し切られる。何とか向こうの指揮官を倒せればいいんだが……」
「指揮官?」
シミナールの言葉に、周囲を見渡すレイ。その視線が止まったのは、軍馬の上から魔獣兵達の指揮をしているシアンスの姿だった。
「あの女を殺せばいいのか?」
「いや、違う。あの女はあくまでも副官でしかない。ここに突入してきた、あの魔獣兵とかいう部隊の指揮官は向こうで姫将軍が押さえている」
そう告げるシミナールの目に慕情の色が一瞬浮かんだのだが、それに気が付かずに言葉を続ける。
「ならどうする? エレーナに任せておけば問題無いと思うが」
レイの脳裏を過ぎったのは、少し前にこの付近に現れた竜の頭部の幻影だった。
その姿を見て、すぐに竜言語魔法の1つだろうと判断したレイがセトと共に急いで駆け付けると、総大将アリウスを守る最後の防衛線が瓦解寸前であるという状況だったのだ。
そんな危機をセトの体当たりで強引に魔獣兵を吹き飛ばして一段落させたレイだったが、現在はそんなレイとセトを警戒したかのようにシアンス率いる魔獣兵部隊と向き合っている。
高ランクモンスターであるグリフォンのセトが警戒しているからこそ、そしてシアンスがレイという存在の危険性をテオレームから聞かされており、災害としか言えない炎の竜巻を作り出したのが目の前の人物であるという予想を聞かされていたからこその膠着状態だった。
魔獣兵にしても、たった今纏めて5人近くの仲間を問答無用で吹き飛ばされた光景を見ていた為に、セトへは迂闊に手出しが出来ない。
それだけ目の前に立ち塞がっているグリフォンから圧倒的なプレッシャーを感じているのだ。
「シアンス様、どうしますか?」
レイに聞こえないように小声で指示を求める魔獣兵だが、そう尋ねられたシアンスも微かに眉を顰める。
目の前に立ち塞がっているグリフォンと、そのグリフォンを従えている規格外の冒険者。その1人と1匹がどれ程の力量を持っているのかというのは、十分以上に分かってたのだから。何しろ、閃光と異名を取るテオレームですらも勝率が3割を切ると言い切った相手だ。自分の手に余るというのが、シアンスの正直な気持ちだった。
本来ならば、唯一飛行可能な竜騎士達を集団で充てて押さえる予定の相手だった。軍隊の中でも最精鋭の部隊である竜騎士ならば、倒すことは出来ずとも自由に行動させないことは出来るという考えだったのだが……その考えは自軍の先陣部隊の中央にいきなり出現した炎の竜巻によって完膚無きまでに打ち崩されていた。
(それでも1人は1人。冒険者1人だけならこの戦力で何とかなる? ……いえ、駄目ね。数で攻めてもアリウス伯爵の方に手が回らなくなる)
レイを押さえようとすれば、部隊の壊滅覚悟で魔獣兵全員を向かわせるしかない。だがそうすると、肝心のアリウス伯爵とその部下達が自由の身になる。
かといって、レイのような規格外の戦力を自由にしておくことが出来る筈も無い。
まさに膠着状態と呼ぶに相応しい状況に、シアンスの顔が不愉快そうに歪められる。
「今は相手の動きを待ちなさい。まともにぶつかれば、こちらが無駄な被害を受けるだけよ」
上司の言葉に、一瞬驚きつつも素直に頷く魔獣兵。
自分達の力を知っている筈の上司がそこまで警戒する相手なのかと、一瞬視線を向けたのはレイ……ではなく、グリフォンのセトだったことはある意味でしょうがないのだろう。
あるいは、魔力を見るという能力を持っていれば話は別だったのかもしれないが。
一方、レイとシミナールの方でもこれからどうするかの相談が行われていた。
「とにかく姫将軍が向こうの指揮官を押さえているといっても、その指揮官自体が問題なんだ」
「問題?」
「ああ。エレーナ殿が姫将軍と呼ばれているように、向こうの指揮官も閃光という異名を持っている将軍だ」
「……将軍がわざわざ奇襲部隊を率いているのか? 前線指揮官やもっと下の存在ではなく?」
訝しげなレイの視線に、シミナールは苦笑しつつ頷く。
「元々閃光という異名も、軍を率いた時の速度が由来しているという話だ。その本領発揮といったところだろう。だが、逆に言えば敵の総大将ではないと言っても、将軍級の者がこちらの手の内にいるというのも事実だ。……何が言いたいか分かるな?」
「危機は転じて好機になると?」
暗にここで敵の指揮官を討てと言っているシミナールの言葉に、そう返すレイ。
そして当然話の意図が伝わったシミナールは頷きを返す。
「レイがここにいても過剰戦力でしかないからな。アリウス伯爵の護衛を考えても、セトを残していってくれればいい。お前は姫将軍に合流して閃光を討て。……構いませんね?」
勝手に話を進めながら、視線でアリウスへと許可を求める。
そのアリウスは、自分を置いて進む話に多少不愉快そうな表情を浮かべてはいたが、結局は無言で頷くことでシミナールの提案を採用する。
アリウスにしてみれば、その選択はやむを得なかったのだろう。本来であれば中立派と貴族派を消耗させる為の戦争であった筈が、実際に始まってみればその2派閥は殆ど消耗も無いままにベスティア帝国軍の先陣部隊を駆逐しており、逆に本来は安全であった筈の自分達国王派が敵の奇襲を受けて散り散りになっているのだ。手柄を挙げる為の戦争で逆に失態を演じている今の状況は、アリウスにとって最悪以外の何ものでもなかった。
だが、もしこの場で閃光という異名で名高いテオレームを討つことが出来たとしたら。それは自分を囮にして敵を懐に誘い込んだと見ることもできるだろう。もちろん真実は大いに違うのだが、客観的に見ればそのように見ることが出来るというのも事実であり、国王派の権勢を考えればその程度の無理は押し通せる。シミナールの案に乗った場合、閃光を討つという最大の戦功はレイに持って行かれるが、それでも現状で敗軍の将の烙印を押されるより遥かに上出来な未来であるのは確かだった。
「……よかろう。儂が魔獣兵共を引きつける故、お主は閃光を討て」
総大将の許可を得れば、既にレイにどうこう言う権限は無い。実力はどうあれ、現在のレイはあくまでも傭兵として雇われている一介の冒険者に過ぎないのだから。
「セト、ここは任せる。向こうの魔獣兵が攻めて来たら、グリフォンとしての実力を見せつけてやってくれ」
「グルゥ」
レイの言葉に頷き、鋭い視線でシアンス率いる魔獣兵を威圧する。
小声だった為、レイとシミナールが何を話しているのかは分からなかったが、この膠着状況はもうすぐ終わりを迎える。そう判断したシアンスは配下の魔獣兵達に決して油断しないように目で合図を出す。そして……
「行け!」
シミナールの叫びと共に、レイがデスサイズを構えたまま地を蹴ってシアンス達の方へと近付いてくる。
「っ!? 迎撃態勢!」
レイが単独で突出して自分達を片付けることにした。シミナール達の作戦をそう誤解したシアンスが鋭く叫び、その声に従って魔獣兵達は指揮官でもあるシアンスを中心にして円陣を組む。だが。
「え?」
だが次の瞬間、そんな円陣の中心でシアンスが思わず声を上げる。
その表情はいつも冷静沈着なシアンスを知っている者からすれば信じられなかったものなのだろう。事実、周囲にいる魔獣兵達の中でも数人程反射的にシアンスへと視線を向けている者がいたのだから。
そんな円陣を組んだシアンス達を横目に、レイはデスサイズを持ったまま遠回りをするようにして駆けていく。
その姿を唖然としたまま見送ったシアンスだったが、次の瞬間にはレイの走り去った方向に何が……否、誰がいるのかを思い出し、厳しく表情を引き締める。
「テオレーム様!」
鋭く叫び、乗っていた軍馬を反射的に返そうとした時。
「グルルルルルルゥッ!」
それを牽制するかのようにセトが高く、高く吼える。
「くっ、なるほど。そういう手段を選びましたか。まったく厄介な手を……」
グリフォンを使って自分達をここに足止めし、その隙に部隊の指揮官であるテオレームを討つ。
シアンスがシミナールの作戦を見抜いた時には既に遅く、追いかけることも出来なくなっていた。
もしここで踵を返してレイを追おうとすれば、まず間違い無くグリフォンとアリウス伯爵達が追撃を掛けるだろう。
(いや、アリウス伯爵達だけなら魔獣兵がいればどうとでもなる。けど、あのグリフォンが全ての手を封じてくる。どうすれば……いっそ、ここは戦力の損耗を覚悟して全員で一端退いてテオレーム様と合流を? いや、グリフォンがいる以上は戦力の損耗どころではなく、全員が倒される可能性がある。くっ、もっと魔獣兵を連れてくるべきだった)
敬愛する上司の危機だというのに、出せる手が無い自分に冷静にならなければいけないと知りつつも、奥歯を噛み締める。
ほんの数分前までは自分達が圧倒的に有利だったのだ。だが、1手、グリフォンを従える冒険者という1手が打たれただけで、自分達の戦力は死に体となってしまっていた。その理不尽といってもいいような事実に、シアンスは思わず歯噛みしてセトを睨みつけるのだった。
シアンスが歯噛みしている時、レイはデスサイズを構えたまま一直線にシミナールに指示された方へと向かって走り続ける。
デスサイズを構えつつ、通りすがりにミレアーナ王国軍の者と魔獣兵が戦っている光景を見かければ、その横を通り過ぎ様に刃で一閃していく。
まるで通り魔のような行動だったが、そのおかげで決して少なくない数の魔獣兵が倒され、怪我を負わされ、戦っていたミレアーナ王国軍の者達は九死に一生を得ることが出来ていた。
敵の指揮官と戦っているエレーナを目指して走っているのだが、余程に激しく動きながら戦い続けているのだろう。戦場からかなり離れた場所で戦っているらしく、周囲を見渡してもエレーナの特徴ともいえる豪奢な金髪を見ることは出来ない。
そんな風に周囲を鋭く見回して走っていると、ふと見覚えのある人物が目に入る。エレーナではないが、エレーナの側近ともいえる人物だ。巨大なバトルアックスを振るい、複数の魔獣兵と戦いを繰り広げているのが見て取れた。
「よし!」
その人物がアーラであるのなら、間違い無くエレーナがどこで戦っているのかを知っているだろう。そう判断したレイは、デスサイズを構えつつアーラと戦っている魔獣兵へと近付いていく。
(……何だ?)
戦闘している場所へと近づき、違和感を覚えるレイ。
アーラと戦っている魔獣兵の動きは非常に鈍く、更に身体から触手のようなものが生えているのだ。その触手のようなものは、少し離れた位置にいる魔獣兵へと繋がっているらしいのが見て取れた。
一瞬、その後ろ姿に既視感のようなものを覚えたレイだったが、それどころではないと判断してアーラの方へと近付いていく。そして通り抜け様に、触手を使って魔獣兵を操っていると思しき者の背後からデスサイズを横薙ぎに一閃し……
斬っ!
「ケヒッ!?」
胴体を上下に分けられて地面へと倒れた魔獣兵をそのままに、アーラへと近付いていく。
不幸中の幸いというべきか、アーラと戦っていた魔獣兵はレイがデスサイズで一閃した魔獣兵が地面へと倒れ込んだ途端に、こちらもまた同様に地面へと倒れ込む。
(触手? いや、木の根か?)
地面に倒れ込んだ魔獣兵達に一瞬視線を向け、呆気に取られているアーラの方へと急ぐ。
「アーラ、エレーナがどこで戦っているか分かるか!?」
「え、ええ。その、少し前にあちらの方で連接剣が鞭状態になっているのを見ましたけど……あの、レイ殿? 今誰を斬ったか……あれ?」
アーラの返事を聞くや否や、示された方へと向かっていくレイ。
その後ろ姿を見送り、唖然とした表情で胴体が真っ二つにされてしまったかつての同僚へと視線を向ける。
「……相手にもされなかったわね。哀れな最期だこと」
急激に静まった戦場に、アーラの哀れみの混じったような声が響くのだった。