2853話
「騙されるな! 俺達はドーラン工房に雇われているだけで、賞金首になんかならない!」
ドーラン工房の冒険者を率いているリーダーの男が、下がった士気をどうにかしようと必死になって叫ぶ。
しかし、焦った様子で叫ぶというのは、それこそ見ている者に対して本当にその言葉を信じてもいいのか? といった疑問を抱かせる。
本人も今の自分の言葉で失態を察したのだろう。
このままでは不味いと判断し、改めて叫ぶ。
「いいか! ここで俺達が勝てば、ドーラン工房から特別な報酬が出る! それも結構な金額だ! それが欲しくない者はいるのか!?」
その言葉は、話を聞いていた冒険者達のやる気を多少なりとも回復させる。
ドーラン工房が気前よく報酬を支払ってくれるというのは、今までの経験から十分に理解していた。
それだけに、ここでこのようなことを言われれば、それは間違いなく特別な報酬として貰えるだろうと。
……普通なら、この状況でそのようなことを口にしても、本当なのかどうかと疑問に思ってもおかしくはない。
しかし、この場合はドーラン工房側の冒険者を率いている男がそれなりに有名な人物だったということもあって、その言葉を信じた者は多い。
勿論全員が完全に信じた訳ではなく、何か怪しいと思っている者もいる。
しかし、今は特別な報酬という言葉を周囲にいる者達も信じているし、この場で自分だけがそれを信じないと口にすれば……最悪、裏切り者として殺されてしまう可能性もあった。
それを思えば、やはりここで信じられないといったようなことは口に出来ない。
……戦いになったら、騒動に紛れてこっそりとこの場から逃げようといったようなことを考えて
はいたが。
ともあれ、金で冒険者達の士気が高まったと判断した男は、そこで更に一押しする。
「それに、ドーラン工房はいざとなったら援軍としてゴーレムを派遣してくれると約束した! ドーラン工房のゴーレムが強いのは、ここにいる者なら知っているだろう! であれば、ここで俺達が怯える必要はないと思ってもいい!」
その言葉は、話を聞いていた冒険者達の士気を上げる。
ドーラン工房のゴーレムが評価されているのは、エグジニスに住んでいる者なら……いや、別に住んでいなくても、少しでもエグジニスのゴーレム産業に詳しいのなら知っているのだから。
その話を聞いていたレイは、ドーラン工房のゴーレムはネクロマンシーを使って人の魂を素材にしたゴーレムの核が使われていると言おうかと思うが、結局口にはしない。
ここでそのようなことを言っても、ドーラン工房に雇われている冒険者がそれを素直に信じるとは思えないし、信じれば信じられたでミルスの説得でやって来た者達がそのようなゴーレムを相手にするのかと、士気が下がってもおかしくはなかったのだから。
(それに、ゴーレムが来たら俺とセトが相手をすればいい。その間は、俺達がいなくても向こうの連中と戦って負けるといったようなことはない……よな?)
一応ここにいるのは、ローベル以外の聖なる四会合に参加した三つの家に雇われた冒険者であったり、仕えている兵士であったり、あるいは警備兵であったりする。
そうである以上、相手が冒険者であってもそう簡単にやられるようなことはないだろうと予想出来た。
「向こうは横暴にも上の意向を盾にして、無茶を通そうとする者達だ! そうである以上、俺達がここで退くといった真似は絶対に出来ない! ここで負ければ、全てが終わる! いいな、行くぞ! このまま一気にあの連中を倒し……そして、俺達はこのエグジニスの中で勝ち残る!」
『うおおおおおおおおおおおっ!』
その言葉が冒険者達の心の琴線に引っ掛かるものがあったのか、冒険者達は揃って雄叫びを上げ……
「よし、突撃だ!」
そう男は叫び、その言葉に従うようにして冒険者達はレイ達に向かって突っ込んでくる。
半ば……いや、完全に勢いに乗せられての行動。
とはいえ、そんな相手の行動はレイ達にとっても悪いものではない。
向こうから攻撃を仕掛けてきたということは、正当防衛が成立するということなのだから。
「まだ話し合いの途中だというのに、いきなり攻めてくるとはなんのつもりだ! そちらがそのような態度を取るのなら、こちらも相応の対処をするぞ!」
そう叫ぶミルスだったが、ミルスにとってもこの流れは決して悪いものではない。
それを示すように、その言葉とは裏腹にやる気に満ちた笑みを浮かべていたのだから。
「行くぞ! エグジニスにおける全ての膿を出し切る為に! 今、ここで俺達が負ける訳にはいかないのだ!」
『うおおおおおおっl』
ミルスのその叫びに、雄叫びを上げる冒険者達。
そんな中、ミルスは集団の先頭を走る。
このような小規模な戦いの場合、指揮を執っている者が実際に先頭に立って戦う必要がある。
これがもっと規模の大きな戦いなら、多少は指揮の重要性から背後で指示を出すといった者も多いのだが。
このような小規模な人数での戦いであれば、指揮をする者が先陣を切って戦った方が味方の士気を上げるのに効果的だった。
(この辺はそれなりに慣れているということか)
レイはデスサイズと黄昏の槍を手にし、セトと共に敵に向かって進む。
だが、ドーラン工房に雇われた冒険者達の中に、レイやセトに向かってくる敵はいない。
ドーラン工房に雇われている冒険者達にしてみれば、より多くの敵を倒すことで少しでも多くの報酬を貰いたいのだ。
そんな中で、レイのことを知っている者にしてみれば、とてもではないがレイやセトと戦いたいとは思わないし、レイのことを知らない者も近くにセトを控えさせ、デスサイズと黄昏の槍という凶悪な武器をそれぞれ一本ずつ持っているレイに攻撃を仕掛けたいとは思わない。
結果として二つの集団は正面からぶつかっているものの、レイとセトの周囲だけは人のいない空間が生み出されていた。
「グルルゥ?」
そんなレイに対し、セトがどうするの? と喉を鳴らして尋ねる。
レイだけではなく、セトもまたこの状況は予想外だったのだろう。
「そうだな。なら……戦ってる連中には悪いが、雑魚の相手は任せて俺達は敵を率いていた奴を倒すか」
「グルゥ!」
レイの言葉を聞き、セトは分かったと喉を鳴らす。
とはいえ、結構な人数が入り乱れて戦っている状況だけに、ドーラン工房の冒険者達を率いている相手がどこにいるのかはちょっと分からない。
そんな戦いの中をレイとセトは掻き分けるように進む。
戦いの邪魔だと、ドーラン工房の冒険者が相手もしっかりと確認せずに武器を振り回すといったような真似をしたりもしたが、その相手はあっさりとレイのデスサイズや黄昏の槍によって弾かれ、身体に一撃を入れられて意識が絶たれる。
それでも相手を殺すような真似をしていなかったのは、エグジニスにはこれから多くの冒険者が必要になると判断していた為だ。
レイの様子を見て、セトもまたその真似をして前足の一撃で相手を気絶させるだけに留める。
ただし、レイやセトの一撃を受けた者達は命こそ無事だったが、骨の一本や二本は折られていたが。
レイやセトも相手を殺さないようにはしているものの、怪我一つさせないようにといったようなことは考えていない。
取りあえず死ななければいいと、そんな思いを抱いての行動だった。
(とはいえ、この中で敵のリーダーを見つけるのはちょっと難しいな)
そこら中で戦いが行われているのだから、そのような場所で一人を見つけるのというのは簡単なことではない。
いっそセトに乗って空から敵のリーダーを捜すか? と考え……
「グルルゥ!」
だが、そのタイミングでセトはレイに向かって敵を見つけたと喉を鳴らす。
セトの見ている方を見ると、その視線の先では先程ミルスと言葉を交わしていた敵のリーダーがいた。
長剣を振るい、戦っている相手をあっさりと倒していく。
(へぇ、言うだけのことはあるな。ここにいる連中の中では、かなり腕が立つ方だ)
勿論、それはあくまでも自分とセトを抜いての話だったのだが。
ともあれ、標的となるべき相手は見つけたのだ。
そうである以上、出来るだけ早く倒してしまった方が手っ取り早い
「いくぞ。セト」
「グルゥ」
レイとセトは揃って敵のリーダーに向かう。
その際、特に打ち合わせをしている訳ではないにも関わらず、レイとセトは二手に分かれて敵のリーダーを挟むようにして移動する。
相手がレイかセトを見つけて勝ち目がないと判断して逃げた時、もう片方がそれを防ぐという陣形。あるいは近付いて来るレイとセトに気が付かなかった場合は、挟み撃ちも狙える。
もっとも、一人と一匹である以上は相手が逃げようとした場合、完全に防ぐといったような真似は出来ないのだが。
それでもレイとセトの速度を考えると、逃げ出そうとした場合はそれに追い付くのも難しい話ではない。
(後はいつ向こうが気が付くかだけど……どうだろうな)
戦いの中で出来るだけ気配を消しながら移動する。
そうして移動していると……当然の話だが、誰もレイの存在には気が付かない。
レイの気配を消す技術は、それなりに高いが完全という訳ではない。
それでも周囲の者達が気が付かないのは、自分の戦いに集中しているからだろう。
一種の興奮状態になっており、だからこそレイの存在に気が付く様子はない。
もっとも、レイの存在に気が付かないということはレイが移動している時に近くで行われている戦いに巻き込まれてしまうのだが。
それに関しては、敵味方の攻撃に巻き込まれるような事はなく……結果として、レイは敵のリーダーのすぐ側まで近付く。
セトもまたレイよりは若干遅くではあるが敵のリーダーに近づいていき……当然の話だが、レイよりもセトの方が目立つので、セトは敵のリーダーに見つかる。
セトが自分に向かって近付いてきているのを理解した敵のリーダーは、即座にその場を離れる。
冒険者としてそれなりに腕が立つという自信はあっても、だからといってグリフォンに勝てると思い上がっている訳ではない。
だが……セトから離れるという意味で反対の方向に移動した結果、そこには気配を消したレイの姿があった。
「どこへ行こうとしてるんだ?」
「っ!?」
気配を消すのを止めた結果として、リーダーにとってはレイがいきなりそこに姿を現したように見えた。
そんなレイにリーダーは唖然としたように動きを止める。
自分にとっても、今この場での戦いというのは非常に大きな意味を持つ。
それだけに、当然ながら周囲の状況は常に確認していた筈だった。
だというのに、レイは全く自分に悟らせるようなことをせずに近くまでやって来たのだ。
それもセトが来たから逃げた先にレイがいたということは、自分がどう動くのかを完全に予想されていたということを意味している。
「くっ!」
それでもレイの存在を前にして、怯えるのではなくすぐに攻撃に出る辺り、リーダーを任されるだけのことはあるのだろう。
もっとも、その一撃はレイを殺す為の一撃という訳ではなく、牽制の一撃でしかなかったが。
その一撃でレイを牽制し、この場から少しでも早く離れるといったような真似をする為の、そんな一撃。
リーダーも、当然ながら自分がレイに勝てるなどとは思っていない。
そんなレイに目を付けられた以上、今の自分に出来るのは少しでも早くここから逃げ出すだけだった。
……背後からはセトが迫ってきているのだから、余計に急いで逃げる必要がある。
今の状況は既にもう詰んでいると、そう考えるしかない。
実際にはこの戦いが始まる前から、そうなるとは予想出来ていたのだが。
「甘い」
しかし、ただでさえ実力差のあるレイに対して本気ではない牽制の一撃は効果がある筈もない。
リーダーの振るった長剣はあっさりとレイの振るったデスサイズの一撃によって弾かれ、次の瞬間には黄昏の槍の横薙ぎの一撃がリーダーの胴体に命中し、革鎧の上から肋骨を数本へし折りながら吹き飛ばす。
「ぐお……」
本来なら、横薙ぎの一撃というのは目で見ることが出来る。
達人の放つ槍の突きは目で見ることが出来ないということもあるが、突きと横薙ぎの一撃では、その軌道が大きく違う。
だが……それでも、リーダーはレイが振るった横薙ぎの一撃を全く見ることが出来ずに強烈な衝撃と共に吹き飛ばされ、意識を失う。
一体何があったのかも分からない、そんな一撃。
せめてもの救いは、今の一撃で意識を絶たれたので、肋骨が折れた痛みを感じなくてもいいということか。
そして……自分達のリーダーが負けたというのを知り、ドーラン工房に雇われた冒険者達の多くは逃げるか降伏するかを選ぶのだった。