2848話
多くの者が床に倒れたダイラスの動きを止めるべく押さえつける。
特にレイは関節を押さえつけるように指示を出す。
中にはレイの指示に従って動くのが気に入らないと考えてか、手足を押さえつけようとした者もいたが……
「があぁっ! 畜生が!」
手を押さえつけようとした男が、ダイラスの指によって肉を毟り取られ悲鳴を上げる。
ダイラスの戦闘経験そのものは非常に少ない。
それこそ、ここにいる者達の大半はダイラスよりも戦闘経験が上だろう。
だが、それでも圧倒出来る程に戦闘経験が上だという訳ではない。
だからこそ、この男のように迂闊にダイラスの攻撃が可能な場所に触れて、それによって多少なりとも傷を負う者が出てくる。
「油断するな! ダイラス本人は戦闘の経験は少ないが、その身体能力だけはかなり高い! さっきも言ったが、押さえる時はダイラスが動けないように関節を押さえ込め!」
そう叫ぶレイだったが、これからどうするのかといった問題がある。
ダイラスを押さえることには成功したものの、殺すことは出来ない。
デスサイズで胴体を切断しても、黄昏の槍で胴体を貫いても、ダイラスには全くダメージがないのだ。
あるいはダメージがあるのかもしれないが、結局のところ死んではいない。
もしそんなダイラスを殺すとすれば、それこそ再生出来ないような圧倒的な破壊力を持つ攻撃で倒すか、再生するにも体力や魔力といったものを使っている場合、それがなくなるまで延々と炎で燃やし続けるか。
正直なところそれくらいしか思いつかない。
しかし、ダイラスを殺すのはそれで問題となる可能性もある以上、出来れば生け捕りにしたいという思いがあるのも間違いなかった。
ダイラスの表向きの顔は善人として有名である以上、そんなダイラスを問答無用で殺したとなれば、ローベルに非難の矛先が向けられる可能性がある。
そうである以上。やはりここはしっかりとダイラスを生け捕りにし、善人の顔の裏で何をやっていたのかを公開する必要がある。
「レイ、これで大丈夫なのか?」
ローベルとドワンダ、二人の護衛をしていたオルバンが冒険者によって身動き出来なくなったダイラスを見ながらそう尋ねてくる。
「取りあえず暫くは大丈夫だと思う。ただ……いつまでもこのままって訳にはいかないだろう? ……ん? ポーションを持ってたのか?」
レイがポーションについて聞いたのは、ドワンダの左肘から流れていた血が止まっているように思えたからだ。
勿論恐らくは手刀によって切断された部位がくっついている訳ではないのだが、それでもかなり重傷の状態だったのに血が止まっているということは、それなりに品質の高いポーションを使ったということを意味している。
あるいは回復魔法を使った可能性も否定は出来ないが。
回復魔法の使い手というのは非常に少ないものの、エグジニスを動かす立場にいるのなら、回復魔法の使い手の一人くらいは部下にいてもおかしくはない。
しかし、こうして見る限りそのような者はどこにもいない。
そうなると、やはりポーションを持っている可能性が高い。
それを示すかのように、オルバンはレイの言葉に頷く。
「ああ。ドワンダも相応の地位にいるんだ。いざ何かあった時の為にポーションの一つや二つ持ち歩いていてもおかしくはない。ローベルもポーションは持ってるしな」
「それはまた、用心深いな。まぁ、その件はそれでいいとしてだ。ダイラスをどうするかだったな。金属の棒を曲げて関節を床に貼り付けるといったような真似をすれば、そう簡単に動けなくなるとは思う。とはいえ、ダイラスの異常な身体能力を考えると、それも絶対とは言えないが」
腕で相手の胴体を貫くといったような威力の一撃を出せるのだ。
ダイラスの戦闘経験は少なくても、その身体能力が脅威なのは間違いない。
下手に何も知らない状態で高い身体能力を得ている分、予想外の動きをしてもおかしくはなかった。
素人だからこそ、厄介。
今のダイラスはそのような存在となっている。
「いっそ、さっさと殺した方がよくないか?」
オルバンもまた、レイと同じ考えになったのだが……
「や、止めて下さい。か、彼は今は生かしておいた方が役に立ちます」
オルバンの言葉にローベルが割り込むようにしてそう言ってくる。
ドワンダもまた、そんなローベルの隣で頷く。
「そうだな。殺すしかないのならしょうがないが、生け捕りに出来るのなら、それは大きな意味を持つ。これからのことを考えれば、出来れば殺したくない」
「ダイラスを生かしておきたいという気持ちは分かる。だが、この様子を見る限りでは下手に生かしておけば、何をするのか分からないぞ?」
今までダイラスがやってきたことを考えると、このまま素直に生かしておくといったような真似をした場合、本当に何を企むのかが分からない。
場合によっては、ここで生かしておいたのが後々最悪の結果となる可能性も否定は出来なかった。
「それでもだ。今の状況を考えた場合、ここで殺すというのは有り得ない。……それに、いざとなったらレイがいるんだろう?」
そうドワンダが告げるが、レイはそんな相手に呆れの視線を向けて口を開く。
「別に俺はいつまでもお前達の手伝いをするつもりはないぞ。俺をいいように使うのなら、それこそ相応の報酬を用意して貰う必要がある」
「ふむ。では聞こうか。ローベルは一体何を報酬にお前を雇うような真似が出来たのか」
「これだな」
そう言い、レイがミスティリングから取り出したのは、革袋に入っている大量の宝石。
……実際にはこの宝石はオルバンから貰ったもので、元の持ち主もオルバンという訳ではなく、ダイラスの悪事の証拠が入っていた金庫のゴーレムの中にあった物なのだが。
とはいえ、その宝石を貰ったのがレイにオルバンやローベル達の護衛をしてもいいかと思った理由の一つである以上。決してその考えの全てが間違っている訳ではない。
「それは……また……」
ドワンダはレイが取り出した革袋の中身を見て、そこに入っている宝石の量と質に驚く。
それもドワンダは宝石の目利きも出来るのだが、そんなドワンダが見たところ、革袋の中に入っている宝石はどれもが上質で、売ろうと思えば相応の値段になるのは間違いない宝石ばかりだった。
その宝石に感心し、同時にレイを雇うには最低でもそれだけが必要になるのかと納得する。
実際にはレイはその気になればもっと安い値段……それこそ場合によっては銅貨一枚程度で依頼を受けることもあったりするのだが。
「俺を雇う値段はともかくとして……ダイラスを生かしたままにするのなら、まずは金属が必要だな。何かないのか?」
「そう急に言われてもな。レイは何か持ってないのか?」
オルバンの視線が向けられたのは、レイの右腕……正確には、そこに嵌まっているミスティリングだ。
その中に何か金属の類が入っているのではないかと、そう暗に尋ねてくるオルバンだったが、レイもそう都合よく金属を持っている訳ではない。
(槍を使えば……いや、槍は別に全てが金属じゃないしな。特に俺が持ってる槍は大抵が使い捨ての槍だし)
実際には、ミスティリングの中には普通の槍もそれなりに入っている。
盗賊から奪った物であったり、レイがちょっとした気紛れで購入したものだったり。
だが、それなりの槍である以上はあまり使い捨てにはしたくなかった。
槍の投擲は、レイの攻撃手段でもそれなりに多く使われるものだ。
そうである以上、出来ればあまり消費したくはない。
(斧はまだ少しあったけど……でも、斧を曲げるというのは、ちょっと難しいしな。いっそ鉄のインゴットを風雪に渡さなければよかったか?)
鉄のインゴットがあれば、それをどうにかしてある程度の金属は作れるのだが……そう思っていたレイは、ふと気が付く。
「ああ、別に俺がわざわざどうにかしなくても、この近くにある鍛冶師からそういうのを売って貰えばいいのか。そういうのがあるのかは分からないし、この近くに鍛冶師がいるかどうかも分からないけど。……どうだ?」
「さ、幸い近くに鍛冶師がいます」
ローベルは聖なる四会合を行う建物の周辺の地理については、しっかりと理解していたのだろう。
そんなローベルの言葉にドワンダが近くにいる冒険者の一人……自分が護衛として雇っている者に声を掛ける。
「おい、お前。近くに鍛冶師がいるから、そこにいって鉄の棒をこれで買えるだけ買ってこい」
そう言い、人が多すぎてダイラスに近づけなかった冒険者に金貨を数枚渡す。
「え? 俺ですか!?」
まさかこの状況で自分が指名されるとは思っていなかったのか、驚きの声を発する。
話の流れは理解していたものの、この状況ならレイが行くのが一番手っ取り早いのでは? とレイに視線を向けてくる。
しかし、そんな冒険者の様子にドワンダは苛立たしげに叫ぶ。
「馬鹿かお前は! もしダイラスが何か行動を起こした時、それを止められるのはレイだろう! それにダイラスが大人しいのも、ここにレイがいるからだ! そうである以上、今ここからレイを離れさせる訳にいかないのは明らかだろう!」
そう怒鳴られると、男はドワンダが自分の雇い主であるということもあってか、それ以上は何も言えずに金貨を持ってその場を走り去る。
(多分……建物から出たところで、かなりの面倒なことになるだろうな)
走り去る冒険者の後ろ姿を見ながら、レイはそんな風に思う。
建物の中で騒動が起きているのは、外でも鋭い者は理解しているだろう。
そのような者達は、当然のように事情を説明して欲しいと思う筈だ。
「建物の外にいる連中はどうするんだ? 中に入れるのか、それとも入れないのか。今のところはまだ誰も入ってきていないようだが、何かあった時の為にその辺は決めておいた方がいいんじゃないか?」
「それは……今この状況で建物の中に入れるなどといったような真似をした場合、必ず面倒なことになるだろう。そうである以上、今はここに入れる必要はない。違うか?」
オルバンのその言葉に、ローベルは即座に頷き、ドワンダは少し考えた後で頷く。
「じゃあ、決まりだな。おい、手の空いてる奴は何人か誰も入れないように見張っていろ」
オルバンの指示に、数人の者達が従う。
本来ならオルバンの指示に従った者達は別の相手に雇われている者達だ。
ダイラス、ドワンダ、ルシタニア……それが一体誰なのかは分からなかったが。
それでもここで素直にオルバンの指示に従ったのは、今ここにいる中ではオルバンが主導権を握っていると理解していた為だろう。
……勿論、それでも自分を雇ったわけでもないオルバンに命令されるのは嫌だと思う者も相応にいたのだが。
だが、ルシタニアは死に、ダイラスは暴走し、ドワンダとローベルの二人はオルバンがこの場を仕切るのを認めている。
そうである以上、ここで不満を言っても誰も聞いてくれないと判断したのか。
今は少しでも動くのが必要となる。
そうして建物に誰も入れないように指示すると、オルバンは次にダイラスを押さえ込んでいる者達に尋ねる。
「そっちは大丈夫か? 疲れているような奴はいないか?」
それは別に、押さえ込んでいる者達を心配しての言葉ではない。
ここで無理をした結果として、その隙をダイラスに突かれないかと、そのような心配からの問い掛けだ。
「も、問題ない! 何人か怪我はしたけど、今は大丈夫だ! ダイラスさん……いや、ダイラスはレイの言うように、身体能力は高いけど素人でしかない!」
ダイラスを押さえつけている者の一人が、そう叫ぶ。
結局のところ、高い身体能力を持っていてもそれを活かすような真似が出来ないので、こうして押さえつけられてしまえばどうにも出来ない。
これがもっと実力のある者であれば、身体を押さえつけられても……いや、押さえつけられるよりも前に、どうにかするといったような真似が出来ただろうが。
今の状況ではそれが出来ないのだから、どうしようもないのは間違いない。
「分かった。今、ダイラスを動けなくするように鍛冶師のところに行ってる奴がいるから、そいつが戻ってくるまで待っててくれ。そいつが戻ってくれば、もうダイラスは動けなくなる」
そう告げるレイの言葉が聞こえたのだろう。
ダイラスはそのようなことになる前にと暴れるが……何人もが押さえつけている状況を、どうにか出来るような力はない。
なにしろただ手足を押さえつけられているだけではなく、関節部分を皆に押さえられているのだから、それは当然だろう。
押さえている方にしてみれば、レイの言葉でこの状況がもう少しで終わると思ったのと、それでダイラスが暴れるので止めて欲しいという思いを抱いている者もいたのだが。