2846話
部屋の中に入ったレイとミルスが見たのは、床に空いた穴。
それも無理矢理破壊したような穴ではなく、何らかの方法で溶かして作ったかのような、そんな穴。
同時に一階から聞こえてきた悲鳴の数々。
それを考えれば、一体ここで何が起きたのかは考えるまでもなく明らかだった。
「ちっ、やられたか。ミルス、下だ!」
「分かった……って、おい、ちょっ!?」
ミルスはレイの言葉を聞き、階段を使って一階に戻るのだとばかり思っていた。
だというのに、レイは下だと言いながらも部屋の中に入っていったのだから、ミルスとしてはレイが何をしたいのかが理解出来ない。
「敵がいる場所に直接繋がってる場所があるんだ。なら、そこを使うのは当然だろ?」
そう言いながら、レイは部屋の中にあった穴の中に飛び込む。
その際、床に男の死体があるのが視界に入る。恐らくそれがルシタニアなのだろうと予想するくらいの冷静さは残っていた。
「え? ちょおっ!」
何の躊躇もなく穴に飛び込んだレイに戸惑った声を発するミルス。
レイはそんなミルスのことは全く気にした様子もなく、穴を落下していく。
数秒の落下速度と共に地面に着地したレイが見たのは、十人以上の死体。
(これはまた……随分と殺傷能力が高くなったみたいだな)
悲鳴が聞こえた……つまり、ダイラスが一階に下りてからレイが穴を通ってここ落下してくるまで、一分も掛かっていないだろう。
その短時間でこれだけの人数を殺したのだから、ダイラスの力はレイの予想よりも随分と上なのは間違いなかった。
素早く周囲を見回し、ここが少し前まで自分が待機していた部屋だと理解すると、すぐに扉に向かう。
この部屋に残ったのは、先程レイが何かを……恐らくダイラスが何らかの手段で力を得たのを感じて階段の方に移動した時に、レイと一緒に移動しなかった者達だろう。
その理由はレイには分からない。
単純にレイと一緒に行動するのが嫌だったのか、それとも面倒臭いといった理由なのか。
ただし、それがここに残った者達にとって最悪の結果をもたらしたのは間違いなかった。
待機部屋の扉から出たレイが見たのは、部屋の中で見たのとそう違わない光景。
ただし、不幸中の幸いか廊下で倒れている者の中にはまだ生きている者もいることだろう。
倒すべき人数が多かった為か、さすがに全員を即死させるといった訳にはいかなかったのだろう。
ましてや、これを行ったダイラスは商人ではあっても戦士ではない。
……短時間でこれだけの冒険者や兵士を殺しているのをみれば、それは何の冗談だ? と言いたくもなるが。
また、当然だが手当たり次第に殺している為か、死んでいる者の中にはダイラスが雇っている冒険者や仕えている兵士の姿もある。
ダイラスにとっては味方と呼ぶべき存在であるにも関わらず、何故そのような者達まで殺したのか。
そんな疑問はあったが、今はまずオルバンやローベルを守る方が先だった。
死体や怪我をしただけであっても、地面に倒れているのは間違いない。
そのような者達で足の踏み場もなかったが、微かに空いている床を足場に、あるいはどうしても無理ならスレイプニルの靴を使って空中を足場にして移動していくと……
「ぐわぁっ!」
「ドワンダ!」
悲鳴とオルバンの声が聞こえ、そしてレイはようやくその場に到着する。
到着したその場所では、ダイラスと思しき人物の側にドワンダが倒れていた。
それもただ倒れているだけではなく、左肘から先がない。
また、周囲には何人かの護衛や兵士達も倒れているが、さすがにダイラスもこの短時間でその場にいる全員を倒すことは出来なかったのか、まだ立って武器を構えている者もそれなりの人数がいる。
「取りあえず間に合ったようだな。この状況で幸いと表現するのもどうかと思うが」
「おや……まさかそちらの方から来るとは思いませんでした。それにしても、随分と早いですね。私の予想ではもう少し時間的な余裕があるとばかり思っていたのですが」
そう言い、ダイラスはレイの姿を見る。
この時になって、初めてレイはダイラスの素顔を自分の目で見た。
一見すれば、穏やかそうな紳士にしか見えない。
そんな男ではあったが、その顔や身体が血に塗れているとなれば話は別だろう。
「お前がダイラスだな。……まさかこんな馬鹿げた真似をするとは思わなかったが。それでもこうして俺と遭遇したのは運が悪かったな」
「いえ、そうでもないですよ。勿論、貴方と会わなければ……」
「うっ、うわああああああああっ!」
ダイラスがレイと話しているのをチャンスだと思ったのか、もしくは極度の緊張に耐えられなかったのか。
長剣を構えていた冒険者の一人が、自分の中にある怯えを消し去るように叫びながらダイラスに向かって距離を詰め、長剣を振り下ろす。
本来なら入れる数が限られているこの建物の中に入れたのだから、相応の技量を持つ冒険者なのだろう。
しかし、恐怖や混乱や焦り……それらを感じた結果として、ダイラスに振り下ろされた一撃は決して鋭いものではなく、力任せの……それこそ汚い一撃と評するのが相応しいような攻撃だった。
結果として、その一撃はあっさりとダイラスが出した手に命中し……ギィン、という人間の腕ではなく、まるで金属を叩いたかのような音が周囲に響き渡る。
(へぇ)
いきなり冒険者が攻撃をしたのにはレイも驚いたが、ダイラスの腕がそれを弾くだけの頑丈さを持っているのを知ることが出来たのは大きい。
もっとも、ルシタニアの胴体を素手で貫くといったような真似をしたと聞いていたのだから、このようなことが出来てもおかしくはなかったのだが。
そして長剣の一撃を弾いたのとは別の腕で冒険者の胴体を貫こうとし……
キィン、という金属音が周囲に響く。
その音を出したのはダイラスだったが、そのダイラスに攻撃をして音を出せたのはレイ。
ネブラの瞳を使って生み出した鏃を素早く投擲し、それによって冒険者の胴体を貫こうとした腕を弾いたのだ。
本来なら、レイには冒険者を助ける義理はない。
それでもこうして冒険者を助けたのは、何となく成り行きでというのが大きい。
どうしても理由をつけるとすれば、先程の一撃でダイラスの腕……いや、身体は金属のような頑強さを持っていると判明したからというのが大きいだろう。
「俺を前にして他の奴に攻撃をするなんて随分と侮ってくれるな。……そういう連中と戦うよりも、俺と戦う方が先じゃないのか?」
「いえいえ、私としては出来ればレイさんとは戦いたくないんですよ。だってそうでしょう? レイさんは異名持ちの冒険者なんです。私が戦って勝ち目があるとは思えません」
ダイラスの口から出た言葉が、真実かどうかはレイにも分からない。
しかし、それでもダイラスの様子からすると煽る為に言ってるようには思えなかった。
「その割には、俺がいるのにこんな真似を始めたようだが? 俺と戦う気がないのなら、そもそもこういう騒動を起こさなければよかったものを」
レイとオルバン、ローベルのそれぞれの繋がりを理解していれば、聖なる四会合を開いた時にレイが護衛としてやって来るのは十分に理解出来る。
……とはいえ、レイがこうして護衛をしているのはオルバンに頼まれたからなのだが、
そういう意味では、オルバンがレイに頼んでいなければこのようなことにはなっていなかった筈であり、オルバンの行動が正しかったことを示していた。
「そうかもしれませんね。ですが、エグジニスの発展の為には出来ることを全てやる必要があります。それがどのような無茶であっても」
「……エグジニスの発展?」
何故ここでそのような言葉が出るのかと疑問に思うレイだったが、話を聞いていたオルバンがその疑問に答える。
「ダイラスの最終的な目的は、エグジニスの発展。それは間違いないらしい」
「それなら別に非合法な真似をしなくても、表でやれることをやればいいだろうに」
ダイラスは表向き善人として知られている。
そうである以上、ダイラスが本気でエグジニスを発展させるつもりになれば、それこそある程度は自由に出来る筈だった。
ダイラスと同じ地位にいる他の三人がそんなダイラスの意見に賛成するかどうかは分からなかったが。
「最初は私もそうしようとしました。しかし、結局は他の人に反対され、結果として長い停滞の時間が生まれたのです」
「それで今回のような強硬手段に出たと?」
「はい。私はこのエグジニスを愛しています。だからこそ、エグジニスにはもっと発展して欲しい。現在は自治都市と呼ばれてはいますが、規模としては街……どんなに頑張っても準都市といったところでしょう」
「だろうな」
エグジニスはかなり発展している街ではあるが、それはあくまでも普通の街と比べればの話だ。
例えばレイの拠点のギルムと比べれば、増築工事が始まる前のギルムと比べてもエグジニスは小さい。
もっとも、それはギルムが色々な意味で特別であるというのも影響してるのだが。
ミレアーナ王国で唯一辺境にある街というだけで、多くの冒険者や商人が集まってくる。
それ以外にもギルムを治めているのは、中立派を率いるダスカーだ。
そのようなギルムと比べる方が間違いなのだろうが……ダイラスにしてみれば、自分が心の底から愛するこの街をもっと発展させたいと思うのは当然のことなのだろう。
全てではないが、自分の住む街を愛するという気持ちはレイにも分かる。
だからといって、発展させる為に何をやってもいいという訳ではないのだが。
「私は何としてもエグジニスを発展させる必要があるのです。それこそ、多少後ろ暗いことであっても、受け入れる必要があります」
「なるほどな」
レイは少しだけ……本当に少しだけだが、ダイラスの言葉に納得する。
自分の住んでいる街を発展させたいと思うのは当然だろうし、領主――自治都市であるエグジニスの場合は正確には違うが――が清廉潔白でなくてもいいというのは、レイにも納得出来る。
実際、レイが尊敬しているギルムの領主のダスカーも後ろ暗いところはある筈であり、決して清廉潔白といった訳ではない。
清廉潔白な無能と、後ろ暗いところのある有能。どちらを選ぶのかと言われれば、レイは当然後者を選ぶ。
勿論、清廉潔白な有能というのが最善なのかもしれないが、綺麗すぎる水では魚は住めないという話もある。
そう考えれば、やはりここは後ろ暗いところがある相手の方がいいと思えるのは当然だった。
……ただし、それはあくまでもある程度の後ろ暗さであって、ネクロマンシーの技術を使って人を犠牲にしてゴーレムの核を製造するなどといったような真似は完全に論外だったが。
後ろ暗いのも、それがすぎれば大きな問題となる。
そういう意味では、ダイラスの言葉には多少は納得出来るものの、許容するといった真似は到底不可能だった。
「だが……お前の言うことはある程度理解出来るものの、だからといって俺はそれを許容出来ない」
「残念ですね。レイさんなら私の思いを理解してくれるかと思ったのですが」
「何を考えてそんな結論になったのかは分からないが、もし俺がお前の考えを理解しても、俺とお前が敵対関係にあるのは変わらない。そうである以上、俺がお前を倒すという結論に違いはない」
そう告げるレイの言葉に、ダイラスは本当に残念そうな表情を浮かべる。
しかし、レイはそんなダイラスの残念そうな表情を見て疑問を抱く。
自分という強者を敵に回しているこの状況において、それでも絶望を感じた様子はない。
ダイラスの身体が色々と妙なことになっているのは、今までの流れから理解していた。
しかし、それを知った上でもレイは自分がダイラスに負けるという考えは一切ない。
あるいはダイラスは自分が強くなったのは理解しているものの、相手の力量を感じるといったことは出来ず、レイと戦っても自分が勝てると考えているのか。
一瞬そう思ったレイだったが、すぐに内心でそれを否定する。
ダイラスの様子を見る限りでは、とてもではないがそのような考えを持っているようには思えない。
それはつまり、何か別の理由が……そう、例えばここで自分に勝てなくてもどうにかなるような何らかの奥の手があるのではないかと、そう思えたのだ。
ダイラスの用心深さは、屋敷の仕掛けを見れば明らかだ。
そうである以上、聖なる四会合を開く時に自分がいるのを想定していない筈がなく、その時に備えていてもおかしくはない。
そんな風に思いながら、レイは改めてここでデスサイズと黄昏の槍を取り出すのだった。