2844話
部屋の中に沈黙が満ちる。
聖なる四会合が始まる前にも、沈黙は満ちていた。
しかしそれでも、何とかドワンダやルシタニアは会話をすることが出来たし、オルバンやローベル、そして今回の一件の張本人とも言うべきダイラスも会話をしていた。
しかし、話せば話す程にダイラスとの間にある違和感は強くなっていき……そして現在、部屋の中は沈黙に満ちるという結果になっている。
その沈黙をやぶったのは 沈黙を作った張本人のダイラス。
「私の主張は理解して貰えたようですね。こう見えて、私はエグジニスを愛しています。……皆さんにはそのように見えないようですが、これに関しては間違いないと断言します」
そう言うダイラスだったが、その話を聞いていた誰もがその言葉を素直に信じられない。
「お前の言い分は分かった。だが、それを素直に信じろという方が無理だとは思わないか?」
ドワンダのその言葉に、ダイラスは首を横に振る。
「そんなことはありませんよ。実際、私の行動のおかげでエグジニスは以前よりも活気があるのは事実です。違いますか?」
そう言われれば、ダイラスの言葉を即座に否定出来る者はいない。
ドーラン工房が高性能なゴーレムを作るようになり、それが噂になって多くの貴族や商人がそのゴーレムを欲しているのは間違いないのだから。
そうである以上、エグジニスに活気が出て来たのは間違いなかった。
なかったが……
「だからといって、それを許容しろというのか? それは難しい」
ルシタニアがダイラスの言葉を否定する。
ドワンダとルシタニアにしてみれば、ダイラスに半ば騙された形でローベルを聖なる四会合に引きずり出したのだ。
そうである以上、このままではダイラスの道連れとして自分達まで致命的な状況になりかねない。
そう考えれば、やはりここでどうにかしてダイラスとの縁を切る必要があった。
ローベルやオルバンはそんな二人の様子を見ていたものの、それに対して何も言わない。
何か思うところがないのかと言われれば、当然のようにそれはある。
しかし、それでもドワンダやルシタニアはエグジニスの運営に欠かせない人物であるのは間違いないし、そのような相手をこの場で切り捨てるといった真似は出来ない。
もしそのような真似をした場合、このままでは危険だと判断してドワンダ達がダイラス側につくといった可能性が否定出来ないのだから。
「そうですか。出来れば皆さんには私の意見に賛成して欲しかったのですが。こちらとしても、これ以上余計な騒動を起こすことになればエグジニスに悪い影響を与えかねませんし」
「悪い影響か。ドーラン工房のゴーレムがスラム街で暴れたり、俺達の拠点に奇襲を仕掛けてきたりとか、そういうのは悪い影響にならないのか?」
オルバンにしてみれば、ドーラン工房やダイラスとのいざこざで、結構な被害を受けている。
そのことに色々と思うところがあるのは当然だろう。
「ですが、それは風雪がレイと手を組んだからでは? 私としては、風雪はエグジニスにおいて必要な存在と思っていただけに、非常に残念でした」
そう断言するダイラスは、オルバンを挑発するといったようなつもりはなく、本当に心の底からそのように思って喋っているのは間違いない。
(ダイラスはこういう性格だったか?)
そんなダイラスの様子を見ていたオルバンは、ふとそんな疑問を抱く。
オルバンも、ダイラスと会うのはこれが初めてという訳ではない。
ローベルとの付き合いの関係や、エグジニス最大の暗殺者ギルドの風雪を率いる者として、以前から何度かダイラスに会ったことはある。
しかし、以前遭遇した時の記憶と今の状況を考えても、ダイラスが同じ相手とは思えなかった。
(性格を偽っていた? いや、善人の振りをしてここまでのことをやっていたんだと考えれば、そうおかしな話ではないと思うんだが)
善人の振りと考えたオルバンだったが、ダイラスにしてみれば善人として人に知られている顔も、そして今のようにエグジニスの発展の為なら何をやってもいいのだと考えているのも、双方共に同じ顔ではあった。
「とにかく、私の主張はしっかりとしました。それでこれからどうしますか? 一応、改めて聞いておきます。このエグジニスを発展させる為に、多少の後ろ暗いことは受け入れるという方は……私に協力をするという方はいらっしゃいますか?」
聖なる四会合に参加している者達に向かい、そう尋ねるダイラス。
しかし、当然ながらこの状況でダイラスの言葉を受け入れるような者などいる筈もない。
部屋の中に沈黙が満ちる。
一体この聖なる四会合が始まってから、何度目の沈黙だったのか。
そんな風に思いながらも、オルバンはいつ何が起きても対処出来るように準備を整える。
何しろ今の状況を考えれば、ダイラスが何をしでかすのか全く分からないのだから。
それこそ、場合によっては暴れ出すといった可能性もあった。
だが、それでもオルバンはそこまで気にした様子はない。
自分は風雪を率いる者として、相応の実力を備えているという自負があった。
そうである以上、今ここでダイラスが暴れても対処するのは難しい話ではない。
勿論、オルバンも自分が最強であるとは全く思っていないが……それでも、現在この部屋の中にいる者達に対しては、どうとでも対処出来る自信があった。
それがオルバンの油断と言えば、少し言いすぎだろう。
しかし、オルバンはドーラン工房がどのようなゴーレムを作っていたのかといった情報はあった。
そういう意味では、迂闊だったのは間違いない。
「どうやらいないようですね。残念です。では……」
そう言い、座っていた椅子から立ち上がったダイラスは自分の身体……具体的には腹部にそっと手を当てる。
(一体何を?)
そんなダイラスの様子に疑問を覚えるオルバン。
相応の強さを持っていても、当然ながらオルバンは実際に前線に出て戦うといったようなことはしない。
だからこそ、ダイラスがいかにも怪しげな行動をしたのを見ても、疑問は抱きつつ行動に出ない。
結果として、オルバンは相手に先手を許してしまう。
「我に力を。このエグジニスを守るのに相応しい力を!」
どくんっ、と。
ダイラスの口から言葉が漏れ、同時に自分の身体に魔力を流すとその身体が脈動する。
そう、それはまさしく強力なマジックアイテムが起動したかのように。
「ちぃっ!」
一歩出遅れた。
そう判断したオルバンは、素早く服の中から短剣を取り出して投擲する。
ダイラスに出し抜かれたものの、その鍛えた技量は本物だ。
一瞬にして投擲された短剣は、そのままダイラスの額にぶつかり……キン、と甲高い金属恩が響き渡ると同時に、弾かれた短剣が空中を回りながら床に落ちる。
「な……」
これが、例えば鎧にぶつかって弾かれたのなら、まだ納得も出来ただろう。
だが、オルバンの投擲した短剣は間違いなくダイラスの額に命中した。
本来なら皮膚を破り、肉を斬り裂き、骨を貫き、脳みそを損傷させるだけの威力を持った一撃。
だというのに、まるで金属の兜にでも命中したかのような音と共に、それと同様の結果を生み出したのだ。
一体何が起きているのか、全く分からない。
それでもダイラスが何らかの行動に出たのは明らかで、そうである以上はそれに対処する必要があった。
「ローベル、逃げるぞ!」
「は、はいぃっ!」
いつものように気弱な声ではあったが、それでもローベルの行動は素早い。
今の状況において、一体どうすれば生き残れるのかを十分に理解している為だ。
そしてローベルに一瞬遅れ、ドワンダもまた動き出す。
そこから更に遅れてルシタニアが動きだそうとしたのだが……
「どこへ行こうというのです?」
「ぐが……」
逃げようとして椅子から腰を上げた瞬間、強烈な衝撃によって息も出来なくなる。
一体何が? とルシタニアは自分の身体を見ると、何故か自分の胴体から一本の腕が生えていた。
これは一体?
そんな疑問を抱きつつ、そのままルシタニアの意識は闇に沈むのだった。
ずるり、と。
ルシタニアの身体が床に倒れるとの同時に、その動きでルシタニアの胴体を貫いていたダイラスの腕が引き抜かれる。
「おや、逃げてしまいましたか」
手に付着した血や体液、内臓の切れ端を腕を振るって落とすと、気が付けば既に部屋の中には誰もいない。
扉が開いていることから、残りの三人が部屋から逃げ出したのは考えるまでもなく明らかだ。
「出来ればここで全員……とはいかずとも、もう一人や二人は殺しておきたかったのですが。まぁ、いいでしょう。こうなってしまっては、エグジニスの発展の為の礎となって貰う必要がありますし……多少手荒ですが、やるしかないでしょうね」
呟き、ダイラスは自分の身体にそっと手を触れ……
「稼働時間はもう少し余裕がありますね。レイを倒すのは難しいですが、それ以外の戦力は出来るだけ削っておきたいところです」
呟きながら、ダイラスは部屋から出ていくのだった。
「ん? 何だ? 何かあったのか?」
一階にある部屋で、レイはふとそんな風に呟く。
レイの側で話をしていたミルスは、そんなレイの様子に疑問を抱く。
「レイ? どうした?」
「準備をした方がいいな。どうやら不測の事態って奴らしい」
レイは魔力を感じるといったような真似は出来ないが、鋭い五感とこれまで積み重ねてきた戦闘経験から、何かがあったのだと雰囲気で感じ取った。
だが、それを感じたのはレイだけだ。
部屋の中にいる者達は、レイがいきなり何を言い出したのかと、不思議そうな視線を向ける。
特にダイラスの部下達は、あからさまに馬鹿にした視線を向けていた。
……なお、先程レイの言葉で軽い内輪揉め状態になったダイラスの部下達だったが、それは一旦置いておくことになったらしい。
まさかあの状態から棚上げするというのは、レイにとっても驚きだった。
交渉能力という点では、それなりに高いのだとレイも納得してしまう程に。
周囲にいる者達からの視線を浴びながらも、レイは部屋から出る。
「おい! 勝手な真似は……」
ダイラスの部下がそんなレイの様子を気にくわなかったのか、敵意を込めて叫ぶ。
だが、レイはそんな怒声よりも自分の中にある何かを信じているので、その言葉は無視して部屋から外に出る。
叫びを無視された者にしてみれば、当然だが面白くない。
元々ダイラスの部下としてレイの存在が気にくわなかっただけに、苛立ち混じりに何かを言おうとするも……同じくダイラスの部下である男の仲間によって止められる。
「取りあえずその辺にしておけ」
「あ? 何でだよ。ここでまたレイに好き勝手にやらせるような真似をしたら、それこそ後々面倒なことになるぞ」
「だが、相手はレイだ。お前は興奮して忘れているようだが、俺達が正面からどうにかしようとしても出来る相手じゃないんだぞ?」
「それは……」
そうした仲間の言葉でようやく男は我に返る。
我に返れば返ったで、レイと自分の間にある圧倒的な差を見て悔しく思うのだが。
「とにかくだ。レイが俺達よりも格上の存在なのは間違いない。そうである以上、今はここでこうしているのではなく、俺達でしっかりとレイが何をするのか確認する必要がある」
そう言われれば、レイに不満を持っている男もすぐに反論するような真似は出来ない。
百戦錬磨のレイが何かを感じたというのは、間違いない。
であれば、その何かがなんなのか。
それを自分達も確認した方がいいと思うのは当然だった。
レイという存在に強い反感を抱いてはいるものの、それでもレイの実力を何も分からない訳ではないのだから。
そして部屋の中にいた他の者達もまた、そんなレイの行動に色々と思うところがあったのかレイを追う。
「ほら、俺達も行くぞ。レイがあそこまで反応するんだ。そうである以上、そこに何かがあるのは間違いない。なら、俺達だけが部屋の中で待ってる……なんて真似は出来る筈がないだろう?」
仲間のその声に、男は渋々とだが頷いて立ち上がる。
(けど、レイがあそこまで反応するか何か、か。……一体何があった? 聖なる四会合で問題が起きたと考えるのが適当だろうが、出来ればそれは止めて欲しいよな)
そんな風に考えるも、今の状況を思えば何も起きないといったようなことはないだろう。
ダイラスの部下の男もそのくらいは予想出来た。
それに……結局話は途中で有耶無耶になってしまったが、ダイラスに裏の顔があるといったようなことをレイが言っていたのも気になる。
そんな風に思いつつ、取りあえず男もレイを追うのだった。