2843話
レイがモンスター図鑑を読んでいる頃……建物の一室、聖なる四会合が行われている部屋には、重苦しい沈黙が満ちていた。
その沈黙の原因は、テーブルの上にあるオルバンが取り出した書類の数々。
それを見れば、ダイラスが今までどのようなことをしてきたのかがしっかりと分かるだろう書類。
その書類を見て、ドワンダとルシタニアの二人はダイラスの味方をするといった真似はそう簡単に出来なくなる。
本来なら、ダイラスからの要求は昨夜ローベルの仲間であるオルバンが率いる風雪に襲撃されたというのを正す為と聞いていた。
正確には、それを理由にしてローベルの持っている権限を自分達のものにしたいと思っていた。
エグジニスを動かしている四人だけに、それぞれが持っている権限はかなり大きい。
もしその権限を多少なりとも奪うことが出来れば、それは自分達にとって大きな利益となる。
同時に、ダイラスに対して恩を売る……もしくはダイラスとの間を取り持ってローベルに貸しを作るといったことも考えていただろう。
だが、そんな思いで聖なる四会合を開いたというのに、用意された書類はそれこそダイラスに協力している今の立場が非常に不味いと教えてくれていた。
それこそ、もしローベルがその気になれば、自分達は大きなダメージを受けるのは間違いない。
ダイラスはそれこそ二度と日の目を見るようなことはないだろうと、そんな風にすら思えてしまう。
「ダイラス、これは……本当なのか?」
やがてこのまま沈黙していても仕方がないと思ったのか、ドワンダが口を開く。
五十代程の恰幅のいい男。
そんな男が現在ダイラスに向ける視線の中には、理解しがたい存在を見るような色がある。
当然だろう。書類の中にある数々のものは、ドワンダも見逃せないようなものなのだから。
勿論、ドワンダも……そして口は開いていないが、ダイラスに厳しい視線を向けているルシタニアも、エグジニスという自治都市を動かす四人のうちの一人である以上、色々と後ろ暗いことはしている。
裏金であったり、力を使っての脅しであったり。
だが、それでもエグジニスの商人として最低限のルールは守っている。
エグジニスという自治都市に被害を与える真似はしないというような。
そんな中で、ダイラスがドーラン工房と手を組んでやっていたことは致命的なものだ。
他にも色々と見逃せないものはあるが、やはり一番大きいのはそれだろう。
商人にとっての天敵たる盗賊をわざわざエグジニスの周辺に集めるというのは、もしそのような真似をしていると知られれば、エグジニスにやって来る商人は確実に減る。
そして、無理矢理奴隷にした違法奴隷を大量に用意し、その違法奴隷の魂をネクロマンシーの儀式によって奪い、ゴーレムの核の素材とする。
こちらは盗賊の件以上に致命的なものなのは間違いない。
この件が公になれば、最悪ミレアーナ王国から自治都市の資格を没収されてしまうことにもなりかねない。
そのような真似をすれば、当然だが現在エグジニスを動かしている四人にも何らかの処分が下るだろう。
あるいはローベルは今回の一件を暴いたということで、温情を貰えるかもしれないが。
しかし、他の三人……いや、実行犯のダイラスはともかく、ドワンダとルシタニアはどうなるか。
考えるまでもない。
今回の一件でダイラスに味方をしたというのも大きい。
最良の結果であっても、何らかの責任は取らされ、二人が運営している商会も潰されるだろう。
最悪ともなれば、比喩でも何でもなく文字通りの意味で首を飛ばされるか。
(どうする?)
だからこそ、ドワンダはルシタニアに視線を向けて無言で尋ねる。
この場合のどうするかというのは、当然ながら自分達の既得権益を守るためにどうするのかということだ。
商会で働いている者達や、その家族。あるいは商会と取引のある者やその従業員や家族。
ここにいる四人は、エグジニスの中でもそれぞれ大手と呼ばれる商会を率いている。
それだけに、商会が潰れるのは自分だけの問題ではなく多くの者の人生にも影響してくるのだ。
そうである以上、貪欲なまでに自分の商会を守ろうと考えるのは当然の話だった。
しかし、ドワンダの視線を向けられてもルシタニアは反応出来ない。
何しろ、ここにいるのは自分達だけではなく、オルバンもいるのだ。
ルシタニアは……そしてドワンダやダイラスも、当然ながらオルバンがどのような存在なのかは理解している。
だからこそ、もしここで自分達が机の上にある証拠をどうにかしようとしたところで、それが出来るとは思わなかった。
「言っておくが、ここにいるのは俺だけだけど、下にはレイが……深紅のレイがいる。知ってるだろうが異名持ちのランクA冒険者だ。この場で俺達に何かちょっかいを出した場合、当然ながらレイも敵になるだろう。それは分かってるよな?」
ドワンダとルシタニアの二人を牽制するようにオルバンが言う。
その牽制は、二人にとって妙な考えを即座に諦めさせる程の説得力を持っている。
エグジニスを動かせる程の実力を持った者達だ。
当然ながら情報収集についても熱心で、レイがどれだけの実力を持っているのかは十分なくらいに理解していた。
そんなレイを敵に回せばどうなるか。
それこそ昨夜ダイラスの屋敷が襲撃された程度の被害ではすまないだろう。
「ダイラス! お前は一体何を考えてこのような真似をしたのだ! このようなことが公になれば、エグジニスがどうなるのか、分かっているのか!?」
ドワンダが不満をぶつけるようにダイラスに言う。
「全くです。このようなことになっていると知れば、聖なる四会合の件で協力しなかったものを」
ルシタニアの神経質そうな言葉も放たれるものの、それを受けるダイラスはそのような状況を全く気にした様子はない。
それどころか、ローベルやオルバン達がこの部屋に入ってきてからまだ一切何も喋っておらず、沈黙を守ったままだ。
(何だ? 何でこんなに余裕そうな様子なんだ? 他の二人を連れて聖なる四会合に挑んだということは、何らかの逆転の一手があるものだとばかり思っていたんだが)
オルバンは無言を貫くダイラスの様子に不気味なものを感じていた。
今の状況において、ダイラスが黙っている必要はない。
いや、それこそここで何も言わなければ、自分の罪を認めることになる。
これだけの悪事を働いてきた以上、それが知られれば間違いなく処刑となる。
ダイラスもそうなっては困るからこそ、他の二人と共に聖なる四会合を開いた筈だった。
「ダ、ダイラスさん。な、何かないのですか?」
ダイラスの様子を不気味に思ったのはオルバンだけではない。
ローベルもまた、ダイラスの様子に不可解なものを感じていた。
いや、あるいはオルバン以上にダイラスという人物との付き合いが長いローベルだけに、よりダイラスの様子に疑問を感じているのは当然だろう。
「そうですね」
今まで黙っていたダイラスは、聖なる四会合が始まってから初めて口を開く。
しかし、その声には焦りの類は全く存在しない。
それが部屋の中にいる者に強い疑問を感じさせる。
「そうですねとは、どういう意味だ? この証拠が事実であると認めるのか?」
「ええ、否定はしません。ここに書かれていることは私が行ったことです。……それにしても、この書類を取り出すには苦労したのではないですか? あの金庫のゴーレムは、かなり強力だった筈ですけどね」
全く危機感のない言葉は、オルバンにとっても疑問の色が強い。
自分の悪事の証拠を突きつけられているのに、それよりも金庫のゴーレムを倒した方を気にしていたのだから。
そんなダイラスの様子を気にしつつも、オルバンは口を開く。
「忘れたのか? さっきも言ったが、俺達には深紅のレイがいる。レイにしてみれば、金庫のゴーレム程度、倒すのは難しい話じゃない」
「そうですか。……本当に、彼一人のせいで計画が大幅に狂ってしまいましたね。本来ならもっとこちらに必要な情報を収集するまで、大人しくしてるつもりだったのですが」
「情報を収集? ……それはドーラン工房でやらせていた、ネクロマンシーの技術を使ったゴーレムの核のことか?」
「それもあります」
それも、と。そう言葉に出したということは、それはつまり他にも何かを企んでいたということを意味している。
「い、一体何を考えてこのような真似を?」
いつものように気の弱そうな口調ではあるが、ローベルがダイラスを見る目は厳しい。
今この状況で何故そのようなことを口にするのか。
それが全く理解出来なかったからだろう。
不気味さが余計にダイラスに向けられる視線を厳しくしていた。
「さて、何故そのような真似をしたのかと言われれば、そうする必要があったからと言いましょう。最近の……ドーラン工房のゴーレムが出て来るまで、ゴーレムの性能はほとんど伸びていなかった。それは覚えてますよね?」
不意に話題が変わったことに驚きつつも、部屋の中にいる者全員がその言葉に対して否とは言えない。
実際ダイラスの言ってる内容は決して間違いではなかったのだから。
ゴーレム産業を行っているのがエグジニスだけなので、ゴーレムの需要が減るといったことはなかった。
しかし、だからといってそれでいいのかと言われれば……特にこの場にいる者達はオルバン以外はエグジニスを動かしている者達なのだから、とても頷ける話ではない。
実際、ドーラン工房のゴーレムが出る前は、ゴーレムの技術が発展しないのは不味いと、聖なる四会合で話し合われたことも多々あったのだから。
「分かって貰えたようですね。今回の一件は色々と責められてもおかしくはないと理解しています。しかし、エグジニスという自治都市をこれからも維持し、発展させていく為にはどうしても必要だったのは事実ですよ」
「ま、待って下さい。エ、エグジニスの発展を目指すのなら、もっと別の別の方法があった筈です。ネ、ネクロマンシーなどという魔法以外でもよかったのでは?」
ダイラスの言葉に真っ先に反応したのはローベル。
実際、その言葉は決して間違っている訳ではない。
もしダイラスの言葉が真実で、選んだ方法がネクロマンシー以外……具体的にはもっと受け入れやすい技術であれば、エグジニスの発展の為にローベルも協力していただろう。
しかし、その手段がネクロマンシーとあっては、到底それを認めるような真似が出来る筈もない。
「そうだな。エグジニスを発展させるにしても、何故わざわざネクロマンシーなどという忌避感の強い魔法を選んだのか。それは疑問だ」
ドワンダもまた、ローベルの言葉に同意するようにそう告げる。
ルシタニアもまた同様に。
ダイラスがエグジニスの発展の為と言ってはいるが、そこでネクロマンシーを選んだというのは、とてもではないが納得出来る話ではない。
「ましてや、違法奴隷を用意して、それをネクロマンシーの儀式に使っていたんだ。それで納得しろという方が無理だと思うが?」
オルバンのその言葉に、ローベルが真剣な表情で頷く。
「それに、エグジニスを発展させる為なら、どうして盗賊をわざわざエグジニス周辺に連れてくるような真似をする? 盗賊がいれば襲われる者が出て来る。そして襲われるのは、当然のようにエグジニスに用事のある者達だ」
エグジニスを発展させる為に今回の一件を企んだのなら、盗賊を連れてくるのは矛盾してるのではないか。
そう告げるオルバンに対し、ダイラスは特に焦りも感じさせずに口を開く。
「盗賊はネクロマンシーの儀式に使う為に必要だったのですよ。それに、盗賊がいるおかげでゴーレムの運用試験をする際に、ゴーレム同士で戦うよりも直接盗賊を殺すといったようなことが出来て、それが結果的にゴーレムの性能を底上げすることになりました」
「金庫に入っていた書類によると、盗賊の魂はゴーレムの核の素材として質が低いから、違法奴隷を集めたとあったが?」
「質の低い魂であっても、数を集めればある程度は使い物になりますから」
あっさりとそう告げるダイラスは、盗賊という存在を生かしておく価値をまるで見ていなかった。
とはいえ、それに関してはここにいる他の者達も同様だ。
商会を経営している以上、盗賊というのは厄介な存在でしかないのだから。
それでも……相手に生きる価値を見出しているかどうかはともかくとして、だからといって相手をゴーレムの核の素材にするというのはどうかと皆が思う。
ダイラスが自分達とはまるで違う倫理観で生きているように思い、部屋にいるダイラス以外の者達は不気味なものを感じるのだった。