2839話
レイとニナの二人はオルバンの部屋に到着する。
いつものように扉の前には護衛がいたが、その護衛は昨日レイが金庫のゴーレムと戦った時とは違う相手だった。
昨日の一件で疲れたのか、それともただ単純に交代時間となったのが理由なのか。
その辺はレイにも分からなかったが、レイに対する敵意はないらしく、素直にレイとニナに向かって頭を下げてくる。
そうしてレイとニナはオルバンの部屋に招かれたのだが……
「うわぁ……」
部屋の中にいたオルバンの顔を見たレイの口から、思わずといった様子でそんな声が漏れる。
当然だろう。普段はいつもやる気に満ちているのだが、今こうしてレイの視線の先にいるオルバンは明らかに疲れ切っていた。
「もしかして、昨日からずっと眠ってないのか?」
「眠っていない訳じゃない。多少は眠っている。本当に多少だがな」
そう言ってくるオルバンの言葉に、レイはショートスリーパーという言葉を思い出す。
日本にいる時にTVで見た番組でやっていた特集だったが、寝る時に六時間、七時間、八時間といったように纏めて寝るのではなく、十分、十五分、三十分といったような短い睡眠時間を生活の合間にとるといったものだ。
それが健康にもいいという話だったが、それを見た当時のレイにはとてもではないがそのように思えなかった。
実際、現在レイの前にいるオルバンの様子を見ればそれは明らかだろう。
(いや、もしかしたら今日だけで短い睡眠時間を何度も取るといったような真似をしてるから、身体が慣れていないだけだったりするのか? これを毎日繰り返せば、あるいは……いや、それはそれでちょっとな)
オルバンの様子から、とてもではないがそのような真似は不可能だと判断する。
「きちんと寝た方が、最終的にはいい結果になるんじゃないか?」
「どうだろうな。そうだといいんだが。しかし、今の状況を考えればそんな真似はしていられないのも事実だ。今回の件が解決したら、俺もきちんと寝るから安心しろ」
そう言われても安心していいものかどうか迷う。
とはいえ、ここでレイがこれ以上何を言っても、話を聞いては貰えないだろうと思うのも事実。
レイにしてみれば、今はオルバンの思うようにさせておくしかないと、そう考える。
「分かった。今はオルバンの言葉を信じる。ただ、今回の件が終わったら本当にしっかりと休めよ。……で、俺を呼んだってことは、ローベルに会いに行くのか? ダイラスの証拠はもう十分に集まったんだろ?」
「ああ。十分にというか、十分すぎる程にな。昨日金庫のゴーレムから回収した資料とかを読めば、それは明らかだった」
しみじみとそう告げるオルバン。
レイはその書類には具体的にどのようなことが書かれていたのかは正確には分からない。
だが昨日少し見ただけでも、オルバンはこの証拠は間違いなく大きな意味を持つと言っていた。
それを考えれば、オルバンの言葉は決して間違いではないのだろう。
「そうか。そうなると今から行くのか?」
「そうなる。この件は少しでも早く動いた方がいい。ここで遅くなったら、間違いなくダイラスが手を打ってくるからな」
「だろうな。俺もそう思う」
「その為に、今日は間違いなく忙しくなる。……それで、レイは俺の護衛として一緒に行動してくれないか?」
「昨夜貰った宝石を思えば、それくらいのことは構わないけど。ただ、護衛なら俺じゃなくて風雪の暗殺者達でもいいんじゃないか?」
「駄目だな。護衛だから堂々と姿を見せられる奴の方がいいんだ。暗殺者というのは、基本的には相手に姿を見せずに殺すというのが基本だ。……まぁ、血の刃の件や昨日の件もあるし、決して正面から戦えないって訳じゃないが。ただ、自分の力を見せるという意味では、レイのように見て分かる奴の方が護衛にいい」
「見て分かる、か。……そう言ってくれるのは嬉しいが、本当に見て分かると思うか?」
レイは自分の実力には相応の自信があるが、同時に自分の外見はその実力とは裏腹に侮られる要素が強いというのも理解している。
そうである以上、問答無用で相手を倒す討伐依頼ならまだしも、護衛となると……それこそ場合によっては外見だけでレイを侮るような者が出て来てもおかしくはないだろう。
レイが自分の正体を告げたり、セトと一緒にいるといったようなことをすれば、また話は別かもしれないが。
「安心しろ。今日会う連中が連れている護衛は、相手の実力を見抜く目は持っている筈だ。ただ……そうだな。もしレイの実力を理解出来ずに絡んでくる奴がいたら、そいつはレイの好きにしてもいい」
「そこまで言われると引き受けない訳にはいかないな。元々引き受ける気ではあったが。……それで、具体的には今日はどういう連中と会うんだ? ローベルとは会うって話だったが、ローベルの護衛が俺に絡んでくるとは思えないし」
ローベルとオルバンは友好的な関係にある。
そうである以上、ローベルの護衛がレイに絡んでくるといったようなことは、基本的にない。
……実際には絶対にそうだとは言い切れないのだが、それでも絡まられる可能性が低いのは間違いないだろう。
そもそも、ローベルと会うだけならレイを護衛として雇う必要はないのだから。
「ローベルと会ってから、すぐにエグジニスを動かしている連中を召集する。レイが護衛として必要になるのは、その時だな」
「エグジニスを動かしてる連中を召集するってことは、ダイラスも来るのか?」
「来るだろうな。そもそもダイラスを弾劾するのが目的だし」
「それが分かってるのなら、そもそもダイラスは来ないと思うんだが」
レイとオルバンだけが会話をしていたのだが、ちょうどそのタイミングでニナが口を開く。
「いえ、レイ様。ダイラスは恐らく姿を現すでしょう」
何らかの確信があるかのようなニナの言葉に、レイはそうなのか? といった視線を向ける。
「来れば負けると分かっているのに、それでも来るのか?」
「ええ、確実に。何しろここで来なければ自分がどのような処遇を受けるのか、分かりませんから。それなら会議に顔を出して、自分が一体どのようになるのかを、しっかりと示す必要がありますから」
「……なるほど。そういう意味では、来るしかないか。とはいえ昨日の一件を考えると、いざという時に会議の途中で爆発するかもしれないな」
このままの状況で会議を行った場合、自分はもう終わりだ。
そうダイラスが判断した場合、それこそ一発逆転を狙う可能性もある。
(ああ、それで俺が護衛に参加するのか)
深紅の異名を持つ自分がいれば、もしダイラスが何らかの行動を起こそうとした場合、即座に反応出来る。
もっとも、それはあくまでもレイが……正確にはレイが護衛をしているオルバンが、その会議に参加していればの話だが。
「その会議、オルバンは参加出来るのか? じゃないと、俺が手を出すような真似は出来ないぞ?」
「心配するな。証拠書類を持っているのは俺だ。そうである以上、俺が会議に参加しないということは有り得ない。その辺はローベルも配慮するだろう」
「分かった。なら俺は問題ない。それで、これからどうするんだ? もうローベルの屋敷に向かうのか?」
「レイに問題がなければそうするつもりだ。今回の一件は色々な意味で大変なことになるだろうから、準備だけはしっかりとしておいて欲しい」
そう言ってくるオルバンに対し、レイは呆れの視線を向ける。
そんなことを口にするのなら、それこそオルバンの方が短時間の睡眠しかとっておらず、疲れているのは間違いない。
そのような状況でローベルの屋敷に向かい、そこから会議に参加するのはどうかとレイにも思えない訳ではなかった。
レイにしてみれば、敵との決着をつけにいくのだから、オルバンにも万全の状態でいて欲しいと思うのは当然だろう。
「ニナはどうするんだ?」
「私も一緒に行きます。とはいえ、レイ様達とは別行動になると思いますけど」
オルバンは風雪を率いる人物で、ダイラスの悪事の証拠を入手した人物だ。
それに対して、ニナは風雪の幹部ではあるものの、言ってみればそれだけでしかない。
それだけに、ここでニナがローベル達の参加する会議に出ようとした場合、間違いなく問題となる。
「それに、私は私で色々とやるべきことがありますから」
そう言うニナの表情には自分のやるべきことをやるといったような強い決意の色があった。
「すまないが、ローベルの屋敷に到着するまで少し眠らせてくれ」
「構わない。オルバンの頭がはっきりと動かないと、いざという時に困ったりするだろうし」
「悪いな」
そう言い、オルバンはそのまま即座に眠る。
「よっぽど疲れてたんだな」
「そうですね。レイ様が入手した証拠は……その、かなり悲惨なものがあったみたいですし」
ニナも交渉役として、ダイラスの悪事の証拠を見たのだろう。
その表情には苛立ちの色が強い。
「表向き善人だったのはともかく、裏であんなに色々なことをやってるというのは……正直なところ、思ってませんでした。いえ、調べていくうちに怪しい人物として名前が出た以上、怪しいのは当然なのかもしれませんが」
「それはちょっと気になるな。ダイラスの表の顔は完璧だったんだろう? なのに、何故ダイラスが怪しいと思ったんだ?」
「その辺は、色々とあるんですよ」
そう言い、話を濁すニナ。
これ以上聞いても、恐らくは何も言わないだろう。
そう判断したレイは、話題を逸らす。
「オルバンが忙しいのは分かってたけど、ニナは何で忙しかったんだ?」
「この前奇襲をしてきて捕らえた者達を返す際の交渉ですね」
「……つまり身代金か?」
「そうとも言います」
レイの言葉を全く気にした様子もなく、あっさりと頷く。
(いやまぁ、裏の組織での話なんだから、そういう真似をするのも当然の話なのか)
これが表の組織であれば、もっと面倒な手続きをした上で捕虜にした者達を返却したりといった真似をする必要があるだろう。
その辺は裏の組織だからこそ、話がスムーズに進むといったところか。
「それでどれくらい……いや、これも聞かない方がよさそうだな」
「あら、レイ様ならその辺については知っていてもいいと思いますけど? では、そうですね。奴隷として売るよりは高かった、とだけ」
「それは納得出来る」
奴隷として売る方が高額になるのなら、それこそわざわざ敵の組織と話し合って身代金を決めたりしなくても、奴隷商人に売ってしまえばいい。
そうすれば敵の組織は戦力を減らすことになるのだから。
それは最終的に、風雪にとっての利益になる筈だった。
「それに、身代金とはいえお金ではなく、マジックアイテムであったり、縄張りであったり、情報であったり……そういうのもあるので。そう考えれば、レイ様のお陰で今回の風雪の収益は大きいですね。……被害もそれなりに出ましたが」
奇襲を受けた結果、風雪の中に死んだ者もいるだろう。
あるいは死んではいなくても、手足が使い物にならなくなったりといった者も多数いる筈だった。
「ちなみにそういう交渉はニナだけで全部やったのか?」
「いえ、まさか。さすがにそのような真似は出来ませんよ。私がやったのは、あくまでもいくつかの大きな暗殺者ギルドとの交渉ですね。それ以外は部下に任せてます。……もし全てを自分でやっていた場合、こうしてレイ様と一緒に馬車に乗るような余裕なんかはありませんしね」
「そこまで大変だったのか」
「ええ。交渉は戦争ですから。……勝者のこちらが圧倒的に有利なのは間違いありませんが、だからといって高圧的な真似をした場合は、向こうも損を覚悟で実力行使をしてくる……なんて可能性も十分にありますから」
「暗殺者ギルドだけに、そうなったらかなり面倒なことになりそうだな」
そんな風にレイはニナと会話をしつつ、馬車は進み……やがてレイにも見覚えのあるローベルの屋敷に到着する。
「オルバン、到着したぞ。そろそろ起きろ」
そう言って軽くオルバンの身体を揺すると、オルバンはすぐに目を覚ます。
「ん? おお、悪いな。思ったよりもぐっすりと眠ってしまったらしい」
そう告げるオルバンの顔には、まだ若干の疲れがあるように思えたものの、それでも寝る前に比べればその顔色は大分よくなっていた。
眠っていた時間は一時間もなかったのだが、それでもオルバンの身体から多少なりとも疲れが取れたのは間違いないと、そう判断出来るだろう顔色。
「その様子を見る限り、寝る前よりは大分マシになったみたいだな」
「そうか? それは別にいいんだが……まぁ、それはともかく……いよいよこれからが本番だな」
レイの言葉に、オルバンはやる気に満ちた笑みを浮かべるのだった。