2837話
金庫のゴーレムの中でも一番上の段から書類を取り出したオルバンは、当然ながら他の段にもあるだろう諸々の証拠品を確保する為に、レイに対して金庫の扉の部分を切断するように頼む。
「この金庫の中には、ダイラスにとっては決して見つけられてはいけない物が入っている。それはつまり、俺達にとっては大きな利益となる物だ。これからの戦い……今回のように物理的に戦う訳ではなく政治的な戦いにおいて、それらの証拠は大きな意味を持つ」
「それは分かる。分かるけど……何だってダイラスはそんな証拠をわざわざここに残しておくなんて真似をしたんだ? 自分にとって危険な証拠なら、それこそ燃やすなりなんなりしておけばよかったんじゃないか?」
「それが一番確実なのは間違いない。だが、この証拠の類はダイラスの弱みであると同時に、ダイラスと何らかの取引をしたり、繋がりを持っている相手にとっても弱みとなる」
「つまり、いざという時の武器……いや、脅迫材料か? その為に保存しておいたと? 今まで用心深く正体を隠してきた割には、迂闊な真似だと思うけどな」
「だからこそ、金庫をゴーレムにするなんて真似をしたんだろうな。それに、この金庫のあった場所はかなり厳重に罠が仕掛けられていたんだろう? まさかそこを突破するような奴がいるとは、向こうも思ってなかったといったところか」
「それは否定しないが」
実際、扉を覆っていた結界を破壊するのはレイがいなければ出来なかった可能性が高い。
そういう意味では、ダイラスがいざという時の為にこのような証拠を残しておいてもおかしくはないのだ。
「とにかく、この扉の部分の切断をしてくれ。一番上の部分にあれだけの証拠があったんだ。そうである以上、他の場所にも同じような証拠がある可能性は高い」
オルバンに促されたレイは、デスサイズによる一撃であっさりと金庫の扉を切断する。
何気なくやってみせた一撃だったが、オルバンの護衛としてこの場にいる者達の多くがレイに向けている視線は驚愕の色が強い。
オルバンの護衛をしている以上、自分達の腕には相応の自身がある。
だが、今レイがやってみたようなことを出来るのかと言われれば、素直に頷くことは出来ないだろう。
あるいは何度も挑戦すれば、もしかしたら出来るかもしれないが。
それを出来ると言うのは難しいだろう。
何しろレイは自分なら間違いなくそのような真似が出来ると判断して、それでこうして行っているのだから。
「助かる。だが、いつまでもここでこれらの証拠を見ている訳にはいかないな。おい、この金庫の中にある証拠を俺の部屋まで持っていけ」
「分かりました」
レイの一撃に眼を奪われていた護衛達だったが、オルバンの命令で我に返るとすぐに金庫の中身を取り出していく。
その多くが何らかの書類だったが……
「うわっ!」
革袋を金庫から取り出した護衛が、その中身を確認すると驚きの声を上げる。
当然ながら、そのような真似をすれば周囲にいる他の者達の視線を集める。
特にオルバンはまた何か重要な証拠でもあったのかと、声を出した男に話し掛ける。
「何があった? ダイラスの証拠か?」
「あ、いえ。違います。宝石です。ほら……」
そう言い、男は革袋の中に手を突っ込むと、その中身を取り出す。
赤、青、緑、黒、ピンク……他にも様々な宝石がその手には握られていた。
(宝石って、ああいう風に全部纏めて置いておくと、硬度の違いで傷が付いて価値が下がるって何かで聞いた事があったけど)
うろ覚えの知識からそんな風に考えるレイだったが、そんなレイの疑問を解消したのはオルバンだった。
「この袋は前に見たことがある。中の宝石を保護するマジックアイテムだな」
「そういうのもあるのか。じゃあ、この宝石は本物だと考えていいんだよな?」
「ダイラスにとって切り札でもある、裏の顔の証拠と一緒に入っていたんだ。まさかそれで偽物ってことはないだろ。マジックアイテムの袋に入ってるのも、この場合は宝石が本物の証拠だろうし。俺が見た感じでも宝石は本物だと思う」
オルバンは宝石に対する審美眼には自信があるのか、そう言い切る。
そして護衛から革袋を受け取ってその中を見ると……不意にその革袋をレイに向かって放り投げた。
「ちょっ、おい、オルバン!?」
オルバンのその行動は、レイにとっても予想外のものだった。
それでも咄嗟にその革袋を受け取ると、オルバンに疑問の視線を向ける。
「今回はレイに色々と手伝って貰ったからな。それは報酬だよ」
「報酬? こんなにか?」
結構な量の宝石があるのは、革袋の重さから理解出来る。
だが、その宝石を自分が貰ってもいいのかといった疑問を抱くのは当然だろう。
「構わない。レイのおかげでダイラスを処分出来るんだ」
「それはいいけど、この宝石もオルバンにとっての何らかの証拠って可能性はないか?」
「どうだろうな。書類とかを見た限りでは問題はないと思う。ただまぁ、レイがそう言うのなら、もしその宝石が何らかの証拠だった場合は返してもらうことになるかもしれないが、それでいいか?」
「ああ、それで構わない」
宝石はそれなりに欲しいが、どうしても欲しい訳ではない。
そうである以上、この宝石がダイラスの何らかの悪事の証拠であった場合、それを渡すことを躊躇うつもりはなかった。
(というか、そもそも俺達が風雪に匿って貰う為に支払ったのは、鉄のインゴットだ。この宝石の量を考えると、明らかに俺達が貰いすぎだろう。いやまぁ、その分の働きをしたかと言われれば、したと答えるけど)
風雪のアジトを襲ってきた相手を倒し、ダイラスの屋敷でも悪事の証拠を見つけた。
……その双方、あるいはそれ以外もレイがドーラン工房やダイラスと敵対関係になったというのが理由だったりするのだが。
「なら、これはお前の物だ。ざっとここにある紙を読んだ限りでは、この宝石が何らかの問題であるとは思えない。多分だが、もし万が一にもダイラスが何らかの理由で追い詰められた時、証拠と一緒にこの宝石を回収して逃亡資金とかにするつもりだったんだろうな」
そう言われると、レイも納得出来る点がある。
用心深いダイラスだけに、いざという時の対処を考えていてもおかしくはないのだから。
「だといいんだけどな。というか、そもそも今回の一件はある意味で俺が原因でもあるんだぞ? なのに、ここまで奮発してもいいのか?」
レイの言葉に、護衛達もオルバンに視線を向ける。
護衛達はレイに思うところがないものの、風雪の中でレイを嫌っている者がいるのは知っている。
そのような相手がこの宝石の件を知れば、何故? と疑問に思うだろう。
しかしオルバンはそんな護衛達の視線を向けられても、特に気にした様子もなく口を開く。
「そうだな。この一連の件はレイが原因だ。……いや、レイのお陰だと言ってもいい。もしレイがいなければ、ドーラン工房は未だに人の魂を素材にしたゴーレムの核を作っていただろうし、そんなドーラン工房と手を組んでいたダイラスの正体も分からなかった」
「それは……まぁ、そうだな」
その説明に対しては、レイも反論出来なかった。
実際、レイがいなければオルバンは今も何も知らないままでいたのだから。
暗殺者ギルドを率いている人物がその辺を気にするのか? といった疑問はないでもなかったが。
しかし、オルバンは風雪という暗殺者ギルドを率いてはいるものの、エグジニスという街を愛しているのも事実。
そういう意味で、まだ知られていなかった膿を早めに出すということで、レイに感謝をしていた。
「そんな訳で、俺はお前に感謝をしてる。それこそ、その宝石くらいでは感謝の気持ちが足りないと思えるくらいにな。……さて、俺は部屋に戻るが、レイはどうする?」
「俺も一旦部屋に戻るよ。リンディ達が心配してるだろうし」
真夜中である以上、もう眠っているのでは? と思わないでもなかったレイだったが、それでも今の状況を思えばまだ起きて自分を待っている可能性があった。
レイを心配しているというのもあるが、それ以上に今回の一件で色々と解決するかもしれないと、そのような吉報を待っていてもおかしくはない。
そして事実、今回レイが入手した金庫の中にあった証拠はダイラスを追い詰めるには十分なものだった。
「そう言えば、その金庫のゴーレムがいた場所には、他にもソファやテーブル、椅子、机といった物があったから、もしかしたらそれにも証拠の類があるかもしれないと思って持ってきたけど、どうする?」
「……そうだな。一応出してくれ。金庫の中に証拠があった以上、それらに証拠がある可能性は少ないと思うが、それでも万が一がある以上はきちんと調べておきたい」
オルバンからの要請に応え、レイはミスティリングの中からソファを始めとした諸々を取り出す。
エグジニスを動かす一人であるダイラスが使っていたにしては、随分と粗末な品だ。
それに驚いた様子のオルバンだったが、粗末な品だからこそ怪しいと思ったのか、護衛達に運ぶように命じる。
「この金庫はどうする? もう動かないけど、ゴーレムの核が生きていれば、何かの拍子に動く可能性もあるけど」
「レイが貰ってくれると助かる」
ミスティリングの中にいれておけば、時間が止まっているので動くといった心配はしなくてもいい。
オルバンのそんな予想は当然のようにレイも理解していたが、それでもレイは特に異論もなくミスティリングに収納する。
元々この金庫のゴーレムは金属の塊だ。
その重量も相当なものである以上、セトに乗ったレイが上空から落とせばそれだけで強力な武器となる。
それだけではなく、もし落下した衝撃でゴーレムの核が反応して動き出せば、それはそれで追加の被害を敵に与えられるだろう。
「じゃあ、これは俺が貰っていく。俺の部屋までの案内役を頼む」
そう言うと、先程レイをオルバンの部屋まで案内した男が一歩前に出るのだった。
「おかえりなさい、レイ。思ったよりも早かったわね。もう少し時間が掛かると思っていたんだけど」
レイが部屋に戻ってくると、リンディがそう言葉を掛けてくる。
リビングの中には、結構な数の人数がまだ起きてそこにいた。
「まだこんなに起きていたのか? この時間ならいつもは寝ていてもおかしくないだろうに」
「今夜の一件は私達にも大きく関わってくるのよ。眠ろうにも気になって眠れないわよ」
そう言われると、レイも納得出来た。
それを言ったリンディはともかく、他の面々はドーラン工房の被害者だ。
だからこそドーラン工房の一件に関係することとなれば、それを気にしない訳にはいかなかったのだろう。
(いや、リンディもアンナがドーラン工房によって違法奴隷にされたとなれば、関係者なのか。それに……ゴライアスの件もあるしな)
リンディの想い人であるゴライアスは、未だに見つかっていない。
ドーラン工房の一件を知っているリンディだけに、ゴライアスの件もドーラン工房が関わっている可能性が高いと思っているのだろう。
「なら、早速だが……今夜の襲撃はダイラスの屋敷だ」
『え?』
話を聞いていた者達は、一瞬レイが何を言ったのか全く理解出来ないといった様子で間の抜けた声を上げる。
当然だろう。ダイラスは善人として名前が知られているのだ。
だというのに、何故そんな人物の屋敷に攻め込むのか。
そのように思うのは当然だろう。
それはリンディもまた同様だった。
「レイ、それ本当? ……いえ、レイが言ってるんだから、本当なのよね。冗談とかじゃ……」
「ないな」
恐る恐るといったような……レイが口にしたのは何らかの冗談ではないかと、そんな様子でリンディが尋ねる。
そんな中で、何人かは今のレイの説明を聞いてもそこまで驚いていないことに気が付く。
何故だ? と一瞬疑問に思ったレイだったが、その者達は違法奴隷としてエグジニスに連れて来られた者達であると理解する。
エグジニスに住んでいる訳ではない為に、ダイラスの名前を出されてもそこまで驚くようなことはないのだろう。
ダイラスという人物の名前くらいは聞いたことがあるかもしれないが、それでも何故そこまで驚くのかが分からなかったらしい。
そんな者達から視線を外すと、レイはリンディの言葉に改めて頷く。
「ダイラスとドーラン工房は手を組んでいて、今回の黒幕であったというのは間違いないらしい。ダイラスの屋敷から奪ってきた金庫の中には、その証拠が色々と入っていたみたいだしな」
そこまで言われても、まだダイラスの名前を聞いて驚いている者達は、素直に納得することは難しかった。