2836話
風雪のアジトにいた者達とはその場で別れ、レイはアジトの中に入る。
当然ながらアジトに入るのはレイと案内役の男が一人だけで、セトは外で待つことになっていた。
とはいえ、アジトの周囲にはそれなりに人がいるし、奇襲があった時にセトと一緒に戦っていた門番の二人もいるので、セトが退屈をするようなことはないだろう。
それ以外の、もし何かあった時の戦力としてアジトの外にいる者達にしてみれば、セトはまだそこまで親しい相手ではないのだが。
「それにしても、やっぱりレイさんですね。今回の作戦は風雪にしてみればかなり強引だったんですが、それが成功するとは思ってもみませんでしたよ」
そう言ってきたのは、レイの案内役として一緒にアジトに入ってきた男だ。
案内役ということでレイに好意的な人物を寄越したのだろう。
護衛としてアジトの外にいた者の中には、レイに敵意に近い視線を向けている者もいたが、そのような人物を案内役として寄越すようなことがなかったのは、レイにとって幸運だったのだろう。
勿論それはレイだけではなく、風雪側にとってもトラブルが起きないということで幸運だったのだろうが。
「オルバンの性格を思えば、ここで一気に攻めの姿勢に入ってもおかしくなかったとは思うけどな」
「オルバン様も大胆な行動をすることが多いので、そうかもしれませんね。ですがレイさんがいるからこそ、こうして思い切った手段に出たのも間違いないと思いますよ」
「そうか? まぁ、俺も風雪に匿われている身だ。それを思えば、風雪の役に立つようなことには協力させて貰うよ。それより……表の様子を見ても明らかだったけど、やっぱり敵が来ることはなかったんだな」
「え? ああ、そうですね。でも昨日の今日でこっちが警戒しているのは向こうも知ってますし、まさかこの状況で襲ってくるとは思えません」
「それにお前達も表にいるしな」
「あははは。そうですね。俺達の存在が敵に対する抑止力になればいいんですが……っと、到着しました」
会話をしながらの移動だったこともあってか、レイにも見覚えのあるオルバンの部屋までの時間に退屈はしなかった。
あるいはレイを退屈させないという意味で、話し上手で聞き上手なこの男が案内役として選ばれたのかもしれないが。
男は扉の前にいる護衛役に軽く頭を下げてから扉をノックし、中にいるオルバンに声を掛ける。
するとすぐに中に入るように扉の向こうから声がし……
「どうぞ」
「ん? お前は部屋の中に入らないのか?」
「はい、俺が聞いてはいけない話とかもあるでしょうから、外で待っています。話し相手もいますしね」
そう言い、男は扉の側にいる護衛達に視線を向ける。
そこまで言われると、レイも無理に中に入るようにといったようなことは言いにくい。
そんな訳で、レイは自分だけで部屋の中に入る。
「おう、レイ。無事に戻ってきたか。その様子だと、特に苦戦らしい苦戦もしなかったみたいだな。……で、目的の物は入手出来たのか?」
「罠がびっしりとあった隠し部屋に金庫があったから、それを奪ってきた。多分、ダイラスの悪事の証拠があるのなら、その中に入ってると思う」
「……中身を確認はしてこなかったのか?」
レイの言葉に訝しげな様子でそう言うオルバン。
そんなオルバンの言葉に、レイは慣れたようにソファに座りながら口を開く。
「金庫が……正確には金庫のゴーレムであったり、あるいは敵の援軍が延々と来ていて、中身を確認することは出来なかったんだよ。言っておくが、持ってきた金庫をここに出せば、すぐにでも金庫は暴れ始めるぞ?」
金庫が暴れ始めるという表現は、オルバンにとっても奇妙なものがあった。
しかし、ここでレイが嘘を言うとも思えない。
そうである以上、レイが口にしている内容は事実なのだろうと考える。
そもそもここでレイが嘘を言っても、それはレイと一緒に行動していた者達から話を聞けば後で判明するのだ。
そうである以上、レイがここでそのような馬鹿な真似をするとはオルバンには思えない。
「そうなると、その金庫を破壊する場合はこういう部屋ではなく、もっと広い場所に移動してやる必要があるのか」
「そうなるな。以前俺がリンディと模擬戦をしたような、ああいう場所なら問題はない。勿論、実際にはあそこまで広くなくてもいいけど」
レイがリンディと模擬戦をした地下空間は、それこそちょっとした体育館くらいの大きさがあった。
金庫のゴーレムを切断するだけなら、そこまでの広さはいらない。
とはいえ、金庫のゴーレムに何らかの奥の手があったりした場合はそれに対処する必要があるし、狭い場所ならその時に邪魔になる可能性は十分にあったのだが。
その辺の事情を考えると、やはりここはある程度の広さのある場所の方がいいのは間違いない。
レイの意見に、オルバンは少し考え……やがて口を開く。
「分かった。じゃあ、これから案内しよう」
「今から? 本気か?」
今からいきなりやるというオルバンの言葉に、レイは驚く。
現在風雪の戦力の大半は、ダイラスの屋敷にいる。
既に大半が脱出し、それぞれスラム街にあるこのアジトに向かっている筈だが、空を飛べるセトの速度と比べればどうしても落ちる。
それでももう少し待てばそれなりに戻ってくることになる筈なのだが、何故そのような状況で今すぐにやろうと言うのか。
だが、オルバンはレイの言葉を聞いても全く問題ないといったように頷く。
「深紅のレイが一緒にいるんだ。そう考えれば、金庫のゴーレム程度どうということもないだろ」
「それは……まぁ、そうだが。分かったよ。けど、最低限護衛は連れてきてくれ。金庫のゴーレムを相手にしても、何があるのかは分からないから。万が一のことを考えると、やはり護衛は必要となる。俺をここまで案内した奴とか、この扉の前にいた護衛とかを連れていけば、問題はないだろ」
それが、せめてものレイの妥協点だった。
レイとオルバン、そして護衛達が移動したのは、オルバンの部屋からそんなに離れていない場所。
リンディと模擬戦をした空間と比べるとかなり小さいが、それでもレイが普通に戦えるだけの広さはある場所だった。
(こういう場所もあるのか。ここが襲撃された時はアジトの中をかなり走り回った筈だけど、その時はここに来ることはなかったしな。……というか、そもそも俺はこのアジトについてはまだ殆ど知らない状態だし。そう考えれば、寧ろ知らないのは当然の話か)
そんな風に考えながら、レイはオルバンやその護衛達がこの空間の端の方に移動したのを確認して口を開く。
「いいか、出すぞ!」
レイの言葉に無言で頷くオルバン。
オルバンの側にいる護衛達も、自分達がオルバンを守るのだといったように考え、その準備をしていた。
そして、レイはミスティリングの中から金庫のゴーレムを出す。
「っと!」
金庫のゴーレムはミスティリングから出た瞬間、レイに向かって金属の針を伸ばしてくる。
金庫のゴーレムに自我があるのかどうかは分からない。
だが、ミスティリングの中に収納されている時は時間が流れていないのだ。
それはつまり、金庫のゴーレムにしてみればレイに攻撃をしているという認識のままなのだろう。
次々に放たれる金庫のゴーレムの攻撃を回避しながら、レイはミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出す。
キィン、という甲高い金属音と共にレイに向かって伸びてきた棘が切断される。
続いて放たれた針の一撃は、黄昏の槍の穂先によって叩き落とされる。
そうしながら間合いを詰めていき……
「くたばれ」
短い一言と共にデスサイズが振るわれる。
斬っ、と。
魔力を流されたデスサイズは、何の抵抗もないまま金庫を斬り裂く。
(門の方がまだ抵抗はあったが……金属の塊の金庫の方が手応えがないってのは、どういう訳だ?)
そんな疑問を抱くレイだったが、その一撃は間違いなく金庫の上の部分を斬り裂いており……ゴーレムの核が具体的にどこにあるのかは分からなかったものの、その一撃によってあっさりと金庫のゴーレムの動きが止まったのは間違いのない事実。
レイとしてはもう少し色々とあるのかと思っていたのだが。
「だからって、こうもあっさりいくとは思わなかったけどな」
「もういいのか!?」
離れた場所からレイの戦いの様子を見ていたオルバンが叫ぶが、レイは首を横に振ってそれを否定する。
「まだだ! 本当にこれで倒したのかどうかは分からない! その辺を調べるから、ちょっと待ってくれ!」
叫ぶレイの言葉にオルバンが頷く。
それを確認してから、レイは油断しないまま金庫のゴーレムに近付いていく。
この金庫のゴーレムが、本当に倒されたのかどうかはまだ分からない。
ネクロマンシーの儀式によって製造された核が使われているのなら、このゴーレムも人間臭い反応をしてもおかしくはない。
その場合、やられた振りをしている可能性も決して否定は出来ないのだ。
だからこそ、レイは何があっても大丈夫なように警戒しながらゴーレムに近付いたのだが……
「拍子抜けだな」
レイが近づき、デスサイズの石突きで軽く突いても特に反応を示さず、もっと大胆に手を伸ばしても特に何も起きないのを確認したレイの口から、そんな言葉が漏れる。
あそこまで用心深く裏の顔を隠していたダイラスなのだ。
この金庫のゴーレムにも、何らかの仕掛けを施していてもおかしくないと思えた。
そうして金庫に近付いたレイは、その中身を見る。
そこには当然のように多数の書類が存在している。
不思議なことに……あるいは当然のことなのか、あれだけ金庫のゴーレムが暴れたにも関わらず、中身は整頓された状態のままだ。
「もういいぞ! こっちに来てくれ! 金庫のゴーレムはもう動かない!」
オルバンに叫ぶレイの言葉に、それを聞いた者達が動き出す。
オルバンを守っている護衛達にしてみれば、出来ればオルバンには金庫のゴーレムに近付いて欲しくない。
レイの攻撃で動かなくなったようにも思える金庫のゴーレムだったが、もしかしたらまだ動く可能性があると、そのように思ってしまうのだ。
だが、オルバンはレイがいれば安心だと考えているし、それ以外でも自分の護衛の者達は何があっても自分を守ると考えている。
オルバン自身も暗殺者ギルドを率いるだけあって、それなりの強さを持っていたのが大きいだろう。
その辺りの実力を考えると、金庫のゴーレムに接触しても問題はないと、そう判断していた。
オルバンは金庫のゴーレムの側まで移動し、その中身を見る。
上半分をレイに切断されていたので、中を見るのに支障はない。
金庫のゴーレムの中にあって、真っ先に視界に入ってきたのは、やはり複数の書類だろう。
他にも箱に入っている何かも見える。
金庫の中は棚で何段にも分かれているので、現在の状況で見ることが出来るのはあくまでも一番上の段にある物だけだ。
「ほう、これは……色々と興味深そうな物が多いな」
金庫の中にある書類を見て、興味深そうに呟くオルバン。
そんなオルバンの呟きを聞き、護衛の一人が金庫の中に手を伸ばす。
本来ならオルバンが自分で金庫の中から書類を取り出したかったのだろうが、護衛としてはオルバンにそのような真似をさせる訳にはいかない。
そうならないように、護衛が書類を手に取ったのだ。
レイと金庫のゴーレムの戦いは、遠くからだが見ている。
それだけに、もしまだ金庫が生きて……正確には動けるようになっていた場合、自分が金属の針の攻撃を回避出来るかといった問題があった。
勿論、何かがあったらそうやってオルバンを守るつもりではある。
しかし今の状況においては、やはり緊張するのは避けられなかった。
幸いなことに、本当に幸いなことに、近くにはレイがいる。
金庫のゴーレムとの戦いにおいて圧倒的な有利さを見せつけたその実力から考えれば、何か不測の事態があっても問題はないと、そう思えた。
「どうぞ」
護衛から渡された書類を、オルバンは流し読みする。
本来ならじっくりと読み進みたいところではあったが、今の状況を思えばそのような時間的な余裕はない。
だからこそ、まずはその書類がどのような内容なのかと見ていたのだが……
「これは、当たりだな」
その書類を読んでいたオルバンの口から、そんな声が漏れる。
その声が一体どのようなことを意味してるのか。それは考えるまでもなく明らかだろう。
取りあえず、これでダイラスに裏の顔があるというのは確定し、今夜の襲撃が全てではないにしろ正当化されたことに、レイは安堵の息を吐くのだった。