2833話
「ぐ……畜生……」
最後の一人が悔しそうに呟きながらも意識を失うと、レイはすぐにデスサイズと黄昏の槍をミスティリングに収納する。
本来なら倒れた冒険者達の武器や防具、あるいはポーションといった諸々を奪いたいところなのだが、今は時間に余裕がない。
もしレイの予想が正しければ、今頃クロウは援軍に来た冒険者達と遭遇して戦いになっている可能性が高いのだから。
冒険者達からそれらを奪うよりも、まずはそちらの方をどうにかする方が先だった。
倒れた冒険者達は無視して、すぐにその場を後にする。
そうして走り出したレイだったが、すぐに自分のミスに気が付く。
「どこにいるのか分からないってのは、痛いな」
走りながら、そんな風に呟く。
道案内として誰か一人残していってもらえばよかったと思わないでもないが、それはもう今更の話だろう。
せめてもの救いは、この屋敷はこの近辺でもそこまで広くないといったことか。
それでも普通の家とは比べものにならないくらいの広さを持っているのは間違いなく、そうである以上はなかなかクロウ達を見つけることは出来ない。
(クロウ達を援軍としてやってきた冒険者達が戦闘状態になっていれば、騒動となって分かる……いや、分からないな)
耳を澄ますレイだったが、色々な場所で戦闘が起きていると思しき騒動が聞こえてくる。
元々が先程の部屋に人を寄せ付けない為に、多くの場所で風雪が陽動をしていると聞いていた以上、それが多くの場所で起きている騒動なのは間違いなかった。
(となると、まずは風雪の奴と合流して……)
そう思いながら通路を曲がったところで、レイは咄嗟に動きを止める。
「きゃあっ!」
その驚きの悲鳴は、曲がった瞬間にぶつかった相手から発せられたもの。
一瞬は敵かと考えたものの、悲鳴を発した人物……レイとの遭遇に床に倒れ込み、怯えの視線を自分に向けてくるメイドを見てその動きを止める。
「メイド?」
そう呟くが、考えてみれば当然だろう。
ここはあくまでもダイラスの屋敷であり、盗賊のアジトでも何でもない。
そうである以上、屋敷の中にメイドがいることは当然の話だろう。
今までこの屋敷の中で活動していて、メイドや執事、それ以外にも屋敷で働いている者達と遭遇していなかったのが、不思議ですらあった。
(風雪だから、メイドとかには乱暴をしていないと思うが)
勿論、レイの知っている風雪のメンバーが全てではない。
中には下劣な欲望を抱いているような者もいるだろう。
「この屋敷は危険だ。今は外に避難して、出来れば屋敷からも離れていた方がいい。それが無理なら、自分の部屋に隠れて大人しくしていろ」
メイドにそう告げ、レイはその場から去ろうとするが……
「待って下さい!」
後ろからメイドにそう声を掛けられ、足を止めてしまう。
いきなり屋敷を襲われたメイドを哀れに思ったというのもあるし、このままではもしかして戦いに巻き込んでしまうのでは? という思いもあった。
襲撃した側の自分がメイドを気にするのはどうかと思わないでもなかったが、それでも今の状況を思えば何となく見捨てることは出来ない。
これでレイに助けを求めて来たのがメイドではなく冒険者の一人であったりすれば、また話は違ったのだろうが。
メイドはレイから見ても特に鍛えているようには見えない、本当に普通の一般人だった。
「どうした?」
「その……分かりますよね? この屋敷が色々と大変なことになってるの。これ、どういうことなんですか?」
「……まさかそんなことを聞かされるとは思わなかった」
これはレイの正直な気持ちだ。
てっきり助けて欲しいとか、あるいは外に連れ出して欲しいとか、そんな風に言われるのではないかと思っていたのだ。
しかし実際には、今この屋敷で何がおきているのかを知りたいという、そんな言葉。
(どうする? 無視して先を急ぐか?)
普通に考えれば、それが最善だろう。
クロウ達が現在どうなっているのか、レイには分からない。
援軍としてやって来た他の冒険者と戦っている可能性もあるのだ。
だからといって、現在様々な場所で戦いが起こっている屋敷でメイドをそのままにしていくのはどうかと思う。
数秒考え……こうして考えている時間も無駄だと判断すると、手っ取り早く用件をすませてからクロウ達を追った方が早いと判断する。
「現在、この屋敷は襲撃を受けている。襲撃している側は基本的に抵抗しない相手に対しては手荒な事はしない筈だから、部屋に戻って大人しくしていれば問題ない。……ただし、ダイラスが逃げてきても関わるな」
「ちょっと待って下さい! じゃあ、襲ってきている人達の狙いは旦那様なんですか!?」
ダイラスに関わるなというレイの言葉を聞き、メイドは即座にそう叫ぶ。
その様子は、本気でダイラスを心配しているように見えた。
ダイラスの屋敷を襲っているのに、ダイラスが目的ではないと考えていたのか……あるいは、そう思い込みたかったのか。
(厄介だな)
メイドの様子を見て、そんな風に思ってしまう。
自分の仕える主を守る……守らなければならないと、本気で考えている表情だったからだ。
ダイラスが表向き善人であるということで、危害を加えられるのを見て見ぬ振りは出来ないのだろう。
だからといって、メイドに実はダイラスには裏の顔があり……といったようなことを言っても、間違いなく聞いて貰えない。
そうである以上、やはりここは無理に言い聞かせたりするような真似をせず、自分が生き延びることだけを考えるように言っておくのが最善だと判断する。
「この屋敷の中で行われている戦いは、素人が手を出してどうにかなるようなものじゃない。今は何もしないで、大人しく自分の部屋に籠もっていろ。下手に出しゃばるような真似をすれば死んでもおかしくはない。それだけは言っておく」
現在の屋敷の状況は話したので、メイドにはもう用はない。
そう考えたレイは、クロウ達に追い付くべく移動しようとするが……
「待って下さい! 旦那様が危ないのなら、助けないといけません! ですが、私には戦う力がありません。力を貸してくれませんか?」
「無理だな」
メイドの言葉にレイは考える様子もなく、そう告げる。
メイドはそんなレイの様子に一瞬言葉に詰まる。
メイドの言葉に頷いておけば、特に苦労もせずダイラスのいる場所に行けるかもしれない。
一瞬そう考えたものの、用心深いダイラスの性格を考えれば、メイドに見つかるような場所にはいないだろうと判断する。
だからこそ、レイはメイドの頼みを即座に断ったのだ。
「報酬でしたら……」
「違う。……勘違いしているようだから言っておく。俺はダイラスの護衛でもなければ、その援軍としてやって来た冒険者でもない。襲撃している側だ」
「っ!?」
レイの口から出た言葉が信じられなかったのだろう。
メイドは息を呑み……だが、次の瞬間にはレイを睨み付けてくる。
メイドにしてみれば、ダイラスというのは旦那様と慕っている相手だ。
自分に優しく声をかけてくれたこともある、大事な主人。
そんな相手を害そうとする相手が目の前にいるのだから、睨み付けるなという方が無理だった。
いや、寧ろ睨み付ける程度ですんだのはレイにとって運がよかったのだろう。
もしメイドが何らかの武器を持っていた場合、レイに向かってそれを振りかざして襲ってきた可能性は十分にあったのだから。
戦闘訓練もしていないようなメイドなので、実際に攻撃を仕掛けてきてもレイにしてみれば防ぐのは難しくはないだろう。
それでも攻撃はされない方がいいのは間違いない。
「そんな訳で、残念ながらお前の要求には応えられない。いいか、最後にもう一度だけ言う。自分の部屋に戻って、そこから出るな。俺達はそう遠くないうちにこの屋敷から消える」
これは決して嘘ではない。
実際にレイはクロウやギガラーナと合流すれば脱出するつもりでいたのだから。
ダイラスの悪事の証拠が入っていると思われる金庫はミスティリングに収納しているので、もうここにいる必要はない。
ダイラス本人を捕らえることが出来れば、また話は別なのだろうが。
生憎とまだダイラスを捕らえたといった話は聞こえてこない。
「何でよっ!」
その場を立ち去ろうとしたレイの背中に向け、メイドが叫ぶ。
その声は、強い憤りが込められていた。
レイはそんなメイドに向かって何かを言おうかと考えるものの、結局は何も言わない。
ダイラスの表向きの顔しか知らないのなら、今のメイドのようになるのは当然だと思った為だ。
ここでダイラスの正体について色々と言っても、メイドがそれを信じるとは思えない。
結果として、レイはメイドに対して特に何も言わずにその場を後にする。
背後からはまだメイドが何かを叫んでいる声が聞こえてきたが、それについては聞き流す。
メイドの叫びを気にしていては、これからやりにくくなると思ったからというのが大きい。
「さて、思わぬところで時間を取ってしまったな。出来れば無視したかったけど……それはしょうがないか。というか、何でこの状況で屋敷の中を歩き回っていたのやら」
メイドに対する疑問を口にするレイだったが、その理由は何となく理解出来ていた。
ダイラスの身を案じてのものなのは間違いないだろうと。
それが分かるだけに、ダイラスという人物がどれだけ上手く自分の正体を隠していたのかといったことを理解出来てしまう。
下手に強い相手よりも、このような手段を使ってくる相手の方がレイにとっては厄介な相手だ。
強い力を持つ相手なら、自分の力に自信があるので最終的にはレイに向かって普通に攻撃をしてくることも多い。
だが、ダイラスのように搦め手で来る相手は、非常に厄介な存在なのは間違いなかった。
今回の一件もそれを証明している。
「あ、レイさん!?」
「何? レイだと?」
走っていたレイだったが、T字路になっている先の右側の通路から現れた数人の集団がレイの姿を見てそんな声を耳にする。
生憎とその集団はレイにとって見覚えのない者達だったが、それでもレイの名前を知っていて友好的な――何人かは違うが――視線を向けてくるのを思えば、それが風雪の暗殺者達であるというのは容易に想像出来た。
「一応確認するが、風雪だよな?」
「はい、そうです。それよりレイさんは何でこんな場所に一人で?」
「外で陽動してるんじゃなかったのかよ」
レイと友好的に会話を成立させようとする者の横では、レイに非友好的な視線を向けている相手がそんな風に言ってくる。
だが、今はそのようなことに構っている場合ではなく……それよりも、今の会話で疑問を抱く。
「クロウ達に会わなかったのか?」
「クロウさん達に? いえ、俺達はこれからまた陽動をする為に移動してるところですけど」
ああ、なるほど。
その言葉で、レイは恐らくクロウ達から連絡にいった者達とすれ違いにでもなったのだろうと、そう理解出来た。
実際に陽動をするにしても、一ヶ所に留まってそこで陽動を続けるよりも、移動しながら色々な場所で陽動をした方がその効果は高い。
勿論そのような真似をするということは、危険も大きくなることを意味しているのだが。
移動する先々で敵と遭遇する可能性も高いのだから。
それでもここにいる者達がこうして無事でいるということは、この者達は相応の腕利き揃いであるということを意味しているのだろう。
「そうか。なら行き違いになったのかもしれないな。証拠と思しき物は入手した。後はこの屋敷を無事に脱出するだけだ。お前達が遭遇したかどうかは分からないが、ダイラスの直接の部下らしい金属鎧を身に纏った奴がいるんだが、それ以外にも隠し通路か何かから援軍が来ている」
「知ってるよ。冒険者達だろ? 俺達が遭遇した連中はもう倒したから心配はいらねえ」
レイに思うところがある男が、そう告げる。
発言に若干の棘はあるものの、その内容は十分に理解出来るものだ。
「お前達が遭遇したのは倒したかもしれないが、他にもどのくらいの援軍がいるのかが分からない。いつまでもここにいれば、消耗戦になるぞ。それはお前達も望んでないだろう? そんな訳で、ギガラーナと合流してさっさと撤退する」
「分かりました。それでは……レイさん達と一緒に行動した方がいいですか?」
「その辺はそっちで決めた方がいい。そっちも俺が一緒だと色々と動きにくいのは間違いないだろ」
レイのその言葉に、男達はそれぞれ視線を合わせ……そして何人かは渋々といった様子だったが、レイと一緒に行動することを許容するのだった。