2829話
「ぐ……が……」
警備兵として雇われていた冒険者の一人が、レイの振るったデスサイズの石突きによって胴体を突かれて気絶する。
周囲には数人の警備兵が倒れ込んでいるものの、その全員が死んでいない。
腕や足、あるいは肋骨が骨折している者はいるが、命に別状はない筈だった。
何も知らないで護衛として雇われている以上、殺す必要もないだろうと判断しての行動。
とはいえ、実際にはレイが倒した相手の中にはダイラスの件を知ってる者もいるかもしれなかったが、その辺の見極めは出来ない以上仕方がない。
「さて、そろそろ警備兵の数も少なくなってきたし、陽動も……ん?」
自分の方に近付いてきてた気配を察知し、また敵か? と思ってデスサイズと黄昏の槍を構えようとしたレイだったが、その気配の主の姿を確認すると武器を下ろす。
近付いてきた相手が、風雪の暗殺者の一人として何度か見た顔だった為だ。
「風雪の奴だよな? どうしたんだ?」
「覚えていてくれたんですね」
まずはレイが自分を覚えていてくれたことに安堵する暗殺者の男。
もしこれで、実は自分に全く見覚えのない相手だと判断して攻撃されるようなことになっていたら、クロウの代わりに自分がレイを呼びに来た意味がなくなってしまう。
あるいは自分が風雪の一員であると証明する為、無駄に時間を使っていた可能性も高い。
そうならなかったことに感謝しながら、余計な挨拶をしている暇はないと判断して単刀直入に用件を口にする。
「ダイラスの悪事の証拠の類があると思われる場所を発見したんですが、そこに続く扉が結界によって守られているんです。なので、レイさんにそれをどうにかして欲しいと」
「結界か。そこまで厳重なら、確かにその先には何かありそうだな」
そう言うレイだったが、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、そこまであからさまに結界を見せつけておいて、実はそれが侵入者の注意を引き付ける為のものなのでは? とも一瞬思う。
とはいえ、ダイラスがどのように考えているにせよ、そのような結界があるのなら破壊しておく必要があるのは間違いなかった。
「その可能性が高いと思います。……というか、他にはまだ見つかっていない以上、今のところ手掛かりとなるのはそこくらいしかないので」
「分かった、なら行こう。どんな結界なのかは分からないし、俺が確実にそれを壊せるという保証もないが。それでも今のところは俺くらいしかどうにか出来そうな奴はいないんだろう?」
「はい、そうなります。ですから、クロウがレイさんを呼んで来るようにと」
そう言いながらも、暗殺者はレイが自信に満ちた表情を浮かべているのを見て、安堵する。
レイは口でこそ自分でもどうなるか分からないといったようなことを言っていたが、その様子を見る限りでは恐らく大丈夫だろうと、そう判断したのだ。
暗殺者が安堵したのを見て、レイはデスサイズと黄昏の槍に視線を向ける。
もし結界がどれだけ頑丈であっても、この二つの武器があり、それに自分の魔力を使えば対処するのは難しい話ではないと考えて。
「案内してくれ。……いや、その前にセトに話を通していった方がいいか」
その言葉に少しだけ不満そうにする暗殺者だったが、レイに頼みに来た立場である以上、今の状況で自分がそんな不満を言うような真似は出来ない。
それに、陽動の件を考えるとセトに話を通していた方がいいのは間違いない。
「分かりました」
結果として、男は素直にレイの提案に賛成する。
そうして暗殺者の男を従えたレイは、セトのいる場所に向かう。
セトのいる場所は、それこそ少し前に聞こえてきたセトの鳴き声を聞けば、探すまでもない。
実際に走り出してから数分と経たずに、レイはセトの姿を見つけた。
門の前で別れたきりだったが、この短時間でセトはかなり多くの相手を倒している。
レイが出来れば殺さないようにして欲しいと頼んだので、その影響もあってか地面に倒れている者達の多くは呻き声を上げていた。
中には声を出していない者もいるが、それは気絶しているのか、あるいは死んでいるのか……その辺はレイには分からなかったし、そこまで気にすることもない。
出来れば殺さないで欲しいと頼みはしたが、絶対に殺さないで欲しいと頼んだ訳ではないのだから。
「セト!」
「グルルルルゥ!」
レイの声を聞き、庭に生えている木を興味深そうにクチバシで突いていたセトは、嬉しそうにレイのいる方に近付いて来る。
先程からセトの鳴き声が聞こえていなかった理由は、既にセトを倒しに来た冒険者達が全滅していたかららしい。
レイが倒したよりも多くの警備兵が倒され、地面に倒れている。
レイはそれを見てもセトなら当然だし、目立つだけにセトに多くの者が攻撃を仕掛けたのも理解出来たので、特に驚くようなことはなかったが。
だが、レイと一緒に行動していた暗殺者の男は、そんな周囲の様子を見て驚く。
セトが高ランクモンスターのグリフォンであるのは知っていた。
しかし、それでもここまで圧倒的な実力を発揮するというのは、予想外だったのだ。
「これは……凄い……」
「セトなんだから当然だろ。……セト、俺はちょっと用事があって屋敷の中に行ってくる。この様子だと多分大丈夫だとは思うが、まだ警備兵が残っているようならそっちの対処を頼む」
「グルゥ!」
任せて! と喉を鳴らすセト。
レイはそんなセトの頭を撫でると、改めて暗殺者の男に視線を向ける。
「じゃあ、行くか。案内を頼む。結界のある部屋は遠いのか?」
「急げばそう時間は掛かりません。ただ、現在結界のある部屋に敵が集まらないように屋敷の多くの場所で騒動を起こしているので、結界のある部屋に向かう途中で敵と遭遇する可能性は否定出来ませんが」
「分かった。なら急ぐぞ」
そう言い、レイはセトを撫でてから暗殺者の男とその場から離れるのだった。
「レイ、悪いな。急に呼んで」
「気にするな。俺でないと破壊出来ない結界なんだろう? なら、それを断るつもりはない」
レイがダイラスの屋敷に来たのは、諸々の証拠を見つける為だ。
そうである以上、証拠のある場所があると言われればレイがそこに行くのは当然だった。
「時間がないから、本題に入るぞ。結界ってのは、あれでいいんだな?」
レイの視線が向けられたのは、巨大な絵画が移動した場所にある扉。
その扉に結界があるのは、レイの目から見ても明らかだった。
「そうだ。俺達にはあの結界を破壊するのが無理でな。レイに頼むしか出来ない。頼めるか?」
「任せろ」
クロウと短く言葉を交わし、デスサイズと黄昏の槍を手に扉の前まで移動する。
デスサイズに魔力を流し、無造作に一閃。
しかし、それを見ていたクロウ達はその一撃を目で追うことが出来なかった。
それだけレイの放った一撃は鋭かったのだ。
斬、と。
デスサイズの一閃によって扉を守っていた結界はあっさりと切断される。
それを行ったレイは、クロウ達ではないが驚きを抱く。
大抵の結界なら、デスサイズによってあっさりと切断される。
それも特に抵抗らしい抵抗もないままに。
だが、今の結界は多少なりともデスサイズの一撃に抵抗してみせたのだ。
その抵抗は、レイのイメージ的には包丁で豆腐を切る時程度の抵抗だったが、そのくらいの抵抗であっても抵抗したのは事実。
レイにしてみれば、それは十分に驚くべきことだった。
「レイ? どうだ?」
レイの一撃の鋭さに驚いていたクロウだったが、恐る恐るといった様子で尋ねる。
その結果は容易に予想出来たが、やはり実際にそれを行った人物に話を聞いておきたいと思ったのだろう。
「問題ない。しっかりと破壊出来た。で、どうする? この扉の先にも結界があるかもしれない以上、俺はもう少し一緒に行動した方がいいのか?」
「出来れば頼む。ここでレイを帰して、また同じような結界があったから呼ぶというのはちょっとな」
クロウのその言葉に、レイは素直に頷く。
実際に今回の件に関しては、慎重に行動するに越したことはないのだから。
いざ証拠を見つけても、そこにレイがいなかったから証拠を入手出来ない……といったようなことになったら、それこそ最悪だろう。
それはレイも理解してるので、クロウの提案に素直に頷いたのだ。
「じゃあ、俺が先頭で行くか? それなら、何かあった時に素早く対処出来るだろうし」
レイの言葉に、クロウは頷く。
正直なところ、レイからの提案は自分達の技量を侮るようなものだった。
それでも頷かなければならないのは、結界を斬った一撃を見れば自分が前にとは言えなかったのだ。
「そうしてくれると助かる。後ろから敵が来ないかどうかは、こっちで確認しておく。とはいえ、この部屋にもそれなりに人数を残すんだ。そう簡単に後ろから攻撃されるようなことはないと思うが」
「後ろを警戒してくれるだけでも助かるよ」
そうレイが言うとクロウは頷き、そして扉の先に向かう人数が決まる。
レイとクロウ、それ以外に二人の合計四人。
もう少し人数を増やした方がいいのでは? とレイも思わないではなかったが、クロウ達の様子を見る限りではこの人数で十分なのだというのが理解出来る。
クロウ達がそれでいいと判断したのなら、レイがここで余計な言葉を挟む必要はないだろうと判断した。
「じゃあ、この四人だな。……いいか、扉を開けるぞ。罠の類があるかもしれないから、注意しておけ」
「いや、罠がある場合、注意するのは先頭を進むレイだろ」
「その可能性が一番高いが、中には侵入者を油断させる為に先頭には罠が発動しないで、後ろの相手に対して罠が発動するとか、そういう可能性もあるから注意した方がいい。特にこの先にあるのはダイラスにとっては絶対に渡してはいけない代物だろうからな」
レイのその言葉に、クロウや他の二人も真剣な表情で頷く。
ここまで重要に隠していた以上、そこに強力な……侵入者を絶対に殺す為の罠が存在していてもおかしくはないのだから。
「分かった。決して油断しないようにする」
クロウが頷いたのを確認したレイは、扉に手を伸ばす。
扉を開けた瞬間に矢が……それもただの矢ではなく毒矢の類が飛んでくるかもしれない。
そんな風に思っていたのだが、幸いなことにそのようなことはなく、扉の向こうにはただ通路があるだけだった。
「どうやら、扉を開けた程度だと罠が発動する訳じゃないみたいだな。……問題なのは、この先か。一体どういう罠があるのか。いや、罠はないのが一番いいんだが。その辺はどうなってるのやら」
そんな風に呟きつつも、扉の向こうを観察する。
十m程の長さの通路がそこには広がっており、それだけに今の状況ではその通路に罠があるかもしれないと警戒するしかない。
そんな通路を見たクロウ達は、何があってもいいようにと注意する。
だが、レイは警戒すると言っていた割には、特に気にした様子もなく一歩目を踏み出す。
「おい、レイ!?」
まさかそこまで無造作に歩き出すとは思っていなかったクロウは、そんなレイの背中に思わず声を掛けるが、そんな声を掛けられたレイの方は特に気にした様子もなく通路を進み始めた。
「注意するのは事実だが、だからといって怯えて進めないというのもどうかと思うぞ。それにこうしている今も、風雪の暗殺者達はお前達の為に動き回ってるんだろう? なら、ここで無駄に時間を掛けるのは悪手だ」
先程レイが言っていた慎重にという言葉と、そもそも矛盾しているようにも思える。
しかし、今の状況を思えば少しくらいは大胆に動かないと無駄に時間が掛かるのも事実。
そう判断したクロウは、自分と一緒に行動する二人に向かって頷く。
「行くぞ」
その言葉に他の二人も素直に頷くと、前に向かって歩き出した。
先程のレイが言っていた、先頭が通りすぎた後で攻撃が来るかもしれないという言葉を聞いたので、そちらにもしっかりと意識を集中する。
もし何があっても、すぐ対応出来るようにしながら進み……だが、数m進んでも全く何も起きないことに疑問を感じた。
「レイ、これ本当に罠の類があるのか?」
「どうだろうな。その辺は実際に進んでみないと分からない。罠があるかどうかが分かっていれば、それに対処するのも難しくはないんだが」
そう言うレイの言葉を聞いて、確かにと納得する。
罠があるかどうか分からないからこそ慎重に、それでいて陽動として暴れている仲間のことを思えば大胆に行動する必要がある。
それは分かっているものの、それでもこうして何もないと疑問を感じ……
「ちぃっ、回避しろ!」
不意に叫ぶレイの言葉に、レイの後ろにいるクロウは一瞬反応が遅れるのだった。