2826話
「うおおおおおっ!」
雄叫びを上げながら、レイに向かって斬りかかってくる警備兵。
小柄なレイだけに自分達で勝てると思ったのか、それともグリフォンのセトを相手にするよりはこっちの方が楽に戦えると思ったのか。
その辺りはレイにも分からなかったし、正直なところ興味もない。
しかし今の状況を思えば、敵が向こうからやって来てくれたのは決して悪い話ではない。
自分はどう動けばいいのかを迷っていたものの、それを考えるよりも前に敵が動いてくれたのだ。
これを喜ぶなという方が無理だった。
敵の数がそこまで多くないのも、レイにとって悪い話ではない。
勿論、ここにやって来た敵の数が多くてもそれで負けるつもりはないが、それでも場合によっては逃がしてしまう可能性がある。
(いや、陽動ということで騒動を大きくする。それも魔法を使ったり屋敷を破壊したりせずにとなると、一人や二人は逃がしてこっちに新たな戦力を連れてきた方がいいのか? そうなればそうなったで、楽に戦えるようになる。悪い話じゃないな)
ここにやって来た警備兵全員を倒そうかと思っていたレイだったが、考えを切り替える。
一人くらいは逃がして、新たな援軍を呼んできて貰おうと。
……もっとも、デスサイズや黄昏の槍という長柄の武器を使って暴れているレイと遭遇し、その力を間近で見た者が援軍を呼んでここに戻ってくるかどうかは、また別の話ではあったのだが。
「そんな攻撃で俺をどうにか出来ると本当に思ってるのか!」
自分に向かって振るわれた長剣の一撃に対し、レイは素早くデスサイズを振るう。
キン、という甲高い金属音と共に、長剣の刀身が綺麗に切断された。
「え?」
長剣を握っていた男は、自分が一体何を見たのか、何をされたのかが全く分からなかった。
これが、もし自分の握っていた長剣を弾き飛ばされるといったような真似をされたのなら、今までにも何度か同じ経験をしたことはある。
しかし、今も男の手の中には長剣の柄が握られているのだ。
それでいながら、長剣の刀身は半ばから消えている。
そして何よりも男が恐ろしかったのは、男の握っていた長剣の刀身が切断された時に衝撃が殆どなかったことだろう。
レイが無造作に振るったようにしか見えなかったデスサイズの一撃は、男にとって埒外の鋭さを持っていたということになる。
長剣の刀身が切断された。
そう認識した次の瞬間には、男の側頭部に黄昏の槍の柄が叩き付けられて意識を失う。
男にとって幸運だったのは、その一撃を放ったレイが十分に手加減をしていたことだろう。
黄昏の槍の穂先で頭部を狙ったのではなく、柄で放った一撃も十分に手加減をされており、頭蓋骨の骨折といったようなことにはなっていない。
レイにしてみれば、屋敷の主人のダイラスの裏の顔を知らない……恐らくカモフラージュ的な意味で雇われている連中だけに、殺す必要はないと判断しての一撃。
……それでも、目の前で仲間が一撃で気絶させられた光景を見た他の警備兵達は驚愕していたが。
「ほら、次だ。侵入者の俺をいつまでも自由に行動させておくつもりか? そうなったら、お前達は雇い主に怒られるんじゃないか?」
挑発とも呼べない挑発。
しかし、そんなレイの言葉は警備兵達を刺激するには十分だった。
実際にダイラスの屋敷の警備というのは、冒険者として非常に美味しい仕事なのだから。
善人として知られているので、恨まれるということは基本的にない。
だからといって泥棒の類が入らない訳でもないのだが。
エグジニスを動かす人物の一人として名前が知られているだけに、屋敷には何らかのお宝があるかもしれないと考える者は多い。
多いのだが……善人として名前が知られているだけに、どうせ盗みに入るのならもっと後ろ暗いところが多く、表沙汰に出来ないお宝を持っている奴の方が標的としては美味しいと思う者も多い。
そんな中で数少ない例外として盗みに入ろうとした相手を捕まえるといったような仕事はあるものの、そこまで忙しい訳ではない。
それでいて報酬もそれなりに美味しいのだから、冒険者としては長くこの依頼を受けたいと思うのは当然だった。
そのような理想的な職場を追い出されるかもしれない。
そう考えた警備兵達は、何としてでもレイをこの場で倒す必要があると判断した。
実際にレイと戦えば、それこそ命がなくなってもおかしくなかったのだが……今の警備兵達には、咄嗟のことで正しい判断も出来なかったのだろう。
そうした結果として、警備兵達は一人を除いて呆気なくレイによって倒される。
最初に倒された者と同じく、レイの温情によって骨折程度の怪我はした者が多かったが、死んだ者は一人もいない。
「さて……」
「ひっ!」
唯一気絶しないで――それでも腕を骨折していたが――いた男に、レイはデスサイズを突きつけて笑みを浮かべる。
そんなレイの笑みを見て一体何を感じたのか、男の口からは引き攣ったような悲鳴が出た。
男にとって不運だったのは、高級住宅街ということで周辺には明かりが幾つもあったことだろう。
それによって、レイが被っているドラゴンローブのフードの陰影により、レイの笑みが獲物を前にした肉食獣の如き笑みに見えたのだ。
実際にはレイは笑みを浮かべていたものの、そこまで凶悪な笑みを浮かべていた訳ではない。
自分達が圧倒的な実力で倒されてしまったことによる恐怖から、レイの笑みを凶悪な肉食獣の如き笑みだと思ってしまったのだろう。
「さて、お前は運がよかったな。……逃がしてやる」
「……え?」
レイが一体何を言ったのか、全く理解出来ないといった様子で男の口からはそんな声が漏れる。
まさかこの状況で自分を逃がすような真似をするとは、到底思えなかったのだろう。
実際にもしレイが警備兵を全員倒すと考えていれば、ここで警備兵の男を逃がすような真似はしない。
しかし、今は違う。
レイが求めているのは、より大きな騒動だ。
恐らくはまだ屋敷の中にいるだろう敵を、少しでも多く表に引きずり出す為に。
……そうするには、それこそこうして警備兵として雇われている相手と戦っているだけではなく、屋敷をある程度破壊したり、もしくは見るからに危険だということを示す為に炎の魔法を使ったりした方が手っ取り早いのだが。
残念ながらその手の行動に関してはクロウから止められている。
そうである以上、レイが少しでも派手に動く為には、実際に援軍が必要であると知らせる人物が必要だった。
「逃がしてやる、と言ったんだ。今こうして戦った限りだと、全く手応えがなかったからな。俺はもっと手応えのある敵と戦いたい。お前達のような雑魚じゃなくてな」
「そんな……そんな理由でここを、ダイラスさんの屋敷を襲ったのか!?」
もしそうなら我慢出来ない。
そう暗に告げる男の叫びに、レイは首を横に振る。
「勿論そんな訳がないだろう? ダイラスだったか。お前の雇い主に聞いてみればいい。俺に襲撃されるような心当たりがあるかどうかを」
「そんな心当たり、ある筈がないだろう!」
ダイラスに聞くまでもないといった様子で叫ぶ男。
(こいつはその辺については何も知らないタイプか。……それはそれで厄介ではあるんだけどな)
レイにしてみれば、この手の相手はここでわざわざ話をしても自分の言い分を聞くとは思えない。
……普通に考えれば、自分が守っている場所を襲撃してきた相手の言い分をそのまま信じろという方が無理なのだが。
「お前に心当たりがなくても、ダイラスに心当たりがあるかもしれないだろう? それに……お前がどう思おうと、お前達が俺を止めようとするのなら援軍を呼びに行くしかない。それは周囲の状況を見れば明らかだと思うが」
「それは……」
レイの言葉に、男は何も言えなくなる。
その言葉は間違いなく事実なのだから当然だろう。
現在男の周囲には仲間が全員気絶して倒れており、意識があるのは一人だけだ。
そして意識のある一人も、レイと正面から戦ってどうにかなるような実力の持ち主ではないのだから。
そうである以上、悔しいが……本当に心の底から悔しいが、レイの指摘通り援軍を呼びに行くしかない。
「分かったらさっさと行け。これからのお前の行動によって、この屋敷にいる者達の運命は大きく変わる筈だ」
「……後悔するなよ」
そう言い、男はレイを睨み付ける。
先程までの仲間が一方的にやられた時の絶望は既になく、言葉通りレイを後悔させてやるといった様子で睨み付けてくる。
「後悔させられるのなら、させて欲しいけどな」
「この件は、今日だけはどうにかなっても、警備兵によって間違いなく処罰される筈だ。下手をすれば……いや、まず確実にお前は賞金首になるぞ」
「さて、どうだろうな。ダイラスがこの件を訴えなかったら、俺を賞金首にするのはまず無理だと思うぞ」
「ふざけるな! こんな真似をされれば、ダイラスさんだって間違いなく訴える筈だ!」
「その辺をはっきりさせる為に、さっさと行動した方がいいんじゃないか? ……向こう側では、セトによってお前の仲間の多くがやられているぞ?」
自分が訴えられる心配は全くないといった、自信満々のレイ。
そんなレイの様子に男は疑問を抱くも、とにかく今は出来るだけ早く援軍を呼ぶ必要があると判断し、素早くその場を走り去る。
そんな男の後ろ姿を見送りながら、ふとレイは呟く。
「もしこれで、実はダイラスがドーラン工房の件と何の関係もなかったりしたら……本気でやばいかもな。ただ、あの門のゴーレムを見る限りでは間違いないと思うし、オルバンのお墨付きもあるから、多分問題はないと思う」
半ば自分に言い聞かせるような言葉。
実際に今回の一件はかなり危ない橋を渡っているのは事実なのだ。
そうである以上、レイとしては万が一にもダイラスは今回の件に無関係だったということになってしまうのは困る。
勿論、そのようになっても最悪ダスカーやエレーナの力によってどうにか揉み消すことは出来るだろうが、そうなるとレイの評判が悪くなってしまうのは間違いない。
「いや、もうこうして行動に出たんだ。なら、今更ここでそんなことを心配しても意味はない。最後までやるべきだな。……この連中の中に、実はダイラスの裏について知ってる奴がいればいいんだが、それは難しいみたいだし」
はぁ、と面倒臭そうに息を吐いてから、レイは次の標的のいる場所を求めて歩き出す。
ここで今の男が援軍を連れて戻ってくるのを待っていてもいいのだが、いつ戻ってくるのか分からない以上、ここで待ち続けるのは時間の無駄だと判断した為だ。
(さっきの男がいらないことを知ったとして、口封じに殺される可能性も否定は出来ないし)
レイの口から出た言葉で、ダイラスに対して何らかの疑惑を抱く可能性は十分にあった。
そうである以上、ここで待ち続けても援軍どころか誰も来ないという可能性も否定は出来ない。
だからこそ、レイとしてはここで待つような真似はせず、敵のいる場所を捜して歩き……
不意に庭の中で足を止める。
「それで隠れてるつもりか? もしそうなら、もう少し殺気や気配を消す訓練をした方がいいぞ」
「ちぃっ!」
レイの言葉に、隠れているのが見つかったと判断したのだろう。
庭にある茂みから、警備兵の男が一人飛び出してくる。
飛び出したその速度すらも上乗せし、レイの顔面目掛けて槍による突きを放つ。
「へぇ」
自分が見つかったと判断した瞬間に攻撃してきたその行動は、レイの目から見ても潔いものだった。
とはいえ……だからといってレイがその攻撃に当たってやる必要もない。
放たれた一撃はデスサイズの一撃であっさりと穂先を切断し、黄昏の槍によるカウンターの一撃が男の身体に埋まる。
当然ながら、黄昏の槍の一撃は相手を殺すつもりで放たれたのではなく、石突きによる一撃だ。
殺気を剥き出しにして襲ってきた相手に対して手加減をしすぎではないか? と思わないでもなかったが、現在の自分の状況を考えれば侵入者を殺して排除しようと考える者がいるのはおかしな話ではない。
……これで、実はダイラスのことを知ってる者なら、また別の選択肢があったのだが。
具体的には、殺さないのは一緒だが、情報収集をするというものだ。
その場合は当然ながら尋問……あるいは拷問になるので、そういう意味ではこうしてただ気絶させられただけだったのは幸運なのだろう。
そんな幸運な男を一瞥し、レイは再び敵を求めて歩き出すのだった。