2822話
ギガラーナの口から出た言葉は、レイにとって驚きだった。
てっきり今回の一件は風雪が取り仕切っている以上、指揮権は自分にあるのでレイが好き勝手に動くような真似は許可しない……といったような風に言われるのかもと思っていたのだ。
だが、実際にギガラーナの口から出たのは適当にやればいいという、そんな言葉。
そんな相手に対し、レイは当然のように好感を覚える。
「戦いの中では丁寧な言葉遣いも面倒だろ。話しやすいように、普段通りでいい」
「そうですか? ……いや、そうか。分かった。ではそのようにさせて貰う」
ギガラーナにしてみれば、レイは幹部のニナですら様付けで呼んでいる相手だ。
……クロウは特に敬語を使っている様子もなかったので、ギガラーナもそこまで気にする必要はないのかと思っていたのだが。
それでもギガラーナは初めて会うということもあって丁寧な言葉遣いをしていた。
レイはそんなギガラーナの様子を察した訳ではないのだろうが、特に丁寧な言葉遣いをしなくてもいいと告げ、ギガラーナもそれを好意的に受け止める。
外部戦力ではあるが、この場における最強の戦力であるレイと今夜の襲撃で風雪の部隊の指揮を執るギガラーナが友好的なのは悪い話ではなかった。
「それで、今更……本当に今更の話だが、これから俺達が向かう場所は一体どこなんだ? 未だに具体的に俺達が攻撃を仕掛ける相手についての情報は聞いてないけど」
「ああ、それはレイだけじゃない。クロウも知らない。現時点で知ってるのは、それこそ俺を含めた数人だろう」
その言葉はレイを驚かせるには十分であり、同時に納得させるにも十分なものだった。
「つまり、風雪の中に裏切り者がいると考えているのか?」
若干声を小さくして尋ねるレイに、ギガラーナは頷きも首を横に振ったりもせずに口を開く。
「正直なところ分からない。だが、あれだけ大規模な行動をしてくるんだ。風雪の中に裏切り者がいる……というか、正確には裏切り者ではなく手の者を送り込んでいてもおかしくはないと思わないか?」
これがもっと小さな組織であれば、そこに所属している者全員が顔見知りであってもおかしくはない。
しかし、風雪はエグジニスの中でも最大の暗殺者ギルドだ。
同じ組織に所属する者同士であっても、初めて見る顔といったようなことがあってもおかしくはなかった。
勿論、風雪の中でも幹部であったり、専門の役職の者であれば全員の顔を覚えているといったようなことがあってもおかしくはないのだが。
そのような特別な存在ではなく、ただの暗殺者であれば全員の顔を覚えるというのは不可能に近い。
「なるほどな。具体的にそういう連中がいる可能性はどれくらいだと思っている?」
「四割といったところか」
「思ったよりも高いな。四割となると、大体半分近い確率じゃないか」
「それは仕方がない。今の状況を思えば、慎重に動いた方がいいからな」
ギガラーナがそう言うのなら、レイとしてはそれに反対の意見を口に出したりは出来ない。
「で、その件については分かったけど、そろそろ教えて貰ってもいいか? 一体俺達はこれからどこに向かうんだ? この状況になった以上、もう情報を隠しておく必要はないと思うが」
そう言いながら、レイは空を見上げる。
そこに存在するのは、月が少しの雲に隠されている夜空。
夏の終わりにして、秋の始まりを示すかのような月の明かりが地上に降り注いでいる。
レイは簡易エアコンの性能を持つドラゴンローブを着ているので問題はないが、集まっている暗殺者の中には寒そうにしている者も何人か見えた。
そんな夜の時間、もう後は襲撃するだけという状況である以上、隠しておく必要はないだろうと告げるレイに、ギガラーナは少し考えてから頷く。
「そうだな。そろそろ話してもいいだろう。……これを話すと驚く者もいるかもしれないと思って黙っていたんだが」
レイを見ながらそう言うと、ギガラーナは不意に大きな声を出す。
「聞け!」
その言葉を発したのがギガラーナであるのは、この場にいる暗殺者達は当然のように理解していた。
もしギガラーナ以外の者が今のようなことを口にした場合、恐らく反発をする者が多く出ただろう。
それだけギガラーナの声には力があり、何よりもこの場にいる者達の多くがギガラーナの存在を認めていたのが大きい。
今夜の襲撃に参加する者達の視線が十分に集まったと判断したのだろう。ギガラーナは再び口を開く。
「昨夜の侵入者の一件に対する報復で、今夜それを指示した者の屋敷に襲撃するのは既に知っていると思う。だが同時に、具体的にどこを襲撃するのかは知らされていない筈だ。それはこの件の情報が漏れないようにする為……というのもあるが、もう一つ理由がある。もし前もってそれを知れば、恐らく信じられない者もいるだろうと判断した為だ」
そのギガラーナの言葉に、話を聞いていた者達がざわめく。
この場でそのようなことを口にするということは、本当に信じられない相手が標的ということを意味していたからだ。
具体的に誰が相手なのか、と。
そんな疑問の視線を向けられたギガラーナは、小さく息を吸ってからその名前を口にする。
「俺達がこれから向かうのは、ダイラス商会の会長、ダイラスの屋敷となる」
ざわり、と。
ダイラスという名前を聞いた瞬間、暗殺者達がざわめく。
ざわめくものの、レイにとっては初めて聞く名前である以上、ダイラスという名前を聞かされても特に驚くようなことはない。
「クロウ、ダイラスって誰だ?」
「は? 本気で……いや、そうか。レイはエグジニスに来てからまだそんなに経ってないのか。なら知らなくてもおかしくはないな」
「そうなんだよな。エグジニスに来てから色々とあったから、もう結構長い時間エグジニスにいるように思えてしまうけど、実際にはまだそこまで経ってないんだよ。……で? ダイラスってのは?」
「このエグジニスが自治都市なのは知ってるだろう? で、その運営を商人達がやってるのも」
「ああ、それは分かる」
レイもまた、オルバンに連れられてエグジニスを動かしている者の一人であるローベルに会っている。
元々今回ドーラン工房の裏にいるのがエグジニスを動かしている者の中にいるというのは知っていたので、その一人の屋敷に行くと言われてもレイは特に驚いたりはしない。
「ダイラスさん……いや、ダイラスもエグジニスを動かしているうちの一人なんだが……」
「なんだが?」
何故かそこまで口にして言い淀む様子を見せるクロウ。
だが、レイはそんなクロウを急かす様子を見せず、黙って待つ。
ギガラーナもまた、自分の口から出た言葉で周囲にいる者達がざわめいているのを、特に止める様子もなく眺めていた。
ここで無理にざわめいている者達を黙らせるようなことをした場合、後々それが理由で面倒なことになるかもしれないと、そう思ったからだろう。
「ダイラスは、言ってみればエグジニスでは善良な人物として知られているんだ」
やがて沈黙を破ってクロウがそう告げる。
その口から出た善良な人物というのは、レイにとっても意外だった。
ドーラン工房で行わせていたことを考えれば、その行為は非道であると言ってもいい。
……いや、非道であるとしか言えないだろう。
「善良な人物が違法奴隷を使ってネクロマンシーでゴーレムの核を作るように命じたり、盗賊をエグジニスの周辺に集めるようにするのか。エグジニスにおける善良と俺の知ってる善良は随分と意味が違うみたいだな」
「レイ、分かってるだろう」
からかうように言ったレイに、クロウは無念、諦め、怒り、憤り……様々な感情が入り交じった様子で声を掛ける。
「まぁ、そうだな。表向きは善良な人物を装っていた方が、色々と便利なんだろう。今回みたいに裏で何かをやっていても、それが信じられないという思いを抱く者もいるだろうし」
レイの場合はダイラスという人物を全く知らないので、ギガラーナがダイラスがドーラン工房の裏にいる人物であると言われても特に気にした様子もなく納得する。
だが、ダイラスという人物について知っている者は、ギガラーナに本当なのかと聞いている者もいた。
「そうだ。実際、ダイラスの指示で商会がスラム街にパンを持ってくるといったようなこともかなりある。そのおかげで生き延びた者達も大勢いるんだ」
「なるほど」
風雪に所属している暗殺者の中にはスラム街出身の者もいるだろう。
そのような者達にしてみれば、ダイラスのおかげで生き延びることが出来たと恩を感じている者がいてもおかしくはない。
(多分、善行をするという表向きの顔と同様に、今回のように自分の一件が知られた時に多少なりとも躊躇わせるのが目的でパンを配っていた……ってのもあるんだろうな)
パンを配るにも、相応の金が必要となる。
とはいえ、エグジニスにおいて大手の商会を経営しているのだから、パンを買う金を用意するのは難しいことではない。
(それにパンも、焼きたての高額なパンを買う必要はない、前日に焼いたパンの残りであったり、それこそ冒険者が保存食として使っている焼き固めたパンとかでもいいだろうし。もしくは、ダイラスとかいう奴の商会が大手なら、パン屋も商会の一部としてあるかもしれない)
パンを用意する手段は幾らでもある以上、スラム街で人気取りとしてパンを配るというのは決して悪くない手段だった。
それによって生き延びることが出来た者の中には、将来ダイラスの為に働きたいと思う者がいてもおかしくはないのだから。
ダイラスも上手く考えてたものだと納得しつつも、レイはクロウに視線を向け、口を開く。
「事情は分かった。……で、クロウ。お前はダイラスを相手にして戦えるのか?」
「それは……」
やっぱりな、というのがクロウを見たレイの正直な感想だ。
ダイラスという名前が出た時の動揺や、その顔に浮かんでいた様々な感情。
そこから考えれば、恐らくクロウもまたエグジニスのスラム出身で、ダイラスによる施しのおかげで生き延びることが出来たのだろうと、
そんなレイの考えを示すかのように、ギガラーナが口を開く。
「この中にもダイラスに恩を感じてい者もいるだろう。だが、間違いなくダイラスは敵なのだ!」
ギガラーナのその言葉に、動揺していた暗殺者達は落ち着いていく。
そのような状況であっても、やはりまだ色々と思うところがあるような者はいたが、その数は間違いなく減っていた。
この辺りはギガラーナがそれだけ他の暗殺者に認められている証だろう。
ダイラスが善人として知られていても、ギガラーナがそう言うのなら間違いないだろうと。
これがもし上が信じられていない組織であった場合、このようなことを言っても素直に信じる者は少ない筈だった。
あるいは半信半疑であってもおかしくはない。
ギガラーナのこれまでの功績が、この場にいる多くの者にダイラスが今回の黒幕であると納得させるには十分だった。
周囲の状況を確認したギガラーナは、再び口を開く。
「では、これよりダイラスの屋敷に向かう。とはいえ、当然ながらこれだけの人数で一塊になって移動するのは目立つ。その為にそれぞれ数人ずつで移動してもらう。いいか? 襲撃をするのは事実だが、派手に襲撃する陽動に関しては、少数の者達と……そして何よりも深紅のレイに任せることになるだろう」
そう言うと、ギガラーナはレイに視線を向ける。
そんなギガラーナの動きに釣られて、他の暗殺者達もそれぞれレイに視線を向けてくる。
多数の暗殺者の視線を向けられるのは、普通ならその視線に怯えてもおかしくはない。
しかし、レイは当然といったようにそんな多数の暗殺者の視線を受け止める。
その視線の中には感謝や親愛といった色もあれば、疑惑……中には敵意の類もあった。
今までのレイの行動によって、レイの立場は風雪の中で複雑なものがあった。
だからこそ、今はこうして色々な視線を向けられているのだろう。
それでも全体的に見れば好意的な視線が多いのは、レイが昨夜の戦いにおいて多くの活躍をしたからだろう。
レイの行動によって救われた者は、間違いなくいるのだ。
もしレイがいなかったら、昨夜の騒動で風雪のアジトは陥落していた……とは言わないまでも、間違いなくより大きな被害を受けていた。
「任せろ。俺と……」
「グルゥ」
レイの言葉の途中で、先程までは大人しくしていたセトが喉を鳴らしながらレイの隣に立つ。
「俺とセトがいれば、陽動としては十分に効果を発揮するだろう。その代わり、内部で調べたりといったようなことはお前達に任せる」
セトを撫でながら、レイは告げるのだった。