2814話
レイとクロウがリンディ達のいる部屋に戻ってきて、護衛兼見張りの男達の治療をしてから三十分程。
取りあえず怪我の治療に関してはもう大丈夫だろうと判断し、クロウは部屋から出ていくことになる。
「じゃあ、俺はこの件を上に知らせて来る。それとそっちの二人は治療する為に引き取るから、人を寄越す。……レイが使ったポーションは出来ればこっちで代わりの物を用意出来ないか上に話してみるよ」
クロウにしてみれば、レイに自分の手持ちのポーションを使わせたのには少し思うところがあったのだろう。
レイにとっては血の刃から接収したポーションを使っただけで、自分で買ったり作ったりした訳ではないから別にそこまでして貰う必要はないと思ったのだが……それでも代わりのポーションを渡すというのなら、それを断るつもりはない。
ポーションの類は手元に多ければ多い程にいざという時――今回のような時も含めて――に役立つのだから。
「そっちで代わりを用意してくれるのなら、俺が反対するつもりはない。どういうポーションを渡してくれるのか、楽しみにしてるよ」
レイの言葉にクロウは困ったような笑みを浮かべる。
レイのおかげで風雪に所属する二人が命を救われたのだ。
そうである以上、レイに渡すポーションは同じような効果ではなく、もっと高品質のポーションでなければならない。
また、レイが渡したポーションは二人分で二本だが、その分も割りまして渡す必要があった。
ポーションの価値だけで考えれば、風雪にとっては大損だろう。
しかしそのおかげで二人が助かったのだから、クロウとしてはかなり高品質のポーションを渡しても構わないとすら思っていた。
……実際にはレイが風雪をこの件に巻き込んだのだが、それに関してはそこまで思うところはないらしい。
(今回の一件で俺達が受けた被害は決して小さくない。けど……それ以上に得られる利益が多いのも事実だ)
風雪のアジトに乗り込んできたのは、それぞれの組織でも相応の技量を持っている者が多かった。
その全てをという訳ではないにしろ、かなりの数を殺すなり、あるいは捕虜にしたのは間違いない。
そうである以上、今回の奇襲に協力した組織は相応の被害を受けている筈だった。
だとすれば、その組織を潰すなり吸収するなり、あるいは傘下の下部組織にするなりといったような真似も出来る。
総合的に見れば、レイが戦力として協力してくれたという時点で非常に大きなプラスとなるだろう。
とはいえ、それはあくまでも感情を抜きにして考えた場合の話だ。
人は――中には獣人やエルフ、ドワーフもいるが――感情の生き物である以上、その感情からレイを認められない者もいるだろう。
「クロウ、どうした? この二人を運ぶ為の人員を連れてくるんじゃなかったのか?」
「うん? ああ、すまない。ちょっと考えごとをしていてな。……レイには言うまでもないと思うが、まだアジトの中に侵入者が残っている可能性が高いから、誰か来ても迂闊に扉を開けないようにな。そうなると、誰か人を寄越すつもりだったけど、俺も一緒に来た方がいいな」
風雪のアジトは蟻の巣状になっているので、隠れる場所は多数ある。
また、クロウは言わなかったが、感情の面からレイを恨んでいる者が現在の混乱状態をいいことに、レイ達に危害を加えようとする可能性も否定は出来ない。
後半については隠していたものの、クロウはレイの視線から何となく自分の考えは知られているだろうと思えた。
レイが実際にそれを口にすることはなかったが。
「分かった。取りあえずあの二人の傷はポーションで血は止まったけど、出来るだけ早くちゃんとした治療をした方がいい。回復魔法の使い手か、薬師の類が必要になると思うけど」
「問題ない」
そうレイに告げると、クロウは部屋を出ていく。
それを見送っていたレイだったが、そんなレイにリンディが尋ねる。
「レイ、あれってどういう意味だと思う? 風雪には回復魔法の使い手がいるのかしら?」
魔法の使い手そのものがかなり少なく、その中でも回復魔法は更に少ない。
それを考えれば、リンディが疑問に思ってもおかしくはなかった。
「どうだろうな。風雪くらいの規模なら、回復魔法の使い手の一人や二人いてもおかしくはないと思うけど」
エグジニスはゴーレム産業が盛んな自治都市で、貴族や大商人も大量にやってくる。
風雪はそのようなエグジニスの中で最大の規模を持つ暗殺者ギルドなのだ。
それがどれだけの力を持っているのかは、地中を掘るゴーレムを使って地下に広大なアジトを持っているのを見れば明らかだろう。
そうである以上、回復魔法の使い手の一人や二人いてもおかしくはないというのがレイの予想だった。
「あるいは腕の立つ薬師か。……とはいえ、薬師の薬は回復魔法のように急速な治療効果はないしな」
「なら、やっぱり回復魔法ね。回復魔法を使えるというだけで羨ましいわ」
言葉だけではなく、本当に心の底から羨ましそうにリンディが呟く。
回復魔法が使えれば、それこそ冒険者として活動する場合は大事にされ、パーティメンバーも選び放題だ。
あるいは冒険者にならなくても、回復魔法が使えるのなら診療所で働いたり、貴族や大商人のお抱えになったり、それ以外にも仕事をする場所は幾らでも存在する。
孤児院に送る金を稼ぎたいリンディとしては、回復魔法というのは憧れなのだろう。
「そうだな。回復魔法が凄いのは事実だ」
レイもまた、報酬とは別の意味で回復魔法の凄さを知っている。
レイとパーティを組んでいるマリーナの仕事ぶりを何度も見ているからだ。
正確には、マリーナは回復魔法の使い手という訳ではなく精霊魔法の使い手だった。
だが、マリーナ程の腕利きになると、精霊魔法は万能なのでは? と思えるくらいの応用性を持つ。
その応用性の一つに水の精霊魔法を使った回復魔法があり、ギルムの増築工事で怪我をした者の中でも重傷の相手を治療している。
その治療によって本来なら数日、もしくは数週間、数十日、場合によっては数ヶ月単位で治療しなければならない傷が瞬時に回復し、すぐに増築工事に戻っていくのだ。
増築工事をする上で、レイとセトの果たした役割は大きい。
しかし、マリーナの果たしている役割もそんなレイに負けず劣らず大きかった。
「とはいえ、回復魔法を含めて魔法を使えるようになるのは才能が全てだしな」
「……そうね。一体何でこんなに不公平なのかしら。どうせなら、練習したら誰でも魔法を使えるようになったらいいのに」
「あら、誰でも魔法が使えるようになると、絶対に悪用する人も出てくるわよ。それに子供達も、悪戯に使うかもしれないし」
レイとリンディの話を聞いていたアンヌが、そう口を挟んでくる。
騙されて奴隷にされただけに、悪人が自由に魔法を使えるようになると危険だと理解しているのだろう。
また、孤児院で働いているだけに、子供が魔法を使って悪戯をすると大変なことになるというのも容易に予想出来たらしい。
ただでさえカミラは無断で街を抜け出すといったような真似をしているのだ。
そんなカミラが自由に魔法を使えたら、悪戯どころか命に関わる怪我をしないとも限らない。
「でも、回復魔法を使えれば子供達が怪我をした時にすぐ治療出来たりするわよ?」
「それは……」
リンディの言葉に、アンヌが少し考える様子を見せた。
カミラのように腕白な子供達がいる孤児院で働いているだけに、子供達が怪我をしている光景は何度も見ている。
それだけに、リンディの言葉に心惹かれるのも事実だった。
「魔法か。誰でも自由に魔法を使えるようになったら、商売も色々と変わるんだろうな」
そう言ったのは、アンヌと一緒に違法奴隷として捕まっていた男の一人だ。
レイが聞いた話によると、行商人として働いている時に盗賊に捕まって違法奴隷として売られたという経歴の持ち主。
それだけに魔法を使えれば盗賊に襲われた時もどうにか対処出来たかもしれないし、あるいは行商人として行動する際にもっと多くの商品を持ち歩いたりといったようなことが出来たかもしれないと思ったのだろう。
そんな行商人の男の一人が言ったのを皮切りに、他の者達も自分が魔法を使えたらどうするのかといったようなことを話す。
それは子供の頃に将来は何になりたいといったような感じで友人と話していた時のような、そんな会話。
(多分、不安なんだろうな)
その話し合いの根底にあるのが、現状への不安をだというのは、レイにも何となく理解出来た。
ここにいる者達は、自分で望んでこのような場所にいる訳ではない。
成り行きで……こうするしか生き残る方法がないからこそ、この場にいるのだ。
そのような状況で、風雪のアジトに多数の侵入者が出た。
あるいはそれだけなら、ここまで怯えるといったようなこともなかったのだろう。
しかし、護衛兼見張りの二人が実際に大きな怪我を負ったのを直接目にしてしまったのは大きい。
今までは自分達が危ないというのは理解しつつ、それでも実際に危ない目に遭っていない――違法奴隷にされた時点で十分危ない目に遭っているのだが――こともあり、本当の意味で危機感を抱いていなかった者もいる。
そのような者達にしてみれば、護衛兼見張りが重傷を負ったのは改めて自分達の現状を理解させ、不安に思ってしまったのだろう。
それを誤魔化す意味で、今こうして話をしているのだ。
そのことに少し遅れて気が付くレイ。
レイにしてみれば、生活の中に戦いが……それこそ命懸けの戦いがあるのは珍しい話ではない。
そのような戦いがあるのが日常……というのは少し言いすぎかもしれないが、そんな冒険者のレイと一般人を一緒にするのは無理がある。
(そう考えると、俺は色々と特殊なんだな。とはいえ、だからって後悔はしていないけど)
レイにしてみれば、日本にいた時と比べると現在の状況に思うところがない訳でもない。
だが、そんな現状を後悔しているのかと言われれば、即座に首を横に振るだろう。
エルジィンには、レイが日本にいた時に楽しんでいた漫画も小説もゲームもネットも存在しない。
しかし、代わりに剣と魔法のファンタジー世界で生きることが出来るのだ。
これを喜ぶなという方が無理だろう。
(いやまぁ、命懸けの生活だから嫌になる奴は全く受け入れられないだろうけど)
幸いにも、レイはその辺りの精神的な問題に関してはゼパイルのおかげでクリアしている。
もしレイが日本にいたままの精神状態であれば、それこそ人を殺すといったようなことに躊躇いを覚えていただろう。
「それより、レイ。レイが戻ってきたから聞くのを忘れていたけど……今夜の騒動はもう収まったと考えてもいいのよね?」
ふと、リンディがレイに向かってそう尋ねる。
色々と忙しかったし、何よりレイとクロウが平然とした様子をしていたので、今夜の騒動が既に終わったのかどうかをしっかりとは聞いていなかった。
それを思い出したリンディは、レイに向かって改めて今回の一件はもう終わったと思ったのかと、そう尋ねる。
リンディの言葉が聞こえたのだろう。
もし魔法を使えれば、こうしたい、ああしたいと話していた者達が一斉にレイを見てくる。
そんな者達の視線が何を意味してるのかを理解しているレイは、リンディの問いに素直に頷く。
「ああ、その件はもう終わった。心配はいらない。これからは普通に出歩けるようになる筈だ。ただ……さっきクロウも言ってたが、俺達が潰したのは向こうが作った侵入口だ。場合によっては侵入口を潰されたというのを知らないで、風雪のアジトに取り残されてる奴もいるかもしれないから気を付ける必要があるな」
レイの言葉を聞いた者達は、真剣な表情で頷く。
リンディもまた、他の者達と同様に話をしており……ふと、気が付く。
「あれ? ねぇ、レイ。今更の話だけど、もしかしてさっきの人……クロウだったかしら。私とレイの模擬戦をやろうとしていた時に、あの場所に先にいた人じゃない」
「正解だ。というか、本当に今更だな」
そう言うものの、そう言えばその件を言ってなかったなとレイは思い直す。
とはいえ、それを言ったからどうなるといったようなことでもないのだが。
「何となく思い出したのよ。でも、あの時に会った人がレイと一緒に行動するって、ちょっとした偶然よね」
「そうだな。俺もまさかアジトの中を移動している時にクロウと遭遇するとは思ってなかったよ。そのおかげで、敵味方の判断とかが出来るようになったんだし」
もしクロウがいなければ、敵味方の判断は出来ず……場合によってはロアビー達を攻撃していたかもしれないと考え、クロウと一緒に行動することが出来てよかったと、つくづく思うのだった。




