2807話
「ふん」
頭部を貫かれて死んだ女の姿を見て、クロウは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
クロウにしてみれば、仲間を殺した女だけに死んで当然といった思いが強いのだろう。
ただし、鼻を鳴らすその様子には安堵の色も窺える。
女が復讐に狂っていたのは間違いなく、その状況では本来持っている実力を完全に発揮するといった真似は不可能だった可能性が高い。
だが、女はそのような状態であってもクロウと互角以上にやりあったのだ。
もし女が復讐に狂っておらず、本当の実力を発揮出来る状況だったらどうなっていたのか。
恐らくクロウよりも強かったのは間違いない。
そんなクロウの気持ちを想像しながら、レイもまた女の死体に視線を向ける。
(実際、俺が宿で戦った女よりも実力は上のように思えたしな。双子の妹だって話だったけど、姉よりも妹の方が元々実力が高かったのか、それとも単純に狂っていたから身体のリミッターが外れて高い身体能力を得たのか)
その辺についてはレイも分からなかったが、結局のところ死んだのだからもう怖れる必要はない。
「それで、この女の死体はどうする? このままここに置いていっていいのか?」
レイの言葉に、クロウは一体何を言ってるのだといった視線を向け、呆れたように口を開く。
「まさか、これから移動するのに死体を持っていけってのか? そんなのはごめんだぞ」
「いや、俺のミスティリングに収納すればいいだけだろ」
「……ああ、そういう真似も出来るのか」
レイの言葉はクロウにとって意外だったのだろう。
実際もし女が生きていれば、ミスティリングに収納は出来ない。
だが、既に死体となっている今なら話は別だった。
「死体なら問題ない。で、どうする? このままここに置いておくか?」
「レイの方で問題ないなら、頼む。勿論、死体をレイに預けたままにはしない。この騒動が終わったらこっちで引き取って然るべき処分をする」
「……ちなみに聞いておくけど、死体に鞭打つような真似はしないよな?」
「そんな真似をするか。ただ、暗殺者の死体というのは調べれば色々なことが分かるんだよ。ある意味でお宝……というのは少し言いすぎか? とにかく、そんな感じだな。ただ、血の刃はもう滅んでしまった以上、あまり役には立たないかもしれないけどな」
その言葉に納得したのか、レイは女の死体をミスティリングに収納する。
ここでやるべきことを終えると、レイとクロウは再び通路を進み始めた。
向かうのは、女が姿を現した曲がり角だったのか……
「くそっ!」
曲がり角を曲がり、更に進んだ先でクロウが苛立ちも露わに叫ぶ。
何故クロウがそのような態度を取ったのかは、床に転がっている死体を見れば明らかだった。
レイには見覚えのない顔だったが、クロウの様子を見る限りでは風雪に所属している暗殺者なのだろう。
血液を操る何らかの手段を持つ女にしてみれば、レイと遭遇した時の為に少しでも多くの血液を必要としていたのは間違いない。
その為、女によって殺された死体には多くの傷があり、そこから血を奪ったというのがレイとクロウが死体を見て思った感想だった。
「この死体はどうする?」
「頼む」
レイの言葉に短くクロウが告げる。
クロウにしてみれば、先程の女の死体とはまた別の意味で仲間の死体をこのままにはしておけない。
女の死体を調べれば暗殺者としての秘密が何か分かるかもしれない以上、クロウの仲間の死体もまた、このままここに置いておけば侵入してきた者達が持っていく可能性がある。
仲間の死体をそのような目に遭わせたくないクロウとしては、レイに頼むといった真似しか出来なかった。
もし何かあった場合、それこそ後悔することになってしまうだろう。
勿論それは、レイにミスティリングというマジックアイテムがあり、死体の類であっても自由に持ち運びが出来るからこそ可能なことだ。
レイがミスティリングを持っていなかった場合、クロウもこの死体を持っていって欲しいとは言わず、この場に置いていくという選択をしただろう。
「分かった」
クロウの言葉に頷くと、レイはミスティリングに死体を収納する。
通路から死体がなくなると、周囲に残っているのは血痕であったり、その血の臭いであったりといったものだけだ。
そんな通路の状況を一瞥したクロウは改めて口を開く。
「行くぞ。侵入してきた連中はこっちから来た可能性が高い。出来ればさっさと侵入してきた場所を俺達で確保してしまいたい」
「言っておくけど、ゴーレムを使って地中に穴を掘って侵入してきたというのは、あくまでも俺の予想だからな? クロウはもう完全にそうだと思い込んでいるみたいだが」
レイの出した三つの仮説のうち、二つは風雪に裏切り者がいなければ不可能なことだ。
そうである以上、クロウが選んだ地中を掘ることが出来るゴーレムによって侵入してきたというのは、裏切り者がいないという点でクロウがそうであって欲しいという希望的な観測が多分に含まれている。
とはいえ、レイも自分が考えた仮説の中では地中を掘るゴーレムの可能性が一番高いと思っていたのだが。
「あくまでもそういう可能性だというのは分かっている。けど、そうであって欲しいと思うのは問題ないだろう? それに、どのみちこのアジトに侵入してきている者達がいる場所は突き止めて……」
「待て」
何かを言おうとしたクロウだったが、レイはその言葉を遮る。
そんなレイにクロウは不満を言う……のではなく、鋭い視線を周囲に向けた。
レイの様子から、また敵が来たのかと思ったのだろう。
敵がやって来る方に向かって進んでいるのだから、当然のように遭遇する敵は多くなる。
素早く短剣を構えるクロウだったが……
「待ってくれ、クロウ! 俺だ!」
そんな声と共に、レイ達が向かおうとしていた方から三人の男女が姿を現す。
最初はレイも敵か? と思ったものの、クロウの名前を呼んでいるということは当然ながら味方なのだろうと判断し、臨戦態勢を解く。
クロウは自分に掛けられた声が明らかに聞き覚えがあったのだろう。安堵した様子で口を開く。
「ロアビー、無事だったか」
「ああ。ただ、この先に行くのは注意した方がいい。結構な数の敵が向こうに集まっていた」
ロアビーと呼ばれた男はクロウが無事だったことに安堵するが、クロウ達がこの先に向かおうとしているのを見て、そう忠告する。
しかし、クロウはそんなロアビーの忠告に首を横に振る。
「それが目的だ。レイがいるから、戦力的に不満はない。それに……地上に続く階段を見てきたが、そこには全く敵の姿がない。つまり、現在アジトに侵入している連中は俺達が知らない場所から入ってきた可能性が高い」
「それは……いや、けど、一体どこからだよ?」
「分からないな。ただ、これはあくまでも予想だが、ドーラン工房が今回の一件の裏にいる可能性が高い以上、地中を掘るゴーレムを用意している可能性がある」
「おい、ちょっと待て。それってまさか……」
ロアビーもクロウの言葉を聞いて何を言いたいのか予想出来たのだろう。顔を引き攣らせていた。
「ああ。可能性としてはどこか別の場所から地中を掘って、そこからアジトに侵入してきた可能性がある」
「嘘だろ、そこまでするのかよ」
「するだろうな」
唖然としたロアビーの言葉に、レイはそう返す。
この辺りの認識の差異は、レイがネクロマンシーの儀式に必要な祭壇を持っているのを知ってるかどうかの差だろう。
ドーラン工房にしてみれば、何としてもレイが持っている祭壇は奪い返したい。
その為に、それこそ商品として売る予定だった筈のゴーレムをスラム街で使うといった真似すらしたのだ。
それだけを見ても、ドーラン工房が今回の一件にどこまで力を入れているのかを示していた。
「そんな訳で、とにかく外と繋がっている場所をどうにかする必要がある。でないと、いつまで経っても敵の流入が止まらない」
「分かった。なら、俺達も一緒に行こう」
ロアビーもクロウの話を聞いて、現在の状況がかなり危険だと理解したのだろう。
風雪のアジトにいる侵入者を倒すよりも、まずは大元である外と繋がっている場所をどうにかする必要があるという判断にいたったらしい。
「いいのか? 俺としては助かるけど……レイがいれば、戦力的には問題ないんだぞ?」
クロウの視線の先にいるのはレイ。
実際、先程戦った女を相手にした時もクロウは相手にされていなかったものの、レイはあっさりと女に勝った。
もっともクロウが女に相手にされてなかったのは、女が自分の姉の仇であるレイを前にして他のことは全く気にしていなかったからなのだが。
「構わないさ。敵が入ってくる場所は可能な限り早く潰す必要がある。それを潰してまえば、後はアジトの中にいる連中をどうにかするだけだ」
そう言い切るロアビーは、次々とやってくる援軍を潰してしまえばもうアジトの中にいる相手を倒すのは難しくないと判断しているようだった。
その言葉はそこまで間違っている訳ではない。訳ではないのだが……
「相手がゴーレムを使って地中から侵入してきたとなると、侵入口を潰してもゴーレムがいる限り、また新しい場所に侵入口を作られる可能性があるぞ?」
その言葉にクロウやロアビー、他の者達も言葉に詰まる。
当然だが、クロウ達もそのくらいのことは予想していたらしい。
そんなクロウ達の様子を眺めながら、レイはもっと別の可能性……今よりも最悪の可能性を考える。
それは、土を掘ったり地中を移動出来るゴーレムが実は複数あるのではないかというものだ。
ゴーレムはそれなりに高価なのは間違いないが、それなり程度であればドーラン工房の稼ぎを考えれば、そのようなゴーレムを複数作るのは難しい話ではない。
ただでさえドーラン工房はスラム街にゴーレムを複数投入しているのだから、ここで更にゴーレムを投入するような真似をしてもおかしくはない。
(とはいえ、土を掘ったり地中を移動出来るゴーレムというのは、かなり特殊なゴーレムだ。そう簡単に数を揃えるといったような真似は出来ないだろうけど)
それを示すように、風雪のアジトを作る際に使われたゴーレムは以後に同じようなゴーレムを作られたという話は聞いていない。
実はレイが知らないだけで、同じようなゴーレムが作られている可能性は否定出来なかったが。
(普通に考えれば、土を掘ったり地中を移動出来るゴーレムってかなり使い勝手がよさそうだしな。量産されないのは、それなりに理由があるんだろ)
そんな風に考えているレイだったが、今はまずこの先にいるという侵入してきた暗殺者達を倒した方がいいと判断する。
「じゃあ、人数も増えたことだしこれからどうするか相談するか」
「いいのか?」
クロウにしてみれば、ロアビーという自分の仲間が一緒に来てくれるのは頼もしいものの、だからといってレイがそれを受け入れず、あくまでも少人数で行動すると主張するのであれば、ロアビーの提案は断らなければいけないと、そう思っていた。
それだけに、こうしてレイがロアビーも一緒に行動してくれるのを受け入れてくれたのはありがたいが、それでもいいのか? と疑問に思ってしまう。
「構わない。風雪に所属していて、この状況で自由に行動を許されている以上、相応の腕利きなのは間違いないんだろう? なら、一緒に行動してもこっちにとって悪い話じゃない。……ただし、あくまでも俺の指示に従うのを受け入れるのならだ」
確認の意味を込めて、レイはロアビー達に視線を向ける。
風雪の中にはレイのせいで本来なら戦う必要もない血の刃と戦うことになったのが面白くなく、レイの存在を気に入らないと思っている者がそれなりにいた。
事実、風雪のアジトの通路を歩いている時に悪意の籠もった視線を向けられたことがそれなりにある。
クロウの場合はレイとリンディの模擬戦を見たというのも関係しているのかもしれないが、レイに対して好意的だった。
いや、正確には敵対視していないというだけで、別に好意的な訳でもなく、どちらかといえば中立という表現が正確なのだが。
クロウと同様に、ロアビーやその仲間もレイに対して敵対的でなければレイも一緒に行動するのを受け入れるつもりだった。
自分と一緒に行動する条件を口にし、どうする? と視線を向ける。
そんなレイの視線に、ロアビーは少し考えてから口を開く。
「正直なところ、俺はあんたを気に入ってる訳じゃない。けど、今の風雪の状況を考えれば、あんたと一緒に行動した方がいいのも事実だ。そんな訳で、一緒に行動している間はそっちの指示はきちんと聞く。それでどうだ?」
ロアビーのその言葉に、レイはそれなら問題ないだろうと頷くのだった。