2802話
リンディに他の者達を起こしてリビングに集まっているように言うと、レイはリビングを通って部屋の外に出る。
すると廊下には、先程上の者にレイが動いてもいいかどうかを聞きに行っていた男の姿があった。
「随分と戻ってくるのが早いな。……それでどうだった?」
「レイさんの好きにするようにと。ただし、出来ればアジトに被害は出さないで欲しいということでした」
「そうか」
レイが自由に動いてもいいという言葉を聞かされても、それを貰ってくるように言った本人は特に気にした様子はない。
この状況で自分という戦力を使わないという選択をするとは思わなかったからだろう。
オルバンやニナと話した限り、その程度の判断は出来ると思えたのだから、この結果は当然のことだ。
当然のことである以上、今は少しでも現在の状況を確かめる必要があった。
「それで? 結局敵が誰なのかは分かったのか? 暗殺者らしいと言われていたが。もしくはドーラン工房に雇われてエグジニスに呼ばれた高ランク冒険者ではないかとも思っていたけど。その辺の情報は何かあるか?」
「暗殺者です」
レイについての相談をしにいった時に、その辺についてもしっかりと聞いてきたのだろう。
苦々しげな様子で呟かれたその言葉に、レイは驚く。
「暗殺者? 本当にか?」
自分が風雪を潰そうとした一件があったこともあり、また部屋でリンディと話したこともあったので、てっきり襲撃してきたのは冒険者だと、そう思い込んでいたのだ。
だからこそ、暗殺者が襲撃してきたという話を聞いて驚くのは当然だった。
「どこの暗殺者ギルドが襲撃してきたんだ? 風雪を襲撃するなんて、自殺行為だろ」
「それが……大きいところで青蜥蜴、混沌の牙、深淵が、それ以外にも小さい組織やソロの暗殺者達も多数混在している様子です」
「ああ、なるほど。考えてみれば当然のことか」
その情報は一瞬レイを驚かせたものの、考えればすぐに納得出来た。
風雪はエグジニスの中でも最大手の暗殺者ギルドだ。
だが、血の刃のようにエグジニスには他にも複数の暗殺者ギルドがある。
一つの組織で風雪に敵わないのなら、複数の組織で協力すればいい。
そのようなお膳立てをしたのはドーラン工房だろう。
実際にそれをやるにはもの凄い労力が必要になるだろう。
一つの組織を雇うというだけで、相応の金額が掛かる。
それを複数の組織を雇い、その上で組織同士に協力させ、あるいはソロの暗殺者にも協力させるのだ。
考えただけで一体どれだけの手間が掛かるのかと思ってしまう。
もしレイがやれと言われても、やろうとは思わないだろう。
(つまり、それだけ本気ってことか。日中の行動で失敗したからムキになってるのか? ……もしくはそれだけアンヌ達を取り戻したいのか。そして何より、ネクロマンシーに使う祭壇を取り戻したいとか、そんな感じか?)
それはレイの予想だったが、恐らくそんなに間違っていないように思える。
日中のスラム街への襲撃……冒険者を送ってくるどころか、商品となる筈のゴーレムすら送ってきたのだ。
そのような真似をしたのは、レイの持つ祭壇を取り戻す手段としてアンヌ達を人質にする為だとレイは考えていた。
冒険者とゴーレムが失敗したから、次は暗殺者を選んだということころだろう。
(とはいえ、暗殺者ギルド側は何でこの話に乗ったんだろうな。勿論報酬は莫大なんだろうし、それ以外にもドーラン工房、あるいはそこと繋がってる相手からの圧力があったりといったところか? 暗殺者ギルド側にしても、上手くいけば風雪を排除出来るかもしれないし)
エグジニスに多数ある暗殺者ギルドだが、当然ながら風雪以外の暗殺者ギルドにとって、エグジニスの中でも最高の暗殺者ギルドという扱いの風雪は気にくわない者も多い。
それこそ、出来れば風雪を排除して自分達が最高の暗殺者ギルドになりたいと考える者も多数いるだろう。
しかし、そのようなギルドも風雪を倒すといったような真似は出来ない。
そんな中で、今回の件がこうして持ち込まれたのだ。
有象無象の暗殺者ギルドは勿論、先程護衛兼見張りの男が口にした青蜥蜴、混沌の牙、深淵といったエグジニスの中でも大手と呼ばれる暗殺者ギルドにしてみれば、ここでドーラン工房からの依頼によって一気に風雪を排除しようと考えたのはおかしな話ではない。
「そんな訳で、レイさんにとっては戦いにくい相手になるかもしれませんが……それでも出ますか?」
護衛兼見張りの男の言葉に、レイは一瞬何を言われているのか分からなかった。
は? と、そんな間の抜けた声がレイの口から出たのが、その証だろう。
「戦いにくい? 何でだ?」
「いえ、だって……相手は暗殺者ですよ?」
「あー……うん。なるほど。言いたいことは分かった」
相手が暗殺者だと言った時の表情から、レイにも向こうが何を言いたいのかを理解する。
レイは冒険者でモンスターと戦うのは慣れているものの、人と戦う経験は少ないと、そう思われたのだろう。
(この連中、俺が戦争に参加したり盗賊狩りを趣味にしてるのを知らないのか? いや、知っていてもそういう相手と暗殺者は違うと判断したのか。ベスティア帝国で、暗殺者には散々狙われたんだけどな)
数年前の話を思い出すレイだったが、他国の話である以上、情報が伝わってきていないのかもしれないと思い直す。
とはいえ、ベスティア帝国の件を抜きにしても、このエグジニスで何人もの暗殺者に狙われ、それを撃退してきたのも事実。
そのような状況であるのに、まさか今のようなことを言われるとはレイにとってやはり驚きだった。
一応相手は自分を心配してそのようなことを言っている以上、不満を口にしたりといったような真似はしないが。
「安心しろ。俺は冒険者だが、人を相手にするのも慣れている。ベスティア帝国では暗殺者ともかなり戦ったしな」
「そうですか。分かりました。ではこれ以上は言いません。……頑張って下さい」
レイの様子から、強がりでも何でもなく本気で自信があるのだと判断したのだろう。
心配をしていた男はそれ以上は何も言わない。
もう一人の男も、レイに対してはこれ以上何を言ってもレイの負担になるだけだと判断したのか、何かを言う様子はなかった。
「で、俺はアジトの中を動き回る予定だが……風雪とそれ以外の見分け方って何かあるか?」
「え……それは……」
レイの言葉に男は戸惑う。
レイにしてみれば、風雪に所属する暗殺者は何人か知っているものの、全てを知ってる訳ではない。
そんな中で多数の暗殺者ギルドが手を組んで襲ってきたとなれば、どうやって敵味方の区別をしていいものか、迷うのは当然の話だった。
これが風雪に所属している者であれば、相手が自分の仲間なのか、あるいは敵なのかといったことを確認出来るだろう。しかし、レイは風雪のメンバーを知らない。
いや、正確には何人か知っている相手はいるのだが、それは少数でしかなかった。
そうである以上、レイとしては自分の味方である風雪を相手に攻撃するといった真似は出来れば避けたい。
同時に風雪の中にもレイやその仲間が風雪に匿われているのを知っていても、その顔を知らない者もいるだろう。
そのようにお互いの顔を知らない状況で遭遇した時、一体どうなるのか。
風雪のメンバーにしてみれば、自分達の仲間ではない者がアジトにいるという時点で敵とみなしてもおかしくはない。
そうして敵意を向けられれば、レイもまた敵であると認識して攻撃するつもりになってもおかしくなかった。
「その……やっぱり止めませんか?」
護衛兼見張りの男の一人が、恐る恐るといった様子でレイに言う。
レイと自分の仲間が争うといったようなことになるのは、出来るだけ避けたかった。
もしそのようなことになったら、それこそ風雪側の被害が極端に大きくなるだろうと、そう思えたのだ。
だからこそ、そのように言ったのだが……
「いや、悪いがそのつもりはない」
レイはあっさりと男の提案を無視する。
「何でです? 俺達を……風雪を信用出来ませんか?」
本来ならレイやその仲間達を匿うという依頼をレイから受けている。
だというのに、そのレイが風雪に護衛を任せず自分で前に出るといったような真似をするというのだ。
敵味方の見分けがつくのなら、まだ納得も出来るだろう。
だが、敵味方の区別がつかない状態でもレイは自分で出ると言うのだから、風雪という暗殺者ギルドが侮られたと男達が思ってもおかしくはない。
「別にそういう訳じゃない」
「なら、何故? リンディがろくに戦力にならない以上、いざという時の為にレイさんもここで防御に徹していた方がいいと、そう思うのですが」
「普通ならそういう手段でもよかったかもしれないな。けど、複数の暗殺者ギルドが手を組んで風雪を襲撃してきたんだ。そうなると、風雪だって絶対に安全ではないだろう? なら、攻撃は最大の防御。俺という戦力をここで投入した方が、被害は少ない筈だ。それに……セトも気になるし」
自分が出るというレイの行動は、複数の暗殺者ギルドが相手であるというのもあるが、同時にセトを心配してのものでもある。
セトは風雪のアジトのダミーである廃屋のすぐ側で寝転がっている筈だった。
にも関わらず、暗殺者ギルド連合とも呼ぶべき者達は風雪のアジトに侵入している。
普通に考えれば、セトがそのような相手を通す筈がないにも関わらずだ。
それはつまり、地上にいるセトに何かがあった可能性が高い。
とはいえ、セトはランクAモンスターであるグリフォンの希少種、ランクS相当と判断されているモンスターである以上、暗殺者にそう簡単にやられるとはレイも思っていなかったが。
それでも暗殺者ギルド連合の暗殺者達が風雪の拠点に集まってきている以上、セトに何かあったのは間違いないだろうと思えた。
だからこそセトが現在どのようになっているのかを確認したい。
レイとセトは魔獣術で繋がっている以上、もし万が一セトが何らかの危害を加えられ……考えたくもないが、殺されたり重傷を負っていたりといったようなことになっていれば、レイに分かってもおかしくはない。
しかし、今のレイにはそのような確信がない以上、セトが何らかの致命的な被害を受けているといった可能性は低いだろう。
しかし、それでも何らかの危害を加えられているかもしれない以上、レイとしてはセトの様子を確認しておきたいという点が大きかった。
セトがやられたとは、全く思っていない。
その心配をするくらいなら、それこそセトが襲ってきた暗殺者を全て倒してしまった方を心配するだろう。
それだけレイとしてはセトを信頼している。
信じて用いるという意味の信用ではなく、信じて頼るという意味での信頼。
だからこそ、ここでレイがじっとしている訳にはいかなかった。
「分かりました。これ以上は止めても無意味のようですね。ここで幾ら言っても、レイさんを止められないでしょう。では、せめて風雪の者を害さないようにお願いします」
「分かっている。取り合えずこっちから攻撃するような真似はしないから安心してくれ」
それがレイにとって妥協出来るせめてものラインだった。
とはいえ、レイから攻撃しないということは、レイのことを知らない風雪の暗殺者がレイを攻撃してきた場合は、反撃をするということを意味している。
「ついでに、攻撃はするけど殺さないようにしておくよ。そうすればもし俺の攻撃した相手が風雪の暗殺者でも、最悪の事態は避けられる筈だ」
その場合でも、廊下で気絶している風雪の暗殺者を侵入してきた暗殺者が見つけた場合どうなるのかレイにも予想は出来たものの、さすがにそこまでは責任を持てなかった。
それは護衛兼見張りの男達も分かっていたが、レイにそこまでして貰った以上、それについてこれ以上はレイに妥協を迫るといった真似をするのも難しいのは理解出来た。
「ありがとうございます」
「気にするな。こっちも色々と無茶を言ってるのは分かってる。結果として、侵入してきた暗殺者と遭遇しても、殺すんじゃなくて気絶させるといったような流れになるんだろうし」
「それはこちらとしても助かりますから」
もし暗殺者を捕らえることが出来た場合、相手から色々と情報を聞き出せるのは、風雪としても悪い話ではない。
風雪がエグジニスの中でも最大の暗殺者ギルドだからといって、全ての情報を知ってる訳ではないのだ。
そうである以上、ここで暗殺者を捕らえて尋問することが出来るというのは、大きな利益となるのは間違いない。
……もっとも、それは暗殺者が捕まる前に毒を飲んだりして自殺しないようにするというのが大前提だったが。