2801話
オルバンとレイの会談、もしくは酒盛り――レイが飲んでいたのは果実水だが――は、それなりに夜遅くまで続いた。
それでもまさか朝方までそのような真似をする訳にもいかず、打ち合わせを終えるとレイはアンヌ達が匿われている部屋に戻る。
当然の話だが、この時間になればもう全員が眠っていた。
正確には、レイがオルバンの部屋に向かう前にはもう殆どの者が眠っていたのだが。
「さて、明日も早いし寝るか。……寝るかって、そう言ったんだけどな。何があった?」
ソファの上で横になろうとしたレイだったが、アジトの中に緊張感が増してきたのを感じると、眠るのを止める。
そのまま扉の近くまで行くと、軽くノックをしてから扉の前にいる護衛兼見張りに声を掛ける。
「おい、どうした? 何かあったのか?」
一応眠っている他の者達に気を使って小声で尋ねてはいるが、そんなレイの声は間違いなく扉の向こう側にいる護衛兼見張りにも届いた筈だった。
それを示すように、扉が少し開けられる。
恐らく部屋から出て来いということなのだろうと判断したレイは、扉の隙間から外に出る。
するとそこには、厳しい表情を浮かべた二人の護衛兼見張りの姿があった。
(周囲に漂っている緊張感とこの二人の様子からすると、何かあったのは間違いないな)
レイはいつ何が起きても反応出来るように注意しながら、再び目の前の二人に尋ねる。
「で、どうした? 何があったんだ?」
「まだ正確には分かりませんが、恐らく……襲撃」
襲撃と言われたレイが思い浮かべたのは、当然ながらドーラン工房のゴーレム、もしくはドーラン工房が直接雇っている冒険者達だった。
オルバンとの話では、ゴーレムは数が揃えられないので攻撃をしてくる可能性は低いだろうということになった。
そういう意味では、ドーラン工房に雇われた冒険者の方が可能性は高いのだろうと判断し、口を開く。
「ドーラン工房に雇われた冒険者か?」
「分かりません。まだ詳しい情報はこちらにも来てないので。ただ……この感じだと、冒険者というよりは暗殺者のような感じがします」
「……暗殺者?」
出て来た言葉は、レイにとってもかなり予想外のものだった。
まさかこの状況で暗殺者が出て来るとは、思っていなかったのだ。
「はい。とはいえ、まだしっかりとそう決まった訳ではないので、恐らくそうだろうという程度なのですが。もしかしたら冒険者という可能性もありますし」
「……にしても、何で暗殺者が? 血の刃の一件もあって、風雪に喧嘩を売るような馬鹿はいないと思ったんだが」
レイの言葉に二人の男は同意するように頷く。
血の刃は風雪には劣るものの、エグジニスの中では相応の実力を持った暗殺者ギルドだった。
そんな血の刃ですら、風雪によって滅ぼされたのだ。
そうなれば、当然ながら他の暗殺者ギルドは風雪を警戒はするものの、自分達から襲撃を仕掛けるなどといったような真似が出来る筈もない。
レイはそう思っていたし、護衛兼見張りの二人もレイと同様のことを思っていたのは間違いない様子だった。
だというのに、そんな中で新たに暗殺者ギルドが襲ってきたと言われても、レイとしては素直に信じることは出来ない。
護衛兼見張りの男達もレイのそんな意見には賛成するようだったが、それでも今の状況を思えばその可能性は否定出来ない事実でもあった。
「話は分かった。取りあえず俺も様子を見てきたいんだが、構わないか?」
「それはちょっと困ります」
自分が出るというレイの言葉に、男の片方がそう言う。
護衛兼見張りを任されているだけに、レイを好き勝手に動かす訳にはいかない。
レイはそんな男達に面倒そうな視線を向けるも、男達の仕事は理解している。
そうである以上、この状況で自分が強引に動くのは不味いと判断して口を開く。
「分かった。なら、上にちょっと聞いてきてくれ。俺も動くのなら準備がある」
レイが動くのに準備? と疑問を抱きつつも、男の片方は助かったといった様子でその場を走り去る。
もしレイがその気になれば、ここにいる護衛兼見張りの男二人だけで止めるといったようなことは出来ない。
そんな自分達の状況を考え、上司に相談してこいというレイの言葉は渡りに船だった。
……相方に先に動かれたせいで残った男は一人でここに残ることになり、若干不満そうな様子を見せていたが。
「じゃあ、準備をするから」
そう言うと、レイは部屋の中に戻る。
残った男は、準備? と先程と同じ疑問を改めて感じた。
レイの場合は必要な物は全てがミスティリングに入っており、そうである以上準備の類は必要ないのではないのか、と考えた為だ。
そんな不思議そうな男の様子に気が付いたのだろう。レイはこれからの準備は特に何かを隠す必要もないのだからと、あっさりと自分がこれからやるべきことを話す。
「リンディを起こすんだよ。元々リンディはアンヌ達の護衛をする為にここにいるんだ。今回のような時の場合、当然だが眠ったままで護衛は出来ない」
「ああ。なるほど。いや、けど……」
男は言いにくそうな様子でレイに視線を向ける。
そんな視線を向けられたレイは、男が何を言いたいのかを理解して息を吐く。
そう、今日リンディはレイと激しい模擬戦を行い、体力の限界近くまで消耗した。
模擬戦が終わった後はその疲労からろくに動けない状態にすらなっており、今の状況で起こしても使い物になるかどうかは微妙だった。
(唯一の救いは、まだ筋肉痛になっていないかもしれないといったところか?)
明日になって起きれば、間違いなくリンディは全身筋肉痛になっているだろう。
だが、今ならまだ筋肉痛にはなっていない可能性もある。
……それでも今のリンディが暗殺者との戦いでどこまで役に立つかと言われれば、それは微妙なところだったが。
しかし、リンディやアンヌ、イルナラ、カミラ達を含めた一行の中に相応の戦闘力を持っている人物となるとリンディしかいないのも事実。
そうである以上、ここは普段通りに身体が動かなくてもリンディに頑張って貰う必要があった。
「ともあれ、準備しておくに越したことはないだろ」
そう言うと、レイは部屋に戻る。
だが……リビングの中では誰も起きてはいない。
リビングから繋がっている他の部屋からも、誰かが起きてくる様子はない。
(無理もないか。基本的にここにいるのは荒事とは無関係の奴ばかりだしな。リンディは……うん。まぁ、疲れ切ってるということで納得しておくか)
自分でも若干リンディに甘いか? と思わないでもなかったが、リンディが望んだとはいえ、模擬戦でここまで疲れさせてしまったのは自分なのだ。
そうである以上、多少はリンディを相手に甘くなっても仕方がなかった。
(まずはリンディを起こさないとな)
普通なら女の寝室……それもまだリンディやアンヌが眠っている場所に入っていくのは不味いだろう。
しかし今は非常事態だ。そのような状況で女だからといったようなことに拘ってはいられない。
寧ろこの状況でそのような事に拘っていれば、それこそ命に関わる。
「リンディ、起きろリンディ」
一応部屋の扉を何度かノックするレイだったが、中からの反応はない。
それを確認し、扉を開ける。
そうして部屋の中に入ると、そこには二段ベッドが二つ置いてあり、その中の一つにリンディの姿があった。
レイとの模擬戦で疲れ切っている為か、部屋の中にレイが入って来たというのに全く気が付いた様子もなく熟睡している。
(冒険者として、これはどうなんだ? いや、今日が特別で、模擬戦とかをやってなければ、すぐにでも起きたりするのか?)
そんな疑問を抱きつつも、レイはリンディの寝ているベッドに近付いていく。
幸いなことに、リンディが寝ているのは二段ベッドの下の部分だ。
もしこれで二段ベッドの上であれば、起こすのにも少し苦労しただろう。
リンディも何かあった時には即座に行動出来るように、こうして下に眠っているのかもしれないが。
「リンディ、起きろ。おい、リンディ」
「ん……」
何度か声を掛けるも、リンディが起きる様子は全くない。
そんなリンディの様子に、レイは仕方がないと判断してその身体を強く揺らす。
眠っている女……それもそこまで親しくない相手への態度と考えれば、それはどうなのか? と思われるような行動だったが、今は少しでも早くリンディを起こす必要があった。
「リンディ、起きろ! おい!」
「ん……っ!?」
疲れ切っている為か、最初はレイが乱暴に身体を揺らしても起きる様子がなかったリンディだったが、それでも何度も揺らされれば冒険者としてすぐに目を覚まし、目の前にあったレイの顔を見て驚く。
それでもこれが夜這いの類でないと判断したのは、レイがそのような真似をするとは思っていなかったというのもあるが、それ以上にレイの表情が真剣なものだったからだろう。
「どうしたの?」
レイの顔を見て何らかの緊急事態だと判断し、それでも同じ部屋にいる他の者達を起こさないようにと、小声で尋ねてくる。
この辺りの判断は、護衛の仕事が多いエグジニスの冒険者ならではのものか。
「敵だ」
短く現在の状況を口にするレイに、リンディは素早く起き上がろうとするものの……
「痛っ!」
その瞬間、全身に痛みが走って起き上がることに失敗する。
(駄目か。まさか、もう筋肉痛が来てるとは思わなかったけど)
リンディの様子を見て、レイは残念そうな表情を浮かべる。
恐らくまだ筋肉痛にはなっていないだろうと思っていたが、今の様子からすると明らかに筋肉痛の状態だった。
恐らく模擬戦が終わってここに戻ってきた後、疲れから眠っていたことにより、リンディの身体は疲労した筋肉を癒やす為に筋肉痛になった……というのがレイの予想だった。
そして筋肉痛になってしまっては、戦力にならない。
これが軽い筋肉痛ならともかく、起き上がろうとして動けなかった様子を見る限りでは、動くのに支障が出るような状態なのだから。
勿論、そのような状態であっても動こうと思えば動けるだろうが、当然ながらそのような状態では万全といった様子ではない。
「どうやら、リンディを戦力として考えるのは難しいな」
「そんな!」
レイの呟きに納得出来ないといった声を上げるリンディ。
リンディにしてみれば、アンヌやカミラ、それ以外の者達を守る為にレイと模擬戦を行ったのだ。
それが完全に裏目に出たといった形だ。
何もこんな時に襲撃をしてこなくてもと、リンディは襲撃してきた相手を恨む。
……筋肉痛の件がなくても、恐らく自分達を狙って襲ってきた相手である以上、恨みは消えなかっただろうが。
「リンディは他の連中を起こして一ヶ所に集まっていてくれ。何かあった時、その方が対処しやすい」
「レイはどうするの?」
「俺は……打って出る」
そんなレイの言葉を聞いても、リンディはそこまで驚いた様子はない。
レイの性格から考えてここで打って出るといったことは予想出来たのだろう。
「レイらしいわね。けど、いいの? 風雪はレイが動き回るのは面白くないんじゃない?」
「かもしれないな。だが、風雪のアジトが襲撃されるというのが不可解だ」
「そうね。風雪だもの」
リンディもレイの言いたいことは理解出来たのか、そう呟く。
エグジニスに存在する暗殺者ギルドの中でも、最大規模なのが風雪だ。
勿論規模だけではなく、そこに所属する暗殺者も技量の高い者が多数いる。
普通に考えて、そんな暗殺者ギルドのアジトを襲撃するような者がいるかと言われれば……
(いるな)
そう思う本人こそが、実際に風雪を潰そうとして行動した経緯のある人物だった。
実際にはニナとの交渉の結果として、風雪がレイと戦うことはなかったのだが。
だが、レイがやろうとしたのだから、同じような真似を他の者がやろうとしてもおかしくはない。
とはいえ、それはあくまでも異名持ちという突出した実力者のレイだからこそ出来ることだ。
「リンディ、一応聞いておくけど現在エグジニスに異名持ち、もしくは高ランク冒険者はいるか?」
「え? エグジニスで一番の冒険者でもランクB冒険者よ」
「だとすると、他から腕利きを呼んだ可能性もあるのか。護衛兼見張りの連中は暗殺者っぽいと言っていたが」
レイが知ってる限り、ランクB冒険者だけで風雪を敵に回すといったような真似は到底出来ない。
勿論、ランクB冒険者は高ランク冒険者であり、その中には戦闘に特化している実力者もいるだろう。
実際にレイも魔の森でランクアップ試験を行うまでは、ランクB冒険者だったのだから。
「え? ……本当に高ランク冒険者が攻めて来てるの?」
「正直なところその辺は分からない。今も言ったように、護衛兼見張りの連中は暗殺者らしいと言っていたし。だからそれを確認する意味でも、打って出ようと思っている」
そういうレイの言葉に、リンディは厳しい表情を浮かべながら頷くのだった。