2800話
食事も終わり、匿われているアンヌ達の多くが眠りに就いた頃……レイの姿は、オルバンの部屋にあった。
風雪を率いる者が、そう簡単に自分に会ったりしてもいいのか? と、そんな疑問をレイは抱くが、オルバンにしてみればレイは自分の仲間という認識だ。
それもただの仲間ではなく、とびきり頼りになる仲間だ。
……同時に、場合によってはとびきり危険な爆弾にもなるような仲間だったが。
今こうして一緒にいるのは、レイがオルバンに……風雪に対して友好関係を築いているからというのが大きい。
そういう点では、最初にレイと交渉したニナはオルバンにとって最高のファインプレーをしてくれたのだろう。
「どうだ? お前も飲まないか? このワインはかなりの希少品だぞ」
そう言い、レイにワインを勧めるオルバン。
だが、レイは当然のようにそのワインを断る。
「以前にも言ったかもしれないけど、俺は酒を飲んでも美味いとは思わないんだよな。飲もうと思えば飲めるけど」
これは強がりでも何でもない事実だ。
レイはワインを飲むことが出来る。
ただし、その味はとてもではないが美味いと感じない。
また、飲むことは出来るがアルコールに強いという訳ではないので、飲みすぎれば当然のように酔っ払ってしまう。……不味いと感じる酒をそこまで飲むことそのものが珍しいが。
「そうだったか? けど、惜しいな。酒は人生の友だぞ? 酒を飲めないというだけで、人生の何割かを損しているのは間違いない」
オルバンは真剣にそう言う。
大袈裟でも何でもなく、本気でそう思っているのは間違いない。
だからといって、レイがそれを認めるかと言われれば、それは否だが。
「それは幾ら何でも言いすぎだろ。……まぁ、酒にも長所があるのは理解出来るけど」
そう言うレイだったが、その長所というのはレイが自分で飲むといったものではなく、料理の隠し味として使ったり、あるいは贈答品としての効果であったり、もしくは怪我を負った時にポーションがなければ消毒薬として使える……といったようなものだったが。
もしレイがどういう意味で酒にも長所があるというのを口にしたのかを知れば、あるいはオルバンはふざけるなと怒鳴っていた可能性もある。
だが、レイの真意を知らないオルバンは、笑みを浮かべて頷く。
「そうか。レイも酒の素晴らしさを理解出来たか」
「あー、そうだな。取りあえずそういうことにしておくか。ただ、俺は飲まないからな。こっちの果実水で十分だ。……というか、オルバンのところで出る料理もそうだが、リンディ達に出る料理も美味いよな。風雪は暗殺者ギルドなのに、腕のいい料理人がいるのか?」
「いるぞ。主に俺の要望でだが。それにローベルは当然ながら、他のギルドを率いている奴や依頼人に料理を出すこともある。何気にこういうのは大きな意味を持つんだよ」
「だろうな。まさか暗殺者ギルドに来てみたら、かなり美味い料理が出るとは思わないだろ。……普通はそれ以前に暗殺者ギルドで出された料理を食べるかどうかという心配をする方が大きいと思うんだが」
暗殺者ギルドで出された食事。
それだけを聞けば、普通はとてもではないが食べたいとは思わないだろう。
どのような毒が料理に使われているのか分からないのだから。
レイの場合は風雪と手を組んでおり、ちょっとやそっとの毒は効かない身体でもあるし、何かあったらポーションを使えばいいので何の問題もなく料理を楽しんでいたのだが。
(あれ? でもそうなると、アンヌ達はよく普通に食べたな。リンディは冒険者で、余計にその辺を厳しく考えてもおかしくないのに)
一口サイズに作られたサンドイッチ――それでも料理の手は抜かず、しっかりとした仕事をしている――を味わいながら、レイは本題に入る。
「酒や料理の件はともかく、色々と調べたんだろう? ドーラン工房と繋がっている、あるいは裏にいる奴が誰なのか分かったのか?」
ローベルとの会談の後から、オルバンはドーラン工房と繋がっている者が誰なのかというのを調べていた。
だが、そんなレイの問いにオルバンは呆れたように口を開く。
「そんなにすぐに見つかる訳がないだろ。……ドーラン工房がやってるのは、かなり不味い。それだけに、ドーラン工房と繋がってる奴がいたら、そいつは間違いなく徹底的に隠している筈だ。そうである以上、そう簡単に見つけたりといったような真似は出来ない」
「その辺は、エグジニスの中でも最大規模の風雪の実力でどうにかするとか」
「無茶を言うな。幾らなんでも、出来ることと出来ないことがある」
呆れた様子で言うオルバンだったが、レイとしてはそこまで無茶なことを言ったつもりはない。
実際、今の状況を考えると風雪の暗殺者達ならドーラン工房と繋がっている者を調べて……その手段が半ば強引なものであっても、エグジニスにおける最大手の暗殺者ギルドの風雪であるというのを前に押し出していけばどうにかなるだろうと、そのように思える。
実際にそれが本当に出来るかどうかというのは、レイにも分からない。
分からないが、それでも今の状況を考えればある程度無理をする必要があるのは間違いないだろうと思える。
「普段は出来ないことでも、今この状況ではやるしかないと、そんな風に考えてもおかしくないんじゃないか? これからどう動くにしろ、情報の類は多い方がいい。そうでなければ、ドーラン工房に……いや、ドーラン工房と手を組んでる連中に機先を制されるぞ」
「それは……ふむ。まぁ、否定出来ない事実ではあるかもしれんな」
レイの言葉に一理あると判断したのだろう。
オルバンは少し考え込むようにしながら、そう呟く。
とはいえ、一理あるからといってすぐにレイの意見を全面的に取り入れるといったような真似はしないが。
もしレイの意見を全面的に取り入れた場合、今回の一件は上手くいくかもしれない。
しかしそれは同時に、今回の一件で風雪がどのくらいのダメージを受けるのかといったことを考えていないものでもあった。
そうである以上、オルバンとしてはレイの意見を全面的に受け入れる訳にはいかない。
レイにしてみれば、風雪との関係は今回の一件が終わればもう気にする必要はないのかもしれないが、風雪を率いているオルバンにしてみれば、そのような真似をする訳にもいかないのだから。
そのような状況でオルバンは風雪のメンバーを危険に晒すといった真似は出来れば避けたかった。
幾らエグジニスにおける最大規模の暗殺者ギルドとはいえ、一流の人材というのはそう簡単に育つものではない。
出来るだけ自分達に被害が出ないようにしながら、ドーラン工房と繋がっている者を見つける必要があった。
それを見つけさえすれば、一番被害の大きなところはレイに任せるといった真似も出来る。
そしてレイにその辺りを任せることが出来れば、もう何も心配はいらない。
レイの持つ戦力は、それこそ一軍すら相手に出来るようなものなのだから。
(いや、レイに本気を出されちゃ、それはそれで困るんだがな)
オルバンにしてみれば、エグジニスという場所は風雪の拠点として非常に重要な場所だ。
もしレイに一軍すら相手にするような力を街中で発揮された場合、エグジニスは大きな……場合によっては修復不可能な程のダメージを受けるだろう。
レイがそのように暴れるという光景は、オルバンにしてみれば見たくなかった。
「どうしたんだ? こっちをじっと見て。……もしかして、このサンドイッチを食べたかったのか? 言っておくけど、これは絶対に譲れないからな」
自分の食べているサンドイッチを見ていると思ったのか、レイはオルバンに向かって警戒するように言う。
サンドイッチの一つや二つでこのような態度をしている者が、本当に深紅の異名を持つ実力者なのか? と若干疑ってしまう。
だからといって、レイの能力を本気で疑っている訳ではないのだが。
「別にそんなことは考えてない。そのサンドイッチを奪おうともしていないから、お前が好きなだけ食っても構わないさ」
オルバンのその言葉に、レイは再びサンドイッチを味わい始める。
そうしてサンドイッチを味わうと、やがて口を開く。
「それで、俺の出番は具体的にいつくらいになりそうだ? ドーラン工房の方は、恐らく今日の騒動でかなり混乱してると思うけど」
「だろうな」
オルバンはレイの言葉に心の底から同意する。
実際、今日一日でドーラン工房が受けた被害は大きい。
ジャーリス工房を襲撃した冒険者に関しては、ドーラン工房側にとっても最初から捨て駒といった扱いだったので、どうなっても構わない。
ドーラン工房が本格的に雇っている冒険者は、ジャーリス工房の襲撃には関わっていないのだから。
しかし、この場合問題なのはジャーリス工房に対する襲撃でやって来たレイが、すぐにスラム街に戻ったことだろう。
ドーラン工房にしてみれば、レイが自分達の企みに気が付くとは思っていなかったのだ。
その結果として、スラム街に送り込まれたゴーレムの大半をレイに破壊され、更には残骸も回収出来ずレイに奪われている。
ドーラン工房のゴーレムは現時点においてはエグジニスの中でも最高の性能を持つゴーレムではあるが、その生産性は決して高くない。
その最大の理由が、やはりネクロマンシーを使って人の魂を素材にして作るゴーレムの核だろう。
そんな中でドーラン工房がスラム街に送り込んできたゴーレムは、夕食の時に非主流派の錬金術師達が予想したように、本来なら商品の筈だった。
……そのようなゴーレムも使わなければならない程、実はドーラン工房も追い詰められている。
実はそのゴーレムのうちの何匹かは次の売買で売られる予定のゴーレムだった。
それはつまり、レイがクリスタルドラゴンの素材と引き換えにしてでも購入しようと考えていたゴーレムだったのだが。
貴族や大商人が購入予定だったゴーレムを破壊され、その残骸すら奪われてしまったのだ。
ドーラン工房にしてみれば、それで混乱するなという方が無理だろう。
「ドーラン工房、これからどう出ると思う? またスラム街にゴーレムや冒険者を派遣したりとか、そんな行動をすると思うか?」
「その手段は一度失敗してるんだ。なのに、また同じような行動をするとは思えないな。それにまたスラム街でゴーレムを使うとなると、そのゴーレムをどこから持ってくるのかといった問題がある」
「それは……まぁ、言われてみればそうなるか」
オルバンの言葉は、レイを納得させるのに十分な説得力を持っている。
だからこそ、レイもそんなオルバンの言葉に頷いてみせた。
「けど、そうなると次にドーラン工房はどんな手を打ってくると思う? 警備兵を使うといった手段も、今日もう使ってしまった以上、二番煎じでしかないし」
「二番煎じ云々はともかくとして、冒険者がジャーリス工房を襲撃した件は既にかなり広まっているし、それがエグジニスの住人から不評のようだな」
「なるほど。ジャーリス工房の周辺には野次馬が結構な数いたしな」
レイとしては気にしていなかったものの、レイと警備兵のやり取りを見ていた者達にしてみれば、いい噂話になったのは間違いない。
世間話で、あるいは食堂で、もしくは酒場で……他にも色々な場所でその件を話す。
そして話をすれば、当然のように警備兵が何故ジャーリス工房を襲撃していた冒険者達を捕まえなかったのか、そしてジャーリス工房を助けに来たレイを捕らえようとしたのかと、不満に思うのは当然だった。
実際にはレイはセトに乗って空を飛ぶといったような真似をしているので、警備兵に捕らえられる……とまではいかなくても、事情を聞かされるといったようなことになってもおかしくはないのだが。
それ以上に警備兵が酷かったので、その辺を責める者はかなり少ない。
そういう意味では、割を食ったのはジャーリス工房に行かなかった真面目な警備兵達だろう。
一般人にしてみれば、それなりに親しい相手でもない限り警備兵であるというだけで全て同じに見えてもおかしくはない。
真面目な警備兵達はジャーリス工房に行った警備兵達と同じように見られ、説教や小言……場合によっては嫌味を言われるような者が多数出たのだ。
だが、警備兵だからということで責められても、自分は何もしていないからといって反論する訳にはいかない。
中には反論した者もいたが、そのような者達は余計に責められることになってしまった。
結果として目先の利益に踊らされた者達は、エグジニスにおける警備兵の信頼を大きく落とすことになったのだった。