0028話
ガタゴト、ガタゴト。そんな音を立てながら8台の馬車はギルムの街から離れていく。
それぞれの馬車にはオーク討伐任務に志願した冒険者達が乗っており、御者台にはギルドから派遣された御者とモンスターや盗賊の敵襲に備えて最低1人の冒険者の姿がある。
そんな中、レイが乗っている馬車の御者台にいるのは御者だけだった。
「グリフォンの索敵能力を当てに出来るというのは嬉しい誤算だったな。テイムしているモンスターがいるとは聞いていたが、まさかグリフォンだったとは。グランに話を聞いた時は正気かどうか思わず耳を疑ったぞ」
「がははは。そうだろうそうだろう。俺も待ち合わせで正門に行った時に、少し離れた場所でレイがグリフォンを枕にしていたのを見て同じように思ったさ」
「俺としては馬車を引いてる馬が落ち着いているのが予想外だったがな。泊まってる宿にある厩舎でも馬はセトを怖がってしまって落ち着かない様子を見せていたし」
もし馬車を引いている馬がセトを怖がってまともに動けなかったとしたら、セトは馬車から離れて単独行動を取らなければならなかっただろう。そしてそうなるとレイの姿が無いのでセトを見た旅人や商人の訴えにより討伐依頼がギルドに張り出されてオークの討伐任務が終わっても次はグリフォンの討伐任務……という流れになっていた可能性も考えられなくも無い。
「グランにお前がテイムしているモンスターはグリフォンだと聞いてな。慌ててウォーホースを揃える羽目になった。……ま、その価値はあったが」
ボッブスは苦笑を浮かべながら馬車の窓から外を見る。そこではセトが馬車の横に並んで大人しく歩いていた。
そんなセトを近くにしても、馬車を引く馬は夕暮れの小麦亭の厩舎にいた馬のように怯えた様子は全く見せず、淡々と馬車を引いている。
ウォーホース。それは高い能力を示した馬の血統を交配して生み出された馬を、戦闘時に怯えたり混乱しないように調教したものだ。その体躯は通常の馬の1.5倍程もあり、ゴブリン程度のモンスターなら軽く踏み殺す戦闘力を持つ。当然そのように手を掛けて育てられた馬なので通常の商人や旅人が使うような馬に比べると値段も数倍はするという代物だ。その高価なウォーホースを馬車8台分で合計16頭。それだけでギルムの街の冒険者ギルドが今回のオーク討伐にどれ程本気で臨んでいるのかが分かるだろう。
「けど、他の馬車に乗ってる面々は余りセトを信用していないみたいだけどな」
レイは一応道中の警戒に関してはセトに任せておけばいいと言ったのだが、他の冒険者のパーティはそれを良しとしなかったのだ。ボッブスに関しても自分達の身の安全は自分達で守りたいと言われるとそれ以上強硬に出ることもなかった。
「それはしょうがない。何しろお前がギルドに登録してからまだ数日だろう? 他のパーティの面々にしてみればエルクのように実績を積み重ねていないだけに、はいそうですかとはいかないものだ」
「それに他の馬車の警戒要員が警戒しているのは、襲ってくるだろう敵だけじゃなくてお前のグリフォンが一番大きいと思うぞ」
ボッブスの言葉に繋げるようにロドスが言う。そしてその言葉に頷くエルク。
「まぁ、他の奴等にしてみればグリフォンに襲われるなんて悪夢以外の何物でもないからな。それはしょうがないさ。俺やミンはセトとそれなりに仲良く出来たから心配はしてないが……ロドス、お前はちょっと危ないかもな」
ニヤリ、とした笑みを浮かべながらロドスをからかうエルク。
だが、次の瞬間にはロドスの向かいに座っていたミンが持っていた杖を突き出してエルクの腹へと埋める。
「ぐっ! ミ、ミン……いくら狭い馬車で杖を振りかぶれないからといって、突きはないだろうが……俺じゃなかったら怪我してるぞ」
「黙れ、馬鹿亭主。わざわざロドスを脅すような真似をするからだ」
「母さん……」
ミンの言葉に、嬉しそうに声を上げるロドス。
(こういう所からマザコンがより症状を重くしていくんだろうな)
その様子を眺めながら、ミスティリングから串焼き肉を取り出してまだ熱々のままのそれを口に運ぶ。
食感は鶏肉に近いが、これはポイズントードのモモ肉だったりする。以前、レイがゴブリンの討伐任務の時にも遭遇したことのある毒持ちの蛙だ。その足の肉を毒抜きして一度蒸し、特製のタレを付けて焼いたものがギルドに物資を取りに行く通り道の屋台で売られているのを発見し、興味本位で買ってミスティリングの中に保存しておいたのだ。ミスティリング内は時間の流れが止まっているので、熱々の串焼きは購入してから数時間が経っても熱々のままだ。
「うおっ、何かいい匂いがしてると思ったら……レイ、お前いいもの食ってるじゃないか」
杖の一撃による痛みもあっさりと癒えたのか、タレの匂いを嗅ぎつけたエルクが羨ましそうに見つめてくる。
既に中年になっているとは思えない程に目をキラキラとさせ、自分も食いたいという雰囲気を周囲へと振り撒く。
そしてその視線に耐えきれなくなったレイは、しょうがなくもう1本ミスティリングからポイズントードの串焼きを取り出してエルクへと手渡すのだった。
「おう、悪いな……って、これまだ熱々じゃねぇか。どうなってんだ?」
「ミスティリングの機能だ。この中は時間の流れが止まってるからな。収納した時に熱い物は熱く、冷たい物は冷たいままで取り出すことが出来る」
「へぇ……さすが世界でも稀少品と言われているだけのことはあるようだね」
レイの説明に感心したように頷くミン。そしてそれを見ていたロドスは当然機嫌が悪くなる。
「ふんっ。いくら魔導具の質が良くても、本人の実力が低ければ意味は無いってのを今回のオーク退治で教えてやるよ」
そんなこんなで、色々と不安の種を残しつつもオーク討伐隊は馬車を進めて行く。
その中の馬車の1つ。その馬車の中には3人の冒険者グループが乗っており、1人が御者台で周囲……というよりはセトを主に警戒していた。
「おい、どうするんだよ。アイテムボックスを盗むチャンスだっていうからこのやばい依頼にも参加したってのに。グリフォンをテイムしてるなんて聞いてねぇぞ!」
「ちょっと、アル。あんまりオタオタしないでよね、みっともない」
「スニィ、お前本当に事態が分かってるか? グリフォンだぞ、グリフォン! モンスターランクAの大空の死神! Dランクの俺達がどうにか出来る相手じゃねぇぞ」
「アルもスニィも黙りな。グリフォンをテイムしていると言ったって、何も四六時中あの新入りの側にいるって訳じゃないんだ。特に戦闘中や野営の時に上手くすれば……」
20代の男女の冒険者が騒ぎ、それを見ていた30代の女が落ち着かせる。
「けどよ、姐御。それだとオークの討伐が失敗するんじゃないか?」
「だからどうした?」
男の声にあっさりと返す女。
「だからって……だって、オークの討伐に失敗したらギルムの街は……」
「落ち着きな、アル。別に討伐が1回失敗したからと言っても即ギルムの街がどうにかなる訳じゃないさ。それにいざとなったら国から援軍を送って貰うことだって出来る」
その場合は機会を窺っている貴族派にいいようにやられるだろうけどね、と内心で呟く。
この女の名前はセリル。ランクCの冒険者である。現在は同じ馬車に乗っているアルとスニィ、御者台にいるムルガスという男の4人で夜闇の星というパーティを組んでいた。普段ならこの4人はオークの、しかも希少種や上位種の存在が確実視されているような討伐任務を受けるような者達ではない。では何故その任務を受けたか。それはレイの持っているアイテムボックスを何とかして奪おうと狙っていたからだ。
世界を見回しても稀少なアイテムボックス。もしそれを上手く手に入れられたら一体どれ程の金になるだろう。それを思うだけでセリルの背筋に甘い痺れが流れるのだ。
(そしてその金で私はこんな危険な辺境を出て行く。王都で面白おかしく暮らすんだ)
セリルは既に30代で、冒険者という仕事もそう長くは続けていられないだろう。それに一流と言われているBランクに上がるのは既に無理だと諦めてもいる。自分はCランクがせいぜいの器なのだ、と。
そしてそんな時に突然現れた10代半ばの新人。それがアイテムボックスを持っていると聞いた時、セリルの腹は決まった。何としてもそのアイテムボックスを奪うのだ。否、それは本来自分の物でなければならないのだ。何故なら自分はこんなに苦労をしているのだから。
そう思い込んだセリルは、パーティメンバーというよりは部下である3人に命令してレイの行動を探った。そして、丁度タイミング良く起きたオーク討伐任務にレイが参加すると聞き、自分達も参加を決めたのだった。
「けどさ、姐御。あのレイって餓鬼、鷹の爪を1人で倒す程の腕利きなんだろう? グリフォンのいない時を狙うって言ったって……」
「少しは頭を使いな、アル。別にあたし達は正面から正々堂々とあの新入りを倒さなきゃいけない訳じゃないんだ。眠ってる時に掠め取ったっていい。戦闘の時に後ろから不意打ちしてもいい。手段なんざ幾らでもある」
意味あり気な笑みを浮かべるセリルだったが、それを見るアルは正直気が乗らない。
別にレイを庇っているとかでは無く、アル自身はギルムの街にそれなりに愛着を持っているのだ。だからこそオークの討伐任務中にそれを邪魔するようなことはしたくない。
(それに、あいつはバルガスを呆気なく倒したんだ。戦闘能力だけならCランク間違い無しと言われたあのバルガスを)
アルはふと、御者台にいるムルガスならどうするだろうと頭を過ぎった。
ムルガスは基本的に小心者であり、だからこそグリフォンという存在に怯え、少しでも早くその行動を察知出来るようにと自ら御者台の見張りを買って出た。小心者故にグリフォンの様子がおかしいと察知したら馬車の中へと声を掛けて自分はさっさと逃げるのだろうが。
「……あ」
そんな中、不意に今まで黙って2人のやり取りを聞いていたスニィがどこか唖然とした声を漏らす。
「どうしたんだい、スニィ」
「姐さん……その、グリフォンが……」
「グリフォンが?」
グリフォン、という単語が出るとさすがに緊張を隠せずにセリルは先を促す。
「ファングウルフの群れを1匹で蹴散らしてる」
「っ!?」
スニィの言葉に勢いよく座席から立ち上がって窓へと近寄るセリルとアル。
その視線の先では、確かに普通の狼よりも1周り程大きく特徴的な牙を持つファングウルフの群れがグリフォンに蹂躙されている所だった。
鉤爪の付いた前足を一振りすれば首が飛び、その特徴的な牙を剥き出しにして跳躍して襲い掛かってきた相手にはクチバシを突き出して逆にその頭を貫き、尾を食い千切ろうと後ろへ回り込もうとすると獅子の足で蹴りつけて胴体を粉砕する。
「ファングウルフの群れをああも簡単に……」
その戦い振りに呆然とした呟きを漏らすアル。
ファングウルフというのはランク的に言えばFランクのモンスターであり、決して1匹では強くない。だが、狼が魔物化した存在だけあって群れを成して狩りをする。ギルドに登録したばかりの冒険者はランクが低いから大したことが無いと思い込んで討伐に向かい、群れによる狩りで逆に相手の餌になるというようなことが毎年数回は起きているのだ。
もちろん所詮ランクFはランクFであり、群れを成したとしてもEランク。どんなに頑張ったとしても危険度Dランク相当といった所だろう。
ランクDやCの冒険者パーティである自分達なら倒せないことはない。だが、自分達でああも簡単に、圧倒的に、蹂躙としか呼べないような戦いを出来るだろうか。しかも馬車の中から見ている限りではあのグリフォンは全くの無傷に思える。
そんなグリフォンの姿を見てしまっては、アルの小心さを馬鹿にしていたスニィでさえ自分があの新米に手を出して失敗した時にどうなるのかが頭を過ぎる。
「姐御……」
セリルへと掛けられたスニィの声は多分に恐怖と怯えが含まれていた。
このままでは拙い。レイからアイテムボックスを奪う前に心を折られかねない。そう判断したセリルは咄嗟に怒鳴りつける。
「2人共、ビビってんじゃないよ。さっきも言ったが、私達の目的はあくまでもあの小僧からアイテムボックスを奪うことだ。あのグリフォンが幾ら強いと言ったって、別に正面から戦いを挑む必要なんかない。不意打ちなりなんなりしてアイテムボックスを奪ったらさっさと逃げ出せばいいのさ」
当然、ギルムの街の運命が掛かっているといってもいいこの討伐任務から逃げ出すのだから、実行した以上はこのままギルムの街に居続けるということは出来ないだろう。だが、セリルにしてみればアイテムボックスを奪ったらとっとと王都へと逃げ込んでからお宝を売り払って悠々自適に暮らすつもりなのだ。もしかしたら冒険者ギルドのギルム支部を通じて賞金首として指名手配されるかもしれないが、腐っても自分はCランクであり、その辺の冒険者には負けない自信がある。それにアイテムボックスを売った金があれば強力な護衛を雇うなり、貴族派と渡りを付けてギルドに圧力を掛けることも可能だろう。
幾らギルドが国から独立している機関とは言っても、結局はその国の土地にあるというのは間違いがないのだから自分1人を指名手配する為に貴族派と揉めることはない、というのがセリルの予想だった。
改めて自分の目的と明るい未来を頭に描くと、グリフォンの虐殺ともいえる場面を見て僅かに湧いていた恐怖心すらも払拭されている。
目の前で不安そうな顔をしているアルとスニィの肩をバンバンと叩きながら口を開く。
「ほら、大丈夫だって。まずは今夜の野営だね。上手く行けばオークの集落に辿り着く前にアイテムボックスを奪ってさっさと逃げ出すことが出来るかもしれないんだ。しっかりと機会を窺うようにしなよ」
そう告げるセリルの馬車から少し離れた場所では、セトが群れの長である他のファングウルフよりも1周り大きい狼の肉を啄んでいる所だった。