2796話
「あら、レイ。もう戻ってきたの? 一体外はどうなってるのかしら?」
レイが途中であった暗殺者に案内されて部屋に戻ってくると、リビングには珍しくリンディの姿があった。
とはいえ、珍しいと言える程長期間この場所ですごしている訳ではないのだが。
それでもレイが知っているリンディなら、アンヌと一緒に行動してもおかしくはなかった。
そう思ってリビングの中を見回してみてると、そこにはカミラの姿もある。
アンヌと一緒に行動して疲れたのか、それともアンヌが誘拐された一件から張っていた気が抜けたのか、今はソファでぐっすりと眠っていたが。
(リンディがここにいるのは、そういう理由か)
違法奴隷の面々の多くと面識のないリンディとしては、カミラがこうして眠っているのを放り出してアンヌと一緒に行動するといった訳にはいかなかったのだろう。
「色々とあったぞ。まずはジャーリス工房がドーラン工房の雇った冒険者に襲われていても警備兵が介入しなかった。その割に俺がその戦いに介入して冒険者が逃げ出すと、即座に警備兵が介入してきた」
「それは……厄介ね」
リンディもエグジニスで冒険者として活動している以上、ドーラン工房のように力のある工房が警備兵に対して影響力を発揮するというのは理解出来ていた。
それでいながら、自分と同じ冒険者がジャーリス工房を襲ったということに関しては不愉快そうに眉を顰めたくらいで終わる。
冒険者という言葉で一括りにされていても、結局のところ仲間でも何でもないのだ。
リンディがパーティを組んでいる相手がいれば、また話は別だったかもしれないが。
実際、レイも冒険者だからといって、ギルムの冒険者が何らかの罪を犯したらそれで自分が償わないといけないとは思わない。
そういう意味では、今回の一件でリンディが特にショックを受けた様子がないのは、レイにとっても当然の話ではあった。
「で、警備兵を追い返してスラム街に戻ってきたらドーラン工房のゴーレムが暴れていた」
「本当ですか!?」
レイの言葉に過敏に反応したのは、リンディではなくイルナラの仲間の錬金術師の一人。
非主流派とはいえ、ドーラン工房で錬金術師をやっていた身として、今のレイの言葉は聞き逃せなかったのだろう。
「ああ。結構な数がいたな。多分ドーラン工房としては、ジャーリス工房を襲撃することで俺を誘き出して、そこに警備兵を投入して上手くいけば逮捕、それでなくても事情を聞くという名目で足止めして、その間にスラム街にゴーレム投入という予定だったんだろうな」
「ゴーレムの目的は……と、聞くまでもないわね」
「ああ。アンヌとかイルナラとか、そういうドーラン工房から逃げ出した連中……後は、当然だがリンディの件もドーラン工房には知られているだろうし、リンディも捕らえようとしたんだろうな。俺に対する人質として」
「……そうね」
レイの言葉に面白くなさそうな様子を見せるリンディ。
レイに怒っているのではなく、自分が足手纏いになっているという事実が面白くないのだろう。
もし自分にレイと同じような力があれば、アンヌ達を守っているだけではなくアンヌ達を奴隷にするように指示し、ネクロマンシーの生贄にしようとした相手を決して許すといったような真似をするつもりはなかったのだから。
そんなリンディの様子にレイも気が付くが、ここで自分が何かを言ってもそれはリンディのプライドを傷つけるだけだろうと判断し、その点については何も言わない。
そうして黙り込んだリンディとは裏腹に、リビングにいた錬金術師達はゴーレムについて尋ねる。
「それで、レイさん。ゴーレムはどのような形式でしたか?」
「どのようなと言われてもな。ああ、お前達が使っていたような、水で出来たウォーターゴーレムとか、そういうのはいなかった。騎士のように金属の鎧を装備したゴーレムとかが目立っていたな」
「金属の鎧……ニルケーナの奴か?」
「多分、それで間違いないでしょうね。ニルケーナは自分のゴーレムは強力だって言って自慢してたし。……ゴーレムに金属の鎧を着せるなんて、値段的にもの凄いことになるんだけど」
「まぁ、あいつのゴーレムは見栄えがいいのは間違いない。貴族の中でも人気があったし、多少高くても売れるんだろ」
そこまで言った錬金術師は、レイを見る。
その視線の意味を何となく理解したレイは、当然といった様子で頷くと、口を開く。
「金属の鎧を着たゴーレムなら倒したぞ。現在その残骸はミスティリングに収納されている」
「やっぱり」
あっさりと告げたレイに、錬金術師達……特に今レイに向かって視線を向けてきた錬金術師の男は、微妙な表情を浮かべる。
筋肉痛で身体が痛いのだろうが、そんな痛みを無視してでも、大袈裟に首を横に振っていた。
それだけ、ニルケーナという人物の作ったゴーレムは売る時は高額になるのだろう。
錬金術師達の態度からそんな様子は分かったものの、だからといってレイがその件で反省するつもりはない。
そもそも、そこまで高価なゴーレムを破壊したくなければスラム街で行動させるといったような真似をせず、どこかに飾ってでもおけばいいのだ。
実戦に出す以上、ゴーレムが破壊されるというのは十分可能性のあることではあった。
それで自分が責められても……というのが、レイの正直な感想だ。
「ちなみに、そのニルケーナとかいう奴が作ったゴーレムがなくなったのは、ドーラン工房的には痛いと思うか?」
「え? それは……まぁ、痛いかどうかと言われれば、間違いなく痛いと思うけど。それでも今のドーラン工房なら、そのくらいのことはすぐにどうにかしてしまってもおかしくはない……と思う」
「ちなみに金属の鎧を着たゴーレムだけじゃなくて、スラム街にやって来たゴーレムの大半は俺とセトによって倒されて、その残骸は金属のゴーレムと同じようにミスティリングに収納されている」
「それは……ちょっとどころじゃないくらい、痛いと思う。ニルケーナのゴーレムだけならまだしも、他のゴーレムもとなると」
「非主流派の俺達にしてみれば、ざまあみろって感じだけど」
非主流派として、現在主流派の錬金術師達から馬鹿にされ、冷遇されていた時のことを思い出したのか、錬金術師の一人がそう言う。
実際、主流派のせいで今のような状況になっていると思えば、そのような不満を抱くのは当然だろう。
「でも、主流派のゴーレムは生産性が決してよくなかった筈よ。それをレイさんによってそこまで豪快に破壊されてしまったとなると……売る為の商品にはならないんじゃない? まぁ、主流派がやっていたことを考えれば、そもそも取引を続ける人がいるかどうか分からないけど」
錬金術師の女の言葉には、悲しみの色がある。
現在は非主流派といったことになっていて、ドーラン工房から逃げてはいるものの、ドーラン工房という場所には深い思い入れがあるのだから当然だろう。
ざまあみろといったような表情を浮かべていた男も、そんな様子を見るとこれ以上は何も言えなくなる。
今の状況を思えば、本来ならドーラン工房の一件で悲しまないといけないのだろうと、そう思ってもおかしくはない。
「ゴーレムの大半は倒したと思う。ただ、俺達が来たのを見てすぐにゴーレムが撤退したから、多分……本当に多分だけど、スラム街にドーラン工房の錬金術師が来ていたと思うんだよな。結局見つけられなかったけど」
「レイが来たのを見て、ゴーレムが撤退したというのを考えると、その可能性は否定出来ないな。だが、主流派の連中がスラム街まで来るかと言われると……正直、どうなんだろうな」
錬金術師の一人がそう言うのを見て、レイは不思議そうに口を開く。
「俺が来てすぐに撤退を始めたんだぞ? それを考えると、錬金術師が必要じゃないのか?」
「そうとも限らないわ。レイが来た……例えばセトに乗って空を飛んできた相手がいたら撤退するようにと最初から命令しておくことも出来るでしょうし、あるいはゴーレムに被害が出たら撤退するようにと命令されていてもおかしくはないもの」
「そこまで出来るのか?」
ロジャーとの話で、ある程度ゴーレムに命令をしておけるというのは、聞いていた。
あるいは色々とエグジニスを歩き回っている中で、多少なりともその辺の情報を入手してはいた。
しかし、それでも錬金術師の女が言ったような真似が出来るというのは、少し予想外だった。
「普通のゴーレムだと出来ないわ。けど、主流派が使っているゴーレムの核は高性能だったから。……その高性能の理由を知った今となっては、使いたいとは思わないけどね」
今まで多数のゴーレムを作ってきた錬金術師として、女にもプライドがある。
ネクロマンシーを使って人の魂を素材にしてゴーレムの核を作るなどといった真似は、女には到底許容出来なかった。
ゴーレムの製作にはモンスターの素材も多数使われているのに人の魂は駄目なのかと言われれば、迷いはする。迷いはするが、それでもやはり最終的には否と言うだろう。
その辺は、やはり錬金術師よりも人として踏み入ってはいけない領域だと思える。
「そうか。そうなると、結局俺がドーラン工房の錬金術師を見つけられなかったのは、単純に出遅れたとか隠れているのを発見出来なかったとかじゃなくて、元々スラム街には来ていなかったからか」
「あくまでもその可能性でしかないけどな。場合によっては、単純にレイが見つけられなかったという可能性もあるし」
錬金術師の男の言葉は、そうだろうなと思いつつも、取りあえずスルーしておく。
レイにしてみれば、やはり今回の一件は元々ドーラン工房の錬金術師がスラム街にはいなかったということにしておいた方がいいと判断した為だ。
実際、もし錬金術師が来ていた場合、レイはともかくセトの目から逃げられるとは思わない。
セトの五感の鋭さを考えた場合、やはり元々錬金術師はスラム街に来ていなかったという可能性の方が高いのは間違いなかった。
「ともあれ、そうやって錬金術師を捜しているとこで、セトが乱闘している二つの集団を見つけてな」
「え? それに介入したの? 何で?」
レイの言葉から話の先が予想出来たのだろう。リンディは何故わざわざそのような真似を? と疑問に思う。
他の者達も言葉には出さないものの、リンディと同じような意見なのだろう。
レイの言葉を待つように、視線を向けていた。
「そう言われてもな。争っていた集団の片方に子供が多かったんだから、セトには見捨てることが出来なかったんだと思う。俺も、そういうのは見ていて気持ちのいいものじゃないし」
子供達も自分の小ささを利用して必死になって相手の集団に抗っていた。
だが、それでもやはり子供と大人との間にある身体能力の差は大きく、もしレイやセトが戦いに介入していなければ、恐らく負けていたんだろう。
(あるいは、もし子供達の方が有利な状況だったら、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、あの戦いに介入しなかったかもしれないな)
実際にどうだったのかは、レイにも分からない。
分からないが、何となくそうではないかと思ってしまう。
「変わってるわね。まぁ、それはいいとして。レイはこれからどうするの? 何かやることはある?」
スラム街の争いに介入するのは変わっているといったように言ってくるリンディの問いに、レイは少し考えてから首を横に振る。
「いや、今はもう特に何かやるべきことはないな。あるとすれば、またドーラン工房のゴーレムがスラム街に来たとか、そういう時に出撃するくらいだと思う」
「そうなの? なら、私とちょっと付き合わない?」
「何に付き合えと? 掃除とかはごめんだぞ」
リンディの付き合えという言葉に、アンヌがやっているのだろう風雪のアジトの掃除を自分にもやれと、そのように言われているのかと思い、掃除はごめんだと返すレイ。
レイも別に掃除が出来ない訳ではない。
日本にいた時は高校で掃除当番が普通にあったし、あるいは自分の部屋の掃除をしたりといったことも珍しくなかったのだから。
しかし、だからといってここで掃除をしたいとまでは思わない。
やろうと思えば出来るが、面倒臭い。
それがレイの率直な気持ちだろう。
だが、アンヌと一緒に掃除をしてこいと言うのかと思ったリンディは、レイの言葉に対して首を横に振る。
「違うわ。ちょっと模擬戦に付き合って欲しいのよ」
掃除ではなく、リンディの口から出て来た模擬戦という言葉に、レイは笑みを浮かべて頷くのだった。