2794話
セトの背の上から放たれたレイの声によって、ゴーレムの残骸の周辺にいたスラム街の住人達は即座に逃げていく。
このままここに残っていた場合、自分達がどんな目に遭うのかを考えての行動だろう。
実際には、レイはスラム街の住人が攻撃してくるようなことでもなければ、自分から攻撃をするといったようなことは考えていなかった。
……しかし、生憎とレイには色々と悪い噂が多い。
そして噂の幾つかは間違いなく事実で、それを考えればスラム街の住人がレイを怖がってもおかしくはなかった。
(逆上して攻撃をしてくるような連中じゃなかっただけ、まだいいか)
もし向こうが攻撃をしてきた場合、レイとしては相手の行動を排除する必要があった。
それを思えば、逃げてくれた方が非常に助かる。
「じゃあ、セト。お前が倒したゴーレムの残骸をミスティリングに収納していくか。……このゴーレムも、後々何かに使ったり出来るかもしれないし。それにゴーレムの核も何とかしないといけないだろうしな」
「グルルルゥ」
レイの言葉にセトが喉を鳴らし、地上に向かって降下していく。
向かう先にあるのは、当然ながらゴーレムの残骸。
その側に無事セトが着地すると、レイはすぐにゴーレムの残骸をミスティリングに収納していく。
(実はこのゴーレムって、もしかして売約済みのゴーレムだったりしないよな?)
ふとそんな考えが思い浮かんだレイだったが、もしそうだった場合は購入予定だった相手にご愁傷様といったような気持ちを抱くだけだ。
この戦いにゴーレムを持ち出してきたのは、あくまでもドーラン工房だ。
レイが望んでそうなった訳ではない以上、もしレイが倒したゴーレムが実は売約済みだったとしても、レイにとっては気にならない。
(というか……戦った感じ、確かに他のゴーレムよりは高性能だと思ったけど、だからってそこまで突出した性能って感じでもないような。あるいはその性能を発揮する前に倒したのか)
実際、レイが攻撃をした時に人間がするような半ば反射的な動きをして攻撃を防ごうとした点はあったが、結局レイの攻撃を防ぐような真似は出来ずに、次々と撃破されていった。
つまり、正確にはゴーレムが性能を発揮するよりも前に、レイが先制攻撃で倒してしまっていたというのが正しい。
そういう意味では、レイはドーラン工房のゴーレムの天敵と評すべき存在なのだろう。
本人にその自覚があるのかどうかは微妙だが。
ともあれ、ゴーレムの残骸を全て収納し終えると、改めてレイはセトに声を掛ける。
「セト、また空を飛んでくれないか? ドーラン工房の錬金術師がスラム街にいても既に脱出しているだろうけど、それでももしかしたら……本当にもしかしたら、見つけられるかもしれないし」
「グルルゥ」
レイの言葉に、セトは少し疑問を抱きつつも頷く。
レイが言うように、錬金術師がいてももう逃げてしまっていると、セトもそのように思っているのだろう。
それでも万が一にも錬金術師がスラム街にいるという可能性にレイは賭けたのだ。
もしかしたら何らかの理由でスラム街の住人と遭遇して騒動を起こし、結果として逃げるのに遅れている……といった可能性は決して否定出来ない。
とはいえ、当然の話だがドーラン工房の錬金術師がスラム街にやって来ているとすれば、一人でやって来ているといったようなことはまずないだろう。
護衛としてドーラン工房が雇っている冒険者を連れているか、あるいは護衛用のゴーレムがいるか。
そのような存在がいれば、スラム街の住人とトラブルになっても対処は難しくない。
(それでも、万が一、億が一にも可能性があるのなら、ここで捕らえて色々と情報を聞きたい)
レイにしてみれば、ここでドーラン工房の錬金術師を捕まえることが出来れば、その相手から知りたい情報を色々と聞き出すことが出来る。
尋問に関しては、レイではなく風雪の者達に任せることになるだろうが。
レイも今まで尋問をしたことはあるものの、それでも本職の者達に比べれば素人でしかない。
そうである以上、尋問をするのなら当然のように本職に任せた方がいい。
もしレイが尋問した場合、相手が嘘の情報を話していても分からなかったり、まだ話せる情報を持っていてもそれに気が付かなかったりと、そのようなことになってもおかしくはないのだから。
「グルルルゥ?」
と、空を飛んでいたセトが、不意に喉を鳴らす。
一体何が? と疑問に思い、そしてもしかしたら……という思いも込めてセトの見ている方に視線を向けると、そこではスラム街の住人同士で争っている光景があった。
予想していたのとは違う光景。
何よりスラム街の住人同士で争うのは、決して珍しい話ではない。
それでもセトがそちらに視線を向けたのは、争っている集団の片方には子供達が多数いたからだろう。
争っている者達の数としては、そう違いはない。
しかし、片方の集団は子供達が多数いるのに対し、もう片方は大人達が集まっている集団だ。
当然ながら、そのような状況においては戦闘力に大きな差が出て来る。
そして子供と遊ぶのが好きなセトとしては、そのような光景を見てしまえば、今のように鳴き声を上げるのは当然だったのだろう。
「グルルゥ、グルルルルルゥ?」
助けに行ってもいい? と喉を鳴らすセト。
レイとしては、今のこの状況でそのような真似をするのはどうかと思わないでもない。
だが、空から錬金術師を捜す上で一番重要なのはセトの存在だ。
そんなセトの頼みは無視出来ない。
(それに……元々今ここで錬金術師を見つけるのは多分難しいと思っていたしな。ある意味駄目元だったことを考えれば、これ以上捜しても無意味か)
そうして錬金術師を捜すのを諦めると、レイはセトに声を掛ける。
「あの戦いに介入したいのか?」
「グルゥ……」
セトは申し訳なさそうに喉を鳴らす。
セトにしてみれば、そのような真似をすればレイの邪魔をするといったことになるのは、理解しているのだろう。
だが、それでも子供達が戦っている以上、ここで何もしないという選択をする訳にはいかなかった。
「そうだな。俺も子供達が一方的に……一方的に……いや、一方的じゃないか」
改めて戦いの様子を見る限りだと、不利ではあるが子供達も戦いの中で相応に役割を果たしていた。
小柄だからこそ、相手の意表を突くかのような動きをして、手に持つ石が木の棒、中には古びた短剣を持ってる者達が相手を攻撃していたのだ。
(さすがスラム街で生きてる子供達だな。随分と賢い。……この場合はずる賢い、もしくはしたたかと表現した方がいいのか?)
スラム街の子供達の様子を見てそんな風に思うレイだったが、だからといって大人と子供の間にある力の差は歴然だ。
勿論、子供がもっている武器で攻撃を命中させることが出来れば、ある程度のダメージを与えるといったような真似は出来るだろう。
だが……そもそも大人と子供では身体の大きさが違うので、攻撃を命中させるにも一苦労だ。
結果として、子供達が死に物狂いで戦っているのは間違いなかったものの、それでも子供側が不利なのはどうしようもない。
セトにしてみれば、そんな子供達を助けないという選択肢は存在しないのだろう。
「グルルゥ!」
行ってもいいよね? そう喉を鳴らして尋ねてくるセトに、レイもまた行っては駄目だといったようなことは言えない。
実際には、現在地上で行われているような戦いはスラム街ではいつでも行われている行為だ。
そうである以上、本来ならそこにレイやセトが介入するのは決してよくはないことだろう。
しかし、それでもセトは子供達を助けたいと思うのを、レイは止める気はなかった。
そこには今朝スラム街で行動している時に、子供達から助けて貰ったというのも大きい。
現在地上で戦っている子供達は、レイが今朝会った子供達ではない。
そうである以上、本来そこまで助ける必要はなかったのだが。
それでも、ここで手を出さないという選択肢はレイの中にはなく……やがてセトに声を掛ける。
「いいぞ」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らしながら地上に向かって降下していく。
地上で争っている者達は最初セトの存在には気が付いていなかったものの、それでもさすがにセトが降下してきたのを見れば、その存在に気が付くのは当然だった。
「ちょっ、おい! 上!」
最初にセトの存在に気が付いたのは、大人の方。
子供達よりも背が高いというのもあるが、それよりも今こうして戦っている最中にも他の集団が襲ってくるといった可能性があるのを知っていた為だ。
二つの集団が戦っているところで、そこから漁夫の利を得ようと手を出すといったようなことは、そう珍しい話ではない。
スラム街の住人にしてみれば、自分達が生き残るのに必死である以上、卑怯だなんだといったようなことを気にする必要はない。
だからこそ、大人達は戦いながらも余計なちょっかいを出してくるような奴はいないかと、そんな風に警戒していたのだ。
そんな大人の一人がセトの存在に気が付いて叫ぶも、その叫びに何人かが上を見ようとしたその時、既にセトは地上に着地していた。
周囲にいる者達の注意を自分に向けて、戦いを止める為だろう。セトはいつもとは違ってかなり乱暴に地面に降り立つ。
どんっ、という、そんな音が周囲に響き、戦っていた者達はセトの狙い通りそちらに視線を奪われた。
セトの狙いが見事に当たったといった形だろう。
「グルルルルルルルルゥ!」
そうして自分に注意が集まったと判断したところで、セトは高く鳴き声を上げる。
王の威圧といったスキルを使った訳ではないのだが、それでも聞いている者達の動きを止めるには十分な威力を持っている鳴き声。
そしてセトの狙い通り、鳴き声を聞いた者達は戦うのを止める。
たった今まで、それこそ戦っていたのは目の前にいるスラム街の住人だった。
だというのに、そこに急に比べものにならないくらいの実力者が姿を現したのだ。
レイやセトが何をするつもりなのか……それこそ、自分達と敵対する相手に味方をするようなことになってしまっては、どうしようもない。
そう理解しているからこそ、今のこの状況で迂闊に動いて、レイやセトの機嫌を損ねる訳にはいかなかった。
「双方、そこまでだ。戦いを止めろ」
セトの雄叫びの後、周囲に広がっていた沈黙を破ったのはレイ。
ある意味でこれは当然だろう。
この戦いに介入しようとしたのはセトだったが、セトは人の言葉を喋れないのだから。
魔獣術で生み出した者、生み出された者といったように、ある種お互いに繋がっているからこそレイはセトが何を言いたいのかが分かるものの、それはレイだからだ。
……いや、実際にはミレイヌやヨハンナといったように、愛情だけでセトが何を言いたいのかを大体分かるようになった特殊な例も存在するが。
しかし、その二人と他の者達を同列視するのは間違っているというのは、レイですら素直に納得出来る。
「ちょ……ちょっと待てよ。何だってこんな戦いにあんたみたいな奴が出て来るんだよ!」
レイの言葉と共にセトから感じられる迫力が多少は減った為か、争っていた中でも大人の集団の中の男がそう叫ぶ。
男にしてみれば、相手は子供ということもあって、自分達が有利に戦いを進めていたのだ。
勿論有利に進めていたからといって、絶対に戦いで勝てると決まった訳ではない。
ないのだが、それでも有利に事態が動いていたのは間違いない。
そんな中でいきなりレイが姿を現してこのように言ってきたのだから、それに不満を持つなという方が無理だった。
「悪いとは思うが、セトが介入したいと言ってな」
一応口では謝っているものの、レイのその言葉は本当にただ口で謝っているようにしか思えない。
男もそれは感じたのか、不満そうな様子を見せるも……この状況でレイに向かって何かを言っても、恐らくは話を聞いて貰えないと理解したのか、悔しそうに黙り込む。
あるいはここでもっとレイに何かを言えば、レイが向こう側につくと考えたのかもしれない。
「なら……どうしろってんだよ?」
「双方、大人しく退いてくれれば、それが俺にとっても最善だな」
レイの言葉に不満そうな表情を浮かべたのは大人達の集団。
それとは裏腹に、助かったといった様子を見せたのは子供達が多くいる集団。
どちらも自分の状況を理解した上で、レイの言葉には色々と思うところがあったのだろうが……それでも、結局は双方共にレイの言葉に従い、ここでの戦いは止めるのだった。